2011年01月10日
▽筆者:奥山俊宏
▽敬称は略します。
▽この記事は岩波書店の月刊誌『世界』2011年1月号に掲載された原稿に加筆したものです。
1976年2月6日、金曜日、東京にいた国務省日本部長ウィリアム・シャーマンと自民党幹事長・中曽根が接触した。事前に表敬のために予定されていた接触だったが、話題は、前日に発覚したロッキードの問題になった。
駐日大使館から国務省にその日のうち送られた公電に中曽根の発言の概要が報告されていた注4。
それによれば、中曽根がまず触れたのは、日本共産党の「スパイ査問事件」だった、とされている。共産党委員長の宮本顕治はこの事件で監禁致死や死体遺棄などの罪に問われて戦中に有罪判決を受けたが、戦後まもなく復権していた。民社党委員長・春日一幸は1月27日の衆院本会議でその経緯を取り上げて「真相を明らかにするべき」と政府に迫った。年内に衆院総選挙が予定されており、春日の共産党攻撃は自民党に有利に働くと中曽根は考えていたようだ。公電によれば、中曽根はシャーマンに「選挙の年に有益な動きだったのに、直後にロッキードの問題が持ち上がったのは不運だった」とぼやき、「ロッキードの大騒ぎは総選挙のタイミングにも影響を与える」とも述べた、とされている。
報告公電によれば、中曽根は続けて、ロッキードに対する米国内の調査の影響が日本に波及したことについて、米側への苦情と注文を次のように口にした、とされている。
「このようなことがらについて国内問題として調査するのはいいことかもしれないが、他国を巻き込むのは別問題であり、慎重に検討されるべきだ。米政府にはこの点を認識してほしい。この問題はたいへん慎重に扱ってほしい」
そして、中曽根はある「疑惑」にも言及した、とされている。
「ロッキードに有利な取引はニクソン大統領と田中
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