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動き始めた「個人版私的整理ガイドライン」

 東日本大震災の被災者の加重債務問題を解決する手段として8月に導入された「個人版私的整理ガイドライン」。その仕組みと手続き、利用者のメリットなどを福岡真之介弁護士がわかりやすく解説する。法的整理でしばしば問題となる保証人に対する請求制限が盛り込まれた。しかし整理に伴う公的資金補助はなく、詳細なルールは運用に委ねられている。あくまで自主的な同意に依存する制度であり、債務者・債権者双方の協力が不可欠―と福岡弁護士は強調する。

 

動き始めた「個人版私的整理ガイドライン」の概要と今後の課題

弁護士 福岡真之介

福岡 真之介(ふくおか・しんのすけ)
 西村あさひ法律事務所パートナー弁護士、ニューヨーク州弁護士。
 東京大学法学部卒業、デューク大学ロースクール卒業。
 専門分野は事業再生、M&A。著書に『事業再生ADRとDIP型会社更生の実務』(清文社・2009)、『アメリカ連邦倒産法概説』(商事法務・2008)など。

 ■ 二重ローン問題

 東日本大震災(これに伴う原子力発電所の事故を含む)により被災した個人や中小企業が抱える「二重ローン問題」については、報道によっても大きく取り上げられており、ご存知の方も多いであろう。この二重ローン問題を解決すべく、被災者のうち個人と個人事業者については、8月22日から「個人版私的整理ガイドライン」の運用が始まり、初日には180件もの電話相談があったと報道されている。

 「二重ローン問題」とは、典型的には、被災者が、自宅が倒壊したり、津波に流された住宅の住宅ローンを支払わなければならないのにもかかわらず、新しい住宅を建てるためにさらに住宅ローンを組まなければならないという、被災者の過重な経済的負担の問題である。しかし、被災者の中には、そもそも新たに住宅ローンを組むことすらできない人もいるし、抱えている借金も住宅ローンに限られない。「二重ローン問題」という言葉は、被災者の抱えている過重債務問題があたかも二重ローン問題だけであるような印象を与えてしまう危険性があるが、被災者支援の観点からは、被災者が既存の借金を抱えたままでは今後の生活や事業再開に向けて再スタートすることができない状況に対して、どのように支援すべきかという視点が重要であるように思われる。

 この点、「個人版私的整理ガイドライン」は、東日本大震災の影響を受けて、従来の借金を弁済することができない債務者の債務問題を破産などの法的手続を経ずに解決する仕組みであって、二重ローンの解決のみを目的とした仕組みではない。

 もっとも、「個人版私的整理ガイドライン」は、個人と個人事業者のみを対象とし、中小企業を対象としていない。中小企業については、各県ごとに金融機関から債権を買取る公的機関の設立が予定されている(本稿執筆時点では運用は開始していない)。東北地方の復興のためには、個人は当然として、これらの中小企業の復興も重要であり、早急な制度整備が望まれる。

 ■ 個人版私的整理ガイドラインの本質

 ところで、「個人版私的整理ガイドライン」とは一体何なのであろうか。細部を捨象すれば、債務者が、このガイドラインに従って弁済計画を作成すれば、破産などの法的手続を経ることなく、銀行などの債権者から借金の全部または一部の免除などを受けることが期待できるという制度である。

 弁済計画がガイドラインに従っているか否かは、第三者機関である「個人版私的整理ガイドライン運営委員会」が任命する登録専門家によってチェックされる。銀行などの債権者が免除に応じるか否かについての判断は、最終的には債権者に委ねられており、免除に応じる義務があるわけではない。あくまで、債権者と債務者が合意に基づいて借金の整理をする「私的整理」という枠組みのなかで処理されるのである。全債権者のうち1人でも反対すれば、「個人版私的整理ガイドライン」の手続は不成立となる。

 もっとも、債務者が「個人版私的整理ガイドライン」にしたがった弁済計画を提出した場合には、(1)「個人版私的整理ガイドライン」という準則に従っていること、(2)第三者機関が関与していること、(3)ガイドラインに基づく弁済計画の弁済額は債務者が破産・個人再生手続をするよりも高くなることが期待できるため、債権者としても免除に応じることに経済合理性があることなどの理由により、債権者が弁済計画に同意し、債権放棄に応じることが期待できる。逆に、債権者が、ガイドラインに基づいて作成された弁済計画について不同意とする場合には、関係者に対して理由をきちんと説明しなければ社会的批判を浴びることになるであろうし、それが不合理な不同意を抑制するインセンティブとなる。したがって、ガイドラインにしたがった弁済計画であれば、全債権者から同意を取得することも十分可能であると見込まれる。

 ■ 米国法のサブプライムローン債務者の救済策

 状況は異なるが、住宅ローンが返済できなくなった債務者の救済策として、米国のサブプライムローン債務者の救済策がある。その中のプログラムのひとつに、高金利のサブプライムローンの債務者と債権者との間の貸付条件の変更交渉を促進するため、ガイドラインを定めたうえで、ガイドラインに従った条件変更については、債務者の条件変更後の返済額と条件変更前の返済額との差額の一部について、公的資金枠を使って政府が補填するという制度がある。

 このプログラムにおいては、債権者が債務者の月返済額を所得の一定割合までに引き下げる減額を行った場合には、債権者に対して、1,000ドルの前払手数料、成功報酬(年1,000ドルを3年間)およびボーナスが支払われる。債務者にも、約定どおりローンの返済を続けている場合には、元金充当用として年1,000ドルの奨励金が5年間にわたり支払われる。

 この米国の制度は、債権者に対して、住宅ローンの条件変更に対してインセンティブを与えることにより、サブプライムローン債務者の救済を促進するものである。残念ながら、日本の「個人版私的整理ガイドライン」では、公的資金による補填がなされず、債務者の救済促進策としては後退したものとなっている。

 ■ 個人版私的整理ガイドラインの手続

 「個人版私的整理ガイドライン」は、元をたどれば、今から10年前の2001年に制定された企業を対象とした「私的整理ガイドライン」にその原型を見いだすことができる。「私的整理ガイドライン」は多くの企業の再建に利用され、さらにJALなどにも利用された「事業再生ADR」へと発展していった。「個人版私的整理ガイドライン」は、「私的整理ガイドライン」や「事業再生ADR」の個人版であり、その手続も、「私的整理ガイドライン」や「事業再生ADR」と極めて似ている。もっとも、個人を対象としていることから、「私的整理ガイドライン」や「事業再生ADR」の手続が大幅に簡略化されており、その手続の概略は以下のとおりである。なお、手続全体に要する時間は、通常は5~6ヶ月程度と考えられる。

「個人版私的整理ガイドライン」の手続の流れ
 
(1)債務者による債権者全員に対する「個人版私的整理ガイドライン」の利用申出(個人版私的整理ガイドライン運営委員会を経由して行なうことも可能)
 ↓
(2)一時停止(債権者による債権回収行為の禁止)の開始
 ↓
(3)債務者による弁済計画の作成
 ↓
(4)債務者による弁済計画の提出((1)から原則3ヶ月以内)
 ↓
(5)登録専門家による弁済計画のチェック
 ↓
(6)債務者による弁済計画の債権者に対する説明
 ↓
(7)全債権者による弁済計画に対する同意/不同意((6)から原則1ヶ月以内)
 ↓
(8)弁済計画の成立/不成立
 ↓
(9)弁済計画の実行(弁済計画が成立した場合)

 ■ 弁済計画

 本ガイドライン手続では、債務者は、借金のうち、どれだけの金額について免除を受け、残りをどのように支払うのか(一括・分割、分割回数など)についての弁済計画を作成する必要がある。この点、債務者が独自に弁護士などに依頼することも可能であるが、個人版私的整理ガイドライン運営委員会に依頼すれば、弁済計画の作成を支援してくれる登録専門家(弁護士、公認会計士、税理士ら)を紹介してくれるという手厚い体制が敷かれている。登録専門家の利用料は無料とされることが予定されている。(個人版私的整理ガイドライン運営委員会は、弁済計画の作成を支援するという債務者側の専門家と、弁済計画のチェックをする第三者としての専門家の2種類の専門家を供給している。)

 債務者の作成する弁済計画には、大きく2種類ある。一つは弁済型で、もう一つは清算型である。

 弁済型とは、将来において比較的安定した収入が見込める債務者が、その収入の中から弁済していく方法である。弁済額は、収入・資産などを考慮した生活実態等を踏まえた弁済能力により定められるものとされているが、明確な基準は設けられていない。もっとも、弁済額は、債務者が破産したと仮定した場合の配当額よりも上回らなければならない。弁済の期間は原則として5年以内とされている。これは債務者に長期間債務を支払わせることによる「債務奴隷」とすることは債務者の再スタートを害することから期間を限定したものである。

 清算型とは、ガイドライン利用申出の時点の資産をすべて金銭に換価して、債権者に配当するという弁済計画である。もっとも、破産した場合に自由財産とされる財産(例えば99万円以下の現金や家財道具など)は配当の対象から除かれ、債務者が保有することができる。要は、清算型の弁済計画は、破産と同じ発想に基づき、債務者の財産を現金化して、債権者に配当するものである。今後の運用面では、「何が自由財産に該当するか」という点が問題になると予想される。

 ■ 個人版私的整理ガイドラインを利用するメリット

 「個人版私的整理ガイドライン」の債務者のメリットとしては、そもそも破産や個人再生などの法的整理を回避することができることに加えて、信用情報登録機関に登録されないという点が挙げられる。したがって、金融機関にリスケや債権放棄を求めても、そのことにより、今後の住宅・自動車の購入の際の借入やクレジットローンの利用に支障が生じることはない。

 また、画期的といえるのは、債権者が保証人に対して請求することについても制限がされることである。法的整理を申し立てた場合には、このような制度はなく、保証人に対する債権者の請求を制限することはできない。ガイドライン上は、保証人の責任の度合いや保証人の収入・資産などの生活実態を考慮して、保証履行を求めることが相当と認められる場合を除いて、債権者は保証人に保証履行を求めないこととされている。なお、どのような場合が保証人に「保証履行を求めることが相当と認められる場合」かについてはガイドラインには具体的には定められていない。

 一方、債権者である金融機関としても、弁済計画に基づく債権放棄は無税償却が可能となることが明確化されており、また、弁済計画が成立した債務者の債務者区分を破綻懸念先から要注意先に引き上げることが認められるといったメリットがある。

 これらの弁済計画の基礎となる情報については、資料による裏づけも必要とされているが、債務者の自己申告に依存している部分も大きい。債務者が嘘をついている場合、登録専門家が弁済計画をチェックするといっても、破産管財人と比較して、債務者の嘘を見破るのは難しい。しかし、債務者の嘘が後で発覚した場合には、成立した弁済計画が無効になるという制裁が課されるので、虚偽の申告をする債務者はそれほど多くないと想定される。

 ■ 最後に

 以上、「個人版私的整理ガイドライン」の仕組みを説明してきたが、あくまで、全ての債権者の任意の同意が必要な私的整理の一つであり、一民間企業である債権者が、国からの資金援助もなく、損失を伴う債務の免除をすることには限界がある。被災地の地元金融機関など、債権者自身も被災者の場合もある。

 また、「個人版私的整理ガイドライン」については、詳細な事項は定められておらず、多くの点が、運用に委ねられている。「個人版私的整理ガイドライン」が成功するか否かは今後の運用にかかっているといってよい。

 例えば、被災者に安定的な収入があり既存の住宅ローンの弁済ができるが、新規に住宅ローンを組んで自宅を再建するまでの収入はない場合に、「個人版私的整理ガイドライン」の基準に照らして、既存の住宅ローンの減額・条件変更が認められるか否かについてはガイドラインの文言上、明確ではなく、現在、議論がされているところであり、今後の運用の中で方針が定まっていくものと考えられる。

 債務免除額を巡る交渉は、債務者と債権者との間のゼロサムゲームである。債務者が免除額を多く勝ち取れば、債権者の損失額はその分だけ拡大することになる。債務者側が免除額を大きくするように要求する一方で、債権者側としては免除額が増加することに抵抗を示すことが当然に予測される。そこで両者の綱引きになるわけである。しかし、債務者側にあまりにも偏った弁済計画については、債権者は不同意とするであろうし、他方、債権者側が不合理に不同意を連発する場合には、債務者側の債務問題の解決にならない。本ガイドライン手続では、米国のサブプライムローン債務者の救済策のような経済的インセンティブが与えられておらず、債権者の自主的な同意に完全に依存している制度である。このような本ガイドライン手続の性質上、債務者と債権者の双方の協力が不可欠である。今後の運営については、どちらか一方に偏るのではなく、バランスの取れた解決を目指すことが重要となる。

 今後の運用の中で、「個人版私的整理ガイドライン」と、その運用の最前線に立つ個人版私的整理ガイドライン運営委員会および登録専門家が、債務者と債権者の双方の信頼を勝ち取ることで、「個人版私的整理ガイドライン」が上手く機能し、多くの被災者の方の再生が図られることを強く願ってやまない。

 福岡 真之介(ふくおか・しんのすけ)
 西村あさひ法律事務所パートナー弁護士、ニューヨーク州弁護士。東京大学法学部卒業、デューク大学ロースクール卒業。2006年-2007年シュルティ・ロス・ゼイベル法律事務所(米国)、2007年-2008年ブレーク・ドーソン法律事務所(オーストラリア)。専門分野は事業再生、M&A。著書に『事業再生ADRとDIP型会社更生の実務』(清文社・2009)、『アメリカ連邦倒産法概説』(商事法務・2008)など。主な論文に『大規模DESにより株式を交付する再生計画の諸論点 - (株)プロパストの事例を契機として』(NBL No.941(2010))。