メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

一審は主位的訴因を退けて追加の予備的訴因で有罪判決

老人ホームのおやつ提供で過失責任を問われた看護職員(15)

出河 雅彦

 長野県安曇野市にある特別養護老人ホーム「あずみの里」で、利用者におやつのドーナツを提供し、のどに詰まらせて窒息死させたとして、ホームの職員である准看護師が業務上過失致死の罪で起訴された事件を検証する本シリーズの第15回では、長野地裁松本支部の判決を取り上げる。

長野地検松本支部
 この事件では、長野地検松本支部が、おやつの最中に突然意識を失った利用者の女性(以下、Kさんと言う)にドーナツを提供した准看護師(以下、Yさんと言う)を起訴した。検察側は公判が始まってから2度にわたり、自らが主張するYさんの犯罪事実(訴因)の変更を裁判所に求め、許可された。最終的にYさんの過失として検察側が主張したのは、①Kさんにおやつを提供してからKさんの食事中の動静を注視する義務を怠ったこと(主位的訴因)、②ゼリー系を提供するように変更されていたKさんのおやつの形態変更を確認せずに、Kさんにドーナツを提供したこと(予備的訴因)――の二つであった。

 これに対しYさんの弁護側は、そもそもKさんの急変は窒息によるものではなく、脳梗塞の発症によるものである可能性が高いとしてドーナツ提供と急変との因果関係、死因を争い、さらに、検察側が主張したYさんの過失責任のいずれについても否定して、無罪を主張した。

裁判所前に集まった大勢の人に、「不当判決」と書かれた紙を掲げる弁護団の関係者=2019年3月25日午後1時28分、長野地裁松本支部、大野択生撮影
 第1回公判から4年近く経った2019年3月25日、長野地裁松本支部(野澤晃一裁判長)が言い渡した判決は罰金20万円の有罪判決で、検察側の求刑通りであった。裁判所は、検察側主張の主位的訴因の過失は認めず、予備的訴因の過失が認められると判断した。

 検察、弁護双方の主張が真っ向から対立した刑事裁判で、裁判所はいかなる事実認定を行い、Yさんに過失があったと判断したのだろうか。

 まずは、第一の争点である死因についての判断を見ていく。

 裁判所はKさんの心肺停止の原因は窒息であったと判断した。そう判断するうえで依拠したのは、検察側証人として「心肺停止の原因は窒息」との意見を述べた埼玉医科大学の根本学教授の証言である。根本医師が「窒息」と判断した根拠として挙げたのは、①Kさんの異変に気づいたYさんを含む施設職員などが窒息を疑い適切な処置をしている、②Kさんの声門付近でドーナツの残渣が発見された、③Kさんの口腔内からドーナツを取り出したところ呼吸が再開した、④Kさんがアルツハイマー型の認知症であり、食物をかきこむ癖を有していた――ことなどだった。

 判決によれば、裁判所は、Kさんに嚥下障害はないと認定する一方で、認知症などの影響で食物を丸飲みにしてしまう傾向があったことと、歯がなく義歯も使っていなかったため食物を口の中で小分けにする能力に問題があったことを「窒息の可能性を高める事実」と判断した。また、このドーナツの物性が食品メーカー作成のユニバーサルデザインフード区分表で「容易にかめる」に分類されていることなどを理由に、食物を口の中で細かくする能力に問題があったKさんにとっては「食べる際に細かくすることができずに口腔ないし気管を閉塞して、窒息を生じる可能性がある食物である」とみなした。

 裁判所は、Kさんに対する救命処置の経過も「窒息」と認定した根拠に挙げた。判決はその点を次のように記している。

 被害者は、窒息の危険のあるドーナツを摂取した直後に呼吸停止、末梢チアノーゼが生じた状態で発見され、被告人らが被害者の背中を強く複数回叩き(背部叩打法)、口腔内からドーナツ片を取り出し、心臓マッサージ、酸素吸入をしたところ、一度息を吐き出し、末梢チアノーゼが回復しており、これは、ドーナツが被害者の口腔内ないし気管内を閉塞し窒息が生じ、それが取り除かれ、空気の通り道ができたと考えることと整合するものである(なお、根本医師は、この時取り出されたドーナツ片が指1本分であり、これが取り出された時に呼吸が再開したとして、窒息があったとの理由の一つとしているが、この時に呼吸の再開があったとまでは認められず、また、当裁判所の判断としては、その後に取り出されたドーナツ片も合わせて窒息の原因となった可能性があるものと判断している。)。

 裁判所は、こうした「窒息と整合する事実経過」を挙げる一方で、「窒息以外が原因である可能性は極めて低い」と断定した。その理由はいかなるものだったのか。

 弁護側は、咳嗽反射による咳き込みや窒息サイン(窒息が生じたことを他人に知らせるため、自分ののどを親指と人差し指でつかむこと)など、Kさんに窒息を知らせる行動がみられなかったことによって窒息が生じていないと推認できる、と主張してきた。この主張に対し、裁判所は、①高齢者の場合は感覚の鈍化や、運動機能の低下により誤嚥しても咳嗽反射が起きないことがあるとされており、咳嗽反射が生じなかったとしても不自然ではない、②短時間で意識消失に至ったと考えられることなどから、仮に窒息サインなどがあっても周囲がそれに気づかなかった可能性は十分ある、として、弁護側の指摘は「窒息を否定するものではない」との解釈を示した。

 自施設で調べた86の窒息症例の中には窒息サインなどが確認されなかった症例がある、との根本医師の証言については、「判断根拠となった資料がどのようなものか、窒息サインの有無に着目した調査がなされたものか明らかではなく、これに依拠することはできない」と、その信用性を否定した。

 ドーナツの物性についての「ぼろぼろで崩れやすく、凝集性が低いため、声帯の開閉で容易に切断されることなどから声門を閉塞することはできない」とする弁護側の主張に対して裁判所は、①ドーナツの凝集性は嚥下困難者用食品許可基準を満たしているが、同基準を満たせば窒息が生じないというものではない、②Yさんや救急隊員らがKさんの口腔内などから取り出したドーナツ片を合わせると相当な量となることから、声門等を閉塞し、声門の随意運動などによっても閉塞を維持し得るものと考えられる、と述べた。しかし、こうした独自の解釈、判断をした具体的な根拠は示さなかった。

 Kさんの心肺停止の原因は窒息ではなく、脳梗塞の可能性が高い、とする弁護側の主張について裁判所は、主に検察側の証人である根本医師の証言に依拠して退けた。

 弁護側の主張は、主として弁護側証人の福村直毅医師の証言に基づくものだった。福村医師の証言は、①脳底動脈が血栓によって一時的に塞がれ、延髄が虚血となって呼吸中枢、意識中枢の一時的な機能障害が生じた、②それによって意識を消失し、呼吸停止によって低酸素状態となり、その後心拍が停止した、③延髄を虚血状態にさせた血栓が崩れて流れて塞栓がなくなり、その先の細い血管を塞ぎ、脳底動脈先端部症候群になった、というものだった。

 福村医師は証言に先立って作成した「鑑定書2」(2018年5月24日付)において、脳梗塞でいったん塞がった血管が再開通した症例に関する論文を参考資料の一つとして挙げていた。その論文は、北海道大学脳神経外科の寶金清博医師らが1987年の日本脳神経外科学会機関誌に発表した「脳梗塞急性期における動脈再開通の検討」である。この論文によると、1983年8月から1985年12月までの2年4カ月間に急性期虚血性脳血管障害で入院し、脳血管撮影が行われた患者186例のうち、初回の脳血管撮影で85例に動脈閉塞が認められた。そのうち41例に対して経時的な脳血管撮影を行った結果、18例(44%)で閉塞した動脈の再開通が見られた。

 検察側は福村医師の証言(2018年6月25日の第18回公判)の約1カ月後、寶金医師らの論文を証拠請求した。同論文中には、再開通の時期について、「塞栓性閉塞の再開通については、一般にその時期は一様ではなく、閉塞後きわめて早期に起こるものと、我々の対象例のごとく1週以内4日前後に生ずるものとがありうると考えられる。前者の型の再開通は、脳血管撮影の時点ですでに再開通が終了していることが多く、臨床的にこの再開通を確認することはまれであろうと思われる」との記載があった。検察側は論告において、この記載部分の一部を引用しながら、「この論文は、『脳梗塞が生じてから1週間以内4日前後に生じたもの』を対象例として検討したものであり、福村が本件で想定しているような発症当日に再開通を生じた症例を対象としておらず、福村の意見を根拠づける論文としては不適当である」と主張した。

 検察側証人として出廷した根本医師は、いきなり詰まって呼吸停止、心停止に至るような太い血管が血栓によって詰まり、それが短時間のうちに溶けて流れ去る可能性はほとんどない、と証言した。

 このように、脳梗塞の再開通をめぐる検察側、弁護側双方の主張は真っ向から対立していたが、長野地裁松本支部は、寶金医師らの論文に「再開通が平均4.1病日に確認された」との記述があることを捉え、「論文は平均的な再開通の時期を約4日とするものであり、また、文献記載の症例における脳梗塞による症状の程度についても明らかではなく、意識消失に至るほどの脳梗塞の場合においても短時間での再開通があり得ることを示すものではない」との解釈を示した。そのうえで、この論文が根本医師の証言と「矛盾する知見を示すものではないといい得る」と判断し、Kさんが脳梗塞発症後短時間で再開通したとの見方を退けた。

 なお、弁護側は控訴審になってから、この裁判所の判断が誤りであるとの内容の寶金医師の意見書を証拠請求することになるが、それについては稿を改めて紹介する。

 このほか、弁護側が脳梗塞の大きな拠り所とした、死後に松本協立病院で撮影された頭部CT画像についても、裁判所は「脳梗塞が原因であることを積極的に裏付けるものとはいえない」と判断した。裁判所が判断の根拠としたのは、撮影当時、松本協立病院の放射線科医が作成したCT検査報告書だった。その報告書には、「両大脳の皮質、縁取るような高濃度域が散見されます。低酸素脳症などによる変化が疑われ、原因よりは結果と思われます。両視床より中脳背側に低濃度域あり、左右対称ですので、原因よりは結果と思われますが、一応、脳底動脈の閉塞であれば、このような梗塞もあり得ます」と書かれていた。この記載内容は、本シリーズ第11回で取り上げた弁護側証人、福村直毅医師に対する尋問(2018年6月25日の第18回公判)の際、検察官が明らかにした。

 「脳底動脈の閉塞であれば、このような梗塞もあり得ます」「1カ月前発症の可能性はあります」との記載は、弁護側の主張を裏づける見解とも言えるが、「窒息説」を唱えた検察側証人の根本医師は、CT検査報告書にあった「原因よりは結果と思われます」という記載を捉え、CT画像に写った脳梗塞の痕跡は、心肺停止の原因ではなく、急変から死亡までの間に呼吸が弱まっていった結果として生じたものとの見解を、公判で次のように述べていた。

 「これは、書いてあるとおり、原因というよりは結果というふうに記載されています。呼吸停止を起こされてからお亡くなりになるまで36日間という経過がございますし、当初、しっかりしていた自発呼吸がだんだんだんだん弱くなってきて、その後、人工呼吸に完全に依存するというような状況になってるところを考えますと、この読影をされた先生の原因よりは結果ということで脳底動脈に小さな梗塞像が見られるというような記載があっても、これはおかしくないと思います」

 検察側はこの根本医師の証言をもとに、入院中に人工呼吸に依存するようになったために、脳底動脈に小さな梗塞が生じたと考えるのが自然、との主張を展開した。

 裁判所はそうした検察側の主張を認め、CT検査報告書に記された放射線科医の見解について、「その記載ぶりからは、これ(※筆者注=脳梗塞)が心停止の原因である可能性は低いものと見ていることがうかがわれる」と判決の中で述べた。

 このようにして裁判所は弁護側の指摘や主張を退け、「被害者の心肺停止状態の原因が窒息であることを示す諸事情のある中で、これが脳梗塞であるとの合理的な疑いは残らない」「被害者が心肺停止状態に陥った原因は、本件ドーナツによる窒息を原因とするものであると認められる」と断定した。

 次に、Yさんの過失の有無について裁判所がどう判断したのかを見ていく。

 すでに述べたように、検察側はK

・・・ログインして読む
(残り:約1449文字/本文:約6533文字)