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9-11の衝撃: 資金洗浄との戦いからテロとの戦いへ

 ある局面ではアルカイダを相手に、別の局面では北朝鮮を相手に、米国を中心とする国際社会は今、見えない戦いを挑んでいる。そこで武器となるのが金融インテリジェンスと法執行である。日本も逃れられないその戦いの全貌をシリーズで描く。その第2回。

 

9-11の衝撃: 資金洗浄との戦いからテロとの戦いへ

慶応義塾大学院
システムデザインマネジメント研究科
教授 保井 俊之

 ■2001年9月11日朝、ガーデン・クラブにて

保井 俊之(やすい・としゆき)
 慶應義塾大学大学院教授。東京都出身。1985年東大卒、旧大蔵省入省。OECD職員、JBIC開発金融研究所主任研究員、金融庁保険課長、同参事官などを経て、2007年に中央大学客員教授。2009年7月より現職。
 2001年9月11日午前10時前……。

 ガーデン・クラブの定例会はいつもどおり、定刻より少し前にゆるゆると始まった。夫や子どもたちがオフィスや学校へ行ったあと、家事を切り上げて気晴らしに集まるのにはちょうどよい時間帯だ。米国の首都ワシントンから北西に15キロメートルほど行った人口4万人ほどの小さな町。その町の住宅街の園芸クラブ。町はワシントンに通勤するには手頃な距離だ。外交官、連邦政府の高官、議会関係者などが退職後も家族とともに住み続ける閑静な住宅街があちこちに広がっている。CIAの本部も近い。この町の住人の社交の話題の中心は飼い犬とガーデニングだ。

 退職後は庭に植えた草木の手入れとパッチワーク作りに余念がない。そんな高齢のご婦人ばかりがメンバーのほとんどを占めるガーデン・クラブの例会。会場は持ち回り。気のおけない仲間が集まり、持ち寄った手作りクッキーをキッチンでつまみ、お茶を飲む。季節のガーデニングやショッピングの情報を交換し合う。

 その日の会話の輪の中心は、退職後に始めたバラの温室栽培が玄人はだしの域に達していた70歳台のご婦人。リビングルームのソファの真ん中にでんと陣取る。こまめな水やりと温度管理の大切さについて、のんびりとした南部訛りの英語で楽しそうに話している。窓の外には、ギラギラと照りつけ始めた朝の太陽。そして雲ひとつない、抜けるような青空が広がっている。俗に「ワシントン・サマー」と呼ばれる米国の首都に典型的な夏空だ。もう9月なのに。緑の芝生の庭では、スプリンクラーが回って水を撒いている。

 しかし、誰かがキッチンのテレビを何の気なしにつけた瞬間、のんびりとした会の雰囲気は一変した。黒煙を吹き上げて燃えさかる双子の摩天楼をテレビが映し出したのだ。ニューヨークのワールド・トレード・センターのツイン・タワー。会の参加者はテレビの画面に吸い寄せられた。みな固唾を呑んでいる。

 午前9時55分。ツイン・タワーの南棟が膝をがっくりと着くように崩れ落ちた。会のひとときの静寂は、悲鳴と嘆きの連鎖に変わる。「オオマイ・ガー!」。ほどなくして北棟も崩壊。テレビはもうもうとあたり一面に立ち込める黒煙と白い粉塵しか映し出していない。「わたしは全財産を失ってしまった。わたしの退職後年金はすべてワールド・トレード・センターにある資産運用会社に預けてあるのよ。」 上品な白髪をポニーテールにまとめた年配のご婦人ががっくりと両手に顔をうずめる。すると、誰かがそっと彼女の肩に手を置く。

 ワシントンでは国防総省もひどくやられたらしい。ガーデン・クラブは早々にお開きになった。会の雰囲気のあまりの変わりように、何が起こったかわからぬままに彼女は帰宅する。そして自宅のキッチンの冷蔵庫に貼ってあったメモを見た。たしか、夫は昨日からニューヨーク出張だったはずだ。大丈夫かしら。メモには、「出張先: NYワールド・トレード・センター(WTC)で会議。宿泊先: WTCマリオットホテル」と書いてある。まさか……。

 夫の携帯電話を鳴らしてみる。つながらない。何度も何度も鳴らしてみる。ダメだ。夫のオフィスは? 誰も出ない。そうか。彼女は静まりかえった自宅のキッチンの椅子にがっくりと座り込んで、呟いた。「わたしは渡米早々、二人の子どもを抱えた未亡人になってしまったのだわ。」

 ■米国の金融インフラの中心地へのテロ攻撃

 9月11日の米国同時多発テロは、1990年代後半からニューエコノミーの好景気の下で空前の繁栄を誇り、クリントン前政権時代から「強いドル」政策で世界の資本を一極集中で集めていた、アメリカの金融の中心地ウォール街を狙い撃ちにしたものだった。

 ワールド・トレード・センターを拠点にしていた金融機関はすぐには立ち上げられないほどの打撃を受けた。例えば、ツイン・タワー北棟最上階近くに位置していた債券仲介業大手のカンター・フィッツジェラルドは、社員の三分の二以上をテロ攻撃で失った。また、ニューヨーク証券取引所の業務用サーバと通信回線は消火の放水の水底に沈んだ。ニューヨークとアメリカンの両証券取引所はその後数日間にわたって閉鎖された。アメリカ最古の銀行で、ニューヨークの金融機関の決済ネットワークの中核を担っていたバンク・オブ・ニューヨークの決済システムはダウン。ニューヨークのダウンタウンにはオフィスからの緊急避難命令が出され、ウォール街の金融機関のほとんどが機能を停止。ツイン・タワーが倒壊した周囲には、金融取引のログや契約書、市場分析データの打ち出しなどを記した無数の紙が散乱し、風に舞っていた。

 さらに、テロ攻撃はアメリカの金融当局者にとって文字通りの不意打ちとなった。9月11日の朝、グリーンスパン連邦準備制度理事会(FRB)議長は、スイス・バーゼルの国際決済銀行(BIS)で開催されていた主要10か国中央銀行総裁会議に出席していて不在だった。アウハウザー財務省首席法律顧問は、イギリス・ケンブリッジ大学で開催されていた経済犯罪国際シンポジウムで、国際金融犯罪や資金洗浄に対する国際協力の進展をアピールするスピーチを行っていた。オニール財務長官とテイラー国際問題担当財務次官は北京訪問の帰路、東京の帝国ホテルでテロ攻撃の第一報をCNNの速報で知った。彼らは、米国の空港がすべて閉鎖されている中、米軍の軍用機で相次いで緊急帰国した。

 ワシントン郊外のガーデン・クラブで9-11テロを知った彼女の夫も数日後の晩、ひょっこりと帰宅した。マンハッタン島から出る交通路が3日間ほぼ途絶しており、脱出が遅れたのだ。

 ニューヨーク株式市場は9月17日に、米国の威信をかけて再開された。オニール財務長官はテレビインタビューに答え、株の売買に関して愛国的行動をとるように訴えた。しかし、ダウ・ジョーンズ工業平均株価指数はその日、7パーセント下落して引けた。地政学的リスクで先がまったく見えない世界。市場関係者の誰もが、不確実性がテロによって劇的に高まったグローバル金融市場の将来を憂えていた。

 ■金融インテリジェンスのすべてをテロとの戦いへ

 アメリカ繁栄の礎石であるウォール街がテロの不意打ちに襲われたのはなぜか。事前に兆候すらつかめなかったのはなぜか。米国のインテリジェンス・コミュニティは9-11テロの予兆を十分につかめなかったことで、痛烈な批判を浴びることになる。そして、ブッシュ政権はこのあと、金融インテリジェンスに関するほぼすべての人員と資源をテロとの戦いに急速に振り向けていく。

 9-11テロまでの金融インテリジェンスは、資金洗浄など国際組織犯罪の摘発のための情報収集が中心で、金融情報の共有による国際的な法執行活動の支援という色彩が濃かった。

 1988年には国連麻薬新条約が採択された。翌89年にパリで開かれたアルシュ・サミットで資金洗浄の犯罪化の義務付けに合意し、金融インテリジェンスと法執行の国際的な枠組みである金融活動作業部会(FATF)の設置が決定される。90年には、FATFが「40の勧告」を採択し、金融機関の本人確認や疑わしい取引の届出などに関して各国当局が遵守すべき規範が合意される。また95年には、各国の金融インテリジェンス組織の国際的ネットワークであるエグモント・グループが発足。98年のバーミンガム・サミットでは、主要先進8か国がそれぞれ政府内に金融インテリジェンス・ユニット(FIU)を設置することに合意する。

 FATFの発足と「40の勧告」の採択は、東西冷戦の終了とソ連・東欧共産主義体制の崩壊をきっかけにしている。冷戦終了後、90年代前半から急速に増加しつつあった国境をまたぐ犯罪組織の活動と国際的資金洗浄ネットワーク。その摘発に向けての主要国当局の協調を主目的にFATFは発足した。

 国際的資金洗浄ネットワークの存在はこの時期、急速に脚光を浴びていた。例えば、1991年にルクセンブルグに本店を置く国際商業信用銀行(BCCI)が英国の金融当局から業務停止命令を受け、100億ドル以上の使途不明金を抱えて実質的に破綻。その後、同行が国際的資金洗浄に深く関与していたことが注目を集めた。パキスタン人のハッサン・アベディが創設し、アブダビの首長らから出資を受け、途上国を中心に78か国で営業を行っていたBCCIは、パナマの独裁者ノリエガ将軍らの資金洗浄、そして当時アフガンで反ソ連のゲリラ活動を行っていたアルカイダに対するCIAの資金支援などに深くかかわっていたとされる。

 ソ連解体直前のエリツィン政権を政治的にも資金的にも支えた、オリガルヒと呼ばれるロシアの新興財閥グループ。そのオリガルヒと、冷戦終了後ヨーロッパ各地へ進出した旧東側出身者の国際的マフィアの黒いつながりが噂されたのもこの頃だった。麻薬取引、人身売買、不法送金。これらの非合法活動の背後には、冷戦後にロンドンやパリなどで活躍する旧東側出身者による新興地下勢力の暗躍を指摘する報道が増えていた。

 FATFはこのような問題意識を背景に、経済協力開発機構(OECD)の一角を間借りする形で1989年、パリで発足した。その後FATFは順調な発展を遂げ、OECD加盟国を中心に現在34か国・機関がFATFのメンバーとなっている。

 発足当初は国際的資金洗浄の抑止と国際的組織犯罪の摘発を主目的としたFATFの活動。しかし、9-11テロ後は、テロとの戦いを全面に掲げるブッシュ政権の外交軍事戦略により、FATFはその性格を大きく変えていく。

 ブッシュ政権が9-11テロを契機としてテロリストを相手に参戦した戦争は、国家と国家の間で軍隊による軍事力の行使を中心に戦われる伝統的な戦争ではない。国家と国際的テロリスト集団が、一般市民を巻き添えにするテロ行為、プロパガンダ、非合法金融活動など、これまで存在しなかった戦場で戦う非対称な戦争だ。テロ資金の根絶が、この戦争に勝つための大きな課題になる。ブッシュ政権は金融インテリジェンスをテロとの戦いの最前線へ動員した。

 ■‘Bush at Financial War’

 テロリストの資金源をすべて突き止め、それらをすべて封鎖すること。オニール財務長官らはそれを「金融戦争(Financial War)」と呼んだ。

 ブッシュ大統領はホワイトハウスのローズガーデンで9月24日に演説し、27のテロ関連資産の凍結を発表した。「このテロとの戦いはさまざまな戦場で戦われることになるだろう。」「その戦線は過去の戦争とは異なって見えるだろう。」「この戦いで勝利を収めるために、アメリカはあらゆる分野で影響力を行使しなければならない。そのひとつが金融だ。」 演説するブッシュの顔は紅潮していた。

 テロ資金の問題は米国国家安全保障会議(NSC)の常連の議題となった。米国財務省は「テロリスト資金対策本部」を立ち上げた。他省庁の協力の下で、テロ資金の動向を追い、各国の反テロ資金対策のレベルアップを要求する。9-11後の米国金融当局にとって、金融インテリジェンスに関する国際的協調は、反テロ資金対策に関する国際連携をいかに作り出すかを専ら意味するものになった。

 9月下旬に開催されたG7財務大臣中央銀行総裁会合特別会議は、「テロ資金供与に対して戦うためのG7行動計画」に合意。そしてFATFは、「テロ資金に関する8つの特別勧告」を採択。この特別勧告はのちに1項目追加されて「テロ資金に関する9つの特別勧告」になる。その内容は、テロ資金供与行為を犯罪とすること、テロに関する疑わしい取引の届出義務化、そして送金額1,000ドル相当額以上の電信送金に送金人の情報を付記することなどである。

 元来は、アジア太平洋地域の貿易投資の自由化などを話し合う国際的枠組みだったアジア太平洋経済協力会議(APEC)も、同年10月の上海首脳会議、そして翌02年10月のロス・カボス首脳会議において反テロ首脳声明を発表した。

 銀行の健全性監督に関する国際的枠組みであるバーゼル銀行監督委員会も2006年10月に、「バーゼル・コア・プリンシプル」及び同「メソドロジー」と呼ばれる銀行監督に関する指針を改定し、資金洗浄、テロ資金供与並びにその他の不正行為を防止するための銀行監督基準の強化を図っている。

 金融面でのテロとの戦いに関するこれらの国際協調は、「金融戦争」を遂行する米国の強力なリーダーシップと呼びかけで実現したものだった。

 2006年3月に改訂された「米国の国家安全保障戦略」は、金融インテリジェンスをテロとの戦いに動員する並々ならぬ米国政府の決意を語っている。「我々は、FATFなどの国際的枠組みを使い、グローバル(な金融)システムを透明に保ち、汚れた資本がシステムを悪用することから守っていく。我々は、ごろつき金融利用者・仲介者(rogue financial players and gatekeepers)を摘発し、遮断し、孤立させる新たなツールも開発しなければならない。」

 9-11テロは金融インテリジェンスを、それまでの国際組織犯罪や国際的資金洗浄ネットワークとの戦いから、テロとの戦いという時代の中心課題へと引っ張り出すことになった。

 ニクソン政権時代にワシントン・ポスト紙記者としてウォーターゲート事件のすっぱ抜きで勇名を馳せたジャーナリストのボブ・ウッドワード。ウッドワードは2002年11月に「Bush at War」と題する本をSimon & Schuster社から出版している(邦訳は、伏見威蕃訳『ブッシュの戦争』日本経済新聞社、2003年)。イラクの大量破壊兵器保有疑惑について、サダム・フセイン政権に説明のラストチャンスを与えるとした国連安保理決議第1441号が、パウエル国務長官らのアメリカ外交の強腕で採択されたのもその頃だった。このウッドワードの本の題名をもじって言えば、金融インテリジェンスは9-11テロによって、‘Bush at Financial War’の最前線に立たされることになったのだ。

 ■愛国者法という最終兵器

 9-11テロ直後の2001年10月、米国愛国者法(US Patriot Act)が超党派の賛成により米国連邦議会で可決され、ブッシュ大統領の署名を経て発効している。

 この米国愛国者法は、金融戦争を戦う金融インテリジェンスの戦士たちに強力な武器を与えることになった。それは米国愛国者法第311条である。

 米国愛国者法第311条は、財務長官が外国銀行を「資金洗浄の主要懸念先(primary money-laundering concern)」に指定する権限を与えている。財務長官が国務長官及び司法長官と協議の上、外国銀行を「資金洗浄の主要懸念先」に指定した場合、その外国銀行に対して米国金融当局は5つの特別措置を講じることができる。

 [1] 特定の銀行取引の記録保持・報告命令

 [2] 米国の民間銀行の特定口座の外国人受益者の特定命令

 [3] 主要懸念先に指定された外国銀行が米国の民間銀行に開設した決済口座を利用する外国銀行の顧客の特定命令

 [4] 主要懸念先に指定された外国銀行が米国の民間銀行に開設したコルレス口座を利用する外国人顧客の特定命令

 [5] 主要懸念先に指定された外国銀行の決済口座及びコルレス口座の開設または維持の制限または禁止

 コルレス口座とは、外国為替の送金に伴う資金の振替を行うため、外国の銀行との間で開設し合う口座である。したがって、米国の銀行にコルレス口座の開設を断られた外国銀行は、米ドル送金を取り扱うことができない。だから財務長官がある外国銀行を「資金洗浄の主要懸念先」に指定し、上記[5]の措置を講じることは、その外国銀行が国際的な米ドル送金・決済網から締め出されることを意味する。[5]の措置は劇薬である。だから、[5]の措置を財務長官が発動するには、国務長官、司法長官並びにFRB議長との事前協議が必要だと、同法は規定している。

 しばしば誤解されることだが、米国愛国者法第311条にもとづく特別措置は、米国の金融当局が外国銀行に対して直接制裁を行うものではない。域外適用的思考がお得意の米国金融当局もさすがに、他国に所在し、その国の金融当局の監督下にある外国銀行にまで拳を直接振り上げることはできないのは当然だろう。米国愛国者法はあくまでも、米国の民間銀行を専ら対象にしている。

 例え話で恐縮だが、米国愛国者法第311条の「制裁」は、幼稚園のクラスメートのひとりが悪いことをしたからといって、お母さんがよその子であるそのクラスメートの頭をコッツンとやるのではない。そうではなくて、お母さんがそのクラスメートは悪い子だからと言って、わが子にそのクラスメートと遊ぶのを禁じてしまうのによく似ている。

 「あの子は悪い子だから一緒に遊んではいけません。」 一見何でもないように見えてこの制裁は、実は国際金融の世界では極めて厳しい制裁効果を発揮する。BISの最近の統計によれば、2010年4月時点で世界の外国為替取引の42%が米ドル取引。米ドルの基軸通貨としての力はまだまだ圧倒的だ。そしてニューヨークのマネーセンターバンクを中心とした米ドル取引の世界的な決済ネットワークを頭に思い浮かべよう。すると、巨大で効率的な米ドル送金・決済網から、「資金洗浄の主要懸念先」として締め出されることが国際的商業銀行としてはほぼ「死刑宣告」を意味することが直感的に理解できるであろう。

 かくして米国愛国者法は金融インテリジェンスの戦士たちに一種の「最終兵器」を与えることになった。

 しかし大方の予想に反して、第311条の初めての発動先は9-11テロに関連したものではなかった。第311条が発動されたのは2005年9月。「資金洗浄の主要懸念先」に指定されたのは、マカオ所在のバンコ・デルタ・アジア。金融インテリジェンスの主要な舞台が、テロとの戦いから、ブッシュ政権が命名した「悪の枢軸」との戦いに移った頃だった。バンコ・デルタ・アジアが主要懸念先に指定されたのは、北朝鮮の大量破壊兵器(WMD)関連の非合法資金を預金として受け入れているという嫌疑からだ。その頃には、金融インテリジェンスの対象も北朝鮮やイランを対象とするものに急速にシフトしていたのである。

 

 保井 俊之(やすい・としゆき)
 東京都出身。1985年、東京大学教養学部教養学科(国際関係論)卒業後、旧大蔵省入省。OECD(経済協力開発機構)職員、JBIC(国際協力銀行)開発金融研究所主任研究員、金融庁監督局保険課長、同参事官などを経て、2007年10月に中央大学総合政策学部客員教授。2008年4月より慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科(SDM)特別招聘教授。2009年7月より同特別研究教授。
 著書に『中台激震』(単著、中央公論新社、2005年)、『世界経済を読む』(共著、豊田博編、東洋経済新報社、1991年)など。2010年9月に日本コンペティティブ・インテリジェンス学会2010年度論文賞受賞。

 

 ▽参考文献

 ▽Geisst, Charles R. (2004)

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