2010年10月01日
パワーハラスメントの相談件数が増加している。パワハラは人権侵害につながり、従業員のモラルダウンやメンタルヘルスの影響も無視できない。同時に企業のリスク管理、人材育成、効果的なマネジメントなどの側面にも問題は広がりをみせる。一方、「パワハラ」が声高く言われることで、上司、先輩社員の指導が難しくなり、業務遂行に支障が出るのではないかという懸念もある。風通しのいい活力ある職場づくりは、簡単ではない。企業では従来にも増して真剣に取り組む姿勢を見せ始めている。
日本経営倫理士協会専務理事
千賀 瑛一
■相談件数の急増、企業は無視できず
パワハラは日本でどのくらい発生しているのか――。
厚生労働省では、各都道府県労働局に総合労働相談コーナーを設け、労働者からの相談を直接受け付けている。その件数の統計では「パワーハラスメント」という言葉は使われていないものの、職場の「いじめ・嫌がらせ」という項目があり、これがパワハラに重なっている。この「いじめ・嫌がらせ」件数の推移を見ると、28,335(平成19年度)、32,242(20年度)、35,759(21年度)となっている。企業の集中している東京労働局に限って見ると、「いじめ・嫌がらせ」相談件数は3,317(19年度)、3,937(20年度)、4,319(21年度)となっている。いずれも明確に右肩上がりで増加している。
東京労働局総務部の総括労働紛争担当では、「総合労働相談の中で、この『いじめ、嫌がらせ』は他の相談案件と比べて、うなぎ上りで増えている」と話している。
この急増傾向を無視できず、企業はパワハラ問題に真剣に取り組み始めた。先進的な取り組みをしている2社に現状と課題を聞いた。
■東京ガス、行動基準にパワハラ対応を明記
東京ガス(従業員数7540人)「行動基準」は次のように明示している。
「セクシャルハラスメントやパワーハラスメントなど個人の尊厳を損なうことをしません。またそれらを見過ごすことも許しません」
同社のコンプライアンス部コミュニケーション支援室は2002年、前身の人権啓発室が名称変更して発足した。同室に寄せられた相談件数(2004~2010年7月)の内容をみると、総数370件のうち、パワハラが14.1%、セクハラが6.5%を占めている。
同支援室の吉田博室長は「遺憾ながらパワーハラスメントは増加傾向がうかがえる」と話す。
「背景にパワハラに関する認知度が高まってきたことがあるかもしれません。相談対応としては支援室、各職制、人事、社外相談窓口があります。相談者は社員、準社員、派遣社員、協力企業従業員ら。相談を受けたら、相談者の立場に立って共感することが大切ですし、案件について『白、黒』で決着を急がないようにしています。社員らの知識と意識を高めるため幅広く研修を進めています」
パワハラ研修は階層別、専門コース別、テーマ別など6ジャンルに分かれている。派遣元の管理担当らを対象とする関係会社向け研修も含まれている。研修内容は「パワーハラスメントとは何か」「パワーハラスメントを生まない職場づくり」などで、視聴覚教材やチェックシートを使っている。
同室では今後の課題として、的確なマネジメント、円滑なコミュニケーションをあげている。当然ながら社会的責任の基本として人間の尊厳と多様性の尊重を常に確認、意識しつつ啓発していくことを強調している。
■上司の当たり前……若手に通用するか?
大和ハウス工業(従業員数14000人)では、2005年に発足したCSR推進室がパワハラ問題を担当している。同室の専任職員は6人。この問題を担当している小西淳史課長は「パワーハラスメントへの取り組みが始まったのは、推進室スタート時期とほぼ同じです」と振り返る。
「この問題は、『パワハラとみられる言動』と、『熱の入った指導』との判断基準をどこに設定するか難しい。指導ラインを客観的にどう考えるかが悩むところです。企業によって、その基準ラインは微妙に違ってくることもありうるでしょう」
同社のパワハラ相談は、企業倫理ヘルプラインで受けている。2009年度の相談件数は100件を超しており、そのうち28%がパワハラ相談。
管理職から新入社員にまで対象を拡大して、パワハラに関する情報を発信し、社内で問題点を共有するようにしている。ケースブックやCSRニュースで流している。また、他社のいろいろなケースを集めたパワハラ事例集も配布。さらに自社の事例集も事業所長会議で配布、情報提供している(自社事例集は会議終了時に回収)。事例に自社の考え方も併記している。
研修は原則として、上司・先輩社員(35歳以上)と部下・後輩社員(34歳以下)に分けて実施、テキストも別様式で問題点を明確にしている。パワハラを含むCSR(企業の社会的責任)を幅広く勉強している。今後の課題として同室では「各世代間の意識の違い」を、しっかり理解してもらうことをあげている。「若手社員の当たり前」と「上司・先輩社員の当たり前」の違いを十分認識してもらう。この違いを理解した上で歩み寄る努力をしなければ、と話している。
■パワーハラスメント研究会に参加
BERCは1997年に発足。現在、会員企業は約100社。経営倫理に関する幅広い研究活動を続けており、「CSR」、「ヘルプライン」など15の研究グループがある。「経営倫理士」資格取得講座に協力するなど、日本経営倫理士協会との関係も深い。
16日の研究会には、会員企業の人事、教育、コンプライアンスなどの担当者約30人が参加した。講師はクオレ・シー・キューブ代表取締役の岡田康子氏。講義は、パワハラの原因分析や研修のためのアプローチ方法などについて説明があり、さらに、あらかじめ受講生から寄せられた質問に答えていく形で進められた。受講生から出た質問は計47問で、テーマは「教育・啓発」「対応策」「パワハラ認定」「優秀者・権利者のパワハラ」などと多岐にわたっていた。
教育・啓発に関しては、「若手の自立化を促す」ことの大切さを強調。自立的な人に比べ、依存的な人ほど他者からの影響を受けやすいため、些細なことでもハラスメントとして受け止めかねない。他方、パワハラという観点を強く前面に押し出して研修などを行わせると、上司への責任転嫁が増加する懸念もある。若手に関してはあくまで人材育成の一環としてパワハラ問題を取り上げていくのが効果的と解説した。
対応策に関しては、パワハラを受けた側と行った側とで認識に差異が生じる場合があり、その取り扱いがポイントになる。ここでは初めから「加害者」と決めつけないことが肝要。最初の段階で「被害者と加害者」という構図を描くことによって問題がこじれてしまう可能性があるためだ。パワハラを受けた側は、その事実を頭から否定されると、さらに意固地になってしまう傾向があるという。パワハラの事実認定とは別に、何らかの形で職場内で困っていることは確かであるので、徹底的に話を聞くことから始めるべき、と指摘した。 質問の中に、少人数の職場でのパワハラ通報に関するものがあった。数名程度の職場では、パワハラが起きた場合、通報者がすぐにわかってしまうため、なかなか言い出せないというもの。少人数の職場に限らず、相談窓口の方針を十分に周知することが必要という。「報復の禁止」や「通報後の取り下げ可能」が社内に周知徹底していれば、報復や不利益を恐れて通報できないケースも少なくなるとしている。
BERCのパワーハラスメント研究会は発足して2年目。今年度は5回開催コースでスタート。初回は同研究会のアドバイザーである星野邦夫氏(BERC主任研究員、日本経営倫理士協会理事)が解説。2~4回は、各社の担当者が事例を発表し、意見を交換した。最終回のこの日、専門講師である岡田氏を招いた。
■即効薬はない
星野氏は「企業には従来から人事系、人権系の相談窓口はあったが、パワーハラスメントは組織の上下関係が背景にあり、勤務評価につながる懸念もあるだけに、相談しにくい」と指摘する。
「BERC会員企業を対象としたアンケートの中で、パワハラ問題について調査研究の要望が多く、2年続けてこの研究会を開いている。パワハラ発生時のマネジメントについても、まだ不充分な企業が多い。一方、“壊れやすい社員”が出てくる傾向もあり、各企業は真剣に取り組み始めた」
セクシャルハラスメントには、改正男女雇用機会均等法により、各社のガイドラインが充実してきている。パワハラについては、各社とも手づくりの自社規準で運用しているのが実情だろう。
専門家やアドバイザーは、職場のより深いコミュニケーション、ストレス耐性の強い人材の育成などを解決策として提言している。とはいえ、即効薬はない。組織内の教育研修の強化、関連情報の提供など継続的で地道な取り組みが求められている。
BERCシンポジウム「パワーハラスメント問題と人材育成」
11月16日、「パワーハラスメント問題と人財育成」のテーマで、BERCが主催して経営倫理シンポジウムが開かれる。岡田康子氏が基調講演。パネリストは志村幸久氏(厚生労働省 労働紛争業務処理室長)、森崎美奈子氏(独立行政法人労働者健康福祉機構 東京産業保健推進センター相談員)、武田勝氏(積水ハウス ヒューマンリレーション室長)。パネリスト3氏は、行政、企業、メンタルヘルスの専門家で、多面的な視点から議論を行う。パネルディスカッションのコーディネーターは星野邦夫BERC主任研究員。会場は国際文化会館(東京都港区六本木)。BERC会員は無料、一般は3万円。
〈経営倫理士とは〉
NPO法人日本経営倫理士協会が主催する資格講座(年間コース)を受講し、所定の試験、論文審査、面接の結果、取得できる。企業不祥事から会社を守るスペシャリストを目指し、経営倫理、コンプライアンス、CSRなど理論から実践研究など幅広く、専門的知識を身につける。これまでの14期(14年間)で、377人の経営倫理士が誕生、各企業で活躍している。2011年は発足15年にあたるため、特別シンポジウムなどの記念行事が予定されている。
経営倫理士第15期生講座受け付けは11月ごろから。問い合わせは03-5212-4133へ。
千賀 瑛一(せんが・えいいち)
東京都出身。1959年神奈川新聞入社。社会部、川崎支局長、論説委員、取締役(総務、労務、広報など担当)。1992年退社。1993年より東海大学(情報と世論、比較メディア論)、神奈川県立看護大学校(医療情報論)で講師。元神奈川労働審議会会長、神奈川労働局公共調達監視委員長、日本経営倫理学会常務理事、経営倫理実践研究センター先任研究員、日本経営倫理士協会専務理事。「経営倫理フォーラム」編集長。日本記者クラブ会員。
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