2022年04月11日
非常に簡略化すると、将棋は、2人で行う対戦型ボードゲームである。81マスの盤と40枚の駒を使用し、決められた初期配置から対局者が交互に自らの駒を動かすことによって進行する。駒の種類に応じて盤上において移動可能な範囲が異なる。自分の駒の移動可能な範囲に相手の駒がある場合、その駒を盤上から除外して、取る(自分の持ち駒とする)ことができる。自分の番には、盤上の駒を1度だけ動かすか、又は持ち駒を盤上に打つことが必要であり、パスは無い。原則として、自らの駒で、先に相手の駒のうち王将の駒を取れば勝ち、取られれば負けである。
現代を生きる子どもたちの目には、この古典的な遊戯が新鮮に映るようであり、強い興味を示したため、それ以来、暇を見つけてはよく家族で楽しむようになった。近年はその競技性の高さや奥深さが再び注目され、多くの媒体で取り上げられていることはご存じだろう。その楽しみ方も、将棋を指して楽しむ「指す将」だけでなく、将棋を指すよりも、もっぱら対局を観戦することを楽しむ「観る将」など、多岐にわたる。ルールを覚えさえすれば、年齢を問わず、一人でも楽しむことができ、忙しい現代のビジネスパーソンの趣味としては大変おすすめである。
ここに筆者が将棋の魅力を十分に記載するには筆力も余白も足りないが、将棋にはプロの制度があり、現在、日本将棋連盟には約170名の現役プロ棋士が所属している。プロ棋士同士の対戦ともなれば、互いに事前研究を重ねた戦略をベースとして、読み合い(相手の駒の動かし方を予想し、頭の中で繰り返しシミュレーションすること)が行われ、試合(棋戦)ごとに設定される制限時間内での非常に白熱した戦いとなる。
2022年3月9日、第80期順位戦B級1組の最終戦が行われ、藤井聡太竜王が10代でのA級昇級を決めたニュースが伝えられた。藤井竜王は2016年にデビューした史上5人目の中学生プロ棋士(中学校在学中にプロとなった棋士)であり、デビュー以来、公式戦最多連勝記録(29連勝)を含む数々の記録を樹立したことは今でも記憶に新しい。特に、今回のA級昇級の1か月ほど前には、将棋界においてプロ棋士がしのぎを削る公式戦のうち、優勝者に称号が与えられる棋戦(タイトル戦)において、最年少で全8つのうち5つを独占するという前人未踏の記録を打ち立てたことは、将棋に馴染みのない方であっても耳にしたことがあるだろう。
若干補足すると、タイトル戦のうち最も格式が高いとされる名人戦の予選に当たるのがここでいう順位戦である。プロ棋士は、5つのクラス(組)に分けられ、各クラスにおいて、毎年、年間を通じてクラスの入れ替わりをかけた激しい戦いが繰り広げられる。新人としてプロデビューした棋士は、まずは原則としてC級2組に所属し、そこからC級1組、B級2組、B級1組、A級と昇級を目指し、A級で1位となった棋士が名人位を有する棋士(名人)への挑戦権を得るという仕組みである。クラスの飛び級はない。名人に挑戦するためには最低数年を要する長い道のりであり、それゆえに名人位は最も栄誉あるタイトルとされている。A級は原則として10名とされていることから、棋士としてA級に所属するということは、名実ともにトッププロであることを意味することがお分かりいただけると思う。
その華々しい快挙の報道に触れる中、藤井竜王と入れ替わる形で、あるプロ棋士が連続29期在籍したA級からB級1組に陥落することになった。羽生善治九段である。もはや説明の必要もないが、羽生九段は、史上3人目の中学生プロ棋士であり、タイトルの獲得期数の合計は歴代1位の99期、1990年代には将棋界の全タイトルを同時期に独占し、その他数々の記録を打ち立てた大棋士である。筆者が将棋を覚えた頃には、まさに羽生九段がそのほとばしる才能でスターダムを駆け上がっていった時代であり、棋戦が放映されるとなれば胸を躍らせてテレビにかじりついていたことが懐かしく思い出される。
さて、肝心の筆者はといえば、当然、将棋の才能などあるわけもなく、早々に引退を余儀なくされるわけであるが、その後も羽生九段が第一線で活躍されている姿に度々勇気づけられていた身としては、時代の移り変わりや世代交代を象徴する一大事であり、B級陥落のニュースは衝撃的なものであった。
感傷に浸るのも束の間、書棚に目を向けると一冊の本が目に止まった。羽生善治著「大局観―自分と戦って負けない心」(角川新書)である。筆者が弁護士1年生としてプロデビューした、といってはおこがましいが、実務の現場に飛び出したその月に刊行され、ベストセラーとなった作品である。筆者にとっては、弁護士になってから初めに手にした書籍であるため、特に思い入れがある。本書のまえがきには、棋士生活25年と満40歳のまとめとして執筆したとの説明があるが、筆者も気づけば羽生九段の執筆当時の年齢に近づいたこともあって、何か示唆に富む新しい発見があるのではないかと期待しつつ、再びページをめくることにした。
今読み返してみると、これらの点は弁護士にとっても等しく妥当する考え方ではないかと実に腑に落ちる。実務では、制限時間内に、ロジカルな思考の積み上げを前提として、依頼者や相手方の立場からそのニーズや反応を予測して、再度ベストな回答を探求することになり、同時に、経験を積んだ弁護士は、案件の全体を俯瞰して最適な方針を判断することが求められるからである。その意味で、弁護士としては「読み」の力だけではなく、次第に「大局観」も身に着けていかなければならないということになる。
さて、筆者も年齢的にはそろそろ大局観を育てる段階に差し掛かるので、ヒントを求めて本書をさらに読み進める。随所に散りばめられた金言にたびたび膝を打ちつつ、まもなく背筋が伸びる。
――特別な方法などない。一流になるためには継続し、繰り返すしかない。その場面において自分ができることを精いっぱいやるのみである。上達して進歩するプロセスとは、ミスを徐々に少なくしていくことである。――
全盛期のトップ棋士によるひたすらに力強くストレートなメッセージには、プロフェッショナルとしての生き方そのものが表れていると感じる。同時に、既に赤線で強調されたそれらのメッセージから、弁護士デビュー当時の自分からも初心忘るべからずと忠告されているような思いがして息を呑んだ。そして、最終ページに至れば、そこで述べられる達観した考えに触れて心から感動するのである(あえて内容を記載することはしないでおくことにする。)。
法曹界においても、近年の変化は目まぐるしく、その速度はますます加速している。プロフェッショナルマインドを忘れずに大局観を育てるべく、千里の道も一歩から。時代は変われども、やるべきことは変わらない。今日からまた気持ちを改めることを誓い、筆を置くことしたい。
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