メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

訴訟記録廃棄の報道にPEPジャーナリズム大賞2021特別賞

奥山 俊宏

 朝日新聞デジタルやこのウェブサイト「法と経済のジャーナル Asahi Judiciary」で展開してきました「後世に引き継ぐべき著名・重要な訴訟記録が多数廃棄されていた実態とその是正の必要性を明らかにした一連の報道」に対し、PEPジャーナリズム大賞2021特別賞が授与されました。

 PEPは、一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ(船橋洋一理事長)が2019年10月に立ち上げた「政策起業家プラットフォーム」の英名「Policy Entrepreneur’s Platform」の頭文字で、今年、「政策の費用対効果やトレードオフを含めた多角的な視点を提供するジャーナリズム」を特にインターネット・メディアに根付かせようとPEPジャーナリズム大賞を創設しました。

 7月27日に東京都港区の国際文化会館で開かれた授賞式で、選考委員長の林香里・東京大学大学院情報学環教授は一連の報道について「社会の正義の砦となる組織での記録廃棄というあってはならない深刻な問題を取り上げ(中略)その意義は重大」と指摘し、民主主義社会におけるジャーナリズムの「古典的な機能である権力の監視」「なすべき仕事」をしたとして「特別賞に値する」と講評しました。

 そのほかの受賞者、受賞作は以下の通り:
 大賞 石戸諭 「自粛警察」の正体──小市民が弾圧者に変わるとき
 現場部門 藤井誠二 その8年間は毎日不安だった ――「無国籍児」だった娘と、フィリピン人母の思い
 オピニオン部門 吉川トリコ 流産あるあるすごく言いたい
 特別賞 中野円佳 キッズライン事件を巡る一連の報道

 主催者の特設サイトはこちら:https://peplatform.org/jaward/2021/https://peplatform.org/jaward/2021/prize-5.html

 授賞式で、訴訟記録の廃棄に関する報道に携わった記者として筆者(奥山俊宏)から以下のようにスピーチしました。

訴訟記録の廃棄と保存に関する報道について

2021年7月27日、奥山俊宏

2.26事件の訴訟記録=2014年8月25日午後、東京・霞が関の法務省、金川雄策撮影
 訴訟記録の保存という極めて地味なテーマの報道に、PEP(ペップ)ジャーナリズム大賞の記念すべき第1回 特別賞をたまわり、とてもうれしく、ありがたく感謝しております。

 事件や事故など同時代のできごとの証拠や証言を整理し、文書化して束ねたのが訴訟記録です。裁判の素材となるだけでなく、それは、様々な人や組織による種々の営み、時代や世相を映していて、貴重な史料になりうるものです。

 紛争の当事者になってしまった人たちやその弁護士、検察官らが精いっぱいの努力を傾けて紡ぎ出した事実関係の詳細やそれへの見方・解釈が訴訟記録にはぎっしり詰まっています。判決文の1行の記述の背後には何十ページ、何百ページもの記録の裏付けがたいていあります。それら訴訟記録は、裁判官にとって判決の作成に必要であるというだけでなく、ジャーナリストにとっても歴史学者にとっても、できるだけ客観的に事実関係を解明するために、そして、陰謀論ではない、できるだけ真実に近い歴史を叙述するために、かけがえのない資・史料になりうるものです。

 しかし、残念ながら従来の日本では、その多くが廃棄されてきました。

 無造作に廃棄された大量の訴訟記録の中には、憲法25条の定める生存権の解釈が争われた「朝日訴訟」、尊属殺に関する刑法の規定を違憲・無効とする最高裁判決を生みだした刑事裁判などなど、法律を仕事に使う人ならば誰もが知る著名な訴訟、あるいは、日本長期信用銀行や日本債券信用銀行など金融破綻にまつわる経営責任を追及した訴訟など、歴史に刻まれるべきであろうと思われる重大事件、それらの記録もまた、含まれていました。それらは二度と復元することができません。後世に引き継ぐべき大切な記録なのに、裁判所も検察庁も漫然とルールに違反し、不注意に捨てていました。未来の日本人にとって歴史をたどる最良の手がかりが失われつつありました。現在の私たちにとっても、裁判の監視、事件の検証、教訓抽出に必要な資料が次々と失われていこうとしていました。

授賞式でスピーチする筆者=2021年7月27日午後、東京都港区(一般財団法人 アジア・パシフィック・イニシアティブ提供)
 こうした訴訟記録廃棄について、実は私は、今世紀に入ったばかりの20年あまり前からその断片を知り、「これでいいのか」と疑問に感じていました。

 バブル、不動産価格や株価などのバブルが最高潮に達した1989年(平成元年)に私は新聞記者となり、翌年から始まったバブル崩壊の過程を事件記者として追いかける取材・報道に携わってまいりました。バブル崩壊の処理プロセスはその後「失われた10年」とか「失われた20年」とかと呼ばれるほどに長引きました。今世紀に入ったころから、そうしたバブルやその崩壊にまつわる事件について、「訴訟記録が廃棄済みとなっている」と裁判所の窓口で告げられてしまうという事態をたびたび経験するようになりました。それはつまり、そうした事件について、当事者たちの主張、言い分を正確かつ客観的に把握するのが不可能になったということであり、また、生々しい証拠や証言の独特の臨場感を読者に伝えるのが不可能になったということであり、ひいては、歴史上のできごとになるのが確実ではあっても未だ現在進行形のバブル崩壊について、その姿を等身大に正しく理解して検証し、教訓をくみ取って、後世のために残していく作業が非常に困難になった、ということです。

 バブル崩壊の検証だけではありません。組織の奥底に隠された不正や腐敗を何とかやめさせようと現場から声を上げたその組織内部の労働者、一般の消費者や社会のためになる内部告発をした人について、解雇や処分などの不利益な扱いから守り、少しでも法的に保護しようという狙いから、2004年に小泉政権の提案で公益通報者保護法が制定されました。どのような法制度にしたらよいのかを検討するにあたって欠かせないのは、裁判になった事例の分析でした。私は各地の裁判所で、内部告発が問題となった訴訟の記録を読みました。そこには、内部告発をする側と、内部告発をされる側のぎりぎりの攻防と葛藤、そして、単純に一刀両断するにはあまりに複雑な事実関係が表れていました。結論である判決を読んだだけでは分からない当事者たちの心の動きの陰影が訴訟記録にほの見えていました。そうした葛藤や陰影を理解することなく、机の上だけで法律をつくっても、それは現実から遊離してしまうでしょう。にもかかわらず、そうした検討の素材となるべき訴訟記録が次々と捨てられていきました。昨年6月、公益通報者保護法を抜本的に改正する法律が成立しましたが、その改正の際の検討で参考にされた裁判例のほとんどで訴訟記録は廃棄されています。

 平成から令和への時代の変わり目に、そうした実情を明らかにし、その是正の必要性を世の中に訴えようとしましたのが、授賞の対象となりました一連の報道です。それら報道は、朝日新聞の紙面もさることながら、主として、朝日新聞社がインターネット上に設けたニュースサイトである「朝日新聞デジタル」や「法と経済のジャーナル Asahi Judiciary」(AJ)で展開いたしました。特に、AJは、法制度やその運用・執行、裁判をできるだけ詳しく伝えるための、かなりニッチな分野を対象としたニュースサイトとして11年前に立ち上げたのですが、その特性もあって、資料をPDFファイルで掲載するなど詳細な報道を出すことができ、世の中での議論のための素材を提供することができた、と思っております。

東京地裁で2012年10月に特別保存に付され、2017年12月に国立公文書館に移管された民事訴訟記録
 現在、裁判所においても、法務省・検察当局においても、訴訟記録の保存について是正策を具体化し、それを実行に移そうとしています。東京地方裁判所では、この報道を始めた時点で、永久保存に付された記録はわずか11件しかありませんでした。それが、報道をきっかけに是正策をつくって、これを実行に移しましたところ、年に100件以上を新たに永久保存に付するようになりました。最高裁判所は全国の裁判所に対して、東京地方裁判所の是正策を参考に運用を改善するよう求めました。法務省もこの3月、全国の検察庁に永久保存の指定を拡充するようにと指示を出しました。

 たとえば、福島第一原子力発電所の事故の責任を問うて、検察審査会の議決に基づき、裁判所指定の弁護士が東京電力の元会長、元副社長らを業務上過失致死傷の罪で起訴した刑事裁判。一審の東京地方裁判所では無罪の判決が言い渡され、控訴審がこの秋に始まる予定ですが、この訴訟記録は将来、刑事参考記録として永久に保存されることが事実上決まりました。この3月、法務省刑事局が通達を改正し、「検察審査会で起訴議決がされて指定弁護士が起訴した事件」の類型にあてはまる訴訟の記録をすべて刑事参考記録に指定することとし、各検察庁にそのように指示したからです。

 たとえば、夫婦の名字を同じくすることを定めた民法750条の規定が合憲か違憲かが争われ、6年前、最高裁大法廷で裁判官によって大きく意見が分かれた訴訟。その記録の永久保存が今年1月に決まりました。記事がきっかけとなって、東京地方裁判所は、弁護士会や研究者に記録の永久保存に関する要望を出してほしいと呼びかけ、これに応じて、東京弁護士会から裁判所に対して昨年10月末にこの記録の永久保存を要望し、それが受け入れられました。戦後の最高裁大法廷で違憲判断が出た21の裁判のうち訴訟記録が残るのはわずか5件でしたが、今後は、そうした訴訟の記録はすべて永久に保存され、ゆくゆくは国立公文書館に移管されることになるでしょう。

 このように、この報道の結果、保存される記録は劇的に増えていますし、今後も増えるでしょう。この報道は、後世の歴史学研究に大きく貢献することになるだろうと、手前味噌で恐縮ですが、喜んでおりますし、またそれは私の誇りとするところです。

米国の連邦裁判所から国立公文書館に移管され、公開されている訴訟記録
 先ほど「20年あまり前から訴訟記録廃棄の実態に疑問を感じていた」と申し上げました。私自身、20年以上前から客観的な資料、特に公文書、中でも訴訟記録を取材や報道に用いることの力の大きさを強く感じておりました。13年前からひんぱんに海外に出張するようになり、海外の記者たちの取材や報道をまぢかに見ることが増えて、そこでやはり訴訟記録などの文書が重要視されていることを知りました。12年前にロッキード事件の取材のため、アメリカの国立公文書館や大統領図書館に通い、訴訟記録を含む公文書の作成・保存・活用のすべての面にわたって、アメリカが先進国であり、日本が後進国であることを痛感させられました。

 このように、10年以上も前から「これではいけない」と危機感を覚えていたところではあったのですが、この報道のための取材を3年ほど前に始めましたのは、そのころ、財務省による決裁文書の改ざんが明らかとなり、また、作家の司馬遼太郎さんの著作を読んで司馬さんの史・資料へのこだわりを知り、私自身、歴史を意識するようになったからです。「きちんとした記録をつくり、それを保存し、後世に伝え、いつかは公開する、そういう責任を果たす私たちでありたい」と感じるようになったからです。また、ちょうどそのころ、ジャーナリストの江川紹子(えがわ しょうこ)さん、澤康臣さん、弁護士の塚原英治(えいじ)先生、三宅弘先生、清水勉(つとむ)先生、龍谷大学の福島至(いたる)先生、そのほか、お名前は出しませんが所属組織の壁を越えた同業のジャーナリストの皆様との研究会に参加し、そこでの議論によって問題意識を触発されたからでもあります。訴訟記録を含む公文書の制度やその意義を学び、それら制度の建前と現実との間に大きな乖離があること、すなわち、ルール違反があることに気がつき、「ならば調べてみよう」と行動を起こしたのです。

 このような地味なテーマの報道を見いだし、賞を与えると決断してくださった選考委員の先生方とともに、司馬遼太郎さん、そして、裁判のほんとうの公開についての研究会の皆様に、感謝の気持ちを捧げます。

 どうもありがとうございました。