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長銀元頭取「大蔵省をつぶした失敗」「けじめはついていない」

(3) 金融失政とチェック&バランス

村山 治

 1998年に相次いで破綻し、ともに元頭取らが粉飾決算の罪に問われた日本長期信用銀行(現・新生銀行)と日本債券信用銀行(現・あおぞら銀行)。起訴された両行の全員の無罪が2011年秋までに確定した。東京地検特捜部の両行に対する一連の捜査は「国策捜査」と呼ばれ、その後の検察捜査のあり方が問われるきっかけの一つとなった。あの事件は何だったのか。長銀の大野木克信・元頭取と、大野木氏の弁護に当たった倉科直文弁護士に、長銀事件の歴史的意味や検察捜査などを聞く。最終回の3回目は、「大蔵省と長銀事件」「経済事件の監視と制裁のあり方」について語ってもらった。

 ■金融国策を推進した大蔵官僚と長銀裁判

 長銀事件の背景には、不良債権処理をめぐる大蔵省の失政があった。不良債権の先送りを決め、大銀行の破綻処理のセーフティネット作りをサボり、破綻処理が避けられなくなって慌てて会計ルールを確認し周知した。「粉飾決算」を「誘導」したのは大蔵省だったともいえる。

大野木克信さん

 ――裁判の帰趨を決めたのは、旧大蔵省が発出した資産査定通達など新たな会計ルールに対する解釈でした。刑事一審が「唯一の公正なる会計慣行」と認定したのに対し、最高裁は「唯一ではない」と解釈した。資産査定通達などを発出した肝心の旧大蔵省の人たちは、法廷でどういう姿勢だったのですか。

 大野木元頭取:大蔵省銀行局審議官だった中井省さんが、同じように粉飾決算の罪で起訴された窪田弘・日債銀元会長の事件の一審公判で被告側に有利な証言をしました。窪田さんは大蔵省理財局長や国税庁長官をされている。中井さんにとって大先輩です。是非、我々の法廷でも証言を、とお願いした。そして、刑事控訴審で証言していただいた。中井さんの証言は大きかったと思います。よく証言してくださったと感謝しています。
 中井さんには、現役時代にご指導をいただいていたが、それはおいても、旧大蔵行政を担当していた人たちは、やはり大臣官房検査部長や銀行局の課長の出した通達が、あれよ、あれよという間に検察でこんな風に使われたことに違和感があったのではないでしょうか。

 ――確かに、資産査定通達などを出した旧大蔵省の幹部の一人は「あれは検察の言うような意味じゃないんだ。行政が、あの類のルール変更を行うのに猶予期間もおかないでいきなり、それ以外を認めないなどということはあり得ない」と密かに言っていましたね。

 倉科弁護士:日債銀事件の被告・弁護団の方が当初は、我々より「公正なる会計慣行」論などの研究が進んでいた。日債銀弁護団からいろんな話を聞いて、会計基準がどうだ、という知識を豊かにした面はある。中井さんも含め、日債銀事件では、割といい証言が出ていた。
 日債銀事件と長銀事件は、ほぼ同じ争点で、一、二審が有罪と、同じような経緯をたどっていた。ところが、最高裁はこちらを無罪にしたのに対し、日債銀事件については、控訴審判決を破棄したが、事実審理が不十分という理由で高裁に差し戻した。日債銀事件も無罪になるとの観測があっただけに驚いた。
 日債銀事件の弁護団や関係者にはお世話になっていた。その審理に悪影響を与えるといけないので、長銀事件で無罪判決が確定した後も、あまり勝った、勝ったという言い方はできなかった。長銀事件裁判を素材に検察批判の本を出すのも可能だったが、配慮して待っていたんです。

 ■日債銀事件の経緯

 東京地検は99年8月13日、破綻した日本債券信用銀行(現あおぞら銀行)の粉飾決算事件で、98年3月期決算で、経営実態をよく見せかけるために1592億円にのぼる損失を隠し、虚偽の有価証券報告書を大蔵省関東財務局に提出した証券取引法違反の罪で同行の窪田弘元会長ら旧経営陣3人を起訴した。

 一審・東京地裁は04年5月28日、窪田元会長に懲役1年4カ月執行猶予3年など被告全員に執行猶予付きの有罪判決を言い渡し、控訴審・東京高裁は07年3月14日、一審の判断を支持。3被告の控訴を棄却した。

 09年12月7日、最高裁第二小法廷は、長銀事件の判決と同様、二審の有罪判決を破棄した。しかし、貸出先の状況などについてさらに検討する必要があるとして審理を東京高裁に差し戻した。

 11年8月30日、東京高裁での差し戻し後の控訴審は「違法な損失隠しとはいえない」として、窪田被告ら3人に無罪を言い渡した。

 

 ■日債銀事件、長銀事件と大蔵省

 長銀と日債銀は、同時期に、金融再生法で破綻処理され、旧経営陣が粉飾決算の罪で訴追された。ふたつの事件は争点も酷似していた。しかし、旧大蔵省幹部たちの対応はかなり違っていた。

 

 ――当時の大蔵幹部の多くは、日債銀の窪田さんについては何とか無罪になってほしいと思っていたことは間違いありません。ただ、当時、取材していた印象では、長銀側に対しては決して同情的ではありませんでした。

倉科弁護士(左)と大野木克信さん

 倉科弁護士:確かに、刑事事件になってから、大蔵省側の両事件の弁護側への協力という点では、日債銀事件に対する方が当初は厚みがあった。

 ――当時の大蔵省にしてみれば、日債銀には政界フィクサーがらみの不透明な融資などが多数あり、そういうものを整理して日債銀を建て直すため、元国税庁長官の窪田氏に三顧の礼で頭取になってもらった経緯があります。日債銀は長銀の破綻のあおりで市場の攻撃を受け破綻しましたが、長銀より日債銀の方が早く経営が悪化し、大蔵省は日債銀を「大蔵管理銀行」にしていました。日債銀が97年春、破綻の危機に瀕した際には、大蔵省がリードして奉加帳増資をして切り抜けました。大蔵省としては、そういう経緯のある日債銀を潰すこと自体、望んでいなかったでしょう。

 大野木元頭取:他行のことをコメントする情報を持ち合わせていませんが、銀行を潰すということは大変なことなのです。日債銀についても大蔵省が97年春の処置をとったのは、当然にこれから生きていくことを期して行ったものと思います。

 ――でも、検察としては、長銀経営陣を起訴した以上、同じように破綻し、同じような決算処理をしている日債銀を見逃すわけにはいかない。それで窪田さんらを粛々と起訴した。大蔵官僚の多くは、窪田さんを「国家のために泥をかぶった」偉人と見ており、起訴そのものが不適当だと考えていました。一方で、大蔵省には、公的資金を入れて破綻処理するという金融国策をスムーズに進める立場もありました。民間ベースの長銀経営陣については、むしろ、厳しい追及が当たり前で、その結果、刑事事件になっても仕方がない、という立場だったのではないでしょうか。

 倉科弁護士:なるほどね。そこで、ちょっと疑問がある。大蔵省は、検察が日債銀経営陣まで訴追するとは思っていなかったのではないか。

 ――実際、元国税庁長官の窪田さんと親しい東京地検幹部は、「窪田さんを刑事被告人にするのは忍びない」と訴追をためらっていましたね。結果として両事件の着手は、その幹部が異動した後に行われました。さらに、日債銀については、奉加帳増資にかかわった大蔵幹部が捜査対象になった。中井さんは、当時の銀行局長や窪田さんとともに詐欺などの罪で国会議員らから東京地検に告発されています。結果的に不起訴にはなりましたが、大蔵省主導の不透明な会計処理で窪田さんとの「共犯関係」を検察から疑われたことは間違いありません。窪田さんが有罪になると、間接的に大蔵省、中井さんたちの責任問題を再燃させることになりかねない面があったと思います。

 倉科弁護士:長銀事件の裁判中、いろいろな証人やその周囲の人と打ち合わせをしたが、その際に、非常に印象的に残っている言葉がある。「これらの事件は有罪にしてはいけないんだ」とか「(この事件には)ヘソがあるんだ」とか。

 ――「へそ」とは言い得て妙ですね。

 ■日債銀の奉加帳増資問題と刑事告発

 日債銀は97年4月1日、総額3千億円の増資を図るなどとする経営再建策を発表。大蔵省銀行局の中井審議官らは同日、金融機関の担当役員らを集め、いわゆる奉加帳増資を要請した。

 一方、大蔵省金融検査部は4月16日に日債銀への金融検査を開始。日債銀事件1審判決によると、「回収不能債権」「回収懸念債権」の各査定額が次々と積み上がったため、日債銀側は、自己査定通りの債務者区分や資産査定を認めさせようと必死で検査官を説得したが、聞き入れられず、多額の債権が「回収不能債権」「回収懸念債権」の分類に査定された。

 日債銀の担当役員はこの査定を覆すため、日債銀の関連会社グループについての事業計画などを現場の検査官を飛び越えて金融検査部長あてに提出。その後、金融検査部は銀行局からの依頼を踏まえて再検討し、関連ノンバンク3社の受け皿子会社について、「回収不能」から「回収懸念」への査定の変更をした。

 97年4月から7月にかけて日銀が800億円、銀行、生保など民間金融機関34社は計2100億円を出資したが、99年、日債銀の破綻で出資証券は紙切れとなった。

 民主党の国会議員16人が、回収に重大な懸念がある債権が約1兆1千億円にのぼることを知りながら、各金融機関に対し、約7千億円と過少に説明して増資を引き受けさせたとして、中井審議官や窪田元会長ら当時の銀行局と日債銀幹部4人を詐欺と証券取引法違反(偽計による有価証券募集)の疑いで告発。

 検察は、金融機関側は日債銀の経営状態を知っており、被害者としての意識がなかったうえ、増資は大蔵省の政策として行われ、個人責任を問うことはできない、と判断。不起訴処分とした。

 

 ■大野木氏が語る、「大蔵省を潰した失敗―国際社会はダブルスタンダード」

 戦後長く続いた日本の経済成長を支えたのは、官僚の裁量権を軸とした「護送船団」体制だった。大蔵省は、銀行、証券、保険などの金融機関を監督する金融行政権限のほか、国家予算立案と徴税の権限も与えられ、事実上、護送船団の「旗艦」ともいえる存在だった。

 しかし、冷戦終結後、日本の建設、金融市場開放を求める米国は、この護送船団体制が日本市場参入の障壁となっていると批判。産業界の一部も呼応して規制緩和を求める中、大蔵省は住専の失敗などで厳しい失政批判を受け、98年6月、銀行局、証券局は消滅し、金融制度の企画・立案部門は金融企画局に統合され、検査・監督部門は総理府外局の金融監督庁として切り離された。

 

大野木克信さん

――「護送船団体制の旗艦」といわれた大蔵省は、金融行政部門を切り離され、また、民主党政権の「政治主導」路線で、かつての力を失いました。長く国際金融を見られてきた立場から見て、この展開をどう見ていますか。

 大野木元頭取:国際社会は弱肉強食です。アメリカの政官業のエリートたち、いわゆるワシントン・コンセンサスには、MOF(旧大蔵省)を潰せば、日本が弱くなる、弱くなれば、アメリカの金融機関が日本のマーケットで稼げる、という意識があったのではないでしょうか。
 現に、長銀の関係では、98年6月に大蔵省が解体され、金融行政の空白が生じた際、規制の欠陥(株式空売り規制の不備)をついて長銀株が攻撃され、これが破綻の糸口となった。その後、「大蔵省不在」のもと、米国投資銀行が、いわゆるグローバルスタンダードに沿った破綻処理を今こそ行うべきだということを直接政界の一部に吹き込み、それが混乱の引き金となったのです。その一方で米国は大手ヘッジファンドLTCMをきれいに国益優先、すなわちローカルスタンダードで救済している。
 このように実務に即した金融行政の担い手が不在の中で、日本の政府が混乱している隙に、米国金融マフィアが長銀を格安で買い取り、政府に理不尽な契約を押しつけてぼろ儲けした。あれは一体何だったのか。そういうことを言ってはいけない身ではありますが、思いは複雑です。
 そういう見方と符合するように、この「失われた20年」の間に、日本の経済はどんどん弱くなり、特に名目GDPが縮小した。見えない力がワークしているように思います。日本の行政やマーケットに透明性がない、透明にしろ、と、決して透明ではない人たちが主張して、日本は「ああそうですか。では透明にしましょう」と応じて、こういうことになった。それに対して、リーマン・ショックの時のアメリカの対応は、肝心のところは透明ではなかった。

 ――ただ、日本は国際的な市場経済体制に組み込まれています。そうである以上、日本は行政や市場の透明性確保やルール強化などシステムの基本インフラをきちんと整備するしかない。そうでないと、グローバルな制度間競争で立ち遅れてしまいます。

 大野木元頭取:でもね、とことん水を清くして、国が絶えたというのではね…。透明性の一方で、国家にはしたたかさが必要だと思いますよ。純粋な実物経済活動の競争の時代は良かったのかもしれないが、こうやって、だんだん、マネー中心のゼロサムの競争世界になってくると、やはり、国家にはある種のずるさは大事ですよ…。透明性の問題を含めてね。

 ――外交の世界では、国同士の騙し騙され、はあるのでしょう。外交政策は、国家が情報を収集・分析し、政策に転化していくインテリジェンスサイクルが働かないと、他国の後塵を拝します。日本はその機能が低い、と指摘されています。一方、経済政策についても、国益の観点から同じようなインテリジェンス機能が必要ですが、いまの日本には、そちらも見あたりません。

 大野木元頭取:それは、金融の世界では、不十分だったかも知れないが、唯一大蔵省(MOF)がやってきたんです。MOFが叩き潰された、というところが何となく心細い。いま言ったようなことについて、それはそうだ、と9割の人が言うようになれば、日本もずるさが出てきた、と思うんですけどね。国家のコントロールタワー、頭脳集団としての日本の官僚組織というのは、ある意味では、世界に誇れるものだったのではないですか。それを、政治もメディアもよってたかって単純な官僚原罪論で毀損しようとしている。
 一方、アングロサクソン(今は米国)は、国益追求を、グローバルスタンダードすなわち「世界全体の公益」という説得力を持った理論を整備して実現している。もちろん、すべて見せかけというわけではないが、そういう面があるということをよく認識して、グローバル時代の日本の国益を実現していかなくてはいけないのかなと素人ながら考えます。それが、ずるさが必要と申している理由です。

 ――国家を動かす権力そのものだった官僚システムが、壊れるときはあっと言うまでした。結局、大蔵省の護送船団型の金融行政は、成熟した市場経済には対応できなかったということではないでしょうか。銀行の不良債権問題処理をめぐる金融失政が大蔵省破綻の引き金になったというのも象徴的です。

 大野木元頭取:我々も、大蔵省中心の官僚システムを壊すのを加速した責任はあると思います。でも、あの時、どれだけの人が、日本の大事なソフトを壊しているんだ、ということを認識していたか。欧米的なずるさ、あるいは中国的なずるさを持った人たちからすると、大蔵省を壊すことの意味はすぐに分かったと思います。ずるさの無い、日本のような国では、他国の知恵者に乗せられて、大蔵省はおかしいと一緒に批判する…(笑)。国家としてのずるさを発揮するためには、他国と太刀打ちできる頭脳集団、エリート集団が必要なんですよ。

 ――でも、大蔵官僚は接待漬けとなり金融業界の一部と癒着していました。大蔵省が金融政策や金融行政をだめにしたのも事実です。大蔵省は自滅したとしか思えません。

 大野木元頭取:問題があったことは事実でしょう。しかし、そこだけを突いてもっと大きなソフトを簡単に壊してよかったのでしょうか。例えば、98年に日本の金融界が危機に陥ったとき、大蔵省が解体され金融行政が分断されたことにより行政の空白期が生じていたということは、大きかったと思います。

 ――大野木さんのいう、ワシントン・コンセンサスや、フランスの政官業の中枢を占めるエナ(フランス国立行政学院)出身者などはそれに当たるのでしょうね。

 大野木元頭取:たぶん、国家あるいは国際世界という仕組みは、透明性があって、グローバルスタンダードで、いかにもルールがある、と言いながら、実は、見えないところで超法規的なある種のメカニズムが働いている。つまりエスタブリッシュメントによる、ある種、阿吽の呼吸の「クラブ組織」があり、機能している。最近弱まっているとはいえ、欧米には色濃く残っているような気がします。
 アメリカのように、例えば、ウオールストリートと財務長官の人事を見ても、超法規的なメカニズムで世の中が回っている方がはるかに効率的でしょう。そういうメカニズムが、日本以外の国ではものすごく発達していると思うんですよ。エスタブリッシュメントのクラブを中心に動いている。そういうところとこれから太刀打ちしていかなくてはならないのに、日本ではまだ、そういう認識が低いような気がします。それが、神様から見て良いか悪いかは別にして、リアリズムで見ると、そんなことをしている間にどんどん遅れてしまう。

 ■「けじめがついた、とは思っていない」

 最高裁の長銀無罪判決の翌日の朝日新聞社説は「長銀事件無罪 では本当の責任は誰に」と題し、「刑事も民事も経営者が責任を問われなかったのは、ツケを負担した国民としてなんとも釈然としない」「長銀の破綻は、バブルに踊って転落した日本の金融界を象徴する事件である。それを生んだ問題の構図は政官業にまたがっているが、政官のだれもバブルから金融破綻までの責任をとっていない。腹立たしい」と慨嘆した。これは、多くの国民の気持ちだろう。

 

 ――「長銀最高裁無罪事件」の「はしがき」で、弁護団の更田義彦弁護士は「メディアには、最高裁判決を聞いてさえ、刑事責任とは何か、刑事裁判とは何かといった観点を棚に上げて、長銀につぎ込まれた公的資金は、いったい誰が責任をとるのかといった議論が目立った」と述べています。いわゆる「けじめ論」についてはどうお考えですか。

 大野木元頭取:個人として、被告としての10年間は長く苦しいものでした。裁判の結果を得て、けじめがついたとは決して思っていません。同時に、これはいち個人としてどう対応したらよいか、余りにも悩ましい課題です。けじめをつけるには、前提となる事実の全容の解明が必要ですが、それは、個人の力ではとても無理です。例えば、米国のペコラ委員会のやり方もひとつの考えと思いますが…。

 ■あるべき市場監視・制裁システムとは

 最後に、市場監視・制裁システムのあり方について議論しておこう。

 

 ――元検事の佐渡賢一・証券取引等監視委員会委員長は「金融機関の粉飾決算の解明には専門的会計実務の知識が必要だ。長銀事件当時は、大企業の粉飾決算事件は刑事事件しか制裁のツールがなかった。検察が粉飾決算を立件するというので監視委も協力して告発した。今は、監視委に課徴金検査という武器が与えられた。もし、いま、長銀事件と同じケースが起きたら、監視委がまず検査に入り、会計の専門家を動員して公正なる会計慣行論を含めて整理し、虚偽記載かどうか判断する。刑事裁判で出ている事実をもとにすると、法人に課徴金を科す行政処分にとどめ、経営陣の刑事告発はしなかったのではないか」といってます。

 倉科弁護士:特捜検察は、贈収賄事件などがあれば、どんどんやればいいんですよ。それからこういった経済事件でやるとすれば、私的利益で行動している行為(いわゆる背任事件)と、そうでない行為とを分けなければいけない。私的利益ではなくて「やり方」を間違えてしまったケース、要するに、経営判断を間違えたとか、いざとなったらあたふたしてて処理を間違えた、みたいな話は、まず刑事罰を、という捜査をしてはダメだね。

 大野木元頭取:(佐渡委員長の話を聞くと、)やはり、システムは進歩したんです。我々の苦労は、そのためのひとつのコストになったのかも。

 倉科弁護士:そうね。コストを払って、それで進歩したっていう面は確かにある。ただ、そのシステムができても、その時のムードなるものが、そういうものを乗り越えてしまうという、そういう素地そのものはまだ変わっていない。

 ――そこは、国民性、民族性のよう要素があって、それをどうするかというのは難しい議論です。

 大野木元頭取:結局、そういうメカニズムで動いているんですよ。日本人はなまじっか教育を受けているものだから、正義感というものに対する思いが強い。みんなが正義感を持ってしまうんですね。基本に宗教とかそういったものが無いので、自分の正義感に対して一神教的になる。それがマスコミであり、検察。やはり一番怖いのは、そうなったとき一神教的正義感にかられた検察とマスコミですよ。

 倉科弁護士:組織というのは、一度作ってしまうと、組織に属する人たちは自らの存在を時々世間に向かってアピールしないといけなくなる。特捜部だって同じ。検察がこんなものやるのかと思ったのが、1981年の芸大バイオリン事件(著名なバイオリン奏者の教授が賄賂としてバイオリンの弓1本=原価30万円をもらったとされた事件)ですよ。あんなの、なんで特捜がやる必要があるの?当時は、あれしかやることがなかったんですよ。

 ――確かに、当時は、これという事件の摘発がありませんでした。検察は76年のロッキード事件で摘発した田中角栄元首相の公判対策に没頭していました。政権与党の最大派閥を率いる元首相は公判で検察と全面対決し、無罪になれば、検察は手ひどいしっぺ返しを受けると考え、有罪獲得のために必死だった。政界事件に踏み込む余裕がなかったわけです。

 倉科弁護士:今から歴史を振り返ると、あの頃は、政治家はもっと今より酷いことをやっていた。

 ――日債銀は当時、政治家や地下社会の人たちにたかられ

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