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無罪事件の検証は「裁判官の自主独立性」脅かす?

老人ホームのおやつ提供で過失責任を問われた看護職員(20)

出河 雅彦

 長野県安曇野市にある特別養護老人ホーム「あずみの里」で、利用者におやつのドーナツを提供し、のどに詰まらせて窒息死させたとして、ホームの職員である准看護師が業務上過失致死罪に問われた事件を検証する本シリーズの第20回では、取材を通して筆者が感じたこの事件の捜査と公判の問題点や無罪確定事件の検証について裁判所に取材した結果を報告する。

長野地裁松本支部
 この事件で起訴された准看護師(以下、Yさんと言う)に対し、長野地裁松本支部が2019年3月25日、検察側の求刑通り罰金20万円の有罪判決を言い渡した。大きな争点であった利用者の女性(以下、Kさんと言う)の死因(心肺停止の原因)については検察側が主張した「窒息」であると認定し、検察側が主張したYさんの二つの過失のうち、食事中のKさんの動静を注視する義務を怠った過失(主位的訴因)は認めず、おやつがゼリー系に変更されていたことを確認すべき義務を怠った過失(予備的訴因)によって有罪判決を言い渡した。Kさんの心肺停止の原因は脳梗塞の可能性が高いとしてYさんの無罪を主張する弁護側は、控訴審で、脳神経外科の専門医らの意見書を証拠請求し、Kさんの死因をしっかり調べるよう、東京高裁に求めた。しかし、高裁は弁護側が請求した証拠のほとんどを却下して1回の審理で公判を結審させ、その後の弁護側の弁論再開申し立てにも応じなかった。そして、2020年7月28日、一審判決を破棄し、Yさんに無罪を言い渡したが、大きな争点だった死因については認定しなかった。ドーナツをのどに詰まらせたことによる窒息(=事故死)なのか、脳梗塞(病死)なのかは曖昧にされたまま、無罪判決が確定した。

東京高裁
 死因や、一審での二度にわたる訴因変更許可は違法だとする弁護側の主張について、東京高裁は判決で、「検討に時間を費やすのは相当ではなく、速やかに原判決を破棄すべきである」と述べた。これは、Yさんを一刻も早く刑事被告人の立場から解放すべきであるとの考えに基づくものと思われるが、「刑事事件につき、公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障とを全うしつつ、事案の真相を明らかにし、刑罰法令を適正且つ迅速に適用実現することを目的とする」と定めた刑事訴訟法第1条に照らすと、東京高裁の訴訟指揮と判決は「事案の真相を明らかに」するという点で問題があったと筆者は考える。

 本シリーズの第17回で紹介したように、控訴審の主任弁護人、藤井篤弁護士の『逆転無罪 特養あずみの里刑事裁判の6年7カ月』(2021年7月発行)への寄稿によれば、2020年1月9日の東京高裁での三者打ち合わせの際、裁判長が「裁判所は因果関係について関心がない」と発言したとされる。このような発言をしたのであれば、その理由は何かなど、訴訟指揮や判決に関するいくつかの疑問点を尋ねるため、筆者は2021年8月、Yさんに無罪を言い渡した東京高裁の裁判長で、名古屋地裁所長になっていた大熊一之氏に書面で取材を申し入れた。しかし、取材には対応できないとする名古屋地裁事務局総務課名の文書(2021年9月14日付)が筆者のもとに届いた。。

 前回紹介したように、最高検や警察庁は足利事件などの捜査、公判の問題点を検証し、その結果を公表しているが、冤罪事件の原因を検証しなければならないのは捜査当局だけではない。警察、検察による捜査、起訴の問題点を見抜けず、検察官の主張をしっかりチェックしないまま判決を下してしまった裁判所もまた、「誤判」の原因を検証する必要があるはずだ。

 あずみの里事件では、一審長野地裁松本支部がYさんに有罪判決を言い渡し、全国の介護現場に衝撃を与えた。二審東京高裁は一審判決を破棄し、無罪を言い渡したものの、日本における救急医学や脳神経外科学、死亡時画像診断のトップレベルの医師たちが弁護側の依頼で死因を検討し、「脳梗塞による病死」と結論づける意見書を作成したにもかかわらず、弁護側によるそれら意見書の証拠請求をことごとく却下したうえ、判決でも死因を認定しなかった。筆者が取材した範囲でも、「あれは窒息事故だった」といまでも考えている医療、介護関係者がいる。高齢者介護はこの国に住むすべての人にとって避けては通れない課題である。その高齢者介護の現場は、人材難や低賃金に苦しみながらも、介護事業者や介護従事者の懸命の努力で支えられている。そうした介護事業者や介護従事者、ひいては介護サービスを利用する高齢者に深刻な影響を与えた「あずみの里事件」で、死因確認の手を尽くすこともなく起訴した検察官の責任は重大だが、それを認めて有罪判決を言い渡した裁判官にも相応の責任があると筆者は考える。裁判所にはこの事件の公判のあり方を検証する責任があるのではないか――。

最高裁判所
 そう考えた筆者は2022年1月、最高裁の大谷直人長官(当時)に書面で取材を申し入れた。筆者が知りたかったのは、刑事裁判で一度有罪判決が確定した後再審請求があり、再審無罪が確定した事件や、下級審での有罪判決を不服とする被告人が控訴、上告をした結果、有罪判決が覆されて無罪が確定した事件について、最高裁が検証をしているのか否かということだった。こうした「無罪判決確定事件」に関する、以下の五つの質問に答えてほしいと取材依頼文に記した。

 1. 最高裁判所は、無罪判決確

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