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原発事故調査・畑村委員長「組織事故の観点、実物の保存、再現試験を重視」

事情聴取全面公開には消極、「『現地・現物・現人』で調査を」

 東京電力福島第一原子力発電所の事故の調査・検証について、政府が設置した委員会の委員長に就任した畑村洋太郎・東京大学名誉教授が6月22日、日本記者クラブ(東京都千代田区)で記者会見し、「組織事故」の観点と「動態保存」「再現試験」を重視する考えを語った。記録を残すだけではなく、実物をきちんと保存して多くの人が学べるようにするべきだと考えているという。調査の焦点となる関係者の事情聴取については「外国とは文化が違い、簡単にオープンにするとは言えない」と述べて結果の一部を非公開とする方針を示し、罰則がなくても「きっとウソはつかない」との見方を明らかにした。畑村氏は「失敗学」の提唱者として知られ、これまで様々な事故の調査・検証を行ってきた。記者会見での主な言葉を以下に紹介する。

  ▽編集・構成: 佐竹祐哉

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 ■「仕方なく引き受けた」

 皆さん、こんにちは、畑村洋太郎です。

 僕は「この委員会の委員長を引き受けてやってほしい」というのを言われまして、非常にビックリしました。まさかこういうことを自分が引き受けるようになるだろうと思って今まで「失敗学」をやってきたわけではなくて、いろいろやっているうちにそういうのが来てしまった、という感じがいたしました。こういう非常に大変な仕事を引き受けるというのは、やらなくちゃいけないものなのだろうか、それともやらなくて済むものなのだろうか、ということを本当は考えたのですが、これを引き受けないで逃げてしまうのは、ものすごく無責任な感じがしまして。(こういう役目は)「喜んで引き受ける」というのが普通かもしれませんが、僕は本当のことを言うと仕方なく引き受けました。

畑村洋太郎氏=2011年6月22日午後、東京都千代田区内幸町の日本記者クラブで

 あまりに事が重大で、一体何をどんなふうに考えて何をやったらいいのか、というのが皆目見当がつかないのに、「だれかがやらないといけない」とだけは思いました。「きっとだれかがやるんだろう、だれだろう?」と考えたら、そんなこと引き受けそうな人はだれもいないし、自分も別に引き受けたいわけでもないし、何をやりたいわけでもない。考えたのは、事故調査・検証となっているのですが、テクニカルな問題とか社会政策としての問題とかそういうこともやる。けれども、そういう調査というよりも、一体何が起こっていて、だれがどんな判断をしてどういうことが進行していったのか、というのをきちんと学び取らないと。とんでもないことが起こっているのに、それをやらないっていうのは非常にいけないことのような気がしました。

 そういうことでお引き受けしましたが、一体何をどうすればいいのか、ということは分かっていません。引き受けたということだけがあるだけで、どういう活動をするか、どういう陣容でいつまでに何をするか、という考えがあって(引き受けた)わけではありません。ですから、これから考えながら決めて、そして進めていく以外ないだろうと。そういう覚悟を決めて動き始めたところです。

 ■「自己流」で進める

 第一回目の委員会の会合がある時に、自分なりのやり方、考え方をまとめて委員会の中で話しました。大きく言うと8つほど大事なことを考えましたので、ごく簡単に「こう考えている」というのを紹介しようと思います。

 まず一つ目は、「自分の考えで進める」ということです。これだけ大きな事故を考えていくのに、何かやり方がきっちりあるとは思えません。これをやればいいんだっていうものはないと思うけれど、一生懸命考えながら自分で判断して自分で行動してやっていく、というやり方でしかしようがないので、自分流のやり方で進めていこうと思います。出来上がった方法というものに準拠することは無理だと思うので、やりません。それから、進めていく時にいろんな立場や事情、利害関係その他いろんなことが出てくると思います。そういうことも大事だとは思うけれど、それに左右されていると大事な知識が引き出せないのではないかと思うから、やっぱり自己流でいくしかないな、というふうに思っています。

 ■「100年後の評価に耐える」調査を

 それから2番目は、「子孫のことを考えて、100年後の評価に耐えられるものにしたい」ということを思っています。これだけとんでもない事故って、ほとんどやったことがないぐらいに思われます。従来からやってきたものの延長で考えているのでは無理なことがたくさんあって、初めて気がついて分かりはじめる、考えはじめる、ってことがたくさん出てくると思います。そういうことをきちんと考えるときに、いま納得がいくだけでやっていていいのかっていうと、30年後、50年後、100年後に「あの時これに気がついていさえすればよかった」とか、「あの時なぜああいうことがあったのに、これに気がつかなかったんだろうか」ってきっと考えると思うんです。100年後に見たときに「気がついていればよかった」と思うようなことに、なるたけ気がつくようなやり方をしたいと思います。そういうふうにやることが「100年後の評価に耐える」ということではないかと思っています。

 そういうふうに見た時に、現在という時点で起こっていることを見るだけでなくて、時間軸を考えることが大事だということです。歴史もあります。ものごとの推移もあります。いろんなものがありますが、時間軸を入れて考えるというのは、大事だというふうに思います。それは原子力のことだけを学ぶというようなことではなくて、他分野の技術ということも考えなきゃいけないし、社会の変わり方、人々の考え方も変わるということもまたきちんと(考えに)入れないといけないと思います。どちらにしても、時間と共に全部が変わっていくということを(頭に)入れないといけないと思っています。

 ■「みんなの疑問に答える」という視点

 それから3番目には、「国民の持っている疑問に答える」というのが大事だと思っています。言葉を換えると「納得性」とでも言うべきものです。もうちょっと違う言葉で言えば、「腑に落ちる」とかそういうことだと思います。こういう事故を取り扱うと、ほとんどの場合、技術的な側面からの理解で終わってしまう場合が多いんです。そうすると、社会全体は納得が出来ないために、いつまで経ってもついていけないんですね。これは、(事故を)技術的な側面からだけ取り扱っているのではなくて、みんなが思うごく自然な疑問というものに素直に答えることが必要なんじゃないか、というふうに思っています。(これは)とても難しいことなんです。というのは、どんな疑問を持っているか、っていうのは人によって違うからです。それでも、(国民の持っている)疑問をきちんと取り上げないといけないと思います。

 それから4番目はですね、「世界の人々の持っている疑問に答える」という視点です。普通は自分たちの国の中で、国民の持っている疑問(に答える)、というので済むことが多いと思います。今回の事故は全然違って、地球規模の問題だし、世界中の人たちがすごく関心を持っています。みんなの生活に直接結びついている問題だからです。だったら、日本以外の場所(国)の人たちが考えている疑問に答えないといけないというふうに思います。

 本当にちゃんとそこまで出来るかどうかは分からないです。世界中の人は、住んでいる場所によって歴史も違う、生き方も違う、全部違う。そうすると疑問も違うのです。ですから、その疑問を疑問として取り上げるっていうのが出来ないと(いけない)。本当に自分たちでそんなことまで出来るかな、というのは疑問です。でもやっぱりこの視点は必要だと思います。

 ■責任追及ではない原因究明を

 5番目に「責任追及は目的としない」。多くの(事故の)場合、原因究明と責任追及の両方が求められて、対立してしまうということがたくさん起こります。今回のような場合も、原因の究明なり責任の追及なりをこの委員会がやらないでいいのか、と疑問に思ったり、やるべきだと考えたりする人もたくさんいらっしゃると思います。しかし、責任追及を目的とした調査はやりません。

 そうすると「責任追及をやらないのか」というふうに聞かれます。僕は、やらないとかやるとかいうのではなくて。ここ(委員会の調査)で明らかになっていったことに従って責任追及をしなければならないようなことがあるんだったら、また別の所が動いていくんじゃないと、この委員会は活動が出来ないと思っています。これはもうずっと長い僕の持論なのですが。責任追及のための原因究明、というふうにほとんどの事故調査がなってしまうために、一番当たり前で学び取りたいことが出てこなくなってしまう、ということが起こるんです。それでは「100年後の評価に耐える」というのは出来ない、というふうに思っています。ここでは100年後にまで共有できること(調査)をやって欲しい。だから調査に協力してほしいということを、とても言いたいんです。

 ■事故全体をとらえるために

 6番目には「起こった事象そのものを正しくとらえる」ということをやりたいと思っています。多くの場合に事故調査というのは、物理的な(事象だけの)調査になりがちです。しかしそれだけではなくて、もっと広い意味で。人間の活動全体との絡みで(事故を)とらえていかないと、起こった事象そのものを正しくとらえるということが出来なくなると思っているからです。

 7番目に「起こった事象の背景を把握したい」と思っています。(今回の事故調査は)事実的な背景だけでなくて、組織的な背景、それから社会的な背景というようなものを考えざるを得ない。これだけ大きな事故の時にこれを考えていなければ、多分あとから評価して、学んだことにならないと思います。あまり聞き慣れない言葉かもしれませんが、1990年代以降ですね、「組織事故」という考えが相当に発達してきています。そういう考えをここに取り込んでこないと、ちゃんとした理解にはならないのではないか、と思っています。

 ■「再現実験」と「動態保存」が調査には必要だ

 最後ですが、8番目。「再現実験と動態保存というのが必要だ」ということを言っています。これは僕自身がいつも言っている主張なのですが、あんまり聞き慣れない言葉だから、変なことを言っているな、と感じられるかもしれません。この現象はこういうことなのだ、というふうに決めて調査をすると、それはそれなりに(結果が)でてくる。しかし、再現実験をやってみると、全然違う視点で見ていないといけなかったというようなことが、ままでてきます。

 再現実験をやって、きちんとした事柄を一度知識として吸収する努力っていうのは、僕は必要じゃないかというふうに思っているんです。この原子力のもの(事故)についても、大事なものを見落としている可能性はあるのではないかな、と思うのですが、今のところ分かっているわけではありません。

 それから「動態保存」ということです。聞き慣れない言葉ですが。動態保存というのは動く状態で保存する、というのが元々の言葉。ですが、もうちょっと広く考えて、そのものが何かの働きをしている状態を保存して、直接学ぶことだと考えて欲しいのです。事故が起こったものを早く全部片付けてしまって、あとは記録を取っておけばいいというふうになりがちですが、それだと十分に学ぶことが出来ません。実物をきちんと保存して、みんなが(現地に)出かけていって、学ぶことが出来るようにするっていうのはとても大事だというふうに思うのです。いま日本航空では、御巣鷹山の事故のあとで、原因となった隔壁を羽田(空港)の近くの日本航空安全啓発センターというところで実物を展示しています。実物を見ることで、一体自分たちは何を考えなきゃいけないのか、事故を起こした実物が直接に語りかけてくれるのが、一番強烈で大事なのだと思うのです。

 ですから、この第8番目では「再現実験」と「動態保存」ということまで考えて、それで100年後の知識、100年後の評価に耐えるような知識を作りたいというふうに思っています。

 ■委員会の構成について

 (委員会の)やり方はこんなことをやっていこうと思っています。自分の考えはこんなふうですが、皆さんの方にはこの委員の名簿とチームの構成ですね、こういうものが配られています。

 社会システム等の検証チーム、それから事故原因等の調査チーム、それから被害拡大の防止対策等の検証チーム。この3つがですね、事故そのものを直接に扱ってやっていくチームです。このチームには、それぞれのチーム長を決めて活動をしていきますが、その上にある事故調査・検証委員会のほうは10名の委員と、2人の技術顧問というのが任命されて、活動していきます。それから、法規制のあり方の検討チ

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