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電通の英国企業買収に3つの疑問:日本企業の海外M&Aの陥穽

Stephen Givens

電通は次の野村証券か?

 

外国法事務弁護士・米NY州弁護士
スティーブン・ギブンズ(Stephen Givens)

 

Stephen Givens(スティーブン・ギブンズ)
 外国法事務弁護士、米ニューヨーク州弁護士。ギブンズ外国法事務弁護士事務所(東京都港区赤坂)所属。
 東京育ちで、1987年以降は東京を拠点として活動している。京都大学法学部大学院留学後、ハーバード・ロースクール修了。
 日本企業に関わる国際間取引の組成や交渉に長年従事している。

 電通が英国の広告代理店イージスを約4千億円で買収するという。残念ながら、この事例は、ここ数年間の日本企業の海外M&A(企業の合併や買収)に共通する悪いパターンにぴたりと当てはまる。日本企業と海外企業を合体させただけでは、グローバルな大手ライバルと対等には競争できない、というのが第一点。第二点として、日本企業側の海外企業に対する経営能力と、両社の組み合わせのシナジー効果が疑わしい。そして、最後の第三点は、買収価格が高すぎるという問題だ。

 市場、競争のグローバル化

 電通の悩みの原因は、野村証券、メガバンク、キリン、味の素など海外売り上げを拡張しようとしている他の日本企業と同じであるように見受けられる。すなわち、国内マーケットの少子高齢化、経済成長率の低下である。それらに対処するため、各社は、成長率の高い発展途上国のマーケットに参入しようとしている。

 国内需要の縮小は海外へ出るきっかけではあるが、より根本的な問題は、マーケットがグローバル化されていることだ。様々な事業分野において、世界のそれぞれの地域に競争力を持つ本格的なグローバルカンパニーが登場してきた。競争の土俵が全世界であれば、その一部だけを守ろうとする作戦はたいてい失敗に終わる。イギリス、フランス、イタリアの自動車メーカーのように、ただのリージョナルプレーヤーはもはや生き残ることはできない。日本の国内需要だけに頼る企業は、そのうちグローバル企業に追い込まれる。日本のマーケットを防御するためにも、最終的には、日本企業は全世界で競争しないと生き残れない。この意味において日本企業の外への進出は命がけだ。

 バドワイザーで有名な世界のビール最大手アンハイザー・ブッシュ・インベブは、市場のグローバル化への対処に成功した企業と言えよう。10年前世界のビール会社の上位10社は全世界の34%のシェアを占めていたが、現在その比率は74%に拡大した。インベブは全世界のシェアの20%以上を持ち、売り上げは地域の経済規模の比率に近い。北米32%、南米40%、アジア20%、欧州8%、そして各地域でナンバー1かナンバー2のシェアを持っている。日本企業でも本格的なグローバルプレーヤ―(トヨタ、キヤノン、クボタ)は同じように総売り上げの配分が各地域のGDPにおおむね見合っている。

 電通はイージスと組んでも世界No.5にとどまり、売上総利益の58%は日本国内が対象である。電通の売上総利益の84%は日本国内で、残りの16%の大部分は日本企業の海外広報活動のお手伝いだ。残念なことに、海外広告に関してほとんどの日本企業の大手は電通を相手にしていない。日本国内で通用する広告のスタイル、味付けは異文化の環境では通用しにくいからだ。これとまったく同じ問題で、日本の証券会社、銀行、保険会社、渉外法律事務所、その他のサービス業も困っている。サービス業の場合、日本人同士の国内マーケットで通用する価値観、スキル、人脈、言語は、それをそのまま海外に持っていっても使い物にならないことが多い。

 では、電通とイージスを合体させると、この問題は解決されるか? 電通の売上総利益は3328億円である。一方、イージスの売上総利益1418億円は西ヨーロッパ(47%)、日本を除くアジア(25%)、北米・南米(19%)など、電通があまり活躍していない区域での売上総利益を含んでいる。この結果、統合会社の売上総利益の日本国内の割合は84%から58%に減り、日本以外の割合は16%から42%に増える。

 確かに合体の結果、数字の上では、問題はやや緩和される。しかし、これだけでは本格的なグローバルプレーヤーになったとは言えない。世界のGDPの8%しか占めない日本が売上総利益の58%を占めているということはバランスがまだ大きく偏っているということだ。しかも、2社を合体しても、グローバルな土俵で成功するための規模としてはまだ小さすぎる。電通とイージスの売上総利益を足した4700億円では、世界大手のWPP(1.3兆円)、オムニコムグループ(1兆円)、ピュブリシス(6,122億円)、IPG(5,460億円)より少ない。日本以外でのスケールは世界No.1のWPPの8分の1にすぎない。WPPのスケールと売上配分のバランス(北アメリカ 35%、イギリス12%、ヨーロッパ25%、その他の地域 28%)に比べて電通・イージスの存在感は薄い。

 シナジーのなさ

 シナジー効果のなさも弱点の一つとして指摘せざるを得ない。ソニーを具体例として考えよう。ソニーは電通を日本国内の広告代理店として使っているが、海外では商品と地域によって複数のグローバル大手代理店のサービスをつまみ食いしているようだ。電通がイージスと一緒になったことを理由に、ソニーがいきなり海外広告ビジネスをイージスに変えるはずはない。ソニーにとって、イージスがたまたま電通の子会社であることは、客観的なサービス内容や品質と関係ない要素だ。同様にイージスのクライアントの紹介で電通の日本国内のビジネスが大きく増えることはないだろう。半年前まで、電通は、イージスより4倍大きいピュブリシスとの間で、相互的なシナジーを狙った独占的提携関係にあったが、ピュブリシスが十分電通に仕事を回してくれなかった不満が提携関係の解消の重要な原因となった。イージスが電通の子会社となれば、ピュブリシスと違って、イージスの経営陣は電通の指示に従わなければならない立場になるが、電通を使うかどうかは最終的にイージスが決めることではなく、クライアントが自由に判断することだ。クライアントにとって電通とイージスの統合の魅力はどこにあるのか?

 クライアントが野村証券とリーマンの統合による付加価値を感じなかったことは、まさしくその失敗の重大な原因だった。例えば、破たん前のリーマンのクライアントが複数の市場で証券を発行する案件の場合(いわゆるグローバルプレースメント)、リーマンは組織的に、ニューヨークをはじめ、それぞれの主要市場でアンダーライターとして証券を投資家に売り込み、アフターマーケットでサポートする能力を持っていた。しかし、野村証券がリーマンから引き継いだ組織は、アメリカを除くリーマンのヨーロッパとアジアにおける雇用関係に過ぎなかった。ヨーロッパとアジアに居住するリーマンの人材がいくら優秀であっても、ニューヨークにベースのないアンダーライターはグローバルプレースメントのマンデートは取れない。その人材の雇用主が日本の業界の一番手であることはクライアントにとって無意味な要素だ。その人材がリーマン破たん後、高収入を得続けるために転勤した、ただの傭兵に見られたことは逆にクライアントにとってマイナスだった。同じように、電通による買収のニュースを聞いて、「よかった、これで、より頼もしい相手になった」と思うイージスのクライアントがいるとは思えない。逆にイージスが電通に圧迫され、元来のイージスのスタイルやサービス内容が失われて、日本的なものに変わってしまうのではないかと心配するクライアントは大勢いるだろう。

 本当の意味のシナジーをもたらすために、電通とイージスのそれぞれの経営幹部、クリエーティブ(広告コンテンツの制作部門)、営業スタッフが全世界をスムーズにカバーできる一つのチームにならなければならない。しかし、野村証券社員となった元リーマンのインベストメント・バンカーと野村証券とのこじれた関係でわかるように、日本人経営陣は、クリエーティブかつ高収入のプロフェッショナルな人々をうまく使いこなせないだろう。イージスの一番優秀なスタッフがもっと自由な空気を吸える職場に脱走することが予想できる。少なくとも電通がオーナー・親分的な態度でイージスを仕切ろうとすれば、イージスの一番大切な資産である才能ある人々はきっとすぐに会社を離れる。

 最終的に日本企業、特にサービス業のグローバル化の勝敗は人事問題で決まる。新発売商品の広告のグローバルキャンペーンを遂行するためにはその企業が有する複数の拠点、異文化の人間から一つのチームをまとめることは不可欠だ。複数のタイムゾーンをつなぐビデオカンファランス(テレビ会議)は現在のグローバルビジネスの基本になっている。事実として、日本人はこのようなカンファレンスコール(電話会議)は苦手。英語でブレーンストーミングできる日本人はあまりにも少ない。

 莫大な買収価格、借金

 3955億円の買収価格がイージスの過去5年の平均営業利益110億円の36倍で、買収発表直前の市場株価の45%プレミアム乗せであることも気になる。これだけ高い買収価格であれば、ROI(投資収益率)はたった2.25%になり、電通の極めて低い6.6%のROE(自己資本利益率)を下回り、電通と他の広告代理店大手のROEの格差をさらに広げることになる(ちなみにWPPのROEは12.82%、オムニコム 27.73%、IPG 23.41%、ピュブリシス 18.55%)。電通が全額を銀行から借りるイージスの買収代金は電通の現在の5,600億円の時価総額とほぼ同額だ。イギリス・欧州の不安定な経済ベースのイージスが売り上げと収益性を将来にわたって伸ばせるという保証も、ゼロ金利が永遠に続く保証もない中で、電通の経営陣の株主に対する説明責任は重大だ。どう見てもリスクとリターンが見合わず、正当化ができない。グローバル経済についてこれから悪化する色々な消極的な可能性を考慮すると、イージス買収のための莫大な借金で電通は次の危機を乗り越える余裕を無くしたかもしれない。

 世界トップのWPPの子会社になったら?

 興味深いことに、電通の経営陣は、国内マーケットの縮小、市場のグローバル化という深刻な問題に対して、海外企業を買う方向の対策しか考えていないようだ。しかし、逆方向、つまり外国の企業に「買われる」対策もありうるはずだ。大手4社のWPP, オムニコム、 IPG、 ピュブリシスはまだ日本マーケットでは弱く、進出後も長年にわたって苦労している。仮にWPPと電通が合体したら、総売り上げが1.5兆円となり、地域別売り上げ配分も理想に近い値(北米29%、イギリスを含むヨーロッパ31%、日本19%、その他22%)を確保することができる。WPPのクライアントベースはイージスの8倍であることから、電通とのシナジーも、それだけ効果的に働くはずだ。

 電通だけでなく、他のグローバル化に苦労する日本企業はなぜ外資企業に買われることを一つの選択肢として考えないのだろうか? それに答えるためには、日本型資本主義の中核的な価値観に触れなければならないので、別の機会に譲ることにする。

 ▽AJ編集部による注釈:電通は今年7月12日に発表したプレスリリースの中で、イージス社について「欧州に堅固な事業基盤を確立しているだけでなく、市場規模の拡大が著しいアジア・パシフィック地域や世界最大の広告市場である米国においても高い成長を実現しています」と指摘し、「当社グループがAegis社を買収することによって、統合ソリューションの拡充に向けた理想的な補完関係の構築が実現でき、双方の顧客に対して提供するサービスの価値を、大きく高めることが可能となります」としている。また、「企業文化や価値観、戦略の類似性と整合性」の点についても、「当社グループとAegis社は極めて高い親和性を有しています」としている。さらに、規模の点についても「両社の統合を通じて、日本、欧州、米国、アジアの各地域に強力なプレゼンスを持つ、強固なグローバルネットワークが確立されることとなります」としている。ギブンズ氏の指摘についての電通のコメントは、「買収手続き中なので」という理由で得られなかった。

 

 ▼ギブンズ氏の記事
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 Stephen Givens(スティーブン・ギブンズ)
 外国法事務弁護士、米ニューヨーク州弁護士。ギブンズ外国法事務弁護士事務所(東京都港区赤坂)所属。
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