2011年01月24日
1976年2月当時、日本中が「高官」の名前を知りたがっていた。ロッキードからカネをもらった当の政治家とその取り巻きを除けば、ほとんどすべての日本人が真相を知りたかったと言って過言ではないだろう。三木首相の率いる政府の建前もそうだったし、自民党も表向きはそれに異議を唱えなかった。中曽根自身、2月20日の朝日新聞朝刊に掲載されたインタビューの中で「政府・与党は一体となって徹底的に究明する覚悟だ」と答え注16、21日に熊本市内で開かれた青年懇話会では「米側に全資料の提供を重ねて要請してゆく」と述べた注17。
衆参両院は2月23日、自民、社会、共産、公明、民社の5党が共同で「ロッキード問題に関する決議」を提案し、全会一致で可決した。
「ロッキード問題のわが国に関するいわゆる政府高官名を含む一切の未公開資料を提供されるよう米国上院及び米国政府に特段の配慮を要請する。本院は、本問題に関するすべての疑惑を解明することが、真の日米友好にとっても重要であり、国民の要望にこたえる道であると確信する。政府においても、右の趣旨を体し、特使の派遣等を含め本問題の解明のため万全の措置を講ずべきである」
これを受けて、三木は翌24日、米大統領のフォードに、資料の提供を求める手紙を書いた注18。
こうした状況の下で、首相の三木を支える立場にあった与党幹事長の中曽根が、党や政府の表向きの方針にも世論にも反する行動をとっていたことが公電には指し示されている。
駐日大使の公電にあるように、米政府は、そうした行動が三木の真意を反映したものである可能性、つまり、日本の政権中枢が二枚舌を使っている可能性をも念頭に置かねばならなかった。米政府自身
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