2012年05月01日
■相応の根拠はあるが……
小沢氏の裁判の最大のポイントは、小沢氏と虚偽記載の実行者である元秘書との共謀共同正犯が成立するかどうか、だった。
判決はまず、陸山会の会計事務を担当していた石川知裕衆院議員ら元秘書が、土地購入費として2004年10月12日に小沢氏から手渡された4億円を陸山会の2004年分の収支報告書に記載せず、土地代金の支出計上を05年に先送りしたことが虚偽記入に当たる、と明確に認定した。
さらに、判決は、小沢氏の関与について「土地取得公表の先送りや自らの4億円の簿外処理について、石川ら秘書が小沢に無断でこれを行うはずはなく、具体的な謀議を認定するに足りる直接証拠がなくても、小沢が、これらの方針について報告を受け、了承していたことは状況証拠に照らして認定することができる」と指摘。
2004年の報告書に、自分が出した4億円が借入金として収入に計上されず、土地取得と取得費の支出が計上されないことについて、報告を受け、了承していたと認定した。
判決は「小沢氏と石川氏らの共謀共同正犯が成立する」とする指定弁護士の主張について「相応の根拠がある」と認めた。
しかし、判決は最終的に、小沢氏を無罪とした。その理由は以下のようなものだ。
石川氏は土地売買自体を05年に先送りするつもりだったが、交渉が不調に終わり、登記を遅らせただけで代金は04年10月末、小沢氏から渡された4億円の一部で決済した。石川氏は、小沢氏に叱責されるのを恐れ、売り主との折衝などは「秘書の裁量の範囲内」と考え、小沢氏に詳細な事情を説明しなかった可能性がある。そうした詳細な報告がないとすると、4億円の不記載などについて小沢氏が「適法に実現される前提で了承していた」などと考える余地があるーー。
要は、小沢氏は、土地取得について、契約が無事に変更されて04年でなくて05年になったという認識でいた可能性があり、自分の4億円についても、定期預金の担保になって自分のために確保され、銀行から借りた4億円だけが陸山会に転貸されたと考えていた可能性がある。そのため、よもや虚偽記入があるとは全然頭になかった可能性がある。ところが、その可能性を消すだけの証拠を指定弁護士側は提出していない。よって「疑わしきは罰せず」の原則にもとづき、小沢氏を無罪にするーーというわけだ。
■「腑に落ちない」と指定弁護士は判決に不信を表明
共謀共同正犯は、犯罪行為を直接実行していなくても、計画に加わっていれば、実行犯(正犯)と同じ責任が問われる。「共謀」は明確な犯罪計画の相談でなく「暗黙の了解」で認められることもある。
仮に、たとえば、企業の有価証券報告書への虚偽記載に直接手を染めた企業の役員と、その上司である企業の社長がいて、社長が役員との共謀を問われたような場合なら、今回判決が認定したレベルの共謀の立証で、社長は有罪になった可能性がある。
しかし、政治資金規正法は政治団体の収支報告書の記載・提出義務者を、政治団体の代表者、すなわち、政治家ではなく、その秘書であることが多い会計責任者に負わせている。収支報告書の虚偽記載の罪は、行為主体が会計責任者であることそのものが犯罪の成立要件を構成するいわば「身分犯」だといえる。
収支報告書の虚偽記載の罪について、政治団体の代表者である政治家が共謀の責任を問われるとき、その政治家は会計責任者との関係で「身分なき共犯」という位置づけとなる。そのため、政治家と会計責任者の共謀の立証のハードルは、企業の社長と役員の場合に比べ格段に高くなる。
例えば、銀行融資にからむ背任事件では、「身分」のある銀行の社長は回収見込みがないのに融資を命令したら有罪となることがあるが、「身分なき共犯」である借りた方は、焦げ付きが必至と認識し、かつ積極的に背任行為に加担していることが証明されないと無罪になるのだ。
このため、検察は、政治家を政治収支報告書虚偽記載の共犯に問うためのハードルを高く設定してきた。2010年2月の小沢氏に対する不起訴判断はそれに沿ったもので、今回の判決はその検察の不起訴判断を追認した形だ。
指定弁護士は「判決で証明が足りないとされた部分は公判では争点になっていなかった。裁判所は、小沢さん自身がしゃべってもいないことを、小沢さんはこう思ったのかもしれない、その可能性があるという言い方で無罪と結論づけた。その点は腑に落ちない」と判決への不信を表明した。裁判所は最初から無罪の結論を決め、そこに導くため、秘書と小沢氏との間に認識の不一致が生じていた可能性を持ち出したのではないか、との印象がある。
認識の不一致の不存在の立証をここまで要求されるとなると、政治家本人が収支報告書の虚偽記載で有罪となることは今後もまれだろう。逆に言うと、判決は改めて、政治資金規正法の構造上の欠陥を明らかにし、今後の政治資金規正法のあり方の議論に結びつけることを期待したともいえる。
政治家と秘書との共謀の立証の壁をどう乗り越えればいいのか。
一番簡単なのは、虚偽記載にかかわる規定の「会計責任者」を「政治団体の代表者」と書き換える法改正だ。政治家が直接、収支報告書の記載、報告に責任を持つことにすれば、「秘書が、秘書が」の言い訳は通らなくなる。少々の認識不一致があったとしても、「未必の故意」などで広く故意を認めやすくなるだろう。
■小沢氏の敗北
法曹関係者やマスメディアの多くは、判決を「限りなく有罪に近い無罪」と受け止めた。その意味で、小沢氏にとって、判決は事実上の敗北だったのではないか。
判決は、公判廷での小沢氏の主張をほとんど退けた。
小沢氏が「石川氏らから取引などや収支報告書の作成提出に際して報告を受けたことは一切ない」と主張したのを「一般的に信用性が乏しいといわなければならない」と一蹴。
小沢氏が「私の関心は天下国家の話。収支報告書の作成は、信頼できる秘書に任せていた」とし、「事件発覚後も収支報告書は一度も見ていない」などと述べたことについても、判決は「およそ措信できるものではない」と不信をあらわにした。
陸山会の会計責任者だった大久保隆規元秘書が「会計業務にかかわっていない」と証言したことについて小沢氏が「全く問題ない。私の事務所だけのことではない」と胸を張ったこと対しては「報告書の記載に責任を負う会計責任者の役割などについても理解を欠いている。政治資金規正法の精神に照らして芳しいことではない」などと批判した。
小沢氏は「判決は『虚偽記載について共謀したことは断じてない』という私の主張に沿うものである。裁判所の良識と公正さを示して頂いたことに敬意を表する」とのコメントを出したが、「控訴するか見極める」との理由で判決後の記者会見さえしなかった。
小沢氏は記者会見などで「司法という最高の事実解明の場で説明した。これ以上のことはない」と繰り返してきたが、判決は疑惑をさらに深めた。小沢氏が国会と国民からさらに説明を求められるのは必至だ。
■検察も深手
この裁判では、直接の裁判の当事者ではない検察も深く傷ついた。
判決が、小沢氏に対する不起訴判断を追認したことで、検察は、検察審査会から突きつけられた「不信任」に対しては、答えを出すことができた。
しかし、裁判では、検察の捜査の違法性が次々と明らかになった。
1回目の起訴相当議決後に行われた石川氏に対する検事の取り調べで、任意性に疑いのある方法で小沢氏の関与を認める供述調書が作成され、この取り調べ結果について事実に反する内容を含んだ捜査報告書が作成されたことが、石川氏の隠し録音で発覚した。この報告書は検察審査会に提出されており、起訴議決の判断資料になった疑いがあった。
小沢氏に対する捜査について当時、検察部内には積極派と慎重派があった。弁護側は、積極派が「偽計行為」によって検察審査員を錯誤に陥らせ起訴議決をさせた、として公訴の棄却を求めた。
錯誤の有無は、検察審査員を調査しなければわからない。判決は「審査の会議の秘密に照らして相当でなく、実行可能性にも疑問」とし、「検察審査会における審査手続きに違法があるとはいえない」と弁護側の請求を退けたが、「事実に反する報告書が作成された理由、経緯の詳細や原因の究明は検察において十分調査のうえ対応するのが相当」として、ボールを検察側に投げた。
検察は、市民団体の告発を受けて2012年1月から担当検事や当時の特捜部長らの聴取を重ねてきた。担当検事本人については、起訴するほどの悪性は認められない、として、懲戒処分にする方向で調整しているようだ。当時の上司についても監督責任を問う方向とみられる。
検察は、これまで被疑者・被告人のプライバシー保護や捜査の秘密などを理由に、検察権の運用実態を国民に十分に説明してこなかった。しかし、今回は、捜査とは別に、行政処分を前提とした調査を行い、刑事処分後に、調査結果を公表する方針だ。そこで検察が苦慮しているのが、検察側の説明が国民の理解を得られるのかどうか、だ。
今回は、検察は、報告書作成、検察審査会への提出の経緯に加え、積極派の検事たちが、不起訴決定後にどう行動していたのか、まで説明しなければならないと考えている。そこで明らかになる「検察捜査の常識」が世間に通用するのか、を危惧しているのだ。
大阪地検特捜部の証拠改ざん・犯人隠避事件に続く、特捜検察の本丸、東京地検特捜部の不祥事。そのダメージは大きい。検察は、特捜部の存廃も含め、抜本的な改革への取り組みを迫られている。報告書問題の処理はその第一歩となる。
■存在意義を示した検察審査会
政界や法曹界の一部には、今回の無罪判決を機に検察審査会の起訴権限そのものの廃止を求める声があり、小沢氏が会長を務める「新しい政策研究会」は判決後、検察審査会や強制起訴制度の見直しを検討する勉強会の発足を決めた。
しかし、2009年5月に検察審査会に起訴権限が付与されてから判決に至った事例はわずかしかない。生まれたばかりの制度についてすぐ潰す議論をするのは、いかにも拙速にすぎる。
検察審査会の起訴権については、当初から「検察の捜査で不起訴になったのに改めて被告にされるのは本人の負担が大きすぎる」「被疑者本人や弁護人の弁明や反論なしに起訴議決するのはおかしい」「無罪になった時の責任を誰がとるのか」などの批判があった。
それはもっともな面がある。ただ、検察審査会は「裁判をする場ではない。一定の有罪を示す証拠があれば公開の法廷で議論すべきだとするもの」(四宮啓弁護士)だ。プロである検察官が不起訴にした事件を起訴するのだから、従来より無罪になる確率が高くなるのは当たり前だ。
むしろ、検察審査会起訴のプラスの面を評価したい。
検察は小沢氏を起訴するかどうかで、意見が分かれていた。特捜部を中心とする東京地検は起訴意見で、東京高検や最高検は不起訴意見だった。
起訴を決めた東京第5検察審査会は「有罪の可能性があるのに、検察だけの判断で起訴しないのは不当で、国民は裁判所に無罪なのか有罪なのかを判断してもらう権利がある」と述べた。これは、少なからぬ人に共通する思いだったのではないか。
判決は、その声に応えた。
判決が前段で「秘書の犯罪」と「小沢氏への報告・了承」を認定し、「指定弁護士の『共謀共同正犯が成立する』との主張に相応の根拠がある」としたところまでは、検察現場の見方そのものだった。そして結論部分が検察首脳の意見だった。
裁判になったことで、検察の結論にいたる過程がさらに詳しく見えてきた。国民は、より深く問題の所在を理解できるようになった。検事の違法取り調べの実態や事実に反する内容の捜査報告書の提出も明らかになった。
一連の政治資金をめぐる疑惑で、国会や国民に対し説明を拒んできた小沢氏も、渋々ながら、4億円の原資の形成過程を説明した。秘書にも隠して億単位の現金を保管し、秘書に直接手渡す場面や、政治資金規正法を軽視する本音を本人の口でしゃべらせた。
不起訴のままならこれらの事実を国民は知ることができなかった。検察審査会の起訴には大きな意義があったとみるべきだろう。
検察審査会制度は、戦後、有罪の可能性があるのに不起訴となったと一般の市民が判断した事件について検察に再捜査を求める制度として発足。当初は起訴権限はなかったが、約10年前に始まった司法制度改革で、「国民の司法参加」の手段として、裁判員裁判導入と同時に検察審査会に起訴権が付与された。
日本の検察は公訴権を独占し、自ら有罪と判断した事件だけを起訴する裁量権も与えられてきた。「起訴すれば有罪」が当たり前のように受け取られ、それが検察の力の源泉だった。
検察の起訴独占が崩れ
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