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(3) 子どもの進学塾変更にご用心

滝沢 隆一郎

 (ある父親から聞いた話)

 長い間、夏の暑さがつづいた。家の近所の公園に行っても、人影はまばらだ。ふた昔前のように、子どもたちが遊ぶ姿はない。

滝沢 隆一郎(たきざわ・りゅういちろう)
 1966年生まれ。弁護士。架空の保険会社を舞台にした小説『内部告発者』で2004年に第1回ダイヤモンド経済小説大賞(現・城山三郎経済小説大賞)を受賞。「滝沢隆一郎」はその際のペンネーム。弁護士としては、商取引、営業秘密保護、リスクマネジメントなどに詳しい。また、脚本協力・法律監修で約40作品のテレビドラマ制作等に関与している。

 山下博志さん(以下、いずれも仮名)の住む東京近郊の新興住宅街は、教育熱心な地域で、長男・光輝君(11歳)の小学校で進学塾に行っていない生徒は、ほとんどいないという。

 進学塾の方も、少子化で生徒1人あたりの単価を上げる必要があるせいか、小学6年生の夏休みともなると、1週間の夏期講習を2~3種類もとるのが普通のようだ。

 長男の同級生の中には、家庭教師代も含めると、子どもの教育費だけで、月10万円を超えている家もあるらしい。

 受験戦争なんて言葉は、慣れすぎて聞かなくなったが、ある進学塾をめぐって、ちょっとしたトラブルがあった。

 ■カリスマ講師の独立

 山下博志さんの自宅に1通のダイレクトメールが届いたのは、長男の5年生の年度が終わる3月初旬。

 初めて聞く中学受験予備校からで、塾の名前は「田沢塾」、4月の新学期から、駅前のビルに開校するらしい。

 「少人数制による徹底指導」、「英明義塾中合格のための真のエリート教育」などの言葉が並ぶ。

 志望中学の試験問題を整理していた妻に見せると、

「あなた、大変よ。田沢先生の塾じゃない」

と大きな声を上げた。

「なんだい。田沢先生って」

「光輝の5年生のときの塾の先生よ。そんなことも覚えてないの。今年は、光輝の一生を決める重要な年なんだから、あなたもしっかり協力してください」

「その田沢って先生が、新しく塾を作ったのかい。まあ、光輝の成績も安定しているようだし、今の塾のままでいいんじゃないか」

「何を言っているの。田沢先生は、英明中受験のカリスマなのよ。こうしちゃいられないわ。定員になる前に、早く申し込まなきゃ。あなた、4月から小遣いは半額にしますから」

 妻は、興奮して話しつづけ、一流企業に勤める山下さんの小遣いは、一方的に減らされた。

 ■独立の影響

 人気カリスマ講師が新たに塾を開設する話は、受験生を持つ親の間で、あっという間に広まった。

 受験予備校は、合格実績と生徒の評判が重要だが、その点、田沢の人気は、その地域でよく知られていたものだった。

 もともと田沢は、英明進学インスティテュート(略称AMIS)という学習塾に勤めていた。

 AMISは、それまでの教科書中心の受験指導だけでなく、過去問の重要部分だけを徹底的にパターン化する当時としては斬新な方法を考案して採用し、英明中に大量の合格者を出し、有名進学塾となった。

 田沢もその塾から英明中に進み、大学進学後、アルバイト講師として手伝いながら、独自のパターン方式の作成に関与してきた。

 田沢塾は、AMIS本校から200メートルと離れていない駅前ビルに開校し、AMIS講師4人も、田沢を慕って移籍してくるという話だった。

 国語、算数、理科、社会、6年生だけでも成績順にクラス分けが必要であり、田沢をサポートする講師は必要不可欠である。

 さらに、田沢塾では、新学期から2カ月たって講義に納得できなければ、前払い授業料を全額返金すると打ち出した。

 これは、マーケティングにおける「サービスの100%保証システム」という手法である(中沢康彦『星野リゾートの教科書』日経BP社、90頁参照)。

 どうやらダイレクトメールは、田沢が教えていたAMISの上位半分の成績優秀者のみに発送されたものだったようである。

 この結果、なんとAMIS本校に通う6年生の成績優秀者の半数近くが田沢塾に申し込みをした。

 ■独立された側の反撃

 面白くないのは、優秀な生徒だけ奪われたAMIS創業経営者の宮川智史である。

 田沢が小学生のときから教え上げ、在学中からアルバイトを世話し、現在も塾講師としては十分な報酬を払ってきた。

 それこそ実の弟、息子同然にかわいがってきた。

 田沢が、元塾生の未成年と関係を持ったときの後始末をしたことだってある。

「飼い犬に手を咬まれるとは、このことだ。田沢が市議会選挙に転出すると言うから、快く退職も認め、餞別を包んでやったんだ」

 宮川は、有能な秘書に、田沢への対抗策を、何でもよいから、金に糸目もつけず、徹底的に行うように命じた。

 具体的には、田沢塾の情報収集。使用する教材やテストは、AMIS時代の教材を無断流用していないか。

 田沢塾からの転校生は誰で何人か。AMISの塾生の住所氏名を記載したパソコン・データにアクセスした証拠はつかめないか。

 経営母体の新設会社の調査、必ずいるはずの資金提供者は誰か。私生活も含め、24時間の尾行を命じたともいう。

 さらには、親しい父母を通じて、田沢や退職講師たちの下世話な噂話を、あることないこと吹き込んだ。

 曰(いわ)く、田沢は、気に入っていた元塾生が女子高生になると、手を出すらしい。

 講師の何某は、大学時代におかしな自己啓発セミナーにはまって中退し就職できなかった、今でも生徒の親を勧誘しているらしいなどなど。

 これらは、相談した弁護士の指示だった。

 最近は、闘争心を前面に打ち出した派手な広告をする法律事務所もある。その名もファイティング・スピリット法律事務所。

 依頼者の利益のためなら、強硬な法的手段、攻撃的な事件処理をいとわぬ傭兵部隊を名乗っている。

 所長弁護士の赤井富士三は、年若く、髪は短く刈り込み、無精ひげを生やした強面(こわもて)だ。

「お世話になった恩人を、後ろから斬りつけるようなやつは、許しておけません。名前のフジゾウは、富士山ではなく、不死身のフジゾウ。私たちに、任せてください」

 ■田沢塾の失敗

 田沢塾の教材やテストは、田沢自身が作成したものである。その中には、当然ながら、AMIS講師時代に作成したものに似通っているものも含まれている。

 また、講師の中には、オリジナルで作れという田沢の指示にもかかわらず、授業開始まで日数がなかったため、手抜きでAMISのテキストを丸写しした不届き者もいた。

 陰口は、そよ風のように伝わり、やがて大嵐となる。

 田沢の公私にわたる噂話は、生徒の母親の間や大手SNS(ソーシャル・ネットワーク)の地域サイトでも広まっていった。

 闘争心の塊の赤井弁護士は、田沢塾の経営会社と田沢個人を相手に、塾生の違法な横取りと講師の引き抜きなどを理由とする高額な損害賠償訴訟だけでなく、著作権侵害に基づく田沢塾教材の使用差し止めを請求する仮処分を申し立てた。

 AMISのパソコン内個人情報への不正アクセスで刑事告訴もした。遅からず、不正アクセス者が判明する可能性もある。

 さらに、宮川社長と赤井弁護士は、決定打を放った。

 田沢塾の前払い授業料全額返金制度に目をつけ、5月末までに、田沢塾を退塾して前払い授業料の返金を受けた元塾生は、特待生として、6月以降の授業料を半額免除すると発表した。

 山下さんも、こんなトラブルに巻き込まれるのは迷惑だと、授業料の返金を受け、他の大手進学塾に変えることにした。

 田沢も他の講師も、士気が大きくダウンしているところへ、田沢塾は一度に多額の返金資金が必要となり、早晩、経営が立ち行かなくなることが目に見えてきているという。

 かわいそうなのは、山下さんをはじめ、思わぬトラブルに巻き込まれた受験生と親である。

 田沢は、いったい何を間違えたのだろうか。

 (参考判例1)

 学習塾の講師が退職後、学習塾を至近の場

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