2010年10月11日
(1)放任的自由市場の失敗と国家資本主義の新たな台頭(10/4up)
(2)第三者によるある程度の規制・規律の必要性(10/11up)
(3)リスクをとることの重要性とその促進策(10/18up予定)
(4)取引所の役割 利便性と質のバランス(10/25up予定)
(5)上場企業によって創生される社会の倫理観と正義感(11/1up予定)
世界では現在、政治家による人気取り政策と、学者や保守主義者の倫理観や正義感の二大潮流が合流し、大型金融規制論が展開されている。
我々は今、この二つの、思惑の異なった、しかしどちらも最終的には正義も真理も生み出さないであろうこれらのグループによる金融改革を受け入れさせられる状況にある。
独裁者の喧伝政策に酔って何度か歴史を過った経験を持つ我々は、政治家のこの問題への取り組みというものに対しては少なくとも冷静かつ厳しく対処すべきではないか。
■統制型経済の問題点と一定の規制の必要性
少なくとも世界の経済発展の歴史を検証する限り、資本がその社会の生産効率を上昇させ、資本投入量が豊かさの要素であるということは証明されている。資本の蓄積を促進し、常に相当量の資本投入が自由かつ継続的に可能である国や社会が栄えてきたことを否定することは出来ない。
人類は、自由取引を担保した有効な市場を作ることが、市場参加者の情報の非対称性などで発生する多様な取引の費用を抑制する効果があるということを発見した。もしこれらの費用が取引資産の価値よりも高ければ、本来の価値が毀損して、ひいては社会コストが上がってしまう。これが統制型経済の1つの問題点である。我々が部分的介入や一定の規制を認めながらも統制型経済、統制国家を強く否定する理由はここにある。
従って、我々の課題は、売り手と買い手、つまり需要と供給の交差点をまず求めるにあたり、その過程をどれだけ透明で説明性の高いものにするか、そして、途中で入り込んでくるいろいろなバグ、つまり不必要な取引費用をどれだけ抑制し排除するか、こういうことを探求し続けることである。
別の言い方をすると、非常にバグの少ない、純粋理論的な需給の交差点をまず求め、その点からどれだけどちらの方向へ、社会的な要件や文化や倫理観などを考慮した取引費用によって、あえて意図的に価格決定点を移動させるかという仕事が本当は国、官の仕事ではないかと思っている。
■市場と民主主義の成熟度
我々は、絶対的真理などという金融制度は実存しない
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