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公募増資時の空売り規制と今後の課題

有吉 尚哉

 公募増資公表直後の空売りを規制するための金融商品取引法関連の政府令の改正が行われ12月1日から施行された。これにより新株の発行価格を大幅に下落させて利益を得ようとする不公正取引に一定の歯止めがかかることが期待される。問題は、今回の規制対象から外れた増資公表前の空売りだ。内部情報に基づく違法な取引が横行しているとされ、証券取引等監視委員会が内偵調査を進めている。金融庁への出向経験があり、金融規制に詳しい有吉尚哉弁護士が、新規制の内容を詳細に解説するとともに、増資公表前の情報管理の徹底や違法なインサイダー取引の摘発強化の必要を訴える。

 

公募増資時の空売り規制の導入

西村あさひ法律事務所
弁護士 有吉 尚哉

有吉 尚哉(ありよし・なおや)
 2001年東京大学法学部卒業。2002年弁護士登録。2010年~2011年金融庁総務企画局企業開示課出向。現在、西村あさひ法律事務所弁護士。金融法委員会委員。資産流動化取引その他の金融取引、信託取引、金融商品取引業その他の金融関連規制への対応等を担当。

 ■ はじめに

 近年、わが国の上場企業による公募増資に際して、その公表後に株価が大幅に下落する事例が散見される。増資が行われると、少なくとも一時的には一株当たりの利益の希釈化が生じ、株価が下落するのが通常であるが、このような事例では、一時的な利益の希釈化の影響だけでは説明がつきにくいほどの大幅な株価の下落が見られる。

 金融庁では、こうした問題の要因の一つとして、「増資公表後、新株の発行価格決定までの間に空売りを行った上で新株を取得するという新株の発行価格を歪める取引が行われている」という指摘があることを挙げ、増資公表後、新株の発行価格決定までの間に空売りを行った上で新株を取得する取引を禁止するための関連政府令の改正を行うことを公表していた(金融庁が平成22年12月24日に公表した「金融資本市場及び金融産業の活性化等のためのアクションプラン(最終版)」)。

 そして、平成23年12月1日に施行された金融商品取引法の関連政府令の改正により、公募増資時における空売りに関する新たな規制が導入された。この規制は、公募増資時に行われる空売りに関して、わが国市場における取引の公正性を確保する観点から設けられたものとされている。

 この点、米国においては、以前から「レギュレーションMルール105」と呼ばれる規制により、公募の公表後に、対象である有価証券について空売りを行って、引受証券会社等から当該有価証券を買い付けることが禁じられている。今回わが国で導入された規制は、この「レギュレーションMルール105」を参考に制度化されたものと考えられる。

 以下、この規制の具体的な内容について解説をした上で、規制の導入により公募増資時に株価の大幅な下落を引き起こすような不公正取引を防ぐことが可能となるのか、若干の考察を行う。

 ■ 規制の全体像

 今回導入された公募増資時における空売りに関する規制は、具体的には2つの規制から成り立っている。

 一つ目は、一定の範囲で、公募増資時に取得した有価証券によって、空売りに係る有価証券の借入れの決済を行うことを禁止する規制(以下「本件空売り規制」という)である(金融商品取引法施行令26条の6、有価証券の取引等の規制に関する内閣府令15条の5~15条の8)。

 二つ目は、公募増資を取り扱う金融商品取引業者等(証券会社)に、本件空売り規制について、顧客に対する一定の通知義務を課す規制である(金融商品取引業等に関する内閣府令123条1項26号)。

 以下、それぞれの規制の内容について解説する。

 ■ 空売りに係る有価証券の借入れの決済に関する規制

 今回の改正により追加された金融商品取引法施行令26条の6第1項は、何人も、有価証券の募集・売出しが行われる旨の公表がされてから発行価格・売出価格が決定されるまでの期間において、当該有価証券と同一の銘柄につき取引所金融商品市場における空売り又はその委託等の申込みを行った場合には、当該募集・売出しに応じて取得した有価証券によって当該空売りに係る有価証券の借入れの決済を行ってはならない、という本件空売り規制を定めている。

 まず、本件空売り規制の対象は「何人も」とされているため、取引を行った者の属性にかかわらず、禁止の対象となることに留意が必要である。

 規制対象となる空売りの期間は、「有価証券の募集又は売出しが行われる旨の公表がされてから当該有価証券の発行価格又は売出価格が決定されるまでの期間として内閣府令で定める期間」である。具体的には、対象となる有価証券の募集・売出しに係る有価証券届出書又は臨時報告書が公衆縦覧に供された日の翌日から、当該有価証券の発行価格・売出価格を決定したことに係る(有価証券届出書の)訂正届出書又は(臨時報告書の)訂正報告書が公衆縦覧に供された時点までの期間とされている(有価証券の取引等の規制に関する内閣府令15条の5)。有価証券の募集の場面だけでなく、売出しの場面においても規制の対象とされていることに留意が必要であるが、いわゆる既開示有価証券(例えば上場株式)の売出しについては、有価証券届出書も臨時報告書も提出が必要とされないことから(金融商品取引法4条1項3号参照)、本件空売り規制の適用対象とはならない。また、有価証券届出書・臨時報告書が公衆縦覧に供された時点で、既に発行価格・売出価格が決定し、公表されている場合には、本件空売り規制は適用されないことになる。

 規制対象となる空売りは「取引所金融商品市場における空売り」に限定されており、市場「外」で行われる空売りは規制対象とはならない。なお、現状、店頭売買有価証券は存在しないが、法令上、認可金融商品取引業協会の開設する店頭売買有価証券市場における店頭売買有価証券に係る空売りについても、規制の対象とすることとされている(金融商品取引法施行令26条の6第3項)。

 禁止される行為は、「募集又は売出しに応じて取得した有価証券により当該空売りに係る有価証券の借入れの決済」を行うこと、である。規制の潜脱を防止する観点から、借入れに準ずるものとして定められた「売戻条件付売買又はこれに類似する取引による買付け」の決済を行う場合についても規制の対象となる(有価証券の取引等の規制に関する内閣府令15条の6)。

 なお、複数の取引や複数の当事者が介在し、形式的には、募集・売出しに応じて取得した有価証券により当該空売りに係る有価証券の借入れの決済を行っているとは言えないように思われる場合であっても、「一連の行為により、又は複数の者が一体となって、実質的に募集又は売出しに応じて取得した有価証券により空売りに係る有価証券の借入れの決済を行っている場合には、規制の対象となり得る」という考え方が金融庁から示されている(金融庁が平成23年8月26日に公表した「「金融商品取引法施行令の一部を改正する政令(案)」等に対するパブリックコメントの結果等について - コメントの概要及びコメントに対する金融庁の考え方」(以下「パブコメ回答」)参照)。一方で、形式的には、同一の主体が募集・売出しに応じて取得した有価証券により当該空売りに係る有価証券の借入れの決済を行っている場合であっても、空売りと募集・売出しによる有価証券の取得とが、異なる信託口座で別々に行われる場合や、投資運用業者において独立した運用部門の異なるファンド・マネージャーの投資判断に基づき別々に行われる場合など、「空売りと募集又は売出しに係る有価証券の取得が別々の投資判断・勘定により行われる場合には、空売りに係る借入れのポジション(勘定)を新株取得によって解消するものでなければ、金商法施行令第26条の6の禁止規定は適用されない」と説明されている(パブコメ回答参照)。このように、ある取引が本件空売り規制の適用対象となるか否かは、行為の形式面だけから判断するのではなく、規制の趣旨から実質的に判断することが求められていることに注意が必要である。

 ここまで説明した要件に該当する取引であっても、内閣府令で定められる一定の取引については、本件空売り規制の適用除外とすることが定められている(金融商品取引法施行令26条の6第2項)。具体的には、[1]有価証券先物取引、[2]国債、地方債、新株予約権付社債以外の社債、ETF、投資法人債券、これらに類する外国の証券などの一定の有価証券の空売り、[3]立会外の市場取引については、規制を適用しないものとされている(有価証券の取引等の規制に関する内閣府令15条の7)。

 この本件空売り規制は、公募増資時における市場の公正な価格形成を歪めるおそれのある空売りを抑止することを目的としたものと考えられる。市場で取引を行う者は、行為規範として本件空売り規制を遵守することが必要となることは言うまでもない。しかしながら、実際にこの規制に違反した者が現れたとしても、それを捕捉することは必ずしも容易ではないと考えられる。そこで、本件空売り規制の実効性を高める観点から、次に説明する金融商品取引業者等による通知義務も併せて制定されている。

 ■ 金融商品取引業者等の顧客への通知義務

 今回の改正により追加された金融商品取引業等に関する内閣府令123条1項26号は、上場有価証券等の募集・売出しの際に金融商品取引業者等に一定の通知義務を課すものである。具体的には、上場有価証券等の募集・売出しの取扱いを行う場合において、顧客に当該有価証券を取得させようとするときに、あらかじめ、当該顧客に対し、書面等により本件空売り規制の内容及び「本件空売り規制に違反する場合には有価証券を取得させることができない旨」を適切に通知することを金融商品取引業者等の業務運営として求めている。この通知義務は、本件空売り規制の実効性を高めるため、金融商品取引業者等が証券市場におけるゲートキーパーとしての役割を果たすことを期待したものと考えられる。

 通知を行う時期は、顧客に有価証券を取得させようとするときに「あらかじめ」とされている。具体的には、「違反行為の未然防止の観点から、顧客が新株取得について検討を行う前に規制内容等を周知することが適当であるため、募集又は売出しに係る有価証券の取得の勧誘を行う前に通知する必要がある」という考え方が金融庁から示されている(パブコメ回答参照)。したがって、有価証券の受渡しまでに通知を行うのでは足りず、勧誘を行う前に通知を行うことが必要ということになる。

 通知の方法については、「書面又は電磁的方法」によることが求められているが、法令上、具体的な方法が決められているわけではない。実務的な対応としては、例えば、公募・売出しに際して交付される目論見書に本件空売り規制に関する事項を追記することにより、顧客に対する通知を行うことが考えられよう。なお、「適切に」通知することが求められており、金融商品取引業者等は、適合性の原則も踏まえて個々の顧客の能力や属性に応じた説明を行うことが望ましいと考えられる。

 この規制は、あくまでも金融商品取引業者等に顧客に対する通知義務を課すものであり、「コンプライアンスの観点から、顧客に対し通知したことを事後的に検証し得る態勢を構築する必要がある」とされているが、「金融商品取引業者等に対し、顧客の規制遵守状況について積極的な確認を義務付けるもの」ではないと説明されている(パブコメ回答参照)。ただし、一方で、「金融商品取引業者等の業務の健全性・適切性の観点からは、金融商品取引業者等において、顧客が規制に違反することを把握した場合には新株等の割当てが行われないよう、適切な対応が行われるべき」という金融庁の考え方が示されている(パブコメ回答参照)。金融商品取引業者等は、証券市場におけるゲートキーパーとしての役割を期待されていることも踏まえて、市場の公正性の確保にも配慮した業務運営を行うことが望ましいと考えられる。

 ■ 公募増資公表前の不公正取引の問題

 今回の規制の導入により、公募増資時における不公正取引が一定程度抑制されることが期待されるが、本件空売り規制は、公募増資公表”後”、価格決定までの期間の行為を規制するものであり、公募増資公表”前”の行為を対象とするものではない。しかしながら、公募増資時における株価下落の問題については、(真偽のほどは定かではないが)プレ・ヒアリングなどを通じて公募増資公表前に情報を得た者が、空売りなどを行うことによって利益をあげているという懸念があることが、一番の問題であると考えられる。

 この点、前述の金融庁のアクションプランでも、増資公表後の空売りの問題と並べて「増資公表前に内部情報に基づく不公正な取引が行われている」という指摘があることを掲げ、自主規制機関に対し、増資公表前における上場会社や引受証券会社等の情報管理の徹底について検討を要請することを公表していた。そして、金融庁からの要請に基づき、日本証券業協会・東京証券取引所(自主規制法人)・大阪証券取引所から、それぞれ、会員・上場企業に向けて情報管理に関する注意喚起が行われている。

 また、近時、過去の公募増資事案での増資公表前

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