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東京電力元副社長「対策工まで議論がたどりつかず」株主代表訴訟で尋問

奥山 俊宏

 東京地方裁判所と東京高等裁判所の入る東京・霞が関の合同庁舎1階、皇居寄りの区画に103号法廷はある。ほかの法廷よりひときわ広い。

 福島第一原発事故で東京電力が被った損害の会社への賠償を求めて同社の株主が旧経営陣5人を相手取って東京地裁に提起した株主代表訴訟。その第59回口頭弁論が5月27日、東京地裁103号法廷で開かれ、事故発生当時の同社副社長兼原子力・立地本部長、武藤栄(さかえ)氏(70)の被告本人尋問が始まる。

 傍聴人から見て左側に、原告の東京電力株主、その訴訟代理人の海渡雄一弁護士ら。右側に被告の元東京電力役員の訴訟代理人弁護士、補助参加人・東京電力の弁護士が原告側と向かい合うように座っている。コロナウイルス対策で意図的に空席とされているほかは、傍聴席はほぼすべて埋まっており、記者も10人以上いる。この口頭弁論を主宰する東京地裁民事8部はふだん、東京家庭裁判所と東京簡易裁判所の入る日比谷公園側の中央合同庁舎6号館C棟で法廷を開くことが多いが、当事者と傍聴人の全員を収容できるように大型民事訴訟用の103号法廷を使っているのだろう。

 この日の口頭弁論は午前中に始まり、政府の地震調査研究推進本部(地震本部)による長期評価の策定に関わった専門家らの証人尋問が行われ、武藤氏の尋問はそのあとに予定されている。

 休廷後の午後2時55分、奥の扉が開いて法廷に裁判長らが戻ってくる。原告・被告双方の代理人弁護士や傍聴人が起立して一礼する。一同が着席してほどなく武藤氏が被告側の弁護士らの後ろの扉から法廷に入ってくる。濃紺のスーツに青灰色のネクタイを締め、顔には白いマスクとメガネをつけている。両手を腹の前で組んだまま歩いて席に向かう。傍聴席との境の両端に一人ずつ警備員が立っている。

記者会見に臨む東京電力の武藤栄副社長(当時、左から4人目)ら=2011年3月14日午後8時39分、東京・内幸町拡大記者会見に臨む東京電力の武藤栄副社長(当時、左から4人目)ら=2011年3月14日午後8時39分、東京・内幸町

 2011年3月14日、東電の原子力・立地本部長だった武藤氏は、福島から東京に戻ってきて、同日夜、千代田区内幸町の東電本店3階で記者会見に臨んだ。福島第一原発2号機の炉心に水がなくなり、空だき状態となっているという空恐ろしい進行中の事態について、淡々と質疑に応じた。そのあと21日から31日にかけて同月中は毎日、記者会見を開いた。筆者(奥山)は彼の記者会見のすべてに出席し、その結果をこのニュースサイト「法と経済のジャーナル Asahi Judiciary」で連載し、その後、一冊の新書にまとめた。あれから10年たつが、武藤氏の見た目の印象はさほど変わらず、老いは見えない。2011年3月下旬の記者会見で必ず身につけていた作業服ではなく、濃い色のスーツに白髪が映える分、法廷での武藤氏の姿は紳士然とした印象をより強く感じさせる。

 武藤氏は、検察審査会の議決に基づいて業務上過失致死傷の罪で起訴され、その一審の公判で2018年10月16日、17日に被告人質問に答えた。2019年9月に一審・東京地裁刑事4部で無罪判決を受け、現在、その控訴審が始まるのを待つ身である。その刑事訴訟の争点と株主代表訴訟の争点はほぼ重なる。だから代表訴訟でも同じ結論になる可能性が高いかというと、必ずしもそうではない。同じ東京地裁であっても刑事部と民事部で異なる結論が出る例がなくはないからだ。日本長期信用銀行の粉飾決算事件で元頭取らが違法配当などの罪に問われた事件では、刑事1部は有罪を言い渡し、民事8部は違法配当を否定して原告・整理回収機構の請求を棄却した。控訴審の東京高裁でも食い違ったまま結論は変わらず、最終的に最高裁で逆転無罪判決が言い渡され、請求棄却が維持され、初めて刑事と民事の結論が一致した。武藤氏の場合はどうなるか。

記者会見する東京電力の武藤栄副社長(当時)=2011年3月21日午後7時38分、東京・内幸町拡大記者会見でマイクを手にする東京電力の武藤栄副社長(当時)=2011年3月21日午後7時38分、東京・内幸町
 法廷内の一同が再び起立するなか、武藤氏が「偽りを述べないことを誓います」と宣誓する。語尾まで言葉がはっきりしており、聞き取りやすい声だ。記者会見でのもごもごした話しぶりの印象とやや異なる。あえて言葉に力を込めているようにも聞こえる。

 被告のうち技術系の武藤氏ら3人の訴訟代理人を務める弁護士がまず主尋問を行う。陳述書の内容を確認した後、武藤氏の経歴について質問していく。それによれば、武藤氏は、核燃料や原子炉の炉心設計を専門としてきた。原子力業界も含め一般には「核燃料」と呼ぶが、武藤氏はそれをすべて「原子燃料」と言い換えて説明する。東電社内で原子燃料サイクル部長を経て、2005年、原子力・立地本部の副本部長に就任した。それ以前に「地震や津波対策に関する業務を担当したことはありましたか」との質問に、武藤氏は「それは一切ありませんでした」と答える。

2008年3月31日、福島県に津波評価を説明「部下作成のQ&Aを理解できず」

 事故発生の3年前、2008年3月31日、当時は東電の原子力・立地本部副本部長で執行役員だった武藤氏は、福島第一原発の地震対策、津波対策について、福島県の生活環境部長に説明に出向くことになった。東京電力は新しい耐震設計審査指針に基づき既存の原発について安全性を確認して報告する「耐震バックチェック」を政府の原子力安全・保安院から1年半前に求められており、その中間報告をその日に保安院に出す予定で、あわせて地元の福島県にもそれを説明する必要があった。津波対応については中間報告に盛り込まれず、最終報告に先送りされることになっていたものの、県の部長への説明のために原子力設備管理部の土木グループが作成した想定問答集(QA)には東電の方針として次のように書かれていた。

 地震調査研究推進本部等から発表された最新の知見を踏まえ、「不確かさ」の考慮として発電所の安全性評価にあたって考慮する計画(注1)

福島県生活環境部長への説明のために東電の土木グループが準備した想定問答集=避難者が国や東電を相手に大阪地裁で起こした訴訟の丙B第268号証の4の資料96として原子力規制委員会が情報公開法に基づき2020年2月に記者に開示(株主代表訴訟では甲297号証の4、刑事裁判では甲A186号証)拡大福島県生活環境部長への説明のために東電の土木グループが準備した想定問答集=避難者が国や東電を相手に大阪地裁で起こした訴訟の丙B第268号証の4の資料96として原子力規制委員会が情報公開法に基づき2020年2月に記者に開示(株主代表訴訟では甲297号証の4、刑事裁判では甲A186号証)

 政府の地震本部(地震調査研究推進本部)の見解を踏まえると明記されている。これはつまり、福島県沖の日本海溝近辺でマグニチュード8級の津波地震が起き得るとの長期評価を踏まえる、ということを意味する。土木グループの技術者たちは当時、その方針で一致していた。

 この想定問答について、代理人弁護士から「これに目を通した当時、これを理解はしていましたか?」と質問され、武藤氏は「まったく理解してませんでした」と答える。法廷での武藤氏の供述によれば、当時、そもそも地震本部の長期評価そのものを知らなかったという。

 この想定問答集を見て、法廷での供述によれば、武藤氏は「使えないQAだなぁ」と思ったという。「自分の知らないような、社内でも議論していないような細かなことがいろいろ書いてあるわけで」「これはそのまま読むということであれば、使えないQAだなぁというふうに思ったと思います」

 このため、武藤氏は「自分の頭で整理をして自分の言葉でしゃべるのが私の仕事だ」と思ったという。

 福島県の生活環境部長への説明の内容に関する社内の報告メールによれば、県の部長から「津波に対する安全性評価が今回のバックチェック中間報告には入っていないのか?」と問われ、武藤氏は「津波の評価については最終報告にて報告する」と答えた(注2)。「最新の知見を踏まえて安全性の評価を行う」と付け加えたが、地震本部の見解には触れなかった。

 想定問答集を修正するようにと担当者に求めたかと問われ、武藤氏は「そんなことは言ってません」と答える。「いわば参考資料だなというふうに思った」からだという。

2008年6月10日、土木グループから津波対策検討の説明を受ける

 2008年6月10日、福島第一原発の津波対策について、原子力・立地本部内の会議が開かれた。武藤氏は、原子力設備管理部の土木グループ、酒井俊朗グループマネージャーらから説明を受けた。

 武藤氏の供述によると、最初に「福島県沖の日本海溝沿いの津波の波源を置いて計算をやってみたらば、福島の発電所でたいへんに高い津波水位になった」との説明があった。武藤氏は真っ先に「今までどういうやり方でやってたんだ?」と質問したという。すると、土木学会が標準化した津波評価の手法に基づいて計算し、それを想定する津波水位にしてきた、との説明があったという。

拡大土木学会によって津波の波源とされた海域=避難者が国や東電を相手に大阪地裁で起こした訴訟の丙B第268号証の4の資料110として原子力規制委員会が情報公開法に基づき2020年2月に記者に開示(株主代表訴訟では甲297号証の4、刑事裁判では甲A188号証)
 武藤氏によると、会議室にあったホワイトボードに酒井グループマネージャーが日本地図を描き、過去に地震が起きて津波の波源になった場所に線を引いた(注3)。福島県沖の日本海溝近辺にはその線が引かれず、代わりに、酒井マネージャーはそのあたりをラグビーのボールのように楕円形に丸く囲んで、「ここはこれまで津波地震が起きたという記録がないので波源を設定されていない」と説明したという。そして、「そこに波源を置いて計算をしてみたらば高い水位になったんです」と言ったという。法廷で武藤氏は、顔の高さあたりに上げた右手を動かしながらそのときの様子を説明する。

 法廷での武藤氏の供述によれば、武藤氏は、福島県沖の日本海溝近辺で津波地震が起こる可能性があるとの地震本部の見解について、その根拠を酒井氏に尋ねた。すると、酒井氏からは「よく分かんないんです。根拠は分かりません」との返答があったという。

 武藤氏は、計算に用いた波源の信頼性はどうなのかとも酒井氏に尋ねた。すると、酒井氏から「信頼性ということであれば、それはないです」との返答があったという。

 2018年4月27日の刑事公判で、酒井氏は、2008年6月10日の会議で、地震本部の見解について、「明確な根拠は示されていないし、非常に取り扱いが難しい」と武藤氏に説明したと証言。これに先立つ2008年2月26日に東北大学の津波工学専攻の有力教授から地震本部の見解に関連して「福島県沖海溝沿いで大地震が発生することは否定できないので、波源として考慮するべきである」と助言されたことを踏まえ、酒井氏は「先生がこれを入れなきゃいけないと言っているから、まあ、厄介になるわけです」とも武藤氏に説明したと証言した(注4)。ニュアンスはやや異なるが、事実関係の大筋では、武藤氏の供述と酒井氏の証言は符合している。

 刑事公判での酒井氏の証言によれば、6月10日の会議は、酒井氏ら土木グループからひと通り説明してから武藤氏から質問を受ける形ではなく、酒井氏の説明の途中で「武藤さんから一つ一つにかなり質問が入った」という(注5)

拡大2008年6月10日の会議で土木グループが武藤栄常務らに示した書面「福島第一• 第二原子力発電所津波評価の概要」=避難者が国や東電を相手に大阪地裁で起こした訴訟の丙B第268号証の4の資料109として原子力規制委員会が情報公開法に基づき2020年2月に記者に開示した行政文書(株主代表訴訟では甲297号証の4、刑事裁判では甲A188号証)
 酒井氏ら土木グループから武藤氏らに示された資料には「対策工の効果に関して概略検討を実施する」と書き込まれていた。敷地への遡上を防ぐための防潮壁と沖合の防潮堤が対策工事の内容に挙げられ、そのスケジュールも示されていた(注6)。実際、6月10日の会議の記録として作成されたメモによれば、武藤氏から「沖に防潮堤を設置するために必要となる許認可を調べること」「並行して機器の対策についても検討すること」などの指示があった、とされている(注7)。これについて武藤氏は法廷で問われ、「はい、言ったんだと思います」と認める。つまり、武藤氏は2008年6月10日の会議で、対策工事の検討にゴーサインを出した、ともいうことができる。

 しかし、武藤氏は対策工について「そんな議論はしてないというか、そんなとこまで議論はまるでたどりつかなかったです。対策をとるかとらないかというような話ではなくて、その大前提の計算、さっき申し上げたような根拠だとか信頼性だとか、そういうことを議論したので、対策工まで話がたどりつかなかった」と述べる。「とても何かを決められるような状況ではないなというふうに思いました」と武藤氏は振り返る。

2008年7月31日、1~2年かけて「社外の専門家に意見を聞く」と決定

 原子力・立地本部副本部長のまま6月26日の株主総会と取締役会で東電の常務取締役となった武藤氏は、7月31日に開かれた再度の会議で「社内の専門家が分からないと言ってる以上、社外の専門家のご意見を聞く必要があるだろう」と判断。土木グループから改組した土木調査グループにその方針を伝えた。担当者が「やるんならそれは土木学会ですね」と言ったので、土木学会に検討を依頼することになった。その検討は「お忙しい先生方にお集まりをいただいて、審議をしていただくということになるので、数か月というのは無理」で、1年か2年を要すると武藤氏はイメージしたという。

 「地震本部がおっしゃった、これまで記録がないところに何かを考えるというのは大変に難しい問題で、一電力会社、東京電力だけで判断をするというのは荷が重いというか、手に余るような中身だ。土木学会に扱いをお願いするというのが自然だし、合理的だろう」と武藤氏は思ったという。

 代理人弁護士が「会議の出席者から異論はありましたか」と質問されると、武藤氏は「異論は一切ありませんでした」と答える。

 このときの心境について、会議出席者の一人、土木調査グループ課長だった高尾誠氏はのちに2018年4月10日の刑事公判で次のように証言している。

 それまでずっと対策の計算をしたり、かなり私自身は前のめりになって検討に携わっていましたので、そういった、検討のそれまでの状況からすると、ちょっと予想していなかったような結論だったので、分かりやすい言葉で言えば、力が抜けたという、そういう状況だったかと思いますので、残りの数分の部分は、私はやり取りは覚えておりません。
 6月の10日の(会議の)宿題で、防波堤を作るための許認可を調べるというような具体的な指示事項がありましたので、対策の検討を進めていく方向で進んでいるんだろうと。私だけではなくて、その調べてた人もそういったことだったと思いますけれども、そういった状況、そういった6月の10日の(会議での)指示事項、その後の検討からすれば、ちょっと予想しない結論が示されたというのが私の正直な気持ちです(注8)

 酒井氏、高尾氏の下で土木調査グループの主任だった金戸俊道氏の刑事公判での証言によれば、金戸氏は武藤氏の判断を聞いたとき内心では「研究を実施したとしても、それなりの規模の津波が起きるということは多分変わらないだろう」と考えていたという(注9)

 技術的にというか、地震本部が言っていることを覆す材料がないので(中略)時間は少し遅くなるかもしれないけれども、対策工事はいずれやっていくというふうに考えてたと思います。

「いま振り返って考えても、あれ以外は採りにくかった」と武藤氏

 午後4時に休憩に入った後、午後4時8分に武藤氏への尋問が再開される。

 訴訟代理人弁護士は「平成20年7月31日の打ち合わせを経て決まった方針は合理的なものであったかどうかについて現時点ではどのように考えていますか」と質問する。

 武藤氏は「その後たいへんに大きな事故になったということなわけで、振り返ってみていろいろ、私としても自問自答を繰り返す場面もあったわけですが、いま振り返って考えてみたとしても、当時の認識で、あれ以外のやり方というのは採りにくかったというか、合理的な判断だったんじゃないかというふうに私は今でも思っております」と答える。「社内の担当者が『よく分からない』と言うものについて経営として何かを決めるということはできない」とも述べる。

 弁護士が「対策の必要性も判断できない状態だったとうかがってよろしいですか?」と質問すると、武藤氏は「はい、そういうことです」と答える。

 午後4時45分、この日の尋問がすべて終わる。裁判長が次回進行協議、次回口頭弁論の日取りを確認し、午後4時47分、閉廷する。

社内の専門家の判断に耳を傾けるより、その個々の判断根拠に疑問符をつけた武藤氏

 この日の法廷を傍聴し、改めて、筆者(奥山)は、以下のような見方を強める。

 福島県沖でマグニチュード8級の津波地震が起こる可能性があるとの政府の長期評価に基づいて福島第一原発の津波対策強化について部下から提案があった際、武藤氏は、長期評価の根拠を質問し、部下が「よく分からない」と答え、結果として「対策工まで議論がたどりつかなかった」という。そんなふうに武藤氏はこの日の口頭弁論で説明した。まるで胸を張るかのような態度で武藤氏は「対策の必要性を判断できなかった」と断定した。

 武藤氏の説明を聞く限り、2回の会議は、土木調査グループの提案を聞いてそれを真剣に検討するというよりも、その提案の前提にある理学的判断、工学的判断の基礎について、そのグループマネージャーを問い詰めて終わった、ということだ。土木調査グループは「津波対策が必要だ」と判断したのに、その判断をほとんど一顧だにせず、代わりに、その判断の基礎となる知見を問いただすことに武藤氏の努力は払われた。そんなふうに聞こえる。

 2008年夏、どうやら武藤氏は、金戸氏ら社内の津波工学専門家が何をどう判断したのかを的確に理解しようとせず、また、的確に理解できていなかった。原子力工学の専門家ではあっても武藤氏は津波工学や地震学については素人であり、それらの専門分野の暗黙知を持たない。かつ、実質わずか1回、1時間半ほどの会議で説明を受けただけだ。だから理解できなかったのも当然だろうが、その理解できないという事実に武藤氏は謙虚であるべきだった。武藤氏は、まずは社内の専門家の判断に耳を傾けるべきなのに、そのすべてを聞き取るより先に、彼らの判断の根拠に一つひとつ疑問符をつけていくことに努力と注意を振り向けた、というふうに筆者(奥山)には見える。

 大組織においては一般的に、経営層は、下から上がってきた現場の専門判断を尊重しつつ、経営上の要請など、より広い視点を加味して、総合的な判断として経営上の意思決定を下していくのが通例である。そうした総合判断の基礎となる事実認識については、歪められてはならない。目的のために事実を曲げることはできない。あるいは、「技術判断を経営判断の都合で歪めてはならない」と言い換えることもできる。現場の判断と異なる判断を下す場合には、よほどの注意が必要である。不用意に現場の判断を覆すことで生じ得る「抜け落ち」に細心の注意を払う必要がある。

 この点、「新しい耐震指針に適合するためには津波対策が必要である」との現場の技術判断があるのに、もし仮にそれを却下するのだとすれば、そのためには、それを正当化するための相応の根拠が必要となる。たしかに技術判断に誤りがある場合もありうるが、通常、非専門家である経営層はそれを見破るための根拠を持ち得ない。技術判断をそのまま受け止めた上で、そのほかの要素も併せ、総合判断として、現場の技術判断とは異なる結論を導くこともたしかにあり得るが、その場合、非専門家である経営者には相当な慎重さが求められるべきである。その専門分野の暗黙知や土地勘を備えていないからだ。もし仮に現場の技術判断を尊重しないのならば、それを補ってあまりある技術上の知見や経験が経営層あるいはそれを補助する別の専門家、技術者に存在することが前提とならなければならないが、通常はそうではないであろう。素人は玄人の技術判断を無視してはならない、ということだ。

 経営判断で技術判断を覆すのではなく、技術判断と経営判断を峻別し、むしろ、経営判断の中に技術判断を取り込み、技術判断を生き残らせるべきである。技術判断が誤っているのならば、経営層がそれを正すのは間違いではないが、そのためには、それ相応の根拠が必要である。おそらく現実には、現場の問題意識を採り入れないための相応の根拠を見いだすよりは、現場の問題意識を余すところなく生かしたほうが、より効率的だろう。「根拠が分からない」というのならば、現場の技術判断を覆すべきではない。

 このように、あるべき経営判断とは異なる流儀で、福島第一原発の津波対策に関する2008年夏の東京電力の意思決定は行われた。そのように筆者(奥山)は感じる。これはその被告によるその意思決定が違法かどうかを問う裁判の争点とはさほど関係のないことかもしれないが、今後、教訓をくみ取る上では重要な事実だろうと思う。

 今後、株主代表訴訟では、7月6日に武藤氏の尋問の続きが予定されており、残りの被告のうち武黒一郎元副社長、勝俣恒久元会長、清水正孝元社長の尋問は7月6日、20日に予定されている。小森明生元常務(元福島第一原発所長)の尋問は当初、同じ日取りで予定されていたが、延期された(注10)

 ▽注1:東電株主代表訴訟の甲297号証の4の資料96(刑事裁判では甲A186号証、大阪避難者訴訟では丙B第268号証の4)、「【7】津波関連 生活環境部長対応」。
 ▽注2:東電株主代表訴訟の甲297号証の4の資料97(刑事裁判では甲A88号証、大阪避難者訴訟では丙B第268号証の4)、「福島県生活環境部長への耐震バックチェック中間報告他の説明結果について【速報】」と題する2008年3月31日16:30発信の東電社内メール。
 ▽注3:東電株主代表訴訟の甲297号証の4の資料110(刑事裁判では甲A188号証9丁、大阪避難者訴訟では丙B第268号証の4)、「土木学会による津波の波源」。
 ▽注4:東電株主代表訴訟の甲298号証の2、酒井証人調書37頁、2018年4月27日。
 ▽注5:東電株主代表訴訟の甲298号証の1、酒井証人調書69頁、2018年4月24日。
 ▽注6:東電株主代表訴訟の甲297号証の4の資料109(刑事裁判では甲A188号証5丁、大阪避難者訴訟では丙B第268号証の4)、「福島第一・第二原子力発電所津波評価の概要」。
 ▽注7:東電株主代表訴訟の甲297号証の4の資料114(刑事裁判では甲A188号証20丁、大阪避難者訴訟では丙B第268号証の4)、「福島第一・第二津波評価説明メモ」。
 ▽注8:東電株主代表訴訟の甲297号証の1、高尾証人調書110~111頁。
 ▽注9:東電株主代表訴訟の甲299号証の1、金戸証人調書80頁、2018年6月20日。
 ▽注10:小森元常務の被告本人尋問の延期については、2021年6月2日に加筆・修正した。http://tepcodaihyososho.blog.fc2.com/blog-entry-383.html
 ▽注11:法廷での発言の引用部分の細かな言い回しについて、2021年11月11日、本人調書(反訳書)に基づいて修正した。

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筆者

奥山 俊宏

奥山 俊宏(おくやま・としひろ) 

 1966年、岡山県生まれ。1989年、東京大学工学部卒、朝日新聞入社。水戸支局、福島支局、東京社会部、大阪社会部、特別報道部などで記者。2013年から朝日新聞編集委員。2022年から上智大学教授(文学部新聞学科)。『法と経済のジャーナル Asahi Judiciary』の編集も担当。近刊の著書に『内部告発のケーススタディから読み解く組織の現実 改正公益通報者保護法で何が変わるのか』(朝日新聞出版、2022年4月)。
 著書『秘密解除 ロッキード事件  田中角栄はなぜアメリカに嫌われたのか』(岩波書店、2016年7月)で第21回司馬遼太郎賞(2017年度)を受賞。同書に加え、福島第一原発事故やパナマ文書の報道も含め、日本記者クラブ賞(2018年度)を受賞。 「後世に引き継ぐべき著名・重要な訴訟記録が多数廃棄されていた実態とその是正の必要性を明らかにした一連の報道」でPEPジャーナリズム大賞2021特別賞を受賞。
 そのほかの著書として『パラダイス文書 連鎖する内部告発、パナマ文書を経て「調査報道」がいま暴く』(朝日新聞出版、2017年11月)、『ルポ 東京電力 原発危機1カ月』(朝日新書、2011年6月)、『内部告発の力 公益通報者保護法は何を守るのか』(現代人文社、2004年4月)がある。共著に『バブル経済事件の深層』(岩波新書、2019年4月)、『現代アメリカ政治とメディア』(東洋経済新報社、2019年4月)、 『検証 東電テレビ会議』(朝日新聞出版、2012年12月)、『ルポ 内部告発 なぜ組織は間違うのか』(同、2008年9月)、『偽装請負』(朝日新書、2007年5月)など。
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※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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