2011年12月07日
西村あさひ法律事務所
弁護士 川合 弘造
■はじめに
独禁法というと、カルテルや談合あるいは私的独占の規制が取り上げられることが多いが、もう一つの大きな柱として、企業結合規制がある。最近では、新日本製鐵と住友金属工業の統合案件や東京証券取引所と大阪証券取引所の統合問題などにみられるように、大型の事業統合が独禁法上の企業結合規制のクリアランスとの関係で問題となるたびに、新聞紙上などでも取り上げられることが多くなっている。
「リーマンショック」といわれる世界金融危機以前、M&Aの世界では、ファンド(ファイナンシャル・バイヤーとも呼ばれる)が日本ではもちろん、世界的にも主役であった。この時代は、買収者であるファンドが保有するその他のビジネスと対象企業のビジネスとの間で事業が重複することは稀であり、その結果、ファンドの主導するM&Aと独禁法の企業結合規制との間で緊張が生じることは必ずしも多くはなかった。
しかしながら、世界金融危機以降、日本の主要な企業を含めた国際的な競争にさらされている数多(あまた)の企業で、収縮する国内市場での生き残り、拡大する国際市場での競争力の強化、多額の研究開発資金の確保、重複投資の削減、その他様々な理由で、同業者間又は垂直関係にある業者間でのM&Aを考えない企業は、もはや存在しないといっても過言ではない状況になってきている。
こうした統合が著しく進んでいる業界としては、例えば、ハードディスク・ドライブ(HDD)業界が挙げられよう。1980年代には100社近くあったといわれているHDD業界であるが、現在では既に5社に集約されている。これに加えて、さらに、本年春に、Seagate Technology InternationalがSamsung Electronics Co.,Ltd.のHDD事業の買収を、Western Digital Ireland,Ltd.がViviti Technologies Ltd.(旧 Hitachi Global Storage Technologies Holdings Ltd.)の株式取得を発表し、この二つが同時に実現すれば、世界市場における競争事業者が一気に三社に減少してしまう事態に至ることとなった。こうした中、この二つの統合案件のうち、欧州委員会に一日の差で早く届出書を提出し受理された前者のSeagate Technology Internationalの案件は欧州委員会からクリアランスを取得したものの、後者のWestern Digitalの案件については、依然としてクリアランスを取得できておらず、その統合が無傷のままでは認められない可能性が高まっている。このように届出書受理の先後で、企業結合審査の結果が異なるとすれば、まさに企業結合審査を担当する弁護士が、如何に速やかに競争当局が異議無く受け取ることのできる内容の届出書を作成し、これを競争当局をして一日でも早く受理せしめるかが、極めて重要な意味を持つこととなる。
これまで、多くのM&A取引では、独禁法を専門とする弁護士は、取引内容がほぼ確定した段階で、形式的に、関係する競争当局に対して企業結合審査のための届出書を提出する程度の補助的な業務が中心であり、よほど市場占拠率が高くなる取引でない限り、取引の早期から案件に関与をすることは稀であった。しかしながら、現在では、M&Aを専門とする法的アドバイザー(弁護士)や、場合によっては財務アドバイザーの選任以前に、密かに独禁法を専門とする弁護士が当事会社に求められてM&Aのスケジュールの策定にかかわることが増えてきているのが実情である。
■大規模M&A案件における独禁法専門弁護士の役割
このような大規模M&A案件で、独禁法を専門とする弁護士の果たしている、あるいは今後果たすべき役割について、簡単に説明することとしたい。
勿論、M&A取引においては、会社法、租税法、(上場会社の場合には)金融商品取引法、労働法、社会保障法、不動産法、保険法などを専門とする弁護士の関与は常に必要となるし、デュー・デリジェンス調査を行うためのスタッフも必要とされる。のみならず、多数の取引を経験したM&A専門弁護士が契約交渉を主導することが一般的であって、このこと自体は今後とも変わらないであろう。こうした専門の弁護士は、取引の両当事会社からそれぞれ選任されることが普通であるが、基本的には当事会社間の意見の相違は、両社間の交渉で解消される。しかしながら、独禁法の下での企業結合審査では、世界各国の様々な競争法当局という、取引当事者から見ると完全な第三者、しかも公権力を有する当局との間での折衝が求められ、場合によっては、M&Aを専門とする弁護士が英知の限りを尽くして創り上げた買収スキームが、こうした買収スキームには全く関心のない、たった一国の競争当局の一担当官の判断によって無為に帰してしまう事態すらある。それだけに、競争法上のクリアランスを取得するために、意見や価値評価の異なる両当事会社間で落としどころを探す交渉とは明らかに性質の異なる折衝が、競争法上のクリアランスを取得するために、世界各国の競争当局との間で行われることとなる。
実は、独禁法ローヤーがM&Aに早期に関与をすることが求められるようになったのは近年のことでしかないが、現在、大型のM&A、とりわけ、事業の重複する当事者間のM&Aにおいて、独禁法ローヤーが果たしている役割には以下のようなものがある。
(1) 企業結合審査に耐えられる案件か、競争当局を説得できる可能性のある案件かについての実質的な検討
(2) 企業結合審査のスケジュールとM&A取引のスケジュールとの調整
(3) 両当事会社間における統合前の情報交換ルールの確立
(4) M&A検討文書の確認(とりわけ取締役会などに提出する文書の管理)
(5) 広報戦略との調整
以下、順次、概説することとしたい。
■結合審査クリアランスを得られるかの瀬踏み
まず、(1)の企業結合審査でクリアランスを得られるか否かの検討は、案件の成否自体に関わる問題であるため、まさに、M&A案件で交渉を開始するか否かを左右するものであり、過去に同種の案件に関与をした経験を有しているばかりでなく、最新の世界各国における競争当局の傾向を熟知した専門家の関与が求められることが多くなってきている。M&Aの交渉を一旦開始してしまうと、多額のtransaction costを要するばかりでなく、交渉開始がマスコミを通じて報じられることにより、利害関係者間において、あたかも事業結合が既定の事実であるかのように受け止められてしまい、その結果として、事業環境が大きな変化に直面することもある。にもかかわらず、M&Aが関係するいずれかの競争当局によって認められない事態が生じると、それまでに要した多額のtransaction costが無駄になってしまうだけではなく、M&Aの成立を前提として形成された外部環境が大きな影響を受けることとなる。このような案件では、M&A専門弁護士とともに世界各国の企業結合審査実務に通じた弁護士が、各地の競争当局の審査姿勢を前提にして、クリアランスを得られる可能性、クリアランスを得るために必要となるであろう代償としての問題解消措置の内容を早い段階から検討することとなる。過去、欧州でミタル社が、アルセロール社に対して公開買付け(TOB)を仕掛けるに当たっては、競争当局である欧州委員会の姿勢を事前に想定して、予め自ら有している大型形鋼ラインの第三者への売却を予定していたといわれているが、スムーズに案件を進めるための問題解消措置の想定・準備についても、独禁法ローヤーの果たす役割が極めて重要である。
■競争当局審査を織り込んだスケジュール調整
次に必要となるのは、(2)の、M&A取引のスケジュールと各国競争当局による企業結合審査のスケジュールとをシンクロさせたスケジュールを策定することである。勿論、取引スケジュールは、会社法の規制、TOB規制その他の公的規制や、取引当事会社の第三者との契約上の制限に服するため、企業結合審査だけが取引スケジュールを左右するわけではないが、現在世界では100近い国々に企業結合審査制度があると言われており、当該M&A取引がそのどの国の企業結合審査を受ける必要があるかを早期に確定し、そこでの審査スケジュールを早急に確認した上で、M&A取引で想定されている各種のスケジュールとの整合性を確保する作業が不可欠になりつつある。特に、各国毎の企業結合審査の手続やスケジュールは一様ではないため、確定的な契約締結のタイミングと、想定されている取引の実行日を、こうした世界各国の審査スケジュールと整合的なものとする必要がある。例えば、日本や韓国のように両当事者間で契約が締結されていなくても企業結合審査の開始に柔軟な国がある一方で、中国のように確定的な契約が締結されていなければ企業結合審査の申請を受け付けない、あるいは立件しないとする国が存在しているため、中国での審査に要する期間を想定すると(中国では一次審査では終わらないことが一般的―約95%と言われている―であるために、二次審査に移行することを想定したスケジュール管理が必要となる)、確定契約締結と取引の実行日のとの間に適切な期間を置いておく必要が生じる場合もある。また、確定契約の締結など一定の要件に該当する事象の生じた後に、一定の期間内に企業結合審査の届出を行わなくてはならないとしているブラジルのような国も存在している。こうした国では、例え競争法上の問題が生じる可能性が乏しくても、求められた期限までに届出を行う必要が生じる。
このように、大型のM&A取引では世界で10カ国以上の競争当局に届出を提出しなければならないところ、各国において企業結合審査を受けるスケジュールを取引のスケジュールと予め整合的に組み立てておかなければ、想定されている取引実行日までに競争当局のクリアランスが取れていないという事態すらも発生しかねない。もっとも、現実の取引の世界では、当初注意深く立てたスケジュール通りに交渉が進まないのもしばしば見られるところである。その結果、取引実行日は変わらないにも拘わらず、交渉が長期化してしまった結果、確定契約締結日だけが後ろにずれ込むことはよくあることであるし、そもそも競争法の必要性だけで取引スケジュールが確定するわけでもない。このため、企業結合審査を担当する各国の弁護士とその他の関係者間では、しばしば緊張が生じがちである。
■独禁法違反に抵触しない情報交換ルールの策定
また、近年、急速に意識されるようになってきている問題として、(3)の、M&A当事者(とりわけ、競争関係にあるM&A当事者)間での情報交換や、M&Aの完了を前提とした事前準備活動の問題がある。これは、2010年12月8日付けの本シリーズにおける島田まどか弁護士の論稿で既に検討されているところであるが、所謂、「独禁法ガン・ジャンピング規制」(ガン・ジャンピングとは日本でいうフライングのこと)の問題である。
この問題を簡単に説明すると、そもそも、M&Aの両当事会社は、取引実行日の翌日から、両当事会社が以前から一体の会社であったかのように事業を行う、所謂、垂直的な立ち上げを目指して、事前に当事会社間で事業に関する情報を交換し、あるいは、実際にも必要な投資を調整するなどの準備行為を実施することを強く希望するのが一般的である。しかしながら、両当事会社が競争事業者である場合には、その間での情報交換や一定の共同行為は、独禁法上、不当な取引制限(カルテル)として取締りの対象となり、また、競争当局への届出とクリアランスの取得が必要とされる統合案件においてクリアランス取得前にこのような行為を行うことは届出制度の潜脱となるため、独禁法に携わる弁護士は、当事会社の希望する情報交換行為や事前準備行為に対しては慎重な姿勢をとらざるを得ない。こうした問題は、日本では、従前はさほど問題視されていなかったところであるが、欧米で裁判で争われたり、欧州の競争当局が摘発の動きを示したことなどもあり、近年、実務において急速に関心を集めるに至っている。
■結合審査に影響しない社内文書作成指導
次に、(4)の、M&A検討文書の確認の問題がある。日本企業間の大型のM&A案件の場合、米国や欧州においても企業結合審査の届出が必要となることが多く、場合によっては、30日程度の簡易な審査では完了せず、詳細審査(二次審査)が必要となる例もある。例えば、パナソニックによる三洋電機の買収では、モトローラ社の反対運動もあり、日本のみならず、欧米や中国などでも二次審査が行われている。このような段階に至ると、欧米の競争当局などは、様々な文書の提出を当事会社に求めることとなる。この点、米国の場合には、一次審査段階でも、企業結合審査に関する法律であるハート・スコット・ロディーノ法(HSR法)に基づき、当事会社及びそのグループ会社の役員により、又はそれらの役員のために、当該企業結合に関し、マーケット・シェア、競争状況、競合他社、市場、製品又は地理的市場における成長の見通し、シナジーや効率性効果などについて評価・分析するために作成された各種の企業の内部文書(投資銀行などの外部のアドバイザーが作成するものを含む)の提出が、企業結合審査の届出の際に求められている。欧州委員会も、最近では、当事会社に対して、このような資料の提出を求める例が増えてきているようである。しかし、M&A取引を斡旋仲介する財務アドバイザーや、企業内でM&Aを推進する企画部門などは、案件を積極的に進めようとする余り、取締役らに対する説明文書において、両当事会社間のM&Aの結果、市場において如何に主導的かつ圧倒的な地位を占めることになるのか、ないし競争力を強化することになるのかを、殊更に誇張して記載しがちである。このような場合、企業結合審査に関わる弁護士としては、後からこの種の文書の存在に直面して当惑する場合もある。こうした書面が作成され、取締役会に一旦、提出されてしまうと、競争当局に対して提出が義務づけられたり、競争当局から求められれば提出せざるを得なくなる(ひいてはそれが企業結合審査に際して両当事会社にとって不利に働く)事態も十分考えられる。こうした事態を回避するためには、競争当局に対しての提出が求められる可能性のある文書についての作成指針(誇張や願望を込めた記載を避け、客観的な事実記載に徹すること)を指導することも、今後は独禁法ローヤーの重要な業務になるのではないかと思われる。
■結合審査を意識した広報戦略指導
最後に、(5)の広報戦略についても、企業の広報担当者あるいはPR会社との間で調整をすることが求められつつある。企業の広報担当者の一般的傾向として、M&Aに関する合意を発表する際に、どうしても、これを肯定的にとらえ、更に、必要以上に統合後の市場におけるプレゼンスを誇張しがちであり、適切な市場分析もしないままに、市場内のごく一部のセグメントにおける市場シェアの大きさを、実際以上に大きく見せようとする例が頻繁に見られる。しかしながら、このような広報活動は、競争当局との折衝を担当する弁護士にとっては、背後から不意打ちを受けるに等しい場合もある。各国の競争当局により行われる企業結合審査では、市場(一定の取引分野)の画定と当該取引分野における企業結合がもたらす競争制限効果の二点が核心的な論点となるが、広報担当者が自ら市場を画定し、その市場での市場シェアの大きさを対外的に強調すればする程、競争当局は、市場でのプレイヤーである当事会社自らが市場の範囲を画定し、そこでの競争制限効果を自認している以上、それと反する認定は不要であるなどという判断に傾きかねず、その結果、企業結合審査における競争当局との折衝が難航することになりかねない。この意味でも、広報戦略面でも、企業結合審査に携わる弁護士としては、当事会社との微妙な調整が必要になる。
■おわりに
上記のように、企業結合審査が世界的に普及した結果、M&Aに関わる弁護士の中で、従前は補助的な役割しか果たしていなかった競争法を専門とする弁護士(独禁法ローヤー)の取引全般への関与の割合が、大型の取引であればある程、高まる状況となっている。更に、企業結合審査が、中国やインドなどでも積極的に実施されるようになった結果、競争法を専門とする弁護士の世界的なネットワークが、グローバルなM&Aを円滑に行うために不可欠になりつつある。
また、企業結合審査を専門とする弁護士の業務の面でも、最近では、当事
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください