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検察の不調の原因は? 検察は法執行機関の要として構造的、組織的な犯罪摘発のコーディネーターになるべき

 

村山 治

 制裁システムの要、検察の不調が続いている。小沢一郎・前民主党幹事長の政治団体の政治資金規正法違反事件の捜査では一部のメディア、検察OBから「恣意的捜査」との批判を受け、小沢本人を不起訴処分にすると、今度は検察審査会から「不起訴不当」「起訴相当」議決を突きつけられた。郵便割引制度をめぐる虚偽有印公文書作成・同行使罪で村木厚子前厚生労働省局長を起訴した事件では、裁判所が、事件の核心部分の検事調書を証拠採用せず、判決前から無罪が確実視されている。このシリーズの最終回となる今回の記事では、有数の特捜検事でもあった佐渡賢一に、検察不調の原因と信頼回復の方策などを聞いた。

  ▽取材・執筆:朝日新聞編集委員・村山治

  ▽呼称・敬称は略しました。

  ▽佐渡委員長インタビュー1回目:   「検察支配」からの解放で監視委が活性化

  ▽佐渡委員長インタビュー2回目:   地下経済とのあくなき戦いゴールはまだ見えない

  ▽佐渡委員長インタビュー3回目:   行政調査をフル活用、そして市場との「対話」を重視


佐渡賢一・証券取引等監視委員会委員長検察は法執行機関のコーディネート役を果たすべきだと語る佐渡委員長

 ■特捜検察の「覚悟」と政治資金偽装の摘発基準

 ――戦後長く政界の腐敗監視役として国民の信頼を得てきた特捜検察が、最近不調です。摘発した事件で国民の拍手喝采を受けるものが少ない。一部のメディアや検察OBからは「検察ファッショだ」「恣意的捜査だ」などの批判を受けている。きっかけは、小沢一郎・前民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」の献金偽装事件の摘発だったと思います。小沢事件については、どんな印象を持っていますか。

 「昨年の西松事件は、検察が、政治資金収支報告書上の記載を否認し実質に基づいて訴追した初めての案件のように思う」

 「これまでは、ほとんどが収支報告書に記載のない裏献金を訴追の対象としてきた。実体は不記載なのだが、収入総額が虚偽だとして、実務的には虚偽記載として処理してきたわけだ」

 「収支報告書の上では個人献金と記載されているが、実質をみると、企業献金であり、脱法的な行為ではないかという問題は、政治資金規正法では形式と実質の齟齬として似た問題がよく起きている。これまでは証拠上あるいは法解釈上からなかなか脱法行為と決めつけるのが難しく、消極処理してきたのが実情だ」

 「今回のような形式と実質の齟齬を衝いて虚偽記載を問うとなると、犯情の重いものから軽いものまでいろいろある。ここらの仕分けがしっかりできるかどうか。着手したと聞いて、大変だな、と思った。この分野を事件化すると、検察にいっぱい告発がくる。政敵をやっつけるのに検察が利用される。その処理で検察の機能が麻痺する恐れがある。そういうことまで考えてやったのかどうか」 

 ――検察としては、そこまで深く考えていなかったようですね。秘書を逮捕すれば、小沢さんは、秘書の責任にして国民に謝罪し、一件落着だと読んでいたフシがある。ところが、小沢さん側の敵意むき出しの反発や、それに呼応した一部メディア、検察OBの捜査批判が噴き出して、むしろ、議論が、政治資金規正法違反の摘発基準をめぐる検察の恣意性のようなところに行ってしまった。「特捜検察の虚偽記載の摘発基準は裏金1億円以上だったのに、西松事件では2100万円で逮捕(起訴時の偽装額は3500万円)した。だから無理をしたのは明らかだ」とかですね。

 「裏金1億円が摘発基準、なんてことはないよ。事件はすべて個別に事情が違うから、摘発基準なんてものはそもそもあり得ない。あえて基準というなら、世間から『恣意的に』といわれないように、きちんと説明できるものを摘発すること。それが基準だった」

 ――検察にとって、西松建設事件のリターンマッチともなった陸山会の土地取引をめぐる収支報告書偽装事件は、今年1月に事務担当者だった石川知裕衆院議員を逮捕したことで、小沢さん本人も共犯で訴追されるかどうかが最大の焦点になりました。しかし、結局、小沢さんは不起訴処分となりました。

 「蒸し返しとか、特定の者にいつまでも、といった印象を与えたのはまずい。証拠を見ていないので何ともいえないが、報道されている限りでは、資金管理団体の土地取引に小沢さん個人の金が使われたのを銀行借入で隠蔽したという案件であり、その虚偽記載は収支報告書の作成責任者である会計責任者の責任を問えば足りる事案であったのではないかという印象だ」

 「小沢さんの事件は、全体にメリハリが足りなかった印象だ。最初の西松事件はゼネコンの談合決別宣言の前の案件であり、現状を糺す話ではない。そこを見据えて、やるにしてもいつまでやるとか、事件の軽重に応じたメリハリのあるやり方が必要だった」

 ――特捜部の捜査方針をめぐっては、土地取引の事件でも、ゼネコンマネーの立証にこだわりすぎではないか、と検察の内外で議論があったようです。

 「石川議員の事件としてさっさと処理し、小沢さんの資金に関心があるのなら別の対応があったように思う」

 ――事件の背景として、小沢さんの巨額のタンス預金の存在が取り沙汰されました。とかく不透明との噂のある過去の政党交付金の流れなどについて国税当局と協力して別に捜査し、シロクロをつけるのが筋、ということですか。

 「いろいろ考えうるが、コメントしない」

 ■小沢事件

 ここで小沢一郎・民主党前幹事長の政治団体の政治資金規正法違反(虚偽記載)事件を簡単に整理しておく。

 小沢事件は、民主党が野党だった2009年3月に東京地検特捜部が摘発した「西松建設事件」と、総選挙、民主党政権発足をはさんで2010年1月に摘発した「陸山会の土地取引事件」の2つの事件からなる。

 最初の西松建設事件は、公設第1秘書の大久保隆規が、会計責任者を務める小沢氏の資金管理団体「陸山会」などを受け皿に準大手ゼネコンの西松建設(東京都港区)から2003年から2006年の間に計3500万円の献金を受けたが、政治資金収支報告書には西松建設OBが代表のダミー団体からの寄付とする虚偽記載をしたとされる事件。

 事件の発端は、西松社内の内紛だった。内部告発を受けた特捜部は、同建設が総額20億円以上にのぼる裏金を作っていたことを突き止め、2009年1月、社長らを逮捕。その供述などから小沢側への献金偽装をつかんだとされる。

 政権交代間近と多くの国民が受け止めていた時期の着手だった。当時、野党第一党の民主党代表の小沢は「政治的にも法律的にも不公正な国家権力、検察権力の行使だ」と怒りをぶちまけ、それがきっかけとなって、一部メディアと検察OBが捜査を厳しく批判した。

 検察は公判の冒頭陳述で、小沢事務所が岩手、秋田両県の公共工事で大手ゼネコン幹部を仕切り役とする談合組織に介入。大久保は、本命業者を決定する「天の声」を出す役割を担い、岩手県のダム工事でも西松建設の受注を了解していた、とするなどして偽装献金の悪質さを強調した。

 これに対し、大久保側は、「あくまで政治団体からの寄付であり、西松建設からの寄付だとは思っていなかった」と起訴内容を否認。検察が指摘した「天の声」については、小沢側に受注業者の決定権などなかった、と主張した。さらに、「表献金」の名義人をめぐる虚偽記載の摘発例はなく「公訴権の乱用」と無罪を主張している。

 一方、陸山会の土地取引事件は、陸山会が2004年に購入した東京都世田谷区の宅地の取引にからみ、同会の収支報告書が偽装されたとされる事件。土地の購入原資となった小沢からの借入金4億円が04年分の政治資金収支報告書に収入として記載されず、土地代金約3億5千万円の支出も、実際の04年ではなく05年に支出されたように収支報告書に記載された。また、小沢からの4億円は07年に陸山会から返済されたが、収支報告書にはその旨の記載がなかった。

 市民団体が2009年11月、秘書の石川、大久保、池田光智の3人を告発。特捜部は10年1月、石川ら3人を政治資金規正法違反(虚偽記載)容疑で逮捕。別の市民団体から告発を受けた小沢についても任意で事情聴取したが、小沢は、陸山会に貸した資金を「個人資産」と説明した。

 特捜部は10年2月、石川ら3人を起訴したが、小沢については、虚偽記載について小沢から具体的な指示があったとする石川らの供述が得られず、共謀認定するだけの証拠はないとして、不起訴処分(嫌疑不十分)とした。

 これに対し、市民団体が検察審査会に審査を申し立て、2004、05年分の虚偽記載の容疑を審査した東京第5検察審査会は4月27日、検察の小沢に対する不起訴判断は不当として「起訴相当」の議決をした。一方、07年分の虚偽記載の容疑を審査した第1東京検察審査会は7月15日、「不起訴不当」とし、検察に再捜査を求めた。

 検察審査会は、くじで選ばれた11人の有権者が、検察官の不起訴処分が妥当だったかどうか審査する。11人中6人以上が不起訴でいいと判断すると「不起訴相当」▽6人以上が納得できないと判断すれば「不起訴不当」▽11人のうち8人以上が起訴すべきだと判断したら「起訴相当」となる。

 司法制度改革で法改正され09年5月から、ひとつの事件で「起訴相当」の議決2回が出た場合、容疑者は強制的に起訴されることになった。一方、「不起訴不当」の場合は、検察が再捜査し再び不起訴にすると、そこで事件は終結する。

 検察の再度の不起訴判断を受けて2回目の審査に入っている第5検審の判断に国民の関心が集まっている。

 ■金丸ヤミ献金事件の連想

 ――佐渡さんは、1992年に金丸信・自民党副総裁の5億円ヤミ献金事件を摘発しています。当時の政治資金規正法は穴だらけだったから、大変だったのではありませんか。ヤミ献金事件やその前のリクルート事件の摘発が契機になって法の不備がクローズアップし、改正が行われていまの規制になったわけですね。

 「5億円のヤミ献金が報道されたあと、金丸さんは、カネは個人として受け取ったと自ら公表した。これが厄介だった。政治団体で受け取っていれば、禁固刑のある虚偽記載で訴追できるが、個人だと、虚偽記載の罰則がなかった。だから量的制限違反で摘発するしかなかったんだが、こちらは罰金しかない。しかも最高限度が20万円だった。最高額の罰金はとったが、確認団体の報告書の虚偽記入で公判請求した新潟県知事との比較で『強いものに弱い検察』とたたかれ、ペンキをぶっかけられた」

 「当時は、政治家は政治団体をいくらでも自由に作れた。カネがどの団体に帰属するのか立証が難しくてだめになるケースが多かった。新潟の知事が受け取ったカネは選挙がらみで、かつ受け皿は確認団体ひとつだけ。だから立件できた。法規制に難があったので、運・不運みたいなところはあったね」

 ――小沢さんは、金丸さんの子飼いだった。金丸脱税事件に続くゼネコン事件では、自らもゼネコンからの献金疑惑で検察のターゲットになりかけました。そういう経緯があるから、今回の事件が秘書の献金偽装だけで終わるという確信が持てなかったのかもしれませんね。秘書の不正を認めると、世論の風向きによっては、代表を辞め離党せざるを得なくなるかもしれない。金丸さんは、党の役職を退き、議員辞職したあとに逮捕された。ただの人になれば危ないと思い、徹底的に戦ったのではないでしょうか。

 「そうかもしれない」

 ■政治資金規正法が抱える構造的問題

 ――それにしても、政治資金規正法違反事件は、すっきりした事件になりませんね。政治資金規正法そのものに問題があるのでしょうか。情報開示義務違反を重視するという点では、市場監視の武器となる金融商品取引法(旧証券取引法)にも通じるところがあるような気がしますが。

 「政治資金は、政治活動の自由と直結する大きな問題で、人それぞれに考えがあり、なかなか一概にはいえないが、僕は、政治資金集め自体は自由にし、その代わり、収支は1円から開示して透明性を高めるのがよいと考えている」

 「ただ、現実の政治資金規正法は、企業のカネにからむ政治腐敗事件が摘発されるたびに、企業からの金集めを規制する方向の法改正が次々と強化されてきた。企業献金は禁止し、それに代えて個人献金で賄う、という方向だ。しかし、個人献金に頼るのは難しく、結局、企業献金を減らした分は、国のカネによる政党助成金で賄うことになった。国のカネを使うんだから一層、取締りを強化すべき、となる。そうなると、検察の出番になるわけだ」

 「政治献金をワイロと同じような考えで規制し、政治資金規正法が取締法的になっちゃったのが不幸。この辺を整理しないと、政治資金規正法の扱いは、実に難しく厄介なものになる。形式犯も実質犯も、犯罪は犯罪。検察は事件を摘発するたびに、恣意性を云々される」

 「そこを解決するには、例えば、行政的なチェック機関を設けて政治資金の収支報告を厳しくチェックし、形式的な違反は行政的に制裁し、報告書に載せてこない不記載的なものだけを処罰対象にすることなどが考えられる」

 ――市場における監視委のようなイメージですね。しかし、政治資金規正法の主務官庁になっている総務省は、届け出を受けて形式的なチェックをするだけで、献金偽装の内容には一切、踏み込みません。

 「政治の世界は、市場監視のようにはいかないよ。政治活動の自由、三権分立の原則があるから、行政機関である総務省が政治活動そのものである政治家の収支報告の内容に踏み込むのは無理だ。政治活動の自由との関係をちゃんとクリアした機関にしないと機能しない。それに政治活動という微妙な世界の話だから、変な機関をつくると、いい時はいいが、政治主導という名においてどんな圧力がかかるかわからない」

 「政治活動の自由は政治資金集めの自由でもある。ところが、一方で、政党助成金に移行させようという流れがある。国家のカネで政党を助成すれば、政治資金の世界はきれいにはなるだろうが、果たしてそれが民主主義かね」

 ――検察の政治資金規正法の解釈が政治家寄りすぎだと感じる時もあります。日歯連事件がそうだった。自民党の資金管理団体「国民政治協会」を利用した迂回献金を贈収賄罪に問うべきだとの捜査現場の意見を検察首脳は受け容れなかった。私は、現場の意見が正しいのではないかと思っていました。

 「いや、僕は、特にそのようには思わない。判例は、収支報告書に記載したカネでも請託との対価性あればわいろとしているが、収支の透明性が徹底するならば、報告書に正確に記載されたカネはわいろではないとした方がよい、と僕は考える。そこからもれたものを摘発するのがあるべき姿。政治資金規正法でいえば、不記載だな」

 ■特捜検察の「劣化」?

 「それより、最近、東京地検特捜部が摘発した特別背任事件が無罪になった。あんなの、ちょっと記事を読んだだけで『これが背任かね』と疑問を持つような話だった。経営の実態をある程度知っていれば、すぐわかる。法律議論なんかしなくても結論が見える一般常識の問題なんだ。そういう話を起訴するのは、検事の感覚がおかしくなっているのか」

 ――PCI事件ですね。あれは、佐渡さんの特捜検察時代の上司だった石川達紘弁護士が、被告の経営者の弁護人だった。石川弁護士らは、検察の強制着手前に、被告から相談を受けた段階で、裁判所の認定と同じような理由で事件は立たないと公言していたようです。ただ、ベトナム政府高官への不正競争防止法違反(贈賄)を摘発したことについては、一定の評価ができると思います。

 「大阪特捜部が摘発した厚労省元局長の村木厚子さんの事件はもっと大変だ」

 ――あれは、検察が論告する前から無罪確実といわれていましたね。特捜事件では極めて珍しい。捜査の流れをみると、検察は、厚労省幹部に対する政界からの圧力があり、それを受けて厚労省側が虚偽の有印公文書を作成、交付したーと見ていたようです。ところが、政界ルートは潰れ、村木さんの事件を落としどころにした。ところが、事件の骨格部分の証拠として検察が提出した検事調書の大半を、裁判所がボツにした。これも珍しい。普通は、証拠採用し、最終的に公判証言の方が信用できる、として無罪にしますよね。裁判所がよほど検察に対して悪い印象を持ったのでしょうね。証拠採否の決定書で、検事の誘導など取調べに問題があった、と検察を断罪しています。判決の書きぶりにもよるでしょうが、取調べの可視化議論が一気に盛り上がる可能性もありますね。

 「政治家ルートをできなかったところで、そもそも捜査は失敗している。捜査のどこに問題があるのか知らないが、組織で捜査している以上、指揮ラインのどこかに欠陥があったということだ。その人の問題だよね。どうして、ああいうことになったのか、検察としては相当の危機感をもっているようだ。事実調査もやっているのでは」

 ――無罪の出方にもよるが、検察は、それこそ、外部の調査委員会を作って調査して事実関係を明らかにし、問題があれば処分もし、きちんと公表するぐらいの覚悟が必要ですね。そうしないと、特捜検察に対する信頼はゼロになる。

 「まあ、外部かどうかはわからないが、調査して、どこかで公表するんでしょ。あの事件は、個々の検事や副検事が、みんないい加減だったという話ではないと思う。指揮系統のどこかに問題がある。そうでないと、あんなふうにならない。個々人がおかしくなって、ああいうふうになったという話ではない」

 ――部長か、副部長か主任か、というところですか。仮に、そこで線が引いたとしても、特捜の捜査手法に対する疑念は簡単に払拭できないのではありませんか。ほかの事件でも同じような話があるのではないか、という声が当然出る。すべての特捜事件をチェックしろ、という話になりかねません。佐渡委員会が情報の流れを整理してうまく回り始めたように、検察も、いちから特捜検察の情報の流れを再構築するぐらいの覚悟が必要ではないでしょうか。

 ■波瀾万丈の検察人生―挫折と復権

 証券取引等監視委員長という、検察とも密接な公職にある佐渡の、古巣、検察に対する忌憚のない物言いに驚く人がいるかもしれない。

 ここで、そういう読者のために、検事、佐渡賢一の軌跡をまとめてみる。検察に対する佐渡の思いや、スタンスがその中から滲み出ると思うからだ。 

 佐渡の検察人生は、波乱に富んでいる。82年に初めて東京地検特捜部入り。任官11年目。決して早い方ではない。

 6年目の横浜地検で捜査センスを評価され、特捜部へ引き上げるという話もあったようだが、人事の都合で仙台法務局(訟務検事)へ。さらに東京地検八王子支部勤務を経た。

 最初の特捜部勤務時の東京地検次席検事が「捜査の神様」、吉永祐介だった。特捜部には2年いて宇都宮地検に出た。すると、吉永が宇都宮地検検事正として赴任してきた。以後、佐渡は吉永が指揮する特捜事件の捜査や公判で重要な役目を担う。

 「人生で最も働いた」という宇都宮時代には贈収賄摘発で実績を上げた。87年春、東京地検刑事部に異動。88年春、再び特捜部検事。リクルート事件でNTT会長の真藤恒の取調べを担当。さらに、元官房長官の藤波孝生を都内の事務所で取り調べた。このとき、詰めかけたマスコミをまくため乗用車のトランクに入って脱出した。

 90年に「兜町の錬金術師」小谷光浩の「光進」事件に遭遇。後に特捜部長となる八木宏幸を使い、藤田観光株の相場操縦の全容を解明した。91年4月、特捜部副部長。光進事件の延長線上で92年2月、東京佐川急便事件を摘発した。

 特捜部は、同社社長の渡辺広康から自民党副総裁、金丸信に対し、5億円ヤミ献金を提供したとの供述を引き出す。これを朝日新聞がスクープ。金丸は自民党を離党、さらに議員辞職に追い込まれた。結果として、この事件が自民党一党支配体制に対する弔鐘のひとつとなる。

 ここまでの佐渡の特捜検察人生は順風万般だった。ところが、検察首脳の判断で金丸のヤミ献金事件を本人の取り調べをしないで上申書ですませて罰金処理し、検察に世論の逆風が吹いてから雲行きがおかしくなった。

 渡辺公判で、検察側は、複数の自民党国会議員が右翼団体幹部に接触し、元首相、竹下登へのほめ殺しの中止を求めたとする右翼団体幹部の供述調書を朗読した。議員の反論を聞かず、しかも実名を明らかにしたため、議員らは猛反発し、「検察を訴える」と騒いだ。検察側のミスだった。

 佐渡はその責任を問われた。以後、検察部内で佐渡は浮いた存在となり、その後、検察にとって起死回生の事件となる金丸脱税事件からも外れた。

 93年4月刑事部副部長に。これは事実上の左遷だった。直後に胆石を患った。特捜時代の無理のつけが一度に回ってきた。入院して手術を受ける。そこで看護師から親身に世話をしてもらったことで佐渡の人生観が変わる。

 それまでの佐渡は、無口で通っていた。自分のやりたい仕事に集中するあまり、部下や同僚に対する気配りをあまりしなかった。部下に指示する場合も、ポイントを記したメモを渡すだけのことがあった。

 参考人からいい供述がとれた、と電話で報告する部下に対し、慰労の言葉もなく、「ああ」「おう」。ついには「こっちが命がけで調べとるのに、その態度は何や」と怒鳴り込む部下もいたという。

 佐渡は、病床で、いかに自分が身勝手だったかを深く反省する。「他人」に対する思いやりの大切さを知る。以来、佐渡は、人なつっこくなり、時に饒舌になった。

 1審無罪のリクルート事件・藤波ルートの控訴審で逆転有罪を勝ち取った後の97年4月、東京地検刑事部長。ここで佐渡は、行政手腕を発揮する。警視庁の送検事件をそれまでの地域割りから罪種別に整理し、合理的な運用に変えた。刑事部は活性化し、警視庁は喜んだ。その仕事ぶりが法務省幹部に注目される。秋田地検検事正、最高検検事を経て2001年4月、東京地検次席検事に抜擢される。

 東京地検次席は、東京の検察のスポークスマンであり、検事長以上の処遇が約束される顕官だ。異例の復活劇だった。

 次席時代には、鈴木宗男事件の捜査を指揮した。その後、京都地検検事正を経て大阪地検検事正に。そこでハンナン事件の捜査を指揮する。初めて本格的に食肉利権にメスを入れた画期的な捜査だった。札幌高検検事長を経て06年5月、福岡高検検事長。最高検の談合罪適用方針を受け、宮崎県警が宮崎県知事を競売入札妨害などの容疑で摘発する背中を押した。

 司法修習2期上で検事総長になった但木敬一は、事件でも行政でも「異才」を発揮する佐渡を高く評価していた。但木は、監視委を、市場化社会に対応する制裁システムの重要な砦と見ており、そのてこ入れのために佐渡を切り札として送り込んだ。

 佐渡を語るときに忘れてならないのが、登山である。少年時代から山が好きだったが、本格的に登山を始めたのは、2000年、秋田地検検事正時代、世界遺産の白神山地を訪れてから。以後、赴任先で山歩きを続けてきた。今も毎週末のように仲間と山に出かける。沢登りも始め、本格的な山男になりつつある。

 山の専門誌「山と渓谷」(900号)で「仮説を立てて検証していくという点では、地図上の情報を自分なりに組み立てて検証する山登りも、捜査も、同じかもしれない」と語っている。

 ■「元凶は裁判員制度」?

 「いま、捜査を含め、検察で起きている様々な不具合の原因は、裁判員制度にあると思っている。僕の計算で行くと、裁判員裁判には従来の公判担当検事の3倍の人員が必要だ。公務員制度改革で検事が増員される状況ではない。そういう中で、負担の大きい制度を抱え込んでしまった」

 「裁判員裁判をスムーズに立ち上げるために優秀な検事を優先的に配置した。連日開廷でしょ。検事2~3人の立会い以外に、翌日のための準備で、さらに後ろに2~3人並ぶ。しかも争いのない事件でそれ。これから否認事件など難しい事件が公判にかかってくると、もっと人がいる。3日なんかでは終わらない。どう考えても、これからも捜査に振り向けられる人員は少なくなる。検察が裁判員裁判中心の体制でこのまま行けば、捜査検事は育たない」

 ――かつては、東大、京大出の幹部候補生以外は、地方の検察庁でいい仕事をすると、まず特捜部に引き上げられ、そこが出世の登竜門になった。やる気のある検事の多くは「特捜志望」だった。それが特捜検察の活力の源でした。いま特捜検察は3K職場視され、裁判員裁判を担当する特別公判部が人気だと聞きます。

 「(裁判員裁判によって)大きなシステム上の変化が起きている。検察の捜査は、裁判員に理解してもらうための資料づくりになった。公判中心主義になっているんだ。捜査は基本的に警察にゆだね、検察の仕事は、警察の捜査を公判向けに加工するような仕事になる。特捜検察を中心とする検察の独自捜査権の行使は、それとは逆のベクトルだった。そういうような大きな方向転換を、国民が容認するかどうかの問題なんだ」

 ――しかし、裁判員裁判は施行され、もう後戻りはできない。結局、そちらの方向に動かざるを得ないのではないですか。

 「刑事司法の中心を裁判員裁判の方に移すと決めれば、検察の役割は変わってしまうんだということを考えないとね。特捜検察を含め、戦後営々と受け継いできたた伝統の共有があるうちはいいが、これが失われた時に、検察がなくしたものの大きさがはっきりする。5年もすると、検事の意識も様変わりしているのでは、と危惧している」

 ――検察首脳らにそういう危機感はあるんですか。

 「そうは思ってないでしょ。検察が国民から信頼を勝ち得ていたところ、例えば、特捜検察や刑事、公安検察が活躍していたころの仕事の品質を、裁判員制度になっても維持できると思っている。検事の増員が無尽蔵にできるのなら、それも可能だろうが、とても期待できる話ではない。そこでこれまでの何が失われるのか、そろそろ検証する必要があると思う」

 ――検察の捜査力の劣化は、刑事司法システム全体の品質維持にとっていい話ではありません。市場監視にとっても、ラストリゾートの検察の捜査が弱体では制裁効果が上がりません。特捜検察の真相解明力に対する国民の期待は根強い。それを放棄はできないでしょう。かといって、裁判員裁判をいまさら全部ひっくり返すのは困難です。

 「いまさら廃止はできない。だから、ありうべき方法は、裁判員裁判の対象事件数をどうやって減らすか、だ。制度見直しのときに、対象事件を大幅に絞り込む。さらに、被告人に、裁判員裁判か裁判官裁判かを選択する権利を与えれば、だいぶ減るのではないか。そうすると、人員配置に余裕が出て、捜査経験を積んだ優秀な検事を多数、特捜部などに配置できる」

 ――日本がモデルにした米国の陪審裁判ですが、陪審で扱うのは、事件全体のたった1割といわれています。9割は、裁判官の前で弁護人と検察官が交渉し、被告が罪を認める代わりに量刑を軽くしたり、他の罪の起訴を取り下げたりする「司法取引」で解決しているようです。陪審員になる市民の負担も被告や国の負担も少ない。だから、米国の刑事司法システムはコストの面で回っている、というのが実態でしょう。

 「そうなんだ。ところが、日本の裁判員裁判では、争いもない事件から極端に難しい事件まで全部やっている。国民の負担も大きいし、いろいろな意味でコストがかかりすぎているように思う」

 ――そういう話は、そもそも、裁判員制度の制度設計の議論の過程で予測できたのではないですか。佐渡さんは現職時代に検察首脳や法務省幹部にそういう意見を具申したのですか。

 「『公判に人がかかるよ』といった。そうしたら、『裁判員対応で人が増えていくから大丈夫だ』という説明だった。本当にそうなるのかな、と思っていた」

 ――それは甘かった。(笑い)公務員削減の大きな政策トレンドがある。検察だけ増員ということはあり得ない情勢です。

 「検察という役所は、個々の事件をどうやって工夫したら、ものにできるか、と考えるのが習い性になっている。全体として、どの部門に人がどのくらい必要か、という発想がない。仮に頭に浮かんでも後回しになる。とりあえず、裁判員制度の導入について細かな手続きに集中してしまう。そして導入されると、日々の対応に必死で、全体像がどんどん見えなくなる」

 ――裁判員制度は、時間とコストをかけて設計した、と思っていたが、現場がそんな感じだったとは。そういう中途半端な姿勢で司法制度をいじってしまって大丈夫なのか、と心配になります。

 「警察なんか、黙ってても、検事が捜査から手を引いていく構造だなと見ているでしょ。きっと」

 ――警察は、第一次捜査権をめぐる検察との綱引きの歴史があります。半分ぐらいうれしいのでしょうかね。

 「どうかな。これからの検察は、警察に肩入れして捜査でアドバイスする、一緒になって被疑者を取り調べるような検察ではなくなるのではないか、との覚悟はしているでしょう。警察にとって、捜査の環境がそのような意味でも難しくなるという懸念はあるでしょう」

 ――裁判員裁判は、国民に裁判に参加してもらうことで身近の治安意識を高め、全体の治安コストを引き下げるという狙いもあったと思います。従来の裁判システムと比較してそういう効果は出ていますか。

 「結局、裁判員を入れたからといって極端に無罪が出たり、量刑がとんでもなく飛び跳ねることはない。想定内の範囲です。裁判員裁判による制裁が治安維持に果たす効果は従来と変わらない。国全体として見ると、国民が参加することによる制度と運用変更のコストが高くなっただけだ。その観点から制度を見直すことも必要ではないか。特捜部や刑事部がやるべき事件をできなくなったマイナスの面が大きいのではないか」

 ■検察審査会と検察捜査

 ――さて、検察審査会の問題です。明石歩道橋事故、JR西日本福知山線事故で相次いで検察審査会の強制起訴が発動されました。小沢事件でも1回目の起訴議決があった。検審の強制起訴は、裁判員裁判と同じ「司法への国民参加」の思想で導入されました。しかし、いざ導入してみたらその破壊力はすさまじい。JR事故では、歴代3社長が刑事被告人になりましたが、従来の検察の訴追の判断基準ではあり得なかったことです。小沢事件でも1回目の起訴相当が出ただけで政界に激震が走った。インパクトは裁判員裁判の比ではない。制度改革にかかわった多くの人たちにとっても、想定外だったのではないでしょうか

 「JR西日本の事故では、検審の前に、神戸地検が、事故の8年前に安全担当部長だった山崎正夫社長(当時)を業務上過失致死傷罪で起訴した。歴代社長はその共犯に問われた。8年間、列車は毎日走り続けていて事故は起きなかった。その間、危険を認識しながら放置していたといえるのだろうか。事故の直接の原因は運転手の重大な過失であることが明白だから、検察としても公訴の維持は相当の困難が予想されるね」

 ――あの事件は、2008年暮れまで最高検では間違いなく消極意見が有力でした。現場の神戸地検を管轄する大阪高検が「あれだけの大事故なのに誰も刑事責任を問わないのは理不尽だ」と訴追に積極的で、最高検を説得して強制捜査に踏み切り山崎氏を訴追した。検察部内では非公式ではあるが、いまだに「あれは無理な起訴だったのではないか」との声がある。検審の強制起訴の前提になった山崎事件でさえそういう状況ですから、検審起訴事件の方も、検事役の弁護士さんは公判維持に苦労するのではないでしょうか。

 「裁判員制度も検察審査会の強制起訴も、部分、部分でその改革の方向は間違っていない。しかし、刑事司法全体で見ると、おかしな方向に向かっている。従来の刑事司法の根幹部分を壊しているように思う。そのつけは大きいよ」

 「検察が不起訴にする。その処分に国民の不満がたまる。不満は検察審査会に向かう。検審が起訴議決し、指定弁護士が公判維持する。そういうケースが増えてくると検察審査会は検察にとって代わってどんどん大きな存在になるかもしれない。それだからといって、検察が起訴・不起訴の判断基準を変えるわけにはいかないだろう」

 「ただ、起訴猶予の運用は、これまでに比べ確実に硬直化するだろうね。公訴権の運用が二分されるような事態だ。いずれにしても、強制起訴された事件にどのような判決が出るのか、見ものだ。その時、方向が決まる」

 ――小沢事件は、検審の審査員11人全員が起訴に票を投じたと一部で報道されました。事実なら、検察に対し「政治的判断で不起訴にした」との疑いを突きつけた形です。反対に、村木事件は、起訴してはいけないものを起訴した疑いが指摘されている。検察に対する国民の不信が高まると、不起訴に対する審査だけでなく、いっそ起訴判断そのものに、国民に参加してもらった方がいいのではないか、という話になりかねない。米国の大陪審のようなシステムですね。しかし、大陪審のルーツの英国では、大陪審ではうまくないというので1940年代に廃止され、米国でも採用する州が減っているらしい。歴史的にみると成功した制度とはいえないという意見もあります。

 「どういうものになるかは別にして、検察はどんどん公判専従的になっていく。ただ、政治腐敗や経済秩序にかかわるような大事件は常に起きるから、特捜検察的な機能を備えた捜査機関は必要だ。特別な目的の捜査機関をつくろうということになるのではないか。そういう形で特捜がやってきたものを補完することになる。検事出身者としては、そうなる前に捜査部門の人材拡充を図り、国民の期待に応える特捜検察を維持し、さらに飛躍してもらいたい」

 ――特別目的の捜査機関というと、政官界やマフィアの組織的な不正を摘発する米・FBIのタスクフォース・チームのようなイメージですか。

 「スキームの作り方はいろいろあるだろう。いずれにしろ、検察がいまのような構造にはまり込むと、これまでやってきた特捜機能は果たせないことは間違いないのではないか」

 ■検事の役割と再構築に向けて

 ――いずれ特捜検察の存否をめぐる大議論が起きる可能性がありますね。日本人は「遠山の金さん」的浪花節、すなわち検察権と裁判権を握った「お上」が真相を解明し悪人を懲らしめる物語が好きですから、それとイメージの重なる特捜検察を簡単に捨てて別のもので代行する道を選ぶとはは思えませんが……。それはさておき、喫緊の課題は、いま不調の特捜検察をどうするか、です。ラストリゾートの検察がしっかりしないと、市場にしめしがつかない。いろんな困難はあるが、とりあえず、いまの検察を建て直す必要がありますね。

 「特捜検察が仕事をするための基盤というか、検事がものを見る『足場』が細っているのではないか。ものごとを的確に判断する情報能力(インテリジェンス)が足りないということだ。もっと、情報を豊富にして、問題点を早く正確に見抜く能力を磨き、目の前にある事件の軽重を見極めることが必要ではないか」

 「捜査情報の端緒を、同じ国の機関である、国税当局やうちから得るという発想に立つべきだ。国税当局や監視委はそれぞれの組織の目的に応じ、経済社会の最前線で起きていることを扱う。ワルとの知恵比べを通じて、経済社会の歪みの本質が見えている。巨悪はそういうところに潜んでいる。こちらから見ると、検事が独自捜査で扱う事件が、本当にちっちゃく見える」

 ――国民が特捜検察に求めているのは、国や経済社会の根幹にかかわるような権力犯罪の摘発です。国税当局や監視委の持つ情報は、検察にとって宝の山でしょうね。しかし、行政目的で得た情報は捜査目的には使えない。監視委や国税当局が、そういう情報を刑事告発できるところまで、どうやって煮詰めていくかも大きな課題ですね。

 「検察は公訴権を適切に行使する。それが役割だ。ただ、僕にいわせると、公訴権の適切行使というのは、独自捜査を適切に行うことだけではなくて、警察の捜査や、調査機関の刑事告発で寄せられる情報を糾合、調整し、より本質的で深い問題を掘り起こすことも含まれる」

 「例えば、我々監視機関が、与えられた権限で解明できるのは、流通市場、発行市場を舞台にした事件に限られる。そこでつかむ情報は、ワルたちがやっている不正な活動の一部であることは間違いないが、それはやはり一部でしかない。同じワルたちを、警察は別の切り口の犯罪、例えば恐喝や出資法違反の形で追いかけているとする。国税当局も同様に税法違反で追いかけているとする。それぞれの機関は、基本的に横の連携はとらず、大きく見ると、ワルがやっていることのパーツに過ぎないんだが、それぞれが『完成品』として検察に事件を持ち込んでくる。いまの検察は、概ね、縦割り的にその事件を受けて処理することが多い」

 「検察は、それぞれの機関が寄せる情報をすべて知りうる立場だ。その気になって、それぞれの情報を集約すればワルたちの不正の全体像が見える。まったく違う事件の構図が浮かぶこともある。そこで、司令塔として各機関に適切なアドバイスを送る。警察には、こういう切り口でここを掘れ、国税にはこの企業のこのカネを追ってくれ、などとね。そうすると、さらにより深いところが見え、証拠も集まってくる。見えているワルの背後にいる黒幕まで摘発できる可能性が高まる。各機関もより国民のニーズに応える仕事ができる。そういう検察になってほしい」

 ――それぞれが巨象の断片を追っている。コーディネート役がいれば、もっと全体像が見え、トータルで正しい制裁活動ができるというわけですね。それはいまの刑事司法制度だと、公訴権を持つところが、やるしかない。やはり、それは検察ということになります。

 「検事の仕事は、それぞれの専門機関の情報を集め、その情報から世の中を見ていくのが基本。もっとそういう情報を生かせば、ものごとを幅広く考えられる検事になる。そういう観点で捜査していると、特捜検察の独自捜査事件でも、一本の線で突っ走っるような事件の立て方はしなくなる。逆に、検察が、自分の捜査のため、寄せられた情報の隙間を探そうという雰囲気になると、他の機関も協力しなくなる」

 「従来の検察は、国税当局が告発してくる脱税事件からいろいろな情報を得ていた。いまは、うちなんかも少し、偽計事案みたいな幅広の事件を摘発するから、周辺にある情報量がすごい。そういう、ちゃんとした機関に足場を置いて、きちっとした情報の分析から内偵捜査をやっていくべきなんだ。なんか大海から釣り上げるような話に次々に手をつけるようなことはすべきではないと思う」

 

 佐渡 賢一(さど・けんいち)
 1946(昭和21)年9月生まれ。63歳。北海道旭川市出身。早稲田大法学部在学中の68年に司法試験に合格。69年4月、司法修習生。71年、検事任官。大阪地検を振り出しに、函館地検、横浜地検、仙台法務局(訟務検事)、東京地検八王子支部を経て82年3月に最初の東京地検特捜部入り。宇都宮地検を経て87年3月に東京地検刑事部。88年3月から再び特捜部。91年4月、特捜部副部長。94年4月、東京高検検事。95年4月、同特別公判部長。97年4月、東京地検刑事部長。98年6月、最高検検事。99年7月、秋田地検検事正。2000年6月、最高検検事。01年4月、東京地検次席検事。02年10月、京都地検検事正。04年1月、大阪地検検事正。05年4月、札幌高検検事長。06年5月、福岡高検検事長。07年7月に退任し、証券取引等監視委員会委員長に就任。今に至る。