「黒川・林騒動」最終章の法務省人事
2023年02月15日
1月の法務省人事で、検察ナンバー2の東京高検検事長に畝本直美・広島高検検事長が起用され、来年(2024年)9月に定年を迎える甲斐行夫検事総長の後任に初の女性検事総長が誕生する見込みが濃厚となった。一方、畝本氏の2期先輩で次期検事総長の「本命」とされてきた辻裕教・仙台高検検事長は留任し、検察トップになる目はなくなった。逆転人事の背景には、3年前、安倍政権の検察首脳人事介入で法務・検察のスタンスが問われた「黒川・林騒動」を巡る葛藤がある。その最終章ともいえる人事の舞台裏を読み解く。
1月4日付で大阪高検検事長の曾木徹也氏(86年任官)、同月6日付で東京高検検事長の落合義和氏(86年任官)が退官し、同10日付で畝本氏(88年任官)が落合氏の後任として東京高検検事長に、大阪高検検事長には小山太士札幌高検検事長(88年任官)が就任した。
さらに、10日付で退官した大場亮太郎名古屋高検検事長(86年任官)の後任に高嶋智光法務事務次官(89年任官)、畝本氏の後任の広島高検検事長に和田雅樹公安調査庁長官(87年任官)、小山氏の後任の札幌高検検事長に神村昌通最高検総務部長(89年任官)をそれぞれ起用した。
辻氏(86年任官)と山上秀明最高検次長検事(87年任官)、田辺泰弘福岡高検検事長(87年任官)、畝本毅高松高検検事長(89年任官)は留任となった。和田氏の後任の公安調査庁長官には浦田啓一最高検公安部長(89年任官)が起用された。
法務省幹部の顔ぶれも替わった。高嶋氏の後任の法務事務次官には川原隆司法務省刑事局長(89年任官)が昇格。その後任の刑事局長には松下裕子人権擁護局長(93年任官)が抜擢された。松本裕官房長(91年任官)は最高検監察指導部長に異動。その後任には佐藤淳富山地検検事正(94年任官)が起用された。
昨年12月23日の閣議了解後にこの人事が報道されると、法務・検察部内でどよめきが起きた。理由はいくつかあった。
まず、畝本氏の東京高検検事長起用だ。東京高検検事長は、検事の定年(63歳)間近に論功行賞で起用される場合を除き、不祥事で退官でもしない限り、次期検事総長が約束されるポスト。畝本氏は検事長の役職定年(63歳)まで3年を残していることから、1年8カ月後に定年となる甲斐氏の後継の検事総長に昇格する可能性は極めて濃厚となった。
女性の検事総長はもちろん検察史上初めて。「男性社会」といわれた検察も、近年の女性検事の増加、幹部登用により徐々にジェンダーギャップを小さくしつつあるが、それでも「女性検事総長の誕生」は、幹部検事らをして「とうとう、ここまで来たか」と感じさせるに十分なものだったのだ。
それと裏腹だが、次期検事総長の本命とみられていた辻氏が仙台高検検事長に留任したことも驚きを持って受け止められた。辻氏の留任、そして2期下の畝本氏を東京高検検事長に起用するということは事実上、辻氏の検事総長就任の目が消えたことを意味したのだ。
そしてもうひとつ、今回の人事で検察幹部らを驚かせたのは、法務省の主要ポストである刑事局長と官房長に「林直系」とされる検事が起用されたことだ。
特に、経験者の多くが検事総長にまで昇り詰める出世コースである刑事局長については、年次や実績から、「検察のエース」といわれる森本宏東京地検次席検事(92年任官)か山元裕史東京高検次席検事(90年任官)が起用されるとの見方が有力とされてきただけに検察幹部や検察担当記者らも意表を衝かれた形だった。
刑事局長に就任した松下氏は、東京地検、同高検検事を経て法務省刑事局国際課長、刑事課長、同総務課長、大臣官房会計課長などを歴任。刑事局長だった林氏の薫陶を受けた。黒川弘務法務事務次官(83年任官)が16年に主導した国際課を刑事局から大臣官房に移す組織改編に頑強に抵抗。最終的に刑事局長の林氏が「刑事局内や検察庁が納得しない」と反対に回り頓挫した。
検察部内や検察担当記者の間では、森本氏より1期下の松下氏が「検事総長コース」の刑事局長に就任したことで、数代先の検事総長の本命は松下氏になったとの声も上がったが、法務・検察の人事に詳しい元検察首脳は「あの世代では、やはり森本に落ち着くのではないか」といっており、森本氏らの総長レースに決着がつくのはまだ先のようだ。
「今回の人事の眼目は、辻氏は偉くしない、東京に戻さない、ということだった。それを前提にすると、年次からして次期総長は必然的に畝本氏ということになる」と元検察首脳は解説する。
辻氏を東京に戻さない、つまり検事総長にはしない、という方針は、昨年6月に退官した前検事総長の林真琴氏(83年任官)が甲斐氏に残した「引継ぎ」だったようだ。
検事総長は事実上、後継総長の指名権を持つ。それゆえ、指名を受けた後継総長はよほどの事情がない限り、前任者の「引継ぎ」を忠実に果たすことになる。
昨年8月中旬には、官邸周辺から「落合氏の次は、辻氏でなく、畝本氏だ。林氏が『辻だけは絶対だめ』と甲斐氏に引継ぎをしている」との話が流れた。
官邸で霞が関の人事を取り仕切るのは、警察庁長官を経て21年10月、岸田政権の官房副長官に就任した栗生俊一氏だ。栗生氏が林氏と肝胆相照らす仲であることは知る人ぞ知る。
時間軸からすると、林氏から甲斐氏への「引継ぎ」が法務省経由で官邸に伝わった可能性もある。これが「逆転劇」の開始を告げるゴングとなった。
法務省は昨年前半までは、検事総長を林氏(83年任官)―甲斐氏―辻氏の順でつなぐ方針だった。安倍氏から20年9月に政権を引き継いだ菅義偉前首相、安倍政権時代から霞が関官僚の元締め役だった杉田和博官房副長官はその方針を了解していたとされる。
それを実現するため法務省は、1月6日に定年退官する東京高検検事長の落合氏の後任に今年7月に定年となる最高検次長検事の山上氏をワンポイントで起用。その後任に検事総長含みで辻氏を起用する青写真を描いていた。
落合氏が昨年6月、東京高検検事長に就任する前後から、その情報は法務省周辺に染み出し、現職、OBの検察関係者や一部マスコミ関係者の間に広がっていた。
林氏の退官後、「畝本東京高検検事長」説が流れると、法務省には厳重な緘口令が敷かれた。落合氏と曽木氏の後任検事長の認証式の日程調整がつかず、東京、大阪の検事長が数日間空席になることが確実になった昨年12月中旬には、検察幹部や記者の間では、法務省と官邸との間でまたぞろ人事を巡る齟齬があるのではないかとの憶測が飛び交った。
認証官ポストを空白にする不手際は、官邸と法務省との間で、東京高検検事長を畝本か山本のどちらにするかの調整に時間を要したためだろう。
冒頭にも触れたように、今回の人事の背景には3年前、法務・検察を震撼させた「黒川・林」騒動がある。
20年1月末、法務省は官邸の意を酌んで検事総長の本命とされてきた林真琴氏を名古屋高検検事長で退官させ、「官邸に近い」とされていた同期の黒川弘務東京高検検事長を検事総長含みで定年延長させる異例の人事を行った。
安倍晋三首相の後援会が主催した「桜を見る会」前夜の夕食会での飲食代提供について公職選挙法違反や政治資金規正法違反の疑いで刑事告発する動きがあったことから、政権が、検察の手心を期待して無理筋の人事を法務省に行わせたのではないか、と検察OBや野党から厳しい批判が起きた。
すると、官邸と法務省はこの人事を正当化するかのように、政府の裁量で検察首脳の定年を延長できる規定を盛り込んだ検察庁法改正案を4月に上程。これが世論の反発に油を注ぎ、ネットでは「検察庁法改正案に抗議します」を合言葉に「オンライン・デモ」が盛り上がり、政権の支持率は急落した。
そうした中、週刊文春が5月20日、黒川氏の賭け麻雀を特報。黒川氏は辞職した。形勢悪しと見た政府は法案を撤回。後日、裁量部分を削除し検察官の定年を63歳から65歳に引き上げることに絞った法案を再提出し可決された。
黒川辞職による法務・検察の混乱を収拾するため、安倍官邸はいったん検事総長コースを外れた林氏を黒川氏の後任の東京高検検事長に起用。林氏は同年7月、検事総長に昇格した。
法務省で一連の人事や法案作成の中心にいたのが当時、法務事務次官だった辻氏だった。辻氏はもともとは林氏の直系といわれたが、黒川氏が法務事務次官の時代に官房長、刑事局長を務め、林氏が2018年1月、刑事局長から名古屋高検検事長に転出する少し前から、林氏との関係が悪化したといわれてきた。
安倍官邸で黒川氏の検事総長起用や、検察人事への政治の裁量を盛り込んだ検察庁法改正を主導したのは、官房長官の菅義偉氏と官房副長官の杉田和博氏だったとされる。
世論の激しい批判にひるんだ安倍官邸は、検事総長に「本命」とされた林氏を起用することで、法務・検察と「手打ち」し、世論の沈静化を図ったつもりだった。そして、検察の現職、OBの一部が「政権の代理人」として白眼視していた法務事務次官の辻氏を、「正常化の証し」として検察のトップとして処遇することを求め、法務省はそれを受け入れた。
官邸側にとっては、批判はあっても、辻氏は法務省の事務方トップとして忠実に官邸の意向を実現しようとした「正しい人」だった。しかも、法務・検察は、官邸から黒川氏を検事総長にするよう迫られるまで、稲田氏―林氏―甲斐氏―辻氏の順で検事総長をつなぐ方針だった。それを知る官邸側は「元に戻すのだから、検察側も文句はなかろう」と考えたのかもしれない。
安倍政権の後を受けた菅政権はわずか1年余りで政権を投げ出し、21年10月4日総辞職。杉田氏も官房副長官を退任した。しかし、辻氏については、「次の次の検事総長」に起用する含みで菅首相退任前の同年9月3日付で仙台高検検事長に送り出した。
「林氏を検事総長に起用したことで菅官邸は林
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