メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

津波で教習生25人死亡、遺族が自動車学校を提訴

 東日本大震災の津波で宮城県山元町の常磐山元自動車学校の教習生25人(18~19歳)が死亡した事故で、遺族が14日、学校を経営する会社と経営者ら10人を相手取り、計約19億円の損害賠償を求める訴えを仙台地裁に起こした。大津波が予見できたのに、海に近い校内に教習生を約1時間待機させたなどと主張している。

  ▽筆者:木下こゆる

  ▽この記事は2011年10月14日の朝日新聞夕刊と10月15日の朝日新聞宮城版に掲載された原稿を再構成したものです。

  ▽関連記事:   震災が関連する訴訟の事例 阪神・淡路の経験

  ▽関連記事:   津波で送迎バスの園児死亡、4遺族が幼稚園側提訴

 

遺影を持って仙台地裁に向かう遺族たち=14日午前10時59分、仙台市青葉区、小宮路勝撮影

 東日本大震災の遺族が学校などの管理責任について起こした損害賠償請求訴訟は、同県石巻市の幼稚園の送迎バスに乗っていた園児5人が死亡した事故に続き2件目。

 訴えたのは25人全員の遺族46人。訴状によると、3月11日の震災後、学校側は教習生を敷地内に待機させ、教習再開を協議した。約1時間後、停電したため教習中止が決まり、教習生約40人が送迎車7台に分乗して順に出発した。うち5台が津波に巻き込まれ、4台に乗っていた教習生23人が死亡。路上教習中に教官の判断で学校に戻り、徒歩で帰宅途中だった教習生2人も亡くなった。送迎車を運転していた教官4人と校内に残っていた校長らも津波に遭い、死亡した。

 遺族側は、学校側が教習生を守る安全配慮義務に違反したなどと主張。(1)校長らがテレビなどで大津波警報発令を知りながら、送迎車しか交通手段のない教習生に対して避難を指示しなかった(2)教習再開を優先し、教習生に待機を命じた(3)災害に対するマニュアルを作っておらず適切な対応を欠いた――などと指摘している。

 徒歩で帰宅途中に死亡した2人についても、路上教習をしていた現場の状況から避難すべきだと判断できたのに、学校に戻らせたとしている。

 学校側は4月、遺族に対し、「津波で多数の死者が出たのは一般人の多くが津波を予想しなかったからで、学校にも予見可能性はなかった」「予見できたとしても教習生は自ら避難することができ、避難指示を出さなかったことと教習生の死亡との因果関係はない」とする文書を送付、損害賠償請求には応じられないと主張していた。

 ■遺族ら「防げた死、人災だ」

 「常磐山元自動車学校教習生25人の遺族会」(46人)によると、遺族たちは遺体を捜すうちに知り合った。学校側は3月20日から3回説明会を開いたが、4月に予定されていた4回目には姿を見せず、弁護士を通じて「教習生は自ら避難できた」などと主張。損害賠償しない姿勢を示した。

仙台地裁に提訴した後、記者会見する遺族ら=14日午前11時47分、仙台市青葉区、小宮路勝撮影

 遺族会代表の寺島浩文さん(49)の携帯電話には、長男の佳祐さん(当時19)からの最後のメールが残っている。「バス出る。大丈夫だ」とあった。

 送信時刻は3月11日午後3時43分。地震発生後約1時間まで教習生が学校にいたことを示す証拠にした。生き残った教習生や教官の話からも、遺族は「校長らが、停電した午後3時20分ごろまでテレビを見て大津波警報発令を知っていたのに、教習生を避難させなかった」と主張している。

 先月18日は、佳祐さんの20歳の誕生日になるはずだった。一緒に酒を酌み

・・・ログインして読む
(残り:約336文字/本文:約1703文字)