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米国人弁護士が疑問に思う米政府の冷たい態度と法的リスク

Stephen Givens

地震は日米同盟の基礎まで余震のように揺さぶるだろう

外国法事務弁護士・米NY州弁護士
スティーブン・ギブンズ(Stephen Givens)

Stephen Givens(スティーブン・ギブンズ)
 外国法事務弁護士、米ニューヨーク州弁護士。ギブンズ外国法事務弁護士事務所(東京都港区赤坂)所属。
 東京育ちで、1987年以降は東京を拠点として活動している。京都大学法学部大学院留学後、ハーバード・ロースクール修了。
 日本企業に関わる国際間取引の組成や交渉に長年従事している。

 東京電力福島第一原子力発電所の事故をめぐって、アメリカ政府が一方的に同発電所周辺80キロからの避難を在日米国人に勧告したこと、そして、まるで離日を誘うかのように米政府チャーター便を在日米国人に提供したことは、日米同盟の決定的な曲がり角になるであろう。

 私の父がライシャワー大使時代に在日米国大使館に勤めていた関係で、私は少年の目でその当時の日本と、日米関係を目撃した。その時代の政治家、外務省の方々はよく我が家にパーティーやディナーに来たものである。

 今回の地震が仮に1960年に起きたとしたら、日本政府の原発30キロ避難政策をあらわに否認し、在日米国人の全面撤収を勧めるかのようなことはあり得なかった。逆に在日米軍は三陸救済活動、原発対策にもっと積極的に協力したはずだ。

 この半世紀の間に何が変わったかを理解するには、その当時のケネディ大統領の有名なベルリンのスピーチがヒントを与えてくれる。冷戦の真っ最中にケネディはベルリンの市民を前に"Ich bin ein Berliner"(「私はベルリン市民である」)と宣言した。つまり、アメリカとベルリン市民との連帯性(solidarity)を公認し、ソ連に「ベルリンに手をつけることはアメリカに手をつけることに等しい」というメッセージを送ったのである。日本のその当時の状況を考えても、冷戦は日米同盟の重要な接着剤だった。

 今回の地震への対応をみていると、この半世紀に日米の連帯感がどれだけ薄れたかがはっきり分かる。日本が危機に追いこまれたとき、アメリカは同盟国と肩を並べて力強く連帯するのではなく、逆に脱走する方向に駆け込む。このイメージは日米安保条約の基礎まで余震のように揺さぶるだろう。

 興味深いことに、オバマ大統領をはじめ、多くのオバマ政権の中心人物は弁護士であり、外交に関しても、狭い意味でのリーガルリスクだけを重視した結果、日米関係に重大なダメージを与えたのではないか。訴訟社会アメリカの弁護士は、受けてきた教育の上でも、そして、経験の上でも、訴訟の可能性に備えて、クライアント(顧客)のリーガルリスクをできるだけ軽減しようとする。ローヤー(法律家)の職業は「念のため」「もしかしたら」の世界だ。原発避難ラインを30キロから80キロに延ばすという方針、在日米国人への退避チャーター便の提供はこのような狭いリーガルマインドを反映したものだと感じる。0.001%のリスクのために日米関係が大きく痛んだ。

 半世紀前のライシャワー大使、元多数党院内総務のマンスフィールド大使、元副大統領のモンデール、あるいはベーカー大使ならば、きっと今回のアメリカ政府の歴史観なき対応を許さなかったであろう。

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 Stephen Givens(スティーブン・ギブンズ)
 外国法事務弁護士、米ニューヨーク州弁護士。ギ

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