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バブル経済事件「尾上縫」と日本興業銀行に学ぶライブトーク動画

 朝日新聞社の言論サイト「論座」と「法と経済のジャーナル AJ」の編集部は9月15日夜、「バブル経済事件『尾上縫』に学ぶリスク管理」と題して、インターネット上でトークライブを開催しました。その模様を録画したビデオのうち、前半がこの原稿の冒頭に掲載しました動画です。後半の動画はこの原稿の末尾に掲載しています。

 『バブル経済事件の深層』(岩波新書)の共著のあるジャーナリストの村山治さんと朝日新聞編集委員の奥山俊宏がホスト役を務め、日本経済新聞社で証券部の兜クラブキャップや編集委員、産業部長、専務を務め、著書『バブル 日本迷走の原点』(新潮社)が4年前にベストセラーになった永野健二さんを招いて、将来に生かすべきバブル経済事件の教訓を探りました。

なぜ日本興業銀行は料亭の女将にのめり込み、2千億円を貸したか

拡大大阪地裁に入る68歳の尾上縫さん=1998年3月2日午前、大阪市北区西天満二丁目で、朝日新聞・恒成利幸撮影
 日本興業銀行(興銀)は大蔵省、日本銀行とともに、昭和の日本経済を支える経済統治システムの重要な一翼を担い、「産業金融の雄」として戦後復興と高度経済成長を支え、大企業再編の立役者となりました。経済社会の尊敬を集め、就職先としてのブランドはトップクラスでした。その興銀が、大阪・ミナミの料亭の女将だった故・尾上縫(おのうえぬい)さんに新時代の生き残り戦略を描き、異常にのめり込みました。興銀を筆頭に金融機関による尾上さんへの融資の延べ累計額は1986年以降の5年余りで実に2兆7736億円。1991年8月に尾上さんが逮捕された当日の残高は4691億円で、うち2295億円が興銀グループでした。1個人への融資としては前代未聞です。

拡大尾上縫さんがかつて経営した料理店「大黒や」の建物=2002年3月24日、大阪市中央区千日前2丁目で、奥山俊宏撮影
 永野さんは日経新聞の記者として、興銀の中枢にいた幹部たちから内部告発を受け、尾上さんについて問題提起する記事を他に先駆けて世に出しました。尾上さんとの常識外れな関係について、興銀内部でどのような葛藤があったのか。興銀と尾上さんの事件からどのような教訓をくみ取ることができるのか。おかしな方向に組織や社会が走りだしたとき、それに異論を唱え、是正を図るにはどうしたらよいのか。今の日本経済、日本社会になお興銀と尾上さんの事件が与えている影響とは何なのか。ベテラン記者たちがそれぞれの視点で議論しました。

 ZOOMのウェビナーのチャットやQ&Aの機能を使って、参加の皆様から多くのご質問やご意見を頂きました。申込時に寄せられたご質問も含め、後半はそれをもとに議論を深めました。ライブトーク当日にご紹介しきれなかった声も含め、それらの一部を以下に引用し、奥山からのコメントを付します。

 尾上縫さんの原点の取引は株取引で、バブルの過程で相当な収益をあげ始め 証券会社と銀行が実績を求めお金を貸し、株を売ることから始まったのでしょうか? そして、いろいろな銀行、ノンバンク、証券会社がアリのように集まり、彼女をある意味神格化して、本人も誤解して取引が異常に拡大していったようにも思います。
 今も時代は、このような金融事件が発生する可能性は無くなったと言えるでしょうか?(ZoomのQ&Aを介して当日寄せられたご質問)

 村山さんと奥山の共著『バブル経済事件の深層』(岩波新書)によれば、尾上さんは、大阪ミナミのすき焼き店「いろは」で仲居として働いていたころに知り合ったその店の客から援助を受けるようになり、もともと莫大な額の現金を持っていました。それを1971年ごろに銀行に預金するようになりました。日本興業銀行との取引が始まったのは1987年3月で、最初は興銀の割引金融債ワリコーを10億円分購入しました。同年5月にワリコーを担保に興銀から25億円の融資を受け、これが興銀から尾上さんへの初めての融資でした。以後、1990年(平成2年)にかけて尾上と興銀の取引は拡大していきました。一方、尾上さんによる株取引が始まったのは1987年4月ごろのことで、88年に急拡大しました。

拡大ズーム上で議論する永野健二さん(左上)、奥山俊宏(右上)、村山治さん(下)

 バブルの過程で株取引によって収益を上げたというよりも、もともと手持ちだった現金を元手に信用創造を連鎖させ、バブルを膨らませた、というほうが実態に合っているように思います。

 尾上さんは、金銭上の損得というよりも、興銀の大口融資先であるというステイタスや気持ちよさを選んだ気がするのですが、そのような可能性は考えられますか? 幼少時は苦労したそうですし、名誉やステイタスはお金で買えないので、そう思ったのですが。。(ZoomのQ&Aを介して当日寄せられたご質問)

 そのような側面があるのは間違いないと思います。尾上さんを被告人とする大阪地裁の法廷で、検察官は「被告人が、逆ざやになるなど不利益になることを認識し、あるいは折々にその旨忠告されても、その点については、株の売却益によって十分に補填できるものと、頓着もせず、忠告にも耳を貸さず、不利益な取引であっても、依頼に応じることによって、ちやほやもてはやされ、自己の虚栄心を満足することにより大きな意味を見出し、独自の価値判断によって、主体的にかかる取引を選択していたことは明らかである」と論告しました。

 興銀の担当者がのめり込んでしまったのはあり得ることかとは思いますが、尾上さんが、このような取引を行った動機は何だったのでしょうか。興銀側が貸し込んだのは、株式投資等で尾上さんが利益を得られると判断したのでしょうか。それなら興銀側の責任についての見方も変わってくるのではないでしょうか。(ZoomのQ&Aを介して当日寄せられたご質問)
 頭のかなり良い興銀のエリート行員が、なぜ「金融の素人」の女将1人に騙されたのか?素朴な疑問です。(ZoomのQ&Aを介して当日寄せられたご質問)

 興銀で大阪支店資金部長を務めていた男性は、尾上さんが逮捕されて間もない1991年8月21日、大阪地検に次のように供述しています。

 当行の融資した資金の大半が株式取引資金として使用されていたことはもちろん承知しておりました。
 たしかに個人客として極めて大口であり、それも株取引資金という使途からすれば、取引の異常性は否定しがたいところがあると言わざるをえないところがあります。
 当行では、歴史的に法人、特にメーカーに対する融資というのが中心だったのですが、非製造系法人への融資にも力を入れ、さらに金利、金融の自由化という大きな流れに沿ってプライペートバンキング化と言いますか、個人客との取引も育成していこうという大きな方針をもっておりました。
 このような大きな方針はちょうど尾上との取引の始まった62年ころ唱え始められており、このこともあって尾上との取引が拡大していったという面があります。尾上の資金管理に当行が有しているノウハウを提供し、アドバイスするということもしておりました。
 プライベートバンキング化を目指し、個人取引客を育成するという当行としての一つの方針に基づいて尾上という大口客の資産管理、資産運用にアドバイスしてきたわけですが、元副支店長の場合は、個人的に深入りし過ぎたという批判もあり得るところだと思います。

 この供述に表れていますように、興銀の生き残り戦略に尾上さんとの取引が位置づけられたことが事件の背景にあるということができます。

 当時、貸手責任論が出てきましたが、定着しなかったのでしょうか。(ZoomのQ&Aを介して当日寄せられた声)
 かりに現在この事件が発生したら、裁判結果はどのようになったでしょうか?(ZoomのQ&Aを介して当日寄せられた声)
 グレーゾーン金利が違法とされた結果、闇金利用者が増え(中略)るという負のサイクルが新たに生まれましたが、滝井さんは何か言及されていましたでしょうか?(ZoomのQ&Aを介して当日寄せられた声)

 最高裁判事を退官した後、滝井氏は、消費者金融協会(JCFA)が出していた月刊誌「クレジットエイジ」2008年7月号のためのインタビューで、「今回のあの判決がひとつのきっかけとなって、上限金利が引き下げられ、そういう人たちが借りられなくなったという信用収縮の現実があります。当時、こういう状況は予測されていたのでしょうか?」との質問を受けています。これに対し、滝井氏は次のように答えています。

 実際にどの程度の信用収縮がおこるのか予測していたわけではありません。私はただ、法律の解釈として利息制限法の関係からこう解するべきだと思った。あくまでも具体的な事件についての判断を下しただけです。
 あとは立法、あるいは行政がどうするかの問題です。当面は行政がどうするかですよね。要するに中小・零細企業の金融をどうするか、これはあくまで行政の問題です。
 それに利息制限法が障害になるのであれば、利息制限法を改正する、あるいは貸金業法を改正するという判断が必要になってくる、その判断を下すのが立法の役割だといえます。

 このインタビューで、滝井氏は貸金業界に対する意見を聞かれ、「貸金業規制法13条にある『過剰に貸してはならない』という規定を厳格に守っていなかった。何も貸金業者だけではなく、バブルの頃は大手の銀行などの金融機関もむちゃくちゃな貸し方をしていました。それで信用を落としたともいえるでしょう。どこでも利益至上主義になるとどうしてもそういうことが起きてしまいます。業界は、貸主側の責任を自覚することが求められているのだと思います」とも述べています。

 興銀と尾上縫の案件は、大きな問題ではあったが、不動産関連融資や闇の世界が絡む本当のバブル経済事件の「前史」だったように感じる。真の金融崩壊は、住友銀行の名古屋支店長射殺事件がきっかけだったような記憶がある。あれ以降、金融機関の不良債権処理、前向きな経営改革は一切止まったのではないでしょうか?(ZoomのQ&Aを介して当日寄せられた声)
 興銀をふくめ長期信用銀行は社会的使命をというか社会的ニーズを終わった銀行でしたね! 生き残りをかけて、興銀債を買ってくれるお客さんは誰でも良かったのではないでしょうか? 一方でエリート銀行としてにっちもさっちもいかなかったというのが現実ではなかったのでしょうか? 今のみずほ銀行が興銀のそのような流れを受け継いでいるような気がいたします。日本長期信用銀行、日本債券信用銀行の様につぶれていた銀行を生き残らせてしまったのは政治の力ではなかったかと疑いたくなるような気がいたします。(ZoomのQ&Aを介して当日寄せられた声)
 バブル期は右肩上がりで夢を見て、マイホームを持つには悪夢でした。第二次世界大戦と同じで行け行けどんどんだったと記憶します。日本中がその様な心理だったのでブレーキの掛けようがなかったと思います。きっと止めると「非国民」扱いされたでしょう。将来の日本の為にこの事件や「バブル期の失敗に学ぶ」ことが大切と思います。リーマンショックのサブプライムも同じ構図でしょうか?(ZoomのQ&Aを介して当日寄せられた声)

 バブルは、はじけて崩壊を始めた後に初めて、あれはバブルだったと明確に分かるようになります。膨らんでいる最中にそれをバブルと断じてブレーキをかけるのは非常に難しいことです。しかし、警鐘を鳴らし、バブルの過度の拡大を少しでも緩和することはできるはずです。そのためには、そして、将来の過ちを防ぐためには、謙虚に歴史を学び、教訓を引き出す検証が欠かせません。

 興銀は内部告発するしかなかったのでしょうか。自浄機能、仕組みはなかったのでしょうか。(ZoomのQ&Aを介して当日寄せられた声)
 組織の「趨勢」が「おかしさにマヒしている」とき、主流派ではない部分は何ができ、抑制効果はあるのでしょうか?(お申し込み時のご質問)
 取材のもとになった内部告発のこと、法整備はこの後だったと思いますが。現状はどのようになっていますか。活用されて(守られて)取材に結びついているのでしょうか。(お申し込み時のご質問)
 組織の崩壊を防ぐカナリア役の作り方について(お申し込み時のご質問)
 現時点まで様々な企業ガバナンスの仕組みが出来上がってきていますが、日産・東芝をはじめガバナンスの問題は尽きません。法整備などでは解決ができない問題なのでしょうか。ガバナンスが行き過ぎると、企業の活力がそがれるという意見もありますが、どのような解決策を模索していくことが必要と考えておられますか。(お申し込み時のご質問)
 ミレニアル世代以降の人間には、なかなか理解し難い事件だな、と率直に思いました。笑
 グレーゾーン金利の廃止の件がお話に出ていましたが、他にもバブル時代に発生した事件を受けて改正された銀行を取り巻くもの(法律をはじめとする環境)について、具体的に教えていただきたいです。(ZoomのQ&Aを介して当日寄せられた声)

拡大尾上縫の破産管財人から最高裁判事に就任した滝井繁男氏=2002年6月11日、東京都千代田区の最高裁で、朝日新聞・松永健夫撮影
 1990年代末ごろから、企業のガバナンス(企業統治)やリスク管理体制の大切さが叫ばれるようになり、2005年に会社法が制定され、2011年に金融商品取引法が制定され、会社は内部統制システムの構築を義務づけられるようになりました。正当な内部告発をした人を法的に守ろうと、2006年に公益通報者保護法が施行されました。おおざっぱに言えば、1980年代以前に比べると、企業組織をより透明化し、その統治を強化する方向へと日本の経済・社会は進歩してきているということができるように思います。

 興銀と尾上について、AJは「大阪の女将に逆ざや融資 指弾された興銀」、「興銀が大蔵省の支離滅裂行政を法廷で内部告発」で詳報。永野さんと興銀、尾上の縁については、奥山が朝日新聞デジタルに「バブル崩壊をたどって(3)興銀内部告発と最高裁の変化」を出しています。奥山と村山さんの共著『バブル経済事件の深層』の第一章「尾上縫と日本興業銀行――産業金融の雄はなぜ大阪の女将に入れ込んだのか」はこれらの原稿を下敷きに完成させたものです。

 論座(全ジャンルパック)もしくは朝日新聞デジタル(プレミアムコース、ダブルコース)の購読者は以下のリンク先から、ライブトークで用いたパワーポイントのスライドの一部をPDF化したファイルをダウンロードすることができます。

 尾上縫と日本興業銀行に関するパワーポイントスライドの抜粋PDF

 法と経済のジャーナル(AJ)は朝日新聞社のインターネット新聞(ニュースサイト)として2010年7月21日に原稿の発信を始め、今年6月1日、朝日新聞社の言論サイト「論座」の下に引っ越しました。AJの創刊11周年と論座への合流を記念して、インターネット上で記者イベントを毎月開催することにしました。その第3回となったのがこの9月15日夜の本イベントでした。

 論座AJのオンライン記者イベントは「論座AJライブトーク」として、今後も来年(2022年)3月まで月1回、毎月第3水曜日夜に開いていく予定です。第4回は10月20日(水)午後7時から「租税回避地の秘密ファイルを各国記者と一緒に追う」と題して開催する予定です。参加のお申し込みはこちらのサイトで:https://ciy.digital.asahi.com/ciy/11005656

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 以下の動画は、尾上縫と日本興業銀行に関する9月15日夜のライブトークを収録したビデオの後半です。論座(全ジャンルパック)もしくは朝日新聞デジタル(プレミアムコース、ダブルコース)ご購読の上でご覧く

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