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検察の再度の訴因変更請求に「誠実な権利行使といい難い」と裁判所、しかし……

老人ホームのおやつ提供で過失責任を問われた看護職員(13)

出河 雅彦

 長野県安曇野市にある特別養護老人ホーム「あずみの里」で、利用者におやつのドーナツを提供し、のどに詰まらせて窒息死させたとして、ホームの職員である准看護師が業務上過失致死の罪で起訴された事件を検証する本シリーズの第13回では、第1回公判から約3年3カ月後に検察側が行った2回目の訴因変更請求について取り上げる。

特別養護老人ホーム「あずみの里」
 この事件で、おやつの最中に突然意識を失った利用者の女性(以下、Kさんと言う)にドーナツを提供した准看護師(以下、Yさんと言う)に過失があったとしてYさんを業務上過失致死の罪で起訴した検察側が、当初、起訴状記載の公訴事実で主張していたのは、Kさんが間食のドーナツを口腔内に詰め込んで誤嚥することがないようにKさんの食事中の動静を注視して食物による窒息事故を未然に防ぐ業務上の注意義務を怠ったというYさんの過失(=注視義務違反)だった。検察側はKさんの死因を「窒息による心肺停止状態に起因する低酸素脳症」と断定していた。

長野地検松本支部
 検察側は、第1回公判(2015年4月27日)から1年5カ月が経過した2016年9月16日付で、もともとの主張(主位的訴因)を一部変更して、「誤嚥」という言葉を起訴状から除き、死因を「低酸素脳症」から「低酸素脳症等」に変更することを裁判所に請求した。それと同時に、提供するおやつがゼリー系に変更されていたKさんに対し、おやつの形態を確認しないまま、漫然とドーナツを配膳して提供した過失(=おやつの形態変更確認義務違反)という新たな主張(予備的訴因)を追加することを裁判所に請求した。主位的訴因が裁判所に認められなかった場合に備えての追加主張である。

 検察側の訴因変更請求を長野地裁松本支部が認める決定を出したことを不服として、Yさんと主任弁護人はこの決定の取り消しと予備的訴因の追加を不許可とすることを求める特別抗告を最高裁に申し立てたが、棄却されてしまう。その経緯は本シリーズの第8回で紹介したとおりである。

 本シリーズですでに紹介してきたように、最高裁がYさんの特別抗告を棄却して検察側の訴因変更が認められた後、公判では検察、弁護側双方が申請した証人に対する尋問が順次行われていった。検察側が2回目の訴因変更請求をしたのは、証拠調べがほぼ終わろうとしていた第20回公判(2018年7月30日)においてだった。

 再度の訴因変更請求は、Yさんの過失として検察側がもともと主張していた「注視義務違反」(主位的訴因)に関するものだった。具体的には、起訴状に記載された公訴事実の下線部を削除し、カッコ()内の文言を加えるというものである(死亡した女性利用者の名前は「K」とした。元号表記の後の西暦と下線は筆者による)。

 被告人は、長野県安曇野市豊科高家5285番地11所在の社会福祉法人協立福祉会特別養護老人ホームあずみの里に准看護師として勤務し、同施設の利用者に対する看護及び介護業務に従事していたものであるが、平成25年(2013年)12月12日午後3時20分頃、前記あずみの里1階食堂において、同施設の利用者であるK(当時85歳)が間食を食べるに当たり、同人が食事中に食物を口腔内に詰め込む等の特癖を有し、口腔内若しくは気管内異物により窒息するおそれがありがあったところ、被告人が前記Kに口腔内若しくは気管内を閉塞しうるドーナツを配膳して提供し)、かつ、当時、同食堂において利用者に対する食事の介助を行う職員が被告人及び同施設介護職員1名のみで、同介護職員は利用者に提供する飲み物の準備中であったため、前記Kの食事中の動静を注視することは困難であったのであるから、同人が間食のドーナツを口腔内に詰め込むなどして窒息することがないように被告人自ら前記Kの食事中の動静を注視して、食物による窒息事故を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、(他の利用者への間食の配膳や)他の利用者への食事の介助に気を取られ(るなどし)、前記Kの食事中の動静を注視しないまま同人を放置した過失により、同人にドーナツを摂取させ、口腔内若しくは気管内異物による窒息に起因する心肺停止状態に陥らせ、よって、平成26年(2014年)1月16日午後8時18分頃、同県松本市巾上9番26号社会医療法人中信勤労者医療協会松本協立病院において、前記心肺停止に起因する低酸素脳症等により同人を死亡させたものである。

 再度の訴因変更請求が意味するものは何なのだろうか。

 検察側の請求内容を見ると、Yさんの「過失」の前提となる事実として、以下の二つを付け加えたことがわかる。

  1.  YさんがKさんに対し、口腔内若しくは気管内を閉塞しうるドーナツを配膳して提供したこと
  2.  YさんがKさん以外の他の利用者へのおやつの配膳に気を取られ、Kさんの食事中の動静を注視しなかったこと

 本シリーズの第8回で紹介したように、裁判所は第3回公判(2015年12月3日)で公訴事実の記載内容に関する6項目について明確にするよう検察側に命じた。この命令に対して検察側は第5回公判(2016年7月6日)で回答した。その中で検察側は、①YさんがKさんと同じ程度に食事中の動静を注視しなければならなかったのはKさんと同じテーブルでおやつを食べていた利用者に限られる、②Kさんに対するYさんの注意義務は、YさんがKさんと同じテーブルに着座したときから発生したということでよい、などと答えた。

 このときの検察側の回答によれば、YさんがKさんの食事中の動静を注視しなければいけなかったのは、Kさんを含め食堂にいた利用者におやつを配り終え、Kさんと同じテーブルにいた、嚥下障害のあった利用者に対する食事介助をするために着座してからということだったはずである。

 ところが、2回目の訴因変更請求で検察側は、YさんがKさんにドーナツを提供してから各テーブルを回って再びKさんがいるテーブルに来て別の利用者への食事介助を始めるまでの間も、「他の利用者への間食の配膳」に気を取られることなく、ドーナツを提供したKさんの動静を注視すべきであった、との主張を新たに持ち出したわけである。

 本シリーズの第7回で紹介した、Kさんが意識を失った当日の職員の行動などを再現した検証に基づき、弁護側は、YさんがKさんにドーナツを提供してからKさんと同じテーブルにいた別の利用者へのおやつの介助を始めるために着席するまで3分程度の時間があった、と主張していた。この間、Yさんは16人の利用者にドーナツやゼリーを配って歩いた。

 弁護側は再度の訴因変更請求に対し、「審判対象が拡大し、それに伴う主張立証事項が増加する」と、強く反発した。

 2018年8月20日付で長野地裁松本支部に出した「検察官の再度の訴因変更請求に対する意見」で次のように指摘した(実名で記載されているYさんとKさんは匿名化した)。

 「この度の再度の訴因変更請求が許可されると、過失行為については、YさんがKさんにドーナツを配膳したときからKさんと同じテーブルに着座したときまでのYさんの行為が審判対象に追加されることになる。すなわち、YさんがKさんにドーナツを配膳したこと、その後に他の利用者におやつを配膳したこと、配膳の経路、その経路の各地点におけるYさんの視野の範囲など、Yさんの配膳作業について、その詳細を明らかにする必要が生じる」

 Kさんが意識を失った日、あずみの里の利用者たちがおやつを食べた食堂には、Yさんのほか、Yさんにおやつの配膳を頼んだ男性介護職員と、遅れて食堂に入ってきてKさんの異変に最初に気づいた女性介護職員がいた。検察側が新たに持ち出した、「Kさんにドーナツを提供してからKさんがいたテーブルに着座するまでの間のKさんに対する注視義務」がYさんに課されるとしたら、Yさんがおやつの配膳を続けている間に飲み物の準備をしながら、Yさんと同じく利用者全体の動静を把握していた男性介護職員には過失責任がなく、Yさんだけに過失責任を負わせる状況があったのかどうかを明らかにしなければならない、というのが弁護側の指摘であった。

 弁護側はこの意見書で、Yさんや弁護団が防御のために費やした時間と労力が膨大であることや、結審を迎えようとする段階で再度の訴因変更を求める検察側のやり方が迅速な裁判の要請に反する、不誠実なものであることを理由に挙げながら、次のように強い言葉で検察側を批判し、訴因変更請求を許可しないよう裁判所に求めた。

 今回の訴因変更が許されるならば、Yさんは実質3回の刑事裁判に晒されることになる。三重の負担と言わなければならない。公益の代表者であるべき検察官としては、捜査および公判請求の杜撰さに気づいたときには、公訴を取り消す決断をするのが本来あるべき姿である。ところが、検察官は、一度公判請求したものは、検察庁の面子にかけて撤回はできないということであろうか。検察官自身においてYさんへ更なる重い負担を負わせることについて心を致すべきである。

 これに対し検察側は、2018年8月27日付で長野地裁松本支部に出した意見書で、再度の訴因変更請求に至った経緯をおおむね次のように説明した。

 当初の訴因(※筆者注=注視義務違反)に関する釈明において、注意義務の発生時期について、被告人(Yさん)が被害者(Kさん)と同じテーブルに着席した時点から発生したと釈明した際、あえて、この釈明が当初の訴因に記載された注意義務に限定したものであると言及した。その後、予備的訴因(※筆者注=おやつの形態変更確認義務違反)を追加請求して、過失行為を、被告人が被害者にドーナツを配膳した時点の行為までさかのぼらせた際、配膳から着席までの間の被告人の過失行為について明確に言及しないまま、証人尋問などの証拠調べの手続きに臨んでいたが、配膳から着席までの間の被告人の過失行為についても、一連の行為として捉えて審判の対象であると考えていた。弁護人や裁判所から、その過失行為を審判対象に含めるのであれば、訴因変更を行う必要がある旨の考えを示され、検討した結果、訴因変更請求に至った――。

 弁護側が「Yさんと同じく食堂にいて利用者全体の動静を把握していた男性介護職員には過失責任がなく、Yさんだけに過失責任を負わせる状況があったのかどうかを明らかにしなければならない」と指摘したことに対しては、おおむね検察側はこう反論した。

 仮に、他の職員による見守りが可能であったとしても、他の職員、とりわけ、男性介護職員はそもそもKさんにドーナツが配られるとは予測していなかったから、被告人に課せられる注意義務と同等の注意義務を課すことはできない。仮に、他の職員に注意義務を課すことができたとしても、その義務を怠ったことは被告人の過失と競合するだけで、被告人の過失を否定することにはつながらない――。

長野地裁松本支部
 この意見書に対し弁護側は再度反論する意見書を裁判所に提出したが、長野地裁松本支部(野澤晃一裁判長)は2018年9月11日、訴因変更請求を許可する決定をした。

 決定文の中で同支部は、「裁判所は、検察官の請求があるときは、公訴事実の同一性を害しない限度において、起訴状に記載された訴因又は罰条の追加、撤回又は変更を許さなければならない」と定めた刑事訴訟法312条1項に言及し、「変更前後の訴因には公訴事実の同一性が認められる」と、訴因変更請求の要件を満たしているとの判断を示した。そのうえで、訴因変更請求を不許可にできるとされる「検察官の権利の濫用」に当たるかどうかに関して検討した結果を述べている。少し長いが、公判に臨む検察側の姿勢に対する苦言も含むものなので、該当箇所を以下に引用する(元号表記の後の西暦と下線は筆者による)。

 そこで、本件訴因変更請求が権利の濫用に当たるかを検討するに、訴訟経過の概要は以下のとおりである。平成26年(2014年)12月26日に本件公訴提起がなされ、その後、裁判所から検察官に対し、注意義務の発生時期等について釈明を命じ、これに対し検察官は、平成28年(2016年)7月6日の公判期日において、被告人の注意義務は被告人が被害者と同じテーブルに着座した時から発生したということでよい旨釈明した。検察官は、同年9月16日に起訴状記載の訴因の内容を一部変更する訴因変更請求及び予備的訴因(被告人の被害者に対するドーナツの配膳を過失行為とするもの)を追加する訴因変更請求をし、その後これらが許可されたが、起訴状記載の訴因(以下「主位的訴因」という。)の変更内容は、注意義務の発生時期に関するものではなかった。検察官は、平成30年(2018年)6月19日に釈明書を提出し、そこで主位的訴因について注意義務の発生時期を被告人が被害者にドーナツを配膳して提供した時点からであると主張する意思を明らかにし、同年7月30日に本件訴因変更請求をするに至った。また、上記訴因変更後、公判期日が重ねられて、上記釈明書提出時には、多数の証人尋問及び被告人質問が終えられ、残る主要な証拠調べは概ね弁護人請求証人2名となっていた(採否未了の弁護人請求証人1名についても、採用した場合の取調べ期日の予定が組まれていた。)

 検察官が注意義務の発生時期について主張を変更する意思を明らかにしたのは、公訴提起から約3年半が経過し、証拠調べが終了間近になってからであって、その内容は、注意義務の発生時期を以前に釈明した内容よりも遡らせるものである。そのように主張を変更するに至った経緯について検察官の説明するところも納得できるものではなく、特に従前の釈明内容を考えれば、主張を変更するのであれば前回の訴因変更請求の際にしておくべきであったといえ、本件訴因変更請求には誠実な権利行使といい難い面がある

 しかしながら、従前の主位的訴因、本件訴因変更請求に係る訴因、更には予備的訴因で主張される過失内容は、いずれも同一の死亡事故に至る被告人の一連の行為の一部を取り上げるものであり、本件訴因変更請求は被告人が被害者にドーナツを配膳してから被害者と同じテーブルに着席するまでの場面を新たに加えるものであって、従前の弁護活動を無にするといったものではなく、そして、着席前の被告人、被害者及び関係者の言動等については実施済みの被告人質問、各証人の尋問等において、その趣旨はともかくとして、弁護人からも質問して相当程度確認されており、また、検察官が本件訴因変更請求が許可された場合にも新たな証拠調べは請求しない旨述べていることなどからすれば、本件訴因変更請求を許可した場合に新たに必要となる主張立証の範囲が広範にわたるということはなく、審理期間がある程度延びるにしても、長大な期間を要するというものではないと考えられる。

 そうすると、被告人の迅速な裁判を受ける権利等について弁護人が主張するところなどを検討しても、本件訴因変更請求が検察官の権利の濫用であるといい切ることまではできない。

 検察側による再度の訴因変更請求について、「誠実な権利行使といい難い」ものの「権利の濫用」とまでは言いきれないとして許可した長野地裁松本支部の決定に対し、弁護側は強く反発した。最初の訴因変更請求時と同じく、決定の取り消

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