2011年01月08日
▽この記事は岩波書店の月刊誌『世界』2011年1月号に掲載された原稿に加筆したものです。
▽筆者:奥山俊宏
▽敬称は略します。
日本国内でロッキード事件が火を噴いたのは1976年2月5日、木曜日の未明のことだ。
朝日新聞朝刊にアメリカ総局発の記事が突っ込まれた。
つけられた見出しは「ロッキード社 丸紅・児玉氏へ資金」。1面ではなく、2面の腹にその記事は掲載された。
中曽根との関係を一部に知られていた右翼のフィクサー、児玉誉士夫の名前にその記事は次のように触れていた。
「同小委員会で明らかにされたリストによると、数年前から1975年末までに708万5千ドル(約21億円)が日本の右翼政治家、児玉誉士夫氏に贈られている。同委員会では、この金がどのように使われたのかについては明らかにしていない」
その日の夕刊から、各紙も参戦して、続報が大展開された。その見出しの数々が暴露のマグニチュードをよく物語っている。
「ロッキード社献金問題 対日工作費は30億円 政財界に衝撃 国会論戦の焦点に 社党あす追及 特別委設けて米に調査団も 米上院委 領収証のコピー公表 児玉氏に21億円 政府当局者にも?」
この日、「ロッキードの支払いに関する東京での報道」と題する公電が、東京にある米国の駐日大使館から米ワシントンDCの国務省にあてて送られた注3。
「朝刊で大きく報じられるにはワシントン特派員電の東京への到着が遅すぎたが、夕刊では一面トップの見出しとなっており、ラジオやテレビのニュース番組でも
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