2010年11月30日
弁護士 前川 拓郎
第1 MBOに対する一般株主の不満
第2 MBO裁判例における「公正な価格」
株式取得価格決定の申立(会社法172条)は、レックス・ホールディングス事件*4、サンスター事件*5、サイバード・ホールディングス事件*6でなされた。いずれの裁判例も、裁判所が決定すべき「取得の価格」(同条1項)とは、当該取得日における当該全部取得条項付株式の「公正な価格」*7をいうとしている。
1 裁判例は、公正な価格を(1)MBOを行わなくても実現可能な価値(以下、便宜上「株式の現在価値」という)と(2)MBOの実施によって増大が期待される価値のうち既存株主が享受してしかるべき部分(以下、便宜上「プレミアム」という)に分けた上で、その和をもって、「公正な価格」であるとする*8。
上記の枠組みは、平成19年9月4日に経済産業省が発表したMBO指針*9に端を発するものである。
2 株式の現在価値について
いずれの裁判例も市場株価法*10によって株式の現在価値を評価している。
市場株価法では(a)市場株価が対象会社の客観的価値を反映しているか(b)どのくらいの期間の株価の平均をとるか、について慎重な判断が求められる*11。
(1) (a)市場株価が対象会社の客観的価値を反映しているか
ア TOB公表日以降の株価
TOB公表日以降の株価は、通常、TOBの買取価格付近に張り付く。TOB価格での買い取りが見えているからである。TOB公表後の株価が、対象会社の客観的価値を反映していないことについては争いがない。いずれの裁判例も、TOB公表後の株価を評価の対象から除外している。
イ 業績下方修正発表後TOB発表前の市場株価
業績下方修正発表後の株価を評価対象に含めるか否かについては、主にレックス・ホールディングス事件、サンスター事件で問題となった。
(ア) レックス・ホールディングス事件においては、株主側は、業績の下方修正発表後の市場株価を評価対象から除外すべきだと主張し、会社側は、業績の下方修正発表前の市場株価こそ、評価対象から除外すべきだと主張した。
レックス東京地裁決定は、会社側の主張を認め、業績の下方修正発表前の株価は対象会社の客観的価値を反映していないとの理由によって、業績の下方修正発表前の株価を評価対象から除外した。そのため下方修正発表後TOB発表までの市場株価が評価の対象となった。
これに対して、レックス東京高裁決定は、業績の下方修正は企業会計上の裁量の範囲内にある適法な会計処理に基づくものであるものの、決算内容を下方に誘導することを意図した会計処理がなされたことは否定できないとして、業績の下方修正発表前の市場株価も業績の下方修正発表後の市場株価も共に、評価の対象とした。
レックス・ホールディングス事件において東京地裁決定と東京高裁決定の結論に違いが出たのは、本論点に対する見解の違いによるところが大きい。
(イ) サンスター事件においても、業績の下方修正が問題となった。
サンスター大阪地裁決定は、業績の下方修正について適時開示としての正当性を認め、業績の下方修正後の株価も評価対象とした。
これに対してサンスター大阪高裁決定は、業績の下方修正後の株価を排除するのみならず、MBOの利益相反性を理由にMBOの準備を開始したと考えられる時期以降の株価を評価対象から除外した。
サンスター事件において大阪地裁と大阪高裁の結論に違いが出たのは、本論点に対する見解の違いによる。
(2) (b)どのくらいの期間の株価の平均をとるか
各裁判例は、市場における偶然的要素を排除し、会社の客観的な現在価値をより正確に反映するため、一定期間の市場株価をもって基準とするべきであるとする。この点については概ね争いがない。しかしながら、「一定期間」の幅については1ヶ月から6ヶ月までの幅がある。
ア 6ヶ月
レックス事件東京高裁決定、サンスター事件大阪地裁決定が6ヶ月間の市場株価の平均値を採用している。
イ 3ヶ月
3ヶ月間の平均値を採用した裁判例はない*12。
ウ 1ヶ月
サイバード事件東京地裁決定、サイバード事件東京高裁決定が1ヶ月間の市場株価の平均値を採用している*13。
3 プレミアム*14について
レックス・ホールディングス事件、サンスター事件、サイバード・ホールディングス事件、いずれの事件でも、地方裁判所決定と高等裁判所決定で異なる判断手法が採用された。
(1) TOBで付されたプレミアムの合理性を判断する見解
レックス東京地裁決定、サンスター大阪地裁決定、サイバード東京地裁決定が採用した判断手法である。ここでの裁判所の判断対象は、「TOBで付されたプレミアムの合理性」である。プレミアムを客観的にかつ一義的に算出することが不可能ないし著しく困難であることを前提にした見解である。
地方裁判所決定は(1)多くの株主のTOBへの応募や(2)賛同意見を表明する過程における利益相反性に対する配慮、厳しい態度での交渉などを理由としてTOBで付されたプレミアムの合理性を認め、株主の主張を排斥した。
(2) 裁判所が独自にプレミアムを判断する見解
レックス東京高裁決定、サンスター大阪高裁決定、サイバード東京高裁決定が採用した。
他のMBO事件やTOB事件との比較から、裁判所がプレミアムを決定する手法である。いずれの裁判例もプレミアムを20%としている。会社法172条が、「取得の価格」の決定を裁判所に委ねた趣旨*15に整合的である。
第3 その他の裁判例における「公正ナル価格」
1 旧カネボウ株式会社が主要事業である食品事業、ホームプロダクツ事業、薬品事業の営業譲渡を決議(旧商法245条)したことに対し、反対派株主が株式の買取請求(旧商法245条ノ2)を行ったものである。ここでは、「決議ナカリセバ有スベカリシ公正ナル価格」*16が問題となった。
2 東京地裁は、本件について、株式の鑑定を行い、その結果を是認した。東京高裁も同様である。
鑑定意見は、DCF法*17によるものであり、同鑑定はベータ値、株式リスクプレミアム、負債コスト、最適資本構成、マイノリティディスカウント、非流動性ディスカウント、ターミナルバリューにおける成長率の考慮などについて判断した。
3 裁判所が、DCF法を採用した理由は、(1)DCF法による算定の基礎になる産業再生機構に提出された事業計画が存在したこと、(2)裁判所による鑑定という中立的な第三者による評価が可能であったこと(3)上場廃止措置がとられており(最終株価は1株あたり360円)マーケットアプローチを取ることができなかったこと(4)申立人が高額の鑑定費用(5420万円)に耐えうるだけの株式数を所持していたこと*18などによると思われる。
第4 一般株主から見た「公正な価格」*19
1 株式の評価手法としては、マーケットアプローチ、インカムアプローチ、ネットアセットアプローチ*20が存在する。それぞれのアプローチは排他的ではなく併存可能なものであるから、買取価格が、それぞれのアプローチにおいて算出されたいずれの価格をも超えるのであれば、買取価格に対し一般株主が不満を持つことは少ないと考えられる。
2 マーケットアプローチ
一般株主の立場からも「公正な価格」を(1)現在価値と(2)プレミアムの和とすることについては異存はない*21。
(1) 現在価値について
ア 企業価値を反映した市場株価とは何か。
マーケット・アプローチによる場合、市場株価法を採用することに異存はない。しかしながら、「公正な価格」というためには、MBOと無関係に形成された市場価格である必要がある。
ところが、MBOは、究極のインサイダーである経営者等が買主となる株式取引である。したがってサンスター高裁決定のいうように、取締役等は「自己の利益を最大化するため、対抗的公開買付を仕掛けられない範囲で、自社の株価をできる限り安値に誘導するよう作為を行うことは見やすい道理である」。少なくとも一般株主は、上記疑念を払拭できない。
また、ほとんどのMBOにはファンドが絡む。ファンドは、利回りとエグジットを考慮の上で投資額を決定するから、調達できる資金量には限りがある。取締役等が調達できる資金量の枠内でMBOを実現しようと思えば、対象会社の株価をできる限り安値に誘導するよう作為を行わざるをえないのであるから、安値誘導の危険性はより高い。
したがって、下方修正後のMBOに当たっては下方修正発表後の市場株価を評価対象から除外した上で株式の現在価値を算定する、上方修正発表直前のMBO発表は厳に慎むなどの配慮が必要である。
なお、市場株価がMBOと無関係に形成されたものであることの「説明責任」「疎明責任」は会社の側が負っていると考えるべきである。
イ どのくらいの期間の株価の平均をとるか。
各裁判例が摘示するように、市場株価は、ごく短期的には少数の市場参加者の自己都合による行動を市場が消化しきれないことにより変動する可能性がある。したがって、ある程度の長期間の株価をもって基準とすべきである。
とりわけMBOにおいては、究極のインサイダーである取締役の側に市場株価を安値に誘導しようとするチャンスと動機がある。1ヵ月などの固定的な株価の平均値を採用することはできない。
MBOと無関係に形成された市場価格であることの「説明責任」「疎明責任」がどの程度果たされているのかにもよるが、その意に反して株式を奪われる一般株主の立場からいえば、事案によって1カ月間、3ヶ月間、6ヶ月間、1年間、1年6ヶ月間、2年間の市場株価の平均の内、もっとも株価が高くなる期間の平均株価を採用すべきである*22。
(2) プレミアムについて
会社法172条が、その意に反して会社から締め出されることになる反対株主に対して取得価格決定の申し立ての権利を付与した趣旨を踏まえると、高裁決定のように裁判所がプレミアムを決定するべきである。
各地裁決定のように、プレミアムを客観的にかつ一義的に算出することが不可能ないし著しく困難であることを前提にTOBで付されたプレミアムの合理性を判断する見解を採ると、結果的に、TOBで付されたプレミアムの合理性を追認するだけになる。なぜなら、仮にTOBに付されたプレミアムに合理性がないと判断した場合、裁判所は、自ら算出が不可能ないし著しく困難としたプレミアムを、算出せざるをえなくなり、途方に暮れることになるからである。事実、レックス事件地裁決定、サンスター事件地裁決定は、多くの株主がTOBに参加したという根拠で、TOBに付されたプレミアムの合理性を認めている。
3 インカムアプローチ
インカム・アプローチによる場合、DCF法を採用することに異存はない。DCF法は、将来性を加味した企業価値を算定することができる点で優れた面を有する。しかしながら、前提となる事業計画を過小に見積もることで、容易に算定結果を歪めることが可能である。そこで、前提となる事業計画が、作成の時期や作成の経緯に照らしてMBOと無関係であることの「説明責任」「疎明責任」を会社の側に負わせることで、対処すべきである。
また、DCF法によった場合、各リスクプレミアムを見込むのか見込まないのか、見込むとしてどの程度見込むのか、資本コストをどの程度とみるのかなど、評価者の恣意性が結果に強く反映される。
そこで、中立的な第三者機関に評価を依頼することが求められるが、現状のように、会社の側が第三者機関を選択して依頼し、報酬を支払うのであれば、「第三者性」は絵に描いた餅である。ある種の中間機関を媒介することによって「第三者性」を確保すべきである*23。
4 ネットアセットアプローチ
ネットアセットアプローチによる場合、時価純資産法を採用することに異存はない。継続を前提とする会社において、時価純資産法による評価は一見、無意味なように見える。
しかしながら、時価純資産法による株式評価は評価者による差が生じにくいという優れた面を有する。MBOの利益相反性を前提とした時、評価者による差が生じにくいという面は、一般株主にとって重要な意味がある。
時価純資産法は、その時点での時価純資産(時価総資産から負債を引いたもの)を株式数(自己株式を除く)で除して算出される。
したがって、株式をその意に反して奪われる株主からみると、時価純資産法による株式評価は、株式評価の下限としての重要な意味がある*24。
通常、MBOは、ファンドの期待する利回りやエグジットとの関係で、キャッシュリッチな会社でなされる。買取価格が時価純資産法による算定結果を超えるというのは、不当、違法な価格でのMBOに対する安全弁としての役割を果たす*25。
時価純資産法による株式の算定結果を下回る価格での賛同意見表明は、特段の事情のない限り、賛同した取締役の善管注意義務違反を構成すると解すべきである。
5 利益相反性に対する配慮について
サイバード地裁決定を受けて、独立の第三者委員会の設置などの利益相反性の回避ないし軽減措置を講じるという取り組みがなされた。
しかしながら、サイバード地裁決定に対する評価はおくとしても、一般株主からみた場合、MBOの利益相反性がなくなることなどない。MBOを行おうとする経営陣は、利益相反性に対する配慮はもちろんであるが、より直截には公正な買取価格を算出することで一般株主の理解を得るように努力すべきである。
第5 まとめ
一般株主からみた「公正な価格」でMBOを行うとすると、「うま味」が
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