2021年06月14日
阿部清治(きよはる)(75)は、日本原子力研究所(原研)で、原発の炉心溶融事故の発生確率を計算する研究に取り組むようになった。
当初、日本の原発に関する計算結果はこの目標をクリアしているように見えた。たとえば福島第一原発1号機の格納容器破損頻度は1億年に1回と見積もられた(注2) 。しかし、それは地震など発電所外部の要因を計算に入れていなかった。
原研で研究した結果、他の国々と異なり、日本では地震による事故の確率がどうやら桁違いに大きいらしいことが1990年代以降にわかってきた。国内のいくつかの原発は新設炉のIAEA目標を満たせないと阿部は思った。
原発の安全規制に40年余にわたって関わった原子炉事故研究者、阿部清治(75)の目を通し、日本が原子力にどう向き合ってきたか、その現場を5回の連載でたどる。この原稿は、2021年3月17日の朝日新聞夕刊に掲載された原稿に大幅加筆したその第3回。敬称はすべて略す。
第1回は「DCHの恐怖、窒素封入配管の開放を進言… 福島原発最悪の夜」。
第2回は「原発『安全研究』は事故リスク解析、米スリーマイル島事故が転機に」
第4回は「原発の安全規制で『戦争』を想定外にしていい理由は? 『我々、福島で痛い目に』」。
第5回は「『それでも、いつかどこかで原発事故は起きる』 想像力を養い、弱点見抜け」。
2001年、政府の原子力安全委員会は、原発の耐震設計の規制基準を引き上げる方向で検討を始めた。阿部はその耐震指針検討分科会の一員になった(注3) 。
今の阿部は覚えていないと言うが、その検討の過程で、津波に関する阿部の発言が、2003年2月13日の地震・地震動ワーキンググループ第6回会合の速記録に残っている(注4) 。
津波が来たときに施設が安全なのかどうか。その安全評価というのは一体どういうふうにやっているんだと
これに対して当初、事務局の課長補佐は「やっていないわけではなくて、それはやっておりまして」などと言うばかりで、中身のある返答がない。この課長補佐は経産省出身で、原子力安全委員会の事務局に出向中だった。
速記録によれば、このやりとりを聞いた委員の地震学者、石橋克彦が「今、阿部委員のおっしゃったのはやはり非常に重要だと思う」「私もそれを真っ先に伺いたかったんです」と言い、「そもそも津波の何が原子力発電所のどこをどのように安全性を損なうおそれがあるかということを押さえなければ」と疑問を提起した。
これに対して、事務局の課長補佐は「敷地高より高くなってしまえば浸水するというご指摘だと思います」と前置きし、やっと阿部の質問に答えた。
地域によっては津波の高さを想定するのが高い場合については、いろいろな扉をつけたり、それぞれいろいろ高さ方向にはそういう工夫をしている。それでこの安全審査を通っている(注5) 。
たしかに、東北電力の女川など津波対策に力を入れている原発はあった。女川ではここまで考えているのかと感心した覚えが阿部にあった。たとえば中部電力の浜岡原発の原子炉建屋ではすべての出入り口に防水構造の防護扉が自主的に設けられていた。しかし、東京電力の福島第一原発はそうでなかった。津波のリスクを重要と考えて対策をとるかどうかは施設によって異なっていた。
2003年3月20日の地震・地震動ワーキンググループ第7回会合の速記録には、津波に対する原発の安全性をどのように評価するかとの論点について、次のような阿部の発言が記録されている。
もし、要するに、津波についても、本当にこれが極めて大事な話であって、ちゃんとした指針をつくって見るべきである。これは、安全委員会がそういうふうに決めれば、その津波に対する安全審査指針というのをつくること自体は全然問題ないはずだと思うんです。だから、要するに、そういう指針が本当に今、安全委員会としてすぐに必要ですかということであって、そこで必要だといえばこの議論の中に入れればいい
規制基準の策定の任にある原子力安全委員会が、原発にとって津波が「共通の、重要な」問題であると判断するならば、地震の揺れだけでなく、津波に特化した指針を策定すればいい、と議論を整理した発言である。これに続けて、阿部は次のようにも述べた。
そうではなくて、津波については、今のところ行政庁に任せて、詳細設計の中で見てくれればいいということであれば、それは今あわててやる必要はないんだろうというふうに私は思うんですけれども。
津波に対する原発の安全審査について今まで通り、主として電力会社と原子力安全・保安院に任せ、原子力安全委員会はそれほど深くは関わらない、というのも選択肢の一つである、と阿部は付け加えている。
阿部としては、津波については自分に専門知識がなく、そのため津波が「本当に極めて大事な話」なのかどうかを自分個人では判断することができず、したがって、その点についてはニュートラルに、他の専門家の議論を促し、結論はそれに委ねる、というスタンスだったようだ。
グループリーダーとして司会を務める京都大学防災研究所所長の入倉(いりくら)孝次郎(80)は「今日はそこまで踏み込んだ議論をするつもりはないんですけれども」と言い、「今後、指針を検討する場合に、阿部委員が言われた観点が非常に重要だろうと思う」と議論を保留にした(注6) 。
地震・地震動ワーキンググループはその名の通り、基準地震動に関する知見の整理、免震・制振に関する知見の整理などが与えられた役割であり、入倉によれば、それ以外については、本体の分科会で議論すべきであるとの取り決めがあった。
2004年11月30日の分科会で、平野光将、伊部幸美、村松健の3委員が連名の書面で、津波など地震随伴事象について「単に安全上支障ないことの趣旨のみではなく、達成目標、評価法、判断基準等、性能要求としての基本的事項を明示する必要がある」と提言し(注9) 、平野は「まだこの分科会でも十分な議論がなされていないかと思います」と指摘した(注10) 。2006年5~6月に実施された一般からの意見公募(パブリックコメント)では、津波に関する指針の案の記述について「大量の海水により電気系統、特に非常用電源装置を全部破壊するなど、極めて深刻な事態を引き起こす大きな要因になる」「巨大地震と津波の来襲はセットであり、この両者の競合にも耐える対策が必ず必要なのであるが、そういった考慮は何もなされていない」と批判の声が寄せられた(注11) 。しかし、それらの提言や公募意見を受けて検討分科会で議論を深めた形跡はない。
こうした分科会での検討経緯について、福島原発事故の後の2011年8月1日、同事故の調査・検証のために政府が設けた委員会(政府事故調)の担当官は、原子力安全委員会事務局の課長から事情を聴取した。その際、政府事故調の担当官は質問の中で次のように述べた。
津波の指針上の扱いについて、問題提起に終わり、本来議論すべきことが議論されなかったこと、また、分科会に津波の研究者が参画していなかったことは、非常に残念なことであったと考える(注12)。
分科会や原子力安全委員会の構成員に、原子力工学や地震学の研究者は含まれていたが、津波工学や海岸工学の専門家はいなかった。
入倉はこの3月、記者の問い合わせに次のように振り返った。
津波に関しては、その(2003年3月の地震・地震動ワーキンググループ第7回会合の)後の本体の分科会の議論で、「地震随伴事象」として位置づけて、全員参加で議論され、内容が決められた、と思います。ただし、大きな問題がありました。地震随伴事象の議論は、分科会の最後の課題となっていたため、当時の政治的背景が理由で耐震指針のまとめを急がされたことで、議論の時間が短く制限され、津波に関する指針の内容が極めて限られたものになってしまったことです。
地震学では、津波は地震学の一部と考えられてきました。地震学の専門家なら津波について専門的な知識は十分持っていると考えるのは普通だと思います。
阿部自身は、検討分科会ワーキンググループでの自分の発言について覚えていなかったという。原子力安全委員会事務局の課長に対する政府事故調の聴取の結果書が2014年に公表され、そこに自分の名前と発言があるのを読んで気がつき、「津波について知ったかぶりの発言をしていなかったのはよかった」と思った。
保安院の初代院長、佐々木宜彦(よしひこ)が原研理事長の斎藤伸三に直接掛け合って実現した、佐々木の述懐によれば、「画期的」な人事だった。
この異動に伴って阿部は、経産省や保安院からの一定の独立性(注13) を求められる原子力安全委員会の役職をすべて外れ、耐震指針検討分科会の委員も辞めることになった。検討分科会の本体会合に出席したのは2003年8月20日の第6回会合が最後となり、それより後、2006年8月までの42回に及ぶ検討分科会の議論には加わらなかった。
2007年3月末に定年の60歳で退職するまで3年4カ月、阿部は、原子力安全・保安院で院長、次長に次ぐ地位にあった。そんなに長期間、異動せずに同じ審議官ポストにとどまり、そのまま定年を迎えるのもまた、高級官僚としては異例だった。
阿部の保安院在任中、2004年12月にインドの原発が津波で浸水した問題が、保安院の首席統括安全審査官だった平岡英治(えいじ)(65)らによって取り上げられ、06年1月から、担当者レベルで東京電力の技術者も招いて「溢水(いっすい)勉強会」が開かれた。
このころ、阿部が出席して2006年9月13日に開かれた保安院内部の会議「第54回安全情報検討会」の資料には、津波について「必要ならば対策を立てるように指示する。そうでないと『不作為』を問われる可能性がある」と記載されている。実際、2006年6月9日、保安院の担当官が福島第一原発に出向き、津波対策を自主的に強化するよう求めた経緯もあった。
とはいえ、阿部は審議官在職当時、「これはインドで起きた事故で、日本には関係ございません」という説明に納得していたという。
2006年9月19日に原子力安全委員会で耐震設計審査指針の改訂版がようやくとりまとめられた。おおざっぱに言えば、10万年ほどに1回の地震までを考慮して基準地震動を設定し、それに耐えられるように施設を防護することを新しい指針は求めた。津波については、基準地震動と同様の表現で「施設の供用期間中に極めてまれではあるが発生する可能性があると想定することが適切な津波によっても、施設の安全機能が重大な影響を受けるおそれがないこと」を求めたが(注14) 、指針の全15ページの書面のうち津波に関する記述はその3行しかなく、具体的な基準や評価方法は示されなかった。
そのような漠然とした指針ではあったが、基準地震動と同様に「10万年ほどに1回」の津波を考えて施設を設計しなければならないだろうと覚悟した技術者がいた。
2008年夏、東京電力の原子力設備管理部に籍を置く津波工学の専門家は、基準地震動の「10万年ほどに1回」を津波にあてはめて、どの程度の津波を想定するべきかを検討。福島第一原発1~4号機の敷地が浸水してしまうおそれがあるとの計算結果に基づき、津波対策の抜本的強化が必要だと判断し、それを会社の上層部に進言したのだ。
原子力安全に関する阿部の考えによれば、原子炉施設の設計にあたって、1千万年に1回を上回る頻度の事象は何らか検討する必要がある。千年に1回なら当然、それを想定して防護しなければならない。福島第一原発で千年に1回程度の津波に備えがなかったのは重大な見落としだった。
福島事故の後、原子力学会の原子力安全部会が2013年に出した報告書に、部会長だった阿部は「もっと謙虚に、事例に学ぶことが必要であった」と書いた(注16) 。15年に出版した自著『原子力のリスクと安全規制』で「見るべきものが見えてなかった」「私自身も批判されるべきひとりである」と振り返った(注17) 。(次回につづく)
この連載「炉心溶融事故研究者」の
第1回は「DCHの恐怖、窒素封入配管の開放を進言… 福島原発最悪の夜」、
第2回は「原発『安全研究』は事故リスク解析、米スリーマイル島事故が転機に」、
第4回は「原発の安全規制で『戦争』を想定外にしていい理由は? 『我々、福島で痛い目に』」。
第5回は「『それでも、いつかどこかで原発事故は起きる』 想像力を養い、弱点見抜け」。
▽注1:Basic Safety Principles for Nuclear Power Plants 75-INSAG-3 Rev. 1, A Report by the International Nuclear Safety Advisory Group (INSAG), an advisory group to the Director General of the International Atomic Energy Agency, https://www.iaea.org/publications/5811/basic-safety-principles-for-nuclear-power-plants-75-insag-3-rev-1, https://www-pub.iaea.org/MTCD/Publications/PDF/P082_scr.pdf#page=19
▽注2:東京電力株式会社(2002年5月)「アクシデントマネジメント整備有効性評価報告書」pp.35-36.
▽注3:原子力安全委員会 原子力安全基準・指針専門部会 耐震指針検討分科会 議事次第/速記録、https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3567868/www.nsr.go.jp/archive/nsc/senmon/shidai/taisinbun.htm
▽注4:原子力安全委員会 原子力安全基準・指針専門部会 耐震指針検討分科会 地震・地震動ワーキンググループ 議事次第/速記録、https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3567868/www.nsr.go.jp/archive/nsc/senmon/shidai/taisinjisin.htm
▽注5:地震・地震動ワーキンググループ第6回速記録、https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3567868/www.nsr.go.jp/archive/nsc/senmon/soki/taisinjisin/taisinjisin_so06.htm
▽注6:地震・地震動ワーキンググループ第7回速記録、https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3567868/www.nsr.go.jp/archive/nsc/senmon/soki/taisinjisin/taisinjisin_so07.htm
▽注7:耐震指針検討分科会第6回会合速記録、https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3567868/www.nsr.go.jp/archive/nsc/senmon/soki/taisinbun/taisinbun_so06.htm。資料「耐震指針検討分科会地震・地震動ワーキンググループにおける検討状況」、2003年8月20日、https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3567868/www.nsr.go.jp/archive/nsc/senmon/shidai/taisinbun/taisinbun006/siryo3.htm。
▽注8:耐震指針検討分科会第7回会合速記録、https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3567868/www.nsr.go.jp/archive/nsc/senmon/soki/taisinbun/taisinbun_so07.htm
▽注9:2004年11月30日、耐震指針検討分科会第13回会合配布資料、震分第13−2号「指針改訂に関する主要論点に対する提言(要点)」、https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9498833/www.nsr.go.jp/archive/nsc/senmon/shidai/taisinbun/taisinbun013/siryo13-2.pdf
▽注10:耐震指針検討分科会第13回会合速記録、 https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3567868/www.nsr.go.jp/archive/nsc/senmon/soki/taisinbun/taisinbun_so13.htm
▽注11:山崎久雄、2006年6月22日、意見(原子力安全委員会事務局、2006年7月4日、「発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針(案)」に対する意見募集にご応募いただいたご意見について(その5)16/38、https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9498833/www.nsr.go.jp/archive/nsc/senmon/shidai/taisinbun/taisinbun044/siryo35.pdf#page=18)から
▽注12:政府事故調査委員会ヒアリング記録、被聴取者:水間英城(原子力安全委員会事務局総務課長、元原子力安全委員会事務局審査指針課長)、2011年8月1日、原子力安全委員会耐震指針分科会及びWGにおける議論等、https://www8.cao.go.jp/genshiryoku_bousai/fu_koukai/pdf_2/235.pdf#page=4
▽注13:https://kokkai.ndl.go.jp/txt/114603911X00319991117/21、https://kokkai.ndl.go.jp/txt/114603911X00519991124/140
▽注14:https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3533051/www.nsc.go.jp/anzen/sonota/kettei/20060919-31.pdf#page=15
▽注15:武藤栄、被告人調書49頁、東京地裁刑事4部、第30回刑事公判、2018年10月16日 (株主代表訴訟の乙B11号証の1)。
▽注16:日本原子力学会原子力安全部会、2013年3月、『「福島第一原子力発電所の事故に関するセミナー」報告書 何が悪かったのか、今後何をすべきか』、https://www.aesj.net/publish-1302
▽注17:阿部清治、2015年3月、『原子力のリスクと安全規制―福島第一事故の“前と後”―』386頁、405頁、第一法規、ISBN 978-4-474-03505-8。
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