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「過失なし」と逆転無罪判決の東京高裁、死因は認定せず

老人ホームのおやつ提供で過失責任を問われた看護職員(18)

出河 雅彦

 長野県安曇野市にある特別養護老人ホーム「あずみの里」で、利用者におやつのドーナツを提供し、のどに詰まらせて窒息死させたとして、ホームの職員である准看護師が業務上過失致死の罪で起訴された事件を検証する本シリーズの第18回では、東京高裁が准看護師に言い渡した無罪判決の内容を紹介する。

拡大東京高裁に入る弁護士ら=2020年7月28日午後2時32分、東京・霞が関
 この事件で起訴された准看護師(以下、Yさんと言う)に対し、長野地裁松本支部(野澤晃一裁判長)は2019年3月25日、検察側の求刑通り罰金20万円の有罪判決を言い渡した。大きな争点であった利用者の女性(以下、Kさんと言う)の死因(心肺停止の原因)について長野地裁松本支部は検察側が主張した「窒息」であると認定し、検察側が主張したYさんの二つの過失のうち、食事中のKさんの動静を注視する義務を怠った過失(主位的訴因)は認めず、おやつがゼリー系に変更されていたことを確認すべき義務を怠った過失(予備的訴因)によって有罪判決を言い渡した。

 Yさんは有罪判決を不服として東京高裁に控訴した。前回までに紹介したように、Kさんの死後に撮影された頭部CT画像などを根拠に、「Kさんの心肺停止の原因は脳梗塞」と主張する弁護側は、控訴審になってから脳神経外科の専門医らの意見書を証拠請求し、Kさんの死因をしっかり調べるよう、東京高裁に求めた。しかし、東京高裁第6刑事部(大熊一之裁判長、奥山豪裁判官、浅香竜太裁判官)は弁護側の請求のほとんどを却下し、たった1回の審理で公判を結審させた。弁護側は、2020年7月28日の判決公判当日も含め、弁論再開を強く求めたが、東京高裁は応じなかった。

拡大旗を掲げる支援者=2020年7月28日午後3時17分、東京・霞が関の東京高裁前、酒本友紀子撮影
 では、東京高裁はいかなる理由で一審判決を破棄し、Yさんに無罪を言い渡したのか。

 それは、Kさんの死因について弁護側の主張を認め、事故死ではなく病死だったと判断したからではない。Yさんにはおやつがゼリー系に変更されていたことを確認すべき義務があり、それを怠ったことが過失であるとした一審判決の認定に誤りがあった、というのがその理由だった。

 死因について東京高裁がどう判断したか触れる前に、一審の過失認定を誤りと判断した理由を見ていくことにする。

 一審判決は、利用者のおやつの形態を誤って提供した場合、特にゼリー系のおやつを提供することになっている利用者に常食(判決では「常菜」)系のおやつを提供した場合、誤嚥、窒息等により、利用者に死亡という結果が生じることは十分に予見できた、と認定した。

 東京高裁は、一審判決が検討した「予見可能性」の内容は、「被害者自身に対する窒息の危険性を抽象化し」たものであり、「要するに、特別養護老人ホームには身体機能等にどのようなリスクを抱えた利用者がいるか分からないから、ゼリー系の指示に反して常菜系の間食を提供すれば、利用者の死亡という結果が起きる可能性があるというところにまで予見可能性を広げたものというほかない」と指摘した。そのうえで、次のように一審判決(原判決)を批判した。

 しかし、具体的な法令等による義務(法令ないしこれが委任する命令等による義務)の存在を認識しながらその履行を怠ったなどの事情のない本件事実関係を踏まえるならば、上記のような広範かつ抽象的な予見可能性では、刑法上の注意義務としての本件結果回避義務を課すことはできない。原判決は、被告人には本件形態変更を確認する職務上の義務があったとした上で、これを法令等による義務と同視したもののように解されるが、一定の科学的知見や社会的合意を伴わない単なる職務上の義務を法令等による義務と同列に扱うのは形式的に過ぎるというべきである。本件では、被告人が間食の形態変更を確認しないまま本件ドーナツを被害者に配膳したことが過失であるとされ、この過失によって被害者に本件ドーナツによる窒息が生じ、その死亡という結果を引き起こしたことについて行為者を非難するという過失責任が問われているのであるから、被害者に対する本件ドーナツによる窒息の危険性ないしこれによる死亡の結果に対する具体的な予見可能性を検討すべきであるのに、原判決はこの点を看過している。

 一審判決は、Yさんにはおやつの形態確認を怠った過失(予備的訴因)があると認定したが、東京高裁は、おやつの形態を確認しなかったことを業務上過失致死罪における過失とするためには、「遅くとも被害者に本件ドーナツを提供するまでの間に本件ドーナツによって被害者が窒息することの危険性ないしこれによって死亡する結果についての具体的予見可能性がどのような内容、程度であったかを十分に検討する必要がある」と述べた。そのうえで東京高裁はまず、Yさんがおやつの形態を確認することが職務上の義務であったか否かを検討し、「職務上の義務に反するものであったとはいえない」と判断した。その主な理由は以下のとおりである。

  1.  Kさんのおやつをゼリー系に変更することは、介護職員間で情報共有をするために介護士の詰所で保管されている介護資料「申し送り・利用者チェック表」にしか記載されていなかった。
  2.  あずみの里において、日勤の看護師に対し、すでに申し送りがされた過去の日付の申し送り・利用者チェック表を確認するよう求める業務上の指示があったことを認めるに足りる証拠はない。
  3.  あずみの里のような特別養護老人ホームにおいて、療養棟日誌のように看護職と介護職で共有されていた文書とは別に、介護職の詰所に保管されている介護資料を看護職が自ら、しかも遡って確認することが通常行われていると認めるに足りる証拠もない。

拡大准看護師に無罪を言い渡した東京高裁判決を伝える2020年7月29日付朝日新聞朝刊の記事
 さらに東京高裁は、①Kさんに提供されたドーナツによる窒息の危険性、②おやつの形態変更の経緯及び目的、③あずみの里における看護職員と介護職員が利用者の健康情報等を共有する仕組み、④Yさんが事前におやつの形態変更を把握していなかった事情、⑤Kさんが意識を失った当日の状況、⑥食品提供行為が持つ意味、を詳しく検討し、おおむね以下のように結論づけた。

  • Kさんは食品によっては丸飲みによる誤嚥、窒息のリスクが指摘されていたとはいえ、ドーナツはあずみの里に入所後にも食べていた通常の食品
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筆者

出河 雅彦

出河 雅彦(いでがわ・まさひこ) 

 1960年生まれ。上智大学文学部新聞学科卒。朝日新聞社で医療、介護問題を担当し、医療事故や薬害エイズ事件のほか、有料老人ホームや臨床試験について取材。2002~2013年、編集委員。2013~2016年、青森総局長。2021年4月からフリーランス。
 著書に『ルポ 医療事故』(朝日新聞出版、「科学ジャーナリスト賞2009」受賞)、『混合診療』(医薬経済社)、『ルポ 医療犯罪』(朝日新聞出版)、ルポライター鎌田慧氏の聞き書き『声なき人々の戦後史』(藤原書店、第16回「パピルス賞」受賞)、『事例検証 臨床研究と患者の人権』(医薬経済社)。橳島次郎氏との共著に『移植医療』(岩波書店)。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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