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死因は何か「警察のずさんな事実把握をそっくり無批判に引き継いで起訴」と検察批判

老人ホームのおやつ提供で過失責任を問われた看護職員(14)

出河 雅彦

 長野県安曇野市にある特別養護老人ホーム「あずみの里」で、利用者におやつのドーナツを提供し、のどに詰まらせて窒息死させたとして、ホームの職員である准看護師が業務上過失致死の罪で起訴された事件を検証する本シリーズの第14回では、検察側の論告と弁護側の最終弁論の内容を取り上げる。

特別養護老人ホーム「あずみの里」
 この事件で、おやつの最中に突然意識を失った利用者の女性(以下、Kさんと言う)にドーナツを提供した准看護師(以下、Yさんと言う)に過失があったとしてYさんを起訴した検察側は、Yさんの犯罪行為(過失)として主張した「訴因」の変更を2度にわたって裁判所に請求し、許可された。その結果、起訴状記載の公訴事実は当初のものから大きく変更された。

 当初の公訴事実で過失とされたのは、Kさんがおやつのドーナツを口腔内に詰め込んで誤嚥することがないようにYさんは自らKさんの食事中の動静を注視して、食物誤嚥による窒息等の事故を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、他の利用者への食事の介助に気を取られ、Kさんの食事中の動静を注視しないままKさんを放置した過失により、Kさんにドーナツを誤嚥させて、窒息による心肺停止状態に陥らせ、心肺停止に起因する低酸素脳症により、Kさんを死亡させたという「注視義務違反」であった。

長野地検松本支部
 その後、検察側は1回目の訴因変更請求で、起訴状記載の公訴事実から「誤嚥」という言葉を除くなどしたうえ、もともと主張していた注視義務違反に加え、おやつの形態変更を確認すべき義務違反を追加した。さらに、検察側は2回目の訴因変更請求で、Yさんの注視義務の発生を、Kさんと同じテーブルに着席した時点からさかのぼらせ、Kさんにドーナツを提供してから他の利用者のテーブルを回っておやつを提供している間もKさんの動静を注視する義務があったのにそれを怠ったと主張した。2度にわたる訴因変更請求を裁判所が認めたことはすでに述べたとおりである。

 これに対し、弁護側は無罪を主張して真っ向から争った。裁判で大きな争点となったのは、Kさんの死因である。

 おやつの最中だったKさんが心肺停止になった原因を、おやつをのどに詰まらせたことによる窒息と思い込んだあずみの里は、介護事故として地元の市役所に報告するとともにKさんの家族にも同じように説明した。同じような「事故」の再発を防ぐための対策を実施し、Kさんの死後には遺族に損害賠償金を支払った。Kさんを治療した主治医はKさんの死亡診断書の死因欄に「窒息」とは書かなかったが、Kさんが亡くなる前から家族の通報で捜査を始めていた長野県警はKさんの遺体を解剖して詳しい死因を調べることをしなかった。Kさんの心肺停止の原因が仮に何らかの病気によるものであるとしたら、介護事故ではないから、おやつの提供をしたYさんの過失責任が問われるはずはない。したがって、死因の究明は、捜査の過程と起訴不起訴を判断するに際して最重要の課題だったはずである。Kさんは窒息であったという前提でYさんを起訴した検察側は3年半に及ぶ審理を経て、第21回公判(2018年10月1日)で論告求刑を行うに当たって、Kさんが窒息であったとする根拠として何を示したのだろうか。

 検察側は42ページに及ぶ論告要旨の半分以上をKさんの死因に関する記述に割き、「ドーナツの摂取とKさんの死亡との間には因果関係がある」との主張を展開した。

 検察側が窒息の根拠として主張したのは、おやつを食べていたKさんに異変が起こったときの状況や救命処置、Kさんの症状である。具体的には、Kさんの急変に気づいたYさんがKさんの背中を叩いたこと、Kさんの口の中や舌の上にドーナツ(片)があり、Yさんや看護師長がそれを指で取り出したこと、看護師長が脈や呼吸の停止を確認したこと、Kさんの手の平から指先まで紫色になったこと、救急搬送中に一度再開した心拍が再び停止し、病院での治療開始後に心拍が再開したことなどである。これらはいずれもドーナツで窒息したことを直接的に証明する証拠ではなかったが、検察側は「本件事故当時の被害者の状況及び症状という事実関係だけを見ても、被害者がドーナツを摂取したために窒息したことが強く推認することができる」とした。検察側がこうした主張の支えとしたのは、本シリーズの第10回で紹介した根本学医師の以下のような法廷証言である。

 「通常、我々医師は何が起こったかというのは、現場に居合わせた人、救急隊が出動したのであれば、救急隊の現着から病着までの情報、これらを基に基本的な病態を考え、更に実施設内で行うレントゲン検査、心電図検査あるいは血液検査等から原因を探求していくが、今回、被害者の診療録を見る限りにおいては、窒息以外の病態を検討されているということは見いだすことができなかった」

 「職員が被害者の異変に気付き、異変の原因として窒息を疑い、直ちに被害者に対する背部叩打法などの窒息に対する適切な救命処置を開始していること、被告人らが被害者の口腔内からドーナツの一部をかき出したところ、被害者の呼吸が再開したこと、救急隊も被害者の声門付近にドーナツの残渣を発見したことなどのエピソードは、ドーナツによる窒息を裏付けるものである」

 このほか、検察側は、①Yさんや看護師長がKさんの口の中からかき出したとされる指1本分のドーナツがあれば、成人で直径が7ないし10ミリメートルの声門を塞ぎ、窒息すると考えられる、②声門を塞いだドーナツはYさんによる背部叩打法によって口腔内に戻ったと考えられる、とする根本証言などに依拠して、Yさんが配ったドーナツで窒息が起きたと主張した。

 また、弁護側が主張する脳梗塞説についても根本証言を支えに否定した。

 検察側は、根本医師が埼玉医科大学国際医療センターの救命救急センターの責任者を務め、日本救急医学会の専門医、指導医の資格を持つことに触れながら、次のように主張した。

 「根本証言は、その専門的な知識・経験に基づき、本件施設の被害者の看介護記録や、搬送先の松本協立病院のカルテ、松本消防局の心電図記録票といった客観的資料に記載された事項や測定数値等をもれなく検討し、それらの事項や数値の示すところについて詳細な意見を述べた上で結論を導いているのであり、その内容において、何ら不自然・不合理な点がなく、その信用性は極めて高いといえる」

 一審長野地裁松本支部は根本証言に基づく窒息説を採用し、Yさんに有罪判決を言い渡すが、控訴審では、弁護側の依頼に基づき、救急医学、脳神経外科学、放射線医学など各分野の医師が、窒息より脳梗塞の可能性が高いとする意見書を書くことになる。意見書の中には、根本証言の「誤り」をはっきり指摘するものもあるが、それらについては稿を改めて紹介したい。

 検察側は、Yさんの過失は軽いものではなく、死亡という結果も重大であると主張した。一方、Yさんにとっての酌むべき事情として、①17人の利用者へのおやつの配膳とKさん以外の利用者への食事の介助をする中で、Kさんに対する動静注視を行うことになったことは、看護師・准看護師の人員不足等の施設側の問題にも遠因があると思われ、被告人のみに非難が課されるものとはいえない、②食札がなく、おやつの形態の区分が一目でわかるようになっていなかった、③Kさんのおやつの変更が被告人に明示的に引き継がれていなかった、ことなどを挙げた。そのうえで、「その罪責にふさわしい処罰をする必要がある」として、Yさんに罰金20万円を求刑した。

 弁護側の最終弁論は、検察側の論告から約1か月後の2018年11月5日に行われた。その主張は多岐にわたるが、ここでは、主要な争点であったKさんの死因を中心に紹介する。

 弁護側はまず、刑事裁判においてすべての犯罪事実について立証責任を負う検察官が、「合理的疑いを入れる余地がない程度の証明」によって窒息の事実を立証できていない、と指摘した。

 その理由として、弁護側は、窒息(=気道閉塞による換気障害によって酸素の摂取ならびに二酸化炭素の排泄が阻害された状態)が起きたことを直接立証する証拠がまったくないことを挙げた。検察側が自らの主張の支えにした根本医師の証言と鑑定書は、Kさんの異変発生時の状況や症状を根拠にしているが、それは単なる推測にすぎず、「気道の閉塞が生じたこと」の直接証拠になるものではない、というのが弁護側の主張だった。

 弁護側は、本シリーズの第11回で紹介した弁護側証人、福村直毅医師が、気道(口腔、咽頭、喉頭、声門、気管)の各部位において、ドーナツによる閉塞が生じるか否か、その閉塞がKさんに心肺停止をもたらすまで継続するか否かを、厳密かつ丁寧に検討し、①Kさんには窒息につながるような摂食嚥下障害がなかった、②Kさんが食べたドーナツに窒息につながるような危険な物性がなかった、③Kさんに気道の閉塞が生じなかった、などとする鑑定意見を述べたことに言及した。そして、気道の部位ごとに組織の形状は大きく異なり、広いか狭いか、異物が溜まりやすいか流れ落ちやすいか、異物が流入しやすいか否か、など、部位ごとに条件が異なるから、異物による気道閉塞を検討する場合には、その部位ごとに検討しなければならない、としたうえで、検察側の立証の問題点を次のように指摘した。

 この点、検察官は、公訴事実では「口腔内若しくは気道内異物により窒息するおそれがあったところ‥‥」などとして、閉塞した気道の部位を特定しない。また、検察官は、論告においては、気道のどの部位を閉塞させたのか特定せず、ドーナツがどのように閉塞させたのかを明示せず、全く立証していない。(略)これが検察官の立証の根本的かつ最大の誤りである。検察官には、本件において、気道のどの部位を、ドーナツがどのように閉塞させたのか、全くわからないのである。そのような証明で、「気道の閉塞」について厳格な証明がなされたと認めることは、到底できない。

 また、Kさんの異変に気づいたYさんがKさんの背中を強く叩いたことで、Kさんの声門を閉塞させていたドーナツ片(指1本分)が口腔内に戻ってきて、それが救命処置に当たった職員によって口から取り出されたとする根本医師の証言について、柔らかくて崩れやすい、つぶれたはずのドーナツ片が声門から口腔までの間、途中で進路を90度近く変え、さらにどこの部位にも付着せず、口の外にも飛び出さず、指一本分の形のまま、舌の上に乗って止まったという意味だとして、それを「まるで奇術」「荒唐無稽」「人体の組織構造や解剖学、科学法則を無視した推論」と手厳しく批判した。

 弁護側はこのように、検察側の「窒息説」に疑問を投げかけたうえで、Kさんの心肺停止の原因は脳梗塞であると考えることが最も合理的である、と主張した。弁護側が示した、脳梗塞または一時的な脳虚血(脳梗塞に至らない一時的な塞栓症)から意識消失・心停止に至った流れは以下のとおりである。

  1.  心臓などでできた血栓がはがれて移動し、脳底動脈を一時的にふさいだことで、呼吸中枢や意識中枢がある延髄が虚血状態になり、呼吸中枢、意識中枢の一時的な機能障害が瞬時に生じた。
  2.  意識中枢の機能障害により、意識を失った。
  3.  呼吸中枢の機能障害により、呼吸が停止し、呼吸停止により低酸素状態となり、その後、心拍が停止した。
  4.  延髄を虚血状態にさせた血栓が崩れて流れ、塞栓がなくなった。
  5.  崩れて流れた血栓が脳底動脈の先の細い血管を塞ぎ、脳底動脈先端部症候群となり、中脳及び両側視床の脳梗塞を起こした。

 Kさんの死後に撮影されたCT画像では、延髄にわかるような低濃度域が生じておらず中脳及び両側視床に脳梗塞がみられた。それは、上記のような機序によって説明できる、というのが弁護側の主張だった。

 本シリーズの第9回で紹介したように、弁護側は「脳梗塞で突然の心停止が起きた」とする主張の根拠として、脳梗塞が原因で、突然、心停止した症例を報告した海外の研究者による論文を証拠として提出しており、最終弁論では、この論文に基づき、「脳の部位によらず(延髄に限定せず)、いずれの部位の梗塞によっても、突然の心停止に至る」と指摘した。

 脳底動脈が血栓により一時的に塞がれたことで意識消失・心停止に至り、その後、脳底動脈を塞いだ血栓(塞栓)が崩れて流れ、再開通したとの弁護側の主張に対し、検察側証人の根本医師は「そのように考えるには相当無理がある」と証言した。この根本医師の意見に対し、弁護側は最終弁論で、再開通が明らかであった症例の割合に関して報告した二つの論文(一つは44%、もう一つは16.5%)を根拠に次のように反論した。

 そうすると、脳塞栓症は全脳梗塞の約30%であるから、全脳梗塞の5%から13%程度が再開通する脳塞栓症と推定することができる。
 日本では、年間1万から2万5千人程度が再開通する脳塞栓症と推定されるところ、窒息件数は多く見積もっても年間1万人程度であることからすれば、脳塞栓症からの再開通の件数は、食物誤嚥による窒息件数を上回ると考えられる。
 また、脳梗塞に至らない、血栓による一時的な脳動脈の塞栓による脳虚血は、脳梗塞より遥かに多くの症例が見られ、何ら珍しいものではない。このような一時的な脳底動脈の塞栓による脳虚血によっても、延髄の意識中枢や呼吸中枢は機能障害を生じうるのであるから、「ほとんど見られない」とする根本証言は誤りである。

 弁護側は警察の捜査を「杜撰極まりない」、検察の起訴判断を「まともな事実調査も法律的検討もなしに行われた」ものであると主張した。

 捜査に関しては、①Kさんに異変が起きた日の食堂に17人の利用者が9つのテーブルに分かれていたこと、②嚥下障害のある2人の食事全介助者がいたこと、③さまざまな問題のある要注意の利用者が少なくとも8人いたこと、④Kさんは食事が自立で嚥下機能に問題がなかったこと、などを警察が把握していなかったと述べたうえで、警察が異変発生場所の「点」のみを現場検証の対象とし、Yさんや介護職員の食堂内での動きについてまったく関心がなかったと批判した。さらに、警察がKさんの異変の原因が本当に「窒息」だったのか否かに関する医学的・科学的な検討を行わず、「窒息」を前提としたあずみの里の職員らによる「振り返り」と「再発防止の検討」を客観的な検証や検討もないまま確たる「事実」として「業務上過失致死事件」の証

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