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5億円ヤミ献金事件で検察が金丸氏を取り調べなかった理由

村山 治

 戦後の自民党一党支配に幕を引き、今にいたる政界流動化のきっかけともなった金丸信・元自民党副総裁の5億円ヤミ献金事件。1992年に発覚したが、公判に付されず20万円の罰金で処理されたため、捜査資料が法廷で開示されず多くの謎が残されている。この連載「金丸事件:特捜部長と金庫番が語る20年目の真実」では、ヤミ献金事件とそれに続く脱税事件の捜査を東京地検特捜部長として指揮した五十嵐紀男弁護士と金丸氏の秘書で金庫番とも言える存在だった生原正久氏の証言で真相に迫る。検察は、金丸氏の立件方針を決めるが、金丸氏側は頑強に出頭を拒否した。このため検察は金丸氏の取り調べを見送り、罪を認める上申書の提出を受けて罰金処理した。これに国民の怒りが沸騰した。当時の検察幹部が「忘れたい」と語るこの上申書決着は、どのようないきさつで決まったのか。連載第3回のこの記事で上申書決着の謎を検証する。

  ▽筆者:村山治

  ▽この記事は9月20日に出版された単行本「小沢一郎vs.特捜検察20年戦争」(村山治著、朝日新聞出版)に収載された原稿の一部を取り出し、それに加筆したものです。

  ▽この連載の第1回:   金丸自民党副総裁の5億円受領「先行自白」舞台裏の真実

  ▽この連載の第2回:   5億円ヤミ献金「帰属」で小沢・金丸氏側と検察の攻防

  ▽注:本文中の敬称は原則、略しています。

 

 ■金丸氏の出頭拒否

 東京地検特捜部は、自民党元副総裁の金丸信の5億円ヤミ献金事件について、公設第一秘書の生原正久と東京佐川急便元社長の渡邊廣康の供述で金丸本人の政治資金規正法違反(政治家本人の寄付の量的制限違反)が成立する、と判断した。最高刑は罰金20万円だが、刑罰は刑罰。東京簡裁に略式請求する前に本人の弁解を聴かなければならない。

 特捜部の佐渡賢一副部長は、金丸の弁護人を名乗っていた安部昌博弁護士に金丸の出頭を打診した。ところが、安部は金丸を出頭させることを拒んだ。

 五十嵐は92年9月10日、直接、安部を呼び、出頭を打診したが、安部は断った。五十嵐が「調べさせない、というなら、逮捕状をとることもあり得る」と言

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筆者

村山 治

村山 治(むらやま・おさむ) 

 徳島県出身。1973年、早稲田大学政経学部卒業後、毎日新聞社入社。大阪、東京社会部を経て91年、朝日新聞社入社。2017年11月、フリーランスに。この間、一貫して記者。
 金丸脱税事件(1993年)、ゼネコン事件(93、94年)、大蔵汚職事件(98年)、日本歯科医師連盟の政治献金事件(2004年)などバブル崩壊以降の政界事件、大型経済事件の報道にかかわった。
 著書に「工藤會事件」(新潮社)、「安倍・菅政権vs.検察庁 暗闘のクロニクル」(文藝春秋)、「市場検察」(同)、「特捜検察vs.金融権力」(朝日新聞社)、「小沢一郎vs.特捜検察、20年戦争」(朝日新聞出版)、「検察: 破綻した捜査モデル」(新潮新書) 。共著に「ルポ 内部告発」(朝日新書)、「田中角栄を逮捕した男 吉永祐介と 特捜検察『栄光』の裏側」(朝日新聞出版)、「バブル経済事件の深層」(岩波新書)。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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