2011年01月20日
駐日米大使館の公電によると、1976年2月19日の朝、中曽根は前夜のメッセージの変更を依頼した、とされている。
「翌朝、メッセージが大使館に伝達されたと知らされたとき、中曽根はさらに背景を説明した」
中曽根氏はその際、いくつかの固有名詞を挙げ、あるルートを通じて、ある情報を入手したと説明した、とされている。
情報の中身は次のようなものだった。
「ジャック・アンダーソンが10日ほど前に2人の当局者名を入手した。田中と大平である」
田中と大平について、その公電ではそれ以上の説明はなされていない。苗字があるだけだ。おそらくそれで十分だと考えられたのだろう。当時、田中角栄は前首相であり、大平正芳は現職の大蔵大臣だった。
中曽根の説明としてその公電に記載されているところによれば、この情報が伝わってきたルートは次のようなものだったという。
ジャック・アンダーソンのスタッフ
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日綿實業ワシントン事務所
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日綿實業本社
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中曽根
大平がロッキード事件に関与していなかったことは今ではほぼ明確になっているが、当時は
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