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「検察の机上の空論で介護現場に萎縮と崩壊の恐れ」と老人ホーム職員弁護人

老人ホームのおやつ提供で過失責任を問われた看護職員(7)

出河 雅彦

 長野県安曇野市にある特別養護老人ホーム「あずみの里」で、利用者におやつのドーナツを提供し、のどに詰まらせて窒息死させたとして、ホームの職員である准看護師が業務上過失致死の罪で起訴された事件を検証する本シリーズの第7回は、初公判から約1年後に行われた、弁護側の冒頭陳述の内容を紹介する。弁護側は死亡した利用者の急変時の状況や現場にいた職員の動きを明らかにするための「検証」を行い、その結果に基づき、准看護師には検察側が主張するような注意義務も注意義務違反もなかったとして、無罪を主張した。利用者の死因についても食べ物による窒息が原因ではなく、心臓か脳の病気によるものであると考えるのが医学的合理性がある、との主張を展開した。

特別養護老人ホーム「あずみの里」
 「あずみの里」に入所していた85歳の女性利用者(以下、Kさんと言う)が2013年12月12日のおやつの時間に突然意識を失い、救急搬送された病院で2014年1月16日に死亡した事案で起訴された准看護師(以下、Yさんと言う)の裁判で弁護側が冒頭陳述をしたのは、初公判から11カ月後の2016年3月14日に長野地裁松本支部で開かれた第4回公判においてである。

 前回述べたように、2015年12月3日の第3回公判で、裁判所は検察側に対し、Yさんに負わせるべき業務上の注意義務は、YさんがKさんと同じテーブルに着座したときから発生したということでよいかなど、起訴状記載の公訴事実に関する6項目に釈明するよう命じた。これに対し検察側は、第4回公判の冒頭、現段階で釈明する必要はないと考えていることを明らかにした。検察側は、弁護側が冒頭陳述を行うことを認めた以上、弁護側も争点が明確になったことを認めているはずであると主張したが、Yさんの弁護団長である木嶋日出夫弁護士は、弁護側は争点が明確になったとは考えていない、と述べた。

 この後行われた弁護側の冒頭陳述は全文150ページ超に及ぶもので、7人の弁護士が約5時間かけて読み上げた。

長野地裁松本支部
 弁護側は、検察側の冒頭陳述があずみの里の職員体制や業務の内容をまったく反映しておらず、看護職員であるYさんが、Kさんが意識を失った当日におやつの介助に入った事情を度外視し、当然のこととして介護の業務をしていたかのように事実関係を整理しているのは誤りであるとして、あずみの里における職員体制や職員間の連携の実態、入所している利用者の心身の状況、介護の必要度、食事介助の必要度などについて詳細に述べた。

 看護職員が行う介護業務は昼食とおやつの介助だけであり、特におやつ介助については、看護業務に時間的な余裕があり、介護職員の手が足りない例外的な状況のときに介助に入る、介護職員の補助者と位置づけられていたことを指摘した。前回紹介したように、検察側は第2回公判で行った冒頭陳述で、Kさんのおやつは意識不明となる1週間前からゼリー系に変更され、その変更内容が看介護記録などの引継ぎ資料に記載されていたのに、Yさんがそれらに目を通しておらず、Kさんのおやつの形態変更を知らないまま2013年12月12日に介護職員の仕事であるおやつ介助を手伝った、と指摘したが、この点に関して弁護側は次のように反論した(元号表記の後の西暦は筆者による。KさんとYさんの実名部分はいずれも匿名化した)。

 看護師は看護の業務を行い、介護職員は介護の業務を行うのが原則である。そして、看護師は本来的業務である看護業務を行い、余裕があれば介護の業務を補助者として手伝うものと位置づけられていた。(略)
 このように、看護師は介護職員と共同して介護業務を担当するとはいえ、それぞれの詰め所が異なっており、それぞれの専門性を生かした配置がとられABC各チーム(※筆者注=あずみの里では入所者がA棟、B棟、C棟に分かれて生活しており、それぞれの棟を担当する職員の集団をA、B、Cチームと呼んでいた)のカウンターに介護職員が作成する介護情報に関する各種記録が置かれているが、看護師には時間の余裕がないので目を通すことはできない。
 看護師がこれらの介護職員作成の各種記録を読むように、あるいは読んで介護に関する情報を理解するようにと、指示されたことはなかった。(略)
 公訴事実は、介護業務と看護業務の内容を明確に区別せず、看護師であるYさんが介護職員と同等の立場で介護業務に携わっていたと指摘する。おやつ介助についても、介護職員と同等の情報を得て業務を行っていることを前提とした主張である。しかし、看護師は、利用者の介護をするに当たり介護職員と同等の情報を得られる立場にはなかったものである。
 Kさんのおやつは食事指示箋によって平成25年(2013年)12月6日にキザミトロミ(※筆者注=ゼリー系を意味する)に変更されたが、Yさんはその食事指示箋による変更を知らないでいた。
 その後、Yさんは12月6日、9日、11日、12日に出勤したが、いずれも日勤勤務であり看護業務に従事していたので変更の事実を知らずにいた。

 弁護側は、Kさんの入所から急変直前までの看介護記録の記載に基づき、Kさんが食物を誤嚥したことや食物をのどに詰まらせて窒息しそうになったことが一度もなかったことは明らかであるとして、Kさんには「食事中に食物を口腔内に詰め込む等の特癖を有し、食物を誤嚥するおそれがあ」ったとする起訴状や、「『食べ物を一度に口に詰め込み、喉に詰まらせる』など摂食に関して注意を要する特癖があった」とする検察側冒頭陳述に出てくる「特癖」はKさんにはまったくなかった、と主張した。Kさんが意識を失う1週間前におやつをゼリー系のものに変更することにしたのは、Kさんが暮らすC棟を担当する介護職員らの会議における感染症対策の話し合いの中でKさんの嘔吐の原因が話題になり、消化不良を起こしているのではないか、体型に比べて食事量が多すぎるのではないか、おやつをゼリー系に変更してはどうか、などの意見が出たことがきっかけだったことを指摘した。

 続いて弁護側は、2015年7月7日にあずみの里で行った検証について述べた。検証は、Kさんが意識を失った2013年12月12日の午後のおやつの時間帯に、あずみの里の食堂にいた介護職員、看護職員がどのように動き、どんな作業をしたか、Kさんの異変に気づくまでの状況はどうだったか、異変に気づいた後にどう行動したか、などを異変発生当日に現場にいたYさんや介護職員の記憶に基づいて再現してもらい、それぞれの行動にどの程度の時間を要したか測定しながら、ビデオカメラで録画する、という方法で行った。

 検証を担当した上野格弁護士は筆者の取材に対し、実施の目的をこう語った。

「Yさんに注視義務違反の過失があるかを判断するため、事実経過を確定することが検証の目的でした。検察の起訴状はその事実経過をあいまいにしていました。何があったのかわからないと評価のしようがないし、弁護のしようがないのです」

 上野弁護士によれば、Kさんの体調が急変するまでの経過において、検察側が起訴状記載の公訴事実で明らかにしていない事項は以下のように多数あった。

  1. Yさんが食堂に入ってきた時刻
  2. Kさんの異常に最初に気づく女性介護職員が食堂に入ってきた時刻
  3. YさんがKさんにドーナツを配ったタイミング
  4. YさんがKさんの隣に座ったタイミング
  5. YさんがKさんに背を向けたタイミング
  6. YさんがKさんの横に座ってから異常発生または異常発生の確認までの時間
  7. Kさんはうめいたり、むせたりしたか
  8. その間、Yさんは何をしていたか
  9. Kさんに異常がない様子を職員が視野にいれていた機会とタイミング
  10. おやつ介助をした男性介護職員はどこで何をしていたか
  11. 女性介護職員は食堂に入ってきて何をしていたのか
  12. Kさんの異常に女性介護職員が気づいたタイミング
  13. Kさんに異常が生じた時刻
  14. 看護師長が男性介護職員から緊急事態を告げられた時刻
  15. Kさんの異常が発見されてから救命処置がとられるまでの時間

 Kさんが心肺停止になった当日(2013年12月12日)にその場にいたYさんを含む職員と弁護団による検証は、第1回公判が開かれる約1か月前の2015年3月30日を皮切りに、同年7月7日までの間に計4回行われた。上野弁護士によると、再現を繰り返したのは、検証に参加した職員たちが毎回、違和感をおぼえたからだった。再現の模様は毎回ビデオ撮影して、参加した職員に録画を見てもらい、議論した。それによって、職員の記憶が喚起され、タイミングや行動を思い出したり、タイミングが違うことがわかったりした。4回目のときに、当事者全員が納得する時間とタイミングで動く再現結果になったという。

 本連載第2回

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