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インドネシアの新法制定:通貨と国語に見る困惑

吉本 祐介

 年に数%の経済成長を続け、国民の購買意欲も旺盛なインドネシアでビジネスを拡大しようという日本企業が増えている。一方で、その司法制度や法制面では未だに問題が多いという。西村あさひ法律事務所からインドネシア最大の法律事務所に出向中の吉本祐介弁護士が、インドネシア通貨とインドネシア語の利用を日本などの企業にも強制しているかのように読める二つの新法を素材に実情を解説する。

 

インドネシアの法令制定に伴う混乱
~通貨法などを題材として~

西村あさひ法律事務所
弁護士・NY州弁護士
吉本祐介

 ■ はじめに

吉本 祐介(よしもと・ゆうすけ)
 2002年、弁護士登録。2001年東京大学法学部第一類卒業。2010年、コロンビア大学ロースクール(LL.M.)修了。2011年、ニューヨーク州弁護士登録。三井物産株式会社及び米国三井物産株式会社に出向。現在インドネシアの法律事務所に出向中。
 インドネシアを中心としたアジア進出案件などを主に取り扱う。

 インドネシアは、中国、インド、アメリカ合衆国に次ぐ世界第4位の約2億4千万人の人口を抱える大国であり、豊富な労働力を有する上、インドネシア人労働者は、手先が器用であるとの評判である。また、インドネシアは、順調な国内消費などに支えられ、金融危機後も経済成長率が2008年に6.1%、2009年に4.5%、2010年に6.1%となるなど、好調に経済が発展している。他国での経験から一人当たり国内総生産(GDP)が3,000ドルを超えると自動車の普及が加速するといわれているが、インドネシアは、2010年にこの基準を超えた。さらに、インドネシアは、他のASEAN諸国と比べて輸出への依存度が低いことから、現在懸念されているヨーロッパなどの他国の経済悪化の影響を受けづらいと考えられる。

 このような豊富で良質な労働力や成長が見込まれる市場を目指して、日本企業も新たにインドネシアに多数進出してきている。また、既にインドネシアに進出している日本企業も、トヨタ自動車及び日産自動車が相次いでインドネシアでの新工場建設を発表するなど投資規模を拡張している。

 しかしながら、経済面は好調であるものの、司法制度や法制面では未だ問題が多い。政治家や公務員への賄賂に関する問題については頻繁に報道されているが、法律や規則が十分に詰められないまま制定されることから生じる問題もある。特に近時はインドネシアの大国意識からか、実務を考慮しないままインドネシアの制度等の利用を強制しようとする法律が制定され、混乱をもたらしている。本稿では、近時の典型的な事例としてインドネシア通貨及びインドネシア語の利用を強制する新法を紹介することにする。

 ■ インドネシア通貨の利用強制

 インドネシアの法定通貨は、インドネシア・ルピアである。近時インドネシア・ルピアの価値は比較的安定しているが、1998年のアジア通貨危機時には、インドネシア・ルピアは、急激な価値の下落を経験している。1997年には、1ドル=2,000ルピア程度で推移していたが、1998年8月には、1ドル=16,900ルピア程度にまで下落した。そのためか、インドネシア国内の企業間の取引であっても、米国ドル建てで行われることも多い。また、銀行も一般市民向けに外貨預金を提供しており、給料を米国ドル建てで受領している者もいるようである。

 このような状況の中、インドネシアは、2011年6月に通貨法を制定し、同法は制定後直ちに施行された。通貨法の相当部分は、紙幣に記載される人物などに関する技術的な規定や通貨偽造の禁止などに関するものであるが、その中にインドネシア・ルピアの利用を強制する規定も盛り込まれている。

 自国の通貨の利用を推進する法律は、インドネシアに限らずみられるものであり、例えば日本の民法も外国通貨をもって債権額を指定したときであっても、日本円で弁済することができると規定している。しかしながら、通貨法は、かかる範囲を超えて、支払いを目的とした取引、金銭債務の決済及びインドネシア国内で行われるその他すべての金融取引についてインドネシア・ルピアの使用を強制し、違反した場合には罰金を科すような規定になっている(少なくとも通貨法の条文上はそのように規定されているように読める)。通貨法は、インドネシア・ルピア以外の米国ドルなどの外国通貨がインドネシア国内で利用されていることを全く考慮していないことから、従前の取引実務を維持することが違法となるのかとの混乱を引き起こしていた。実務的には通貨法との関係については懸念されつつも、従前通り米国ドルなどを利用した取引が行われているようである。

 インドネシア財務省は、かかる混乱を収めるため、2011年12月に通貨法に関する公式見解を発表した。公式見解によれば、インドネシア・ルピアの使用が強制されるのは、現金で決済する取引だけであり、外国通貨での振込などは引続き許容されるとのことである。かかる見解によれば、少なくとも企業間において銀行振込などでなく現金で決済する取引は少数であることから、従前の取引実務を変更する必要はないことになる。しかしながら、通貨法の規定上は、現金取引だけを対象とすることは明示されておらず、むしろ現金で決済する取引とインドネシア・ルピアの利用が強制される取引とは意図的に区別して規定されているようにみえ、法律の文言だけをみると公式見解には無理があるように思われる。

 そのため、公式見解の発表後も、依然としてインドネシア国内の外国通貨建て取引については、違法とされるリスクは残るといえる。

 ■ インドネシア語の利用強制

 インドネシアには数百の多様な言語があると言われているが、インドネシア国民の共通語としてマレー語系のインドネシア語があり、インドネシア共和国憲法もインドネシア語を国語とすると定めている。インドネシア語は、公文書や学校教育などで幅広く用いられているが、その一方で、インドネシアでは英語教育も充実しており、流暢な英語を話すインドネシア人も多い。そのため、日本企業や外国企業のインドネシア子会社などが当事者となる取引においては、親会社又は親会社から派遣された社員が契約内容を理解することができるようにするため、英語で契約書が作成されることも実務的にはよく行われている。この場合、インドネシア企業の理解や官庁での手続のために、インドネシア語の翻訳が作成されることもあるが、翻訳には一定の費用と期間が掛かるため、インドネシア語の翻訳は作成せずに済ませることも多い。

 このような状況の中、インドネシアは、インドネシア語の利用を促進することなどを目的として、2009年に国旗、国語、国の紋章及び国歌に関する法律(以下「国語等に関する法律」)を制定した。国語等に関する法律は、インドネシア人やインドネシア企業などのインドネシア私人間の契約等について、インドネシア語の使用を強制しているように規定している。そのため、インドネシア企業間であっても、英語で契約書を作成することがあるという上述の実務を継続することができるかという問題が生じた。

 国語等に関する法律は、その詳細を明らかにするため、2年以内に施行規則を制定するものと定めているが、本稿執筆現在で、未だかかる施行規則は制定されていない。そのため、国語等に関する法律の具体的な適用範囲は、明らかになっていない。例えば、インドネシア法ではなく外国法を準拠法とした場合にもインドネシア語を使用しなければならないのか、インドネシア語の翻訳を契約締結後に作成することでもよいのかなどは不明確なままである。また、国語等に関する法律に違反して、インドネシア語の翻訳を作成しなかった場合にどのようなリスクがあるのか(違反した契約は無効となるのか)も明確ではない。さらにインドネシア語の翻訳を作成した場合に、英語の契約の内容を優先させることができるかも分からない。

 そのため、インドネシア語への翻訳に掛かるコストと将来的に生じるリスクを考慮の上、契約締結までにインドネシア語の翻訳を作成せず、将来翻訳が必要となった場合に対処するための契約条項だけを規定しておくことも頻繁に行われている。

 ■ 問題の背景

 インドネシアで上記のような新法制定に伴う混乱が生じる原因としては、関係当事者の意見が十分に法律に反映されないことなどから、想定している対象に法律の適用範囲を限定できないというインドネシアの法律の制定過程一般における問題があるものと考えられる。そして、新法に実務的な問題があることが明らかになったとしても、なかなか法律改正や規定を明確化する規則の制定がなされない。例えば通貨法の場合、インドネシアの中央銀行であるインドネシア銀行は、法律改正の必要がある旨主張しているが、インドネシア財務省は、通貨法の規定は十分に明確であり、改正の必要はない旨主張していると報道されており、通貨法が改正されないままとされることも十分に考えられる。このような法律の不備を解釈などの実務的な対応で済ませようとすることが、インドネシアにおける法律の不透明性や分かりづらさにつながっている。

 同様の問題は、本稿で取り上げた通貨法等に限らず、他の法律や規則についても生じており、コンプライアンスを重視する日本企業の頭を悩ませているところである。また、腐敗した公務員が形式的な法令違反を主張して賄賂を請求する材料となっていることも否定できないであろう。

 ■ 終わりに

 通貨法などに関する状況を見ればわかるように、インドネシアでは法令の規定だけをみるだけでは不十分であり、実務や監督官庁の動向や万一法令に違反したとされた場合のリスクを把握しながら、迅速に法令や新たな規制への対処方法を決定していく必要がある。この点、既に現地に進出している日系企業であれば、他の日系企業の動向については比較的容易に把握できるかもしれないが、日系企業の実務が必ずしもインドネシアの一般的な実務と一致しているわけではない(日系企業がよく使うビジネス・コンサルタントが推奨する根拠不

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