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1-9) 翌朝、メッセージの変更を依頼「MOMIKESU」に

奥山 俊宏

 米国の大手航空機メーカーから総理大臣・田中角栄ら日本の政治家に裏金が渡ったとされるロッキード事件は1976年に明るみに出た。この連載『秘密解除・ロッキード事件』では新たな資料をもとに新たな視点からこの事件を見直していく。第1部では、疑惑が発覚した当時に自民党の幹事長を務め、のちに首相になった中曽根康弘のメッセージとして米政府ホワイトハウスに届いたある言葉に焦点をあてる。その第9回。

  ▽筆者:奥山俊宏

  ▽敬称は略します。

  ▽この連載の   目次とリンク

  ▽この記事は岩波書店の月刊誌『世界』2011年1月号に掲載された原稿に加筆したものです。

 

 駐日米大使館の公電によると、1976年2月19日の朝、中曽根は前夜のメッセージの変更を依頼した、とされている。

 「翌朝、メッセージが大使館に伝達されたと知らされたとき、中曽根はさらに背景を説明した」

 中曽根氏はその際、いくつかの固有名詞を挙げ、あるルートを通じて、ある情報を入手したと説明した、とされている。

 情報の中身は次のようなものだった。

 「ジャック・アンダーソンが10日ほど前に2人の当局者名を入手した。田中と大平である」

1976年2月20日に駐日大使館から国務省に送られた公電の2ページ目
 ジャック・アンダーソンというのはワシントンDCで活動するコラムニストで、数々の特ダネを放った調査報道記者として知られていた。ニクソン政権時代のCIAと通信会社ITTが南米チリの左翼政権を転覆させようと画策した疑惑を明るみに出し、それが、上院外交委員会に多国籍企業小委員会が設けられるきっかけとなった。そしてその多国籍企業小委員会こそ、ロッキード事件に火をつけた2月4日の公聴会の主催者だった。

 田中と大平について、その公電ではそれ以上の説明はなされていない。苗字があるだけだ。おそらくそれで十分だと考えられたのだろう。当時、田中角栄は前首相であり、大平正芳は現職の大蔵大臣だった。

 中曽根の説明としてその公電に記載されているところによれば、この情報が伝わってきたルートは次のようなものだったという。

 

ジャック・アンダーソンのスタッフ

日綿實業ワシントン事務所

日綿實業本社

中曽根

 

 大平がロッキード事件に関与していなかったことは今ではほぼ明確になっているが、当時は

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