2022年04月29日
何度読み返しても腑に落ちない。日産自動車のカルロス・ゴーン元会長の報酬を過少開示したとして金融商品取引法違反(有価証券報告書虚偽記載)の罪に問われたグレッグ・ケリー元同社代表取締役に対する3月3日の東京地裁判決である。検察が立証の柱とした元秘書室長の証言を、協議・合意制度に基づくものであることを理由に厳しく評価。起訴事実の大半を無罪とした。この判断基準が定着すると、適正手続きを守りつつ真相に迫る捜査の切り札として導入された制度が事実上、機能しなくなるのではないかと危惧する。
日産の役員から検察側に「ゴーン氏が会社を私物化している」との相談があったのは2018年春。検察は内偵捜査の結果、ゴーン氏について海外資産買収での会社法違反(特別背任)や役員報酬開示にかかわる金融商品取引法違反(虚偽記載有価証券報告書提出)の疑いが濃厚と判断。同年6月から施行される刑事訴訟法の協議・合意(日本版司法取引)制度を適用して共犯の疑いのあるゴーン氏側近から証拠を収集し、ゴーン氏を摘発する方針を決めた。
この司法取引の相手となったのは、日産社内で極秘とされたゴーン氏の報酬の決定・管理業務の取りまとめを担当していた大沼敏明秘書室長と、ゴーン氏側近のケリー氏の補佐役をしていたハリ・ナダ専務執行役員の2人。検察は同年11月1日までにそれぞれ、会社法違反事件や金融商品取引法違反事件(2009年度~17年度)にかかわる証言や資料提供で協力してもらう代わりに起訴しないことで2人と合意した。
検察は、大沼氏らの供述や提供資料から金商法違反の容疑が固まったとして11月19日、社内会議のため来日したゴーン、ケリー両氏を逮捕。2010年度~17年度のゴーン氏の開示すべき役員報酬が計約170億円だったのに計約79億円しか記載していない虚偽の有価証券報告書を提出した、として両氏を起訴。両罰規定にもとづき法人としての日産も起訴した。
さらに、検察は、ゴーン氏について、①金融取引での私的損失を日産に付け替えた②それに関連して信用保証で協力を受けたサウジアラビアの実業家に日産子会社から1470万ドルを送金した③日産子会社からオマーンの販売代理店に1千万ドルを送金、うち500万ドルをゴーン氏が実質保有する会社に還流させた――とする3つの特別背任の罪でも起訴。大沼、ハリ・ナダ両氏については約束通り、いずれの容疑についても不起訴とした。
ゴーン氏は捜査中から、弁護士や家族を通じ、長期の勾留の不当性などを国際世論に訴えた。それを意識した裁判所が検察の反対を押し切ってゴーン氏の保釈を認めると、検察が新たな容疑で計3回、再逮捕するという異例の捜査となった。ゴーン氏は再保釈になった19年4月から都内の制限住居で暮らしていたが、初公判前の同年12月29日、関西国際空港から不正に出国して故郷のレバノンに逃亡。公判が開けないまま今に至る。そのため、ゴーン氏の共犯として金商法違反に問われたケリー氏の裁判は、事実上、主犯のゴーン氏の事件を裁く唯一の刑事手続きの場となった。
判決は、開示すべき役員報酬について、「実際に支払われたか否かとは無関係に、有報作成時点で金額が明らかな取締役の報酬については、その事業年度の報酬として開示すべき」と判断した。
大沼氏が年度ごとに作成、管理していたゴーン氏の「報酬計算書」(報酬の総額、有報で開示した支払額、さらに差額分の未払い残額を1円単位で記載)など多数の関係文書を証拠採用。それらの文書作成に際し、ゴーン氏と詳細なやり取りがあったとする大沼氏の証言の信用性を認め、「取締役の報酬決定権限を有するゴーン氏が日産の手続きに従って(自らの)報酬を決定し秘書室で管理されていた。(ゴーン氏ら)日産は各年度について、(これらの)報酬の総額を有報で開示すべきだったのに開示しなかった」と認定した。
そのうえで、ゴーン氏について、起訴された10年度~17年度すべてで虚偽記載有価証券報告書提出罪が成立するとし、「高額報酬の支払いを確保しつつ自らの保身を図ろうとする元会長の私利私欲に基づく事件。役員報酬の個別開示制度に真っ向から挑戦するかのごとき犯行は同種事案で最も悪質。世界的に著名な企業経営者が行った不正であり、社会全般に大きな衝撃を与えた」と断罪した。
裁判所は、保釈を認めたゴーン氏が逃亡したことで検察や一部の世論から厳しく指弾された。ケリー氏の判決ではあるが、ゴーン氏に事実上の判決を下したことで一応、裁判主催者としての責任を果たした形だ。
一方、判決は、ケリー氏に関する大沼証言については一転して厳しく評価。10~16年度の7期については、大沼証言を証拠採用せず、無罪とした。
検察側は、大沼氏がゴーン氏の指示で未払い報酬を退任後に相談役報酬として支払うことなどを記載した合意文書(11年4月に作成)をケリー氏に見せて記載項目について話したうえ、その後もゴーン氏の「未払い」報酬の支払い方法をめぐり、ケリー氏から書類作成の指示を受けるなどしてきたとする大沼証言をもとに、ゴーン、大沼両氏との共謀が成立する、と主張したが、判決は「文書を見せたとする時期が捜査段階と公判で食い違うことから証言には多くの疑問がある」と一蹴した。
しかし、最後の17年度(18年3月期分)については、18年6月27日、ケリー氏からゴーン氏の未払い報酬額がいくらか尋ねられた大沼氏が、09年度から17年度までのゴーン氏の年度ごとの未払い報酬やその累積額を1円単位で記載した文書をケリー氏に見せた、とする大沼氏の証言は信用できるとし、ケリー氏に懲役6月執行猶予3年(求刑懲役2年)を言い渡した。
完全無罪を求めるケリー氏の弁護側と、判決を不服とする検察側の双方が控訴。ケリー氏は、判決に執行猶予がついたことで一審の勾留が失効したことから3月7日、米国に向け出国した。「一刻も早く家族のもとに帰りたかったのだろう。控訴審に出廷するかは定かでない」(元検察幹部)との見方もある。
判決はまた、起訴内容を認めた日産については「元会長の力量への依存と過度の萎縮が年を経るごとに深まった結果、元会長への監視機能が形骸化し専横に拍車をかけ、事件を招いた。事件によって社会的な評価が著しく低下したことは、まさに『身から出たさび』」と指摘。求刑通り罰金2億円を言い渡した。日産は控訴しなかった。
判決で筆者がまず違和感を覚えたのは、判決が、ゴーン氏については大沼証言が描いたストーリーを概ね採用し、起訴された10~17年度の全期にわたって有罪と認定したのに、ケリー氏については、最後の17年度分だけ有罪としたことだ。
判決は不正の構図について、ゴーン氏が09年度に報酬総額の開示回避を決意し、毎年度発生する未払い報酬の管理を大沼氏に、未払い報酬を確実に日産から得られる支払い方法の検討をケリー氏に指示し、ケリー氏は関連会社からの支払いや退職後に相談役契約しその報酬として支払うなどの方法を検討してきたと認定した。
そういう中で判決が10~16年度についてケリー氏を無罪とした論理は、①仮に、ケリー氏がゴーン氏に未払い報酬があると認識していたとしても、大沼氏が管理している報酬総額や未払い額の詳細を知る立場にはなく、その未払い分が有報で開示すべきものと認識していたとまでは言えない②よって、その支払い方法を検討しただけでゴーン、大沼両氏との間で有報の虚偽記載の共謀が成立するとは言えない――とするものだった。
ところが、17年度(18年3月期)については、判決は、有価証券報告書の提出期限3日前に、ケリー氏が大沼氏から09年度から17年度までのゴーン氏の報酬総額や未払い報酬などが1円単位で記載された文書を見せられただけで「ケリー氏は(自らが関与した)ゴーン氏の未払い報酬が会社として正式に決定したもので、有報に開示すべきものであることを明確に認識した」と認定した。
ケリー氏側は「その文書は見たことがない」と反論したが、文書のファイル名に「ケリーさん」と入っていたこと、大沼氏の助手も同様の証言をしていたことから、その部分の大沼証言は信用できるとして退けた。
唐突感は否めない。判決が認定したように、ケリー氏が16年度までゴーン、大沼両氏が行ってきたゴーン氏の報酬過少開示の不正をまったく知らず、17年度の有価証券報告書提出に際して初めてそれを知ったとすれば、法律家であるケリー氏は愕然としたはずだ。
当然、代表取締役の善管注意義務にもとづき、ゴーン氏や大沼氏に事実関係をただし、過去の不正についても確認したと思われる。しかし、ケリー氏がそういう行動をとった形跡は判決からはうかがえない。
最終的に17年度も不正を続けることをケリー氏がゴーン、大沼両氏と合意したとしても、有報の虚偽記載は、ばれればゴーン氏や会社が大きなダメージを受ける問題だ。ケリー氏は不正が発覚しないよう、ゴーン、大沼氏と綿密な打ち合わせをしたはずだ。有報提出期限(18年6月30日)までのわずか3日しかない中で、物理的にそれは可能だったのだろうか。判決は、大沼、ケリー両氏がそういう協議をしたとは認定していない。
さらに筆者が混乱させられたのは、判決が、役員報酬個別開示制度が導入された直後の2009年度(10年3月期)について、ケリー氏がゴーン、大沼両氏と共謀して虚偽の有価証券報告書を提出したと認定。事実上、ケリー氏について有罪と認定していることだ。
そもそも、ゴーン氏らによる虚偽の有価証券報告書提出は、2010年3月に導入された役員報酬個別開示制度がきっかけで始まった。
判決によると、09年度(10年3月期)に約16億円の報酬を受け取っていたゴーン氏は10年2月13日、制度導入を知り、「(フランス政府が出資している)ルノーに日産での報酬レベルを知られたら、自分は日産にいられなくなる」と慌て、ケリー氏らに対応を指示。
ケリー氏は、報酬支払の法律問題に詳しい米国日産の外国人役員に相談。「ゴーン氏の支払い済の報酬から会社に一部を返金させ、後日、未払い分を非連結会社からゴーン氏側に支払うことで開示を回避する方法がある」との提案を受け、ゴーン氏に報告。
その後、ゴーン氏は大沼氏に対し、09年度に日産がゴーン氏に支払った15億9千万円のうち7億円を会社に返還し、同年度(10年3月期)の有価証券報告書ではゴーン氏の報酬を8億9千万円と記載するよう指示した。大沼氏はその7億円を含む未払いの報酬を後に非連結会社からゴーン氏に支払うべく金額を整理した書類を作成した。
ケリー氏側は「報酬の一部が会社に返金されたことは知らなかった」などと弁明したが、判決は「信用できない」と判断。09年度の有価証券報告書の虚偽記載について「ゴーン、大沼両氏とケリー氏の間で共謀があったと考えられる」と認定した。
判決は、ゴーン氏と大沼氏はその後8期にわたって毎年度、報酬総額の半分以下の金額を有報で開示する虚偽記載を続けたと認定した。最初の段階で、虚偽記載についてケリー氏を含む3人の共謀が成立したと認定するのなら、その後も同様の共謀が行われた疑いが濃いとみるのが自然だ。実際、検察側はそう主張したが、判決は受け入れなかった。
ちなみに、この09年度について検察は起訴を見送っている。ゴーン、ケリー氏の日本滞在時間の関係で、時効が争点になるのを避けたためとみられるが、判決が09年度分についてケリー氏を有罪認定した事実は重い。結果として、判決は共謀事件の最初と最後だけ有罪認定し、間の7期の有報提出は無罪にするという、何ともいびつな形となった。
「初期のころの起訴事実については、ケリー氏が事件全体の構造をまだ十分認識しておらず、ゴーン、大沼両氏との共謀認識は甘い、と裁判所が判断して、飛ばす(無罪にする)ことはあるかも、と考えていたが、8期の内7期分まで飛ばすとは予想できなかった」
刑事裁判に詳しくゴーン事件の有報虚偽記載の法律判断にもかかわった元検察幹部はこう慨嘆し、「ゴーン氏の事件について大沼供述の信用性を認めたのだから、ケリー氏にかかわる大沼供述の信用性についても同様に認めるのが普通。ところが、判決は、ケリー氏についてはさらに事件を期ごとに事細かく分断し、それぞれに決定的な客観証拠があるかどうかをみて信用性を否定した。変なロジックだ」と判決を批判。
そのうえで、「裁判所はただ単に、協議・合意(日本版
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください