2010年12月15日
▽この記事は岩波書店の月刊誌『世界』2011年1月号に掲載された原稿に加筆したものです。
▽筆者:奥山俊宏
▽敬称は略します。
英文の中にその2つの言葉だけ、ローマ字の表記がまるがっこの内側に添えられていた。
PAINFUL(KURUSHII)、 HUSH UP(MOMIKESU)
自民党幹事長・中曽根康弘の言葉として、それは米政府ホワイトハウスの内部文書に記載されていた。
「苦しい」 「もみ消す」
日本海軍の士官としてアメリカを敵とする戦争に参加し、戦後は日本の政府・与党の枢要の職を歴任して将来を嘱望されていた大物政治家が、外国政府の代理人を相手に、当時の世情の下ではとうてい公然と口に出すことができなかったであろう本音を吐露していた――。
そうした事実を指し示すその文面は1976年2月20日、東京にあるアメリカ大使館で作成され、「ロッキード・アフェア」という表題をつけられた。
「あらゆるロッキード事件資料の提供」を米政府に求める日本政府の表向きの決定について「苦しい」と形容し、ロッキードの問題について米政府が「もみ消す」のを希望する――。中曽根から米政府へのメッセージとしてそう記載されていた。
今から35年近く前のことだ。にもかかわらず、ではなく、だからこそ、というべきだろう。その文書は2009年8月、私の目に触れて、2010年2月12日、朝日新聞の記事で紹介された。
1977年1月にジェラルド・フォードが大統領を退任したのに伴い、文書はホワイトハウスから運び出された。フォードの母校であるミシガン大学(ミシガン州アンアーバー)のキャンパスの一角に国立公文書館の分館として建設されたフォード大統領図書館で保管されていたが、25年余を経たところで、国務省の審査(2002年9月)とCIA(中央情報局)の審査(2007年7月)を受けてそれぞれ通過し、2008年8月13日、一部を除いて機密指定を解除された。
おそらくそれまではずっと、その話は米政府と中曽根だけが知る秘密だったのだろう。その間に、中曽根は、日本政府の首相となり、訪米の際には日米を「運命共同体」と言い、日本列島を「不沈空母」と言い切って、米国の共和党政権との間で親密な関係を築いた。(次回につづく)
▽注1: Telegram, Lockheed Affair, 20 February 1976, folder: Japan - State Department Telegrams: To SECSTATE - NODIS (7), box 8, NATIONAL SECURITY ADVISER. PRESIDENTIAL COUNTRY FILES FOR EAST ASIA AND THE PACIFIC, Gerald R. Ford Library
▽注2: 1976年の公電の多くは2010年春に
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