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最高裁の判断は? 企業ぐるみ選挙違反事件の行方に注目

村山 治

 従業員に給与を支払う約束をして投票依頼の電話をかけさせると公職選挙法違反(選挙運動報酬約束罪)に当たるのか――。2010年7月の参院選に民主党公認で立候補して落選し、企業ぐるみの選挙違反に問われた会社社長の事件に対する最高裁の判断に政官界の注目が集まっている。一、二審は「違反が成立する」として有罪判決を言い渡したが、社長側が、選挙事務を管轄する総務省の「従業員に給与を支払ったことで直ちに違反を認定するのは難しい」との見解をたてに無罪を主張して上告しているからだ。一方、一、二審判決によって社長の唯一の共犯者と認定された元女性社員は、社長との共謀を全否定し「調書には話していないことが書かれている」と述べており、検察、警察の捜査についても疑問が浮かんでいる。

  ▽筆者:朝日新聞編集委員・村山治


村山 治(むらやま・おさむ)村山 治(むらやま・おさむ)
 朝日新聞編集委員。徳島県出身。1973年早稲田大学政経学部卒業後、毎日新聞社入社。大阪、東京社会部を経て91年、朝日新聞社入社。金丸脱税事件(93年)、ゼネコン事件(93,94年)、大蔵汚職事件(98年)、日本歯科医師連盟の政治献金事件(2004年)などバブル崩壊以降の政界事件、大型経済事件の報道にかかわった。著書に「特捜検察vs.金融権力」(朝日新聞社)、「市場検察」(文藝春秋)、共著「ルポ内部告発」(朝日新書)。

 ■容疑事実

 上告しているのは、都内で不動産会社を営むN社長。

 N社長は、2010年7月11日投開票の参院選比例代表区に、民主党公認で不動産業界の推薦を得て立候補したが、落選。投票日から17日後の7月28日、選挙を手伝った長男とともに、警視庁の捜査員に任意同行を求められ、2人とも逮捕された。

 容疑は、N社長が、自らの当選を図る目的で、コールセンターのリーダー格の同社の女性社員(その後退職)と共謀のうえ、同選挙公示日の6月24日午後1時ごろ、港区南青山の紅谷ビル4階の事務所で同社従業員7人に対し、投票日前日の7月10日までの間、有権者に電話をかけてN社長への投票を依頼する選挙運動の報酬として、同期間に対応する給与相当額の金銭計70万2664円を供与する約束をした――というものだった。

 公選法は、221条で選挙運動員に対する金品などの供与やその約束を禁止し、197条で、運動員に対する交通費、宿泊費、弁当代などの実費弁償及び選挙運動のために使用する労務者に対する報酬の支給に限って認めている。これに反すると、3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金に処する―と定めている。

 N社長は、選挙は初めての経験で、知人の民主党参院議員のアドバイスで、社員や取引先のボランティアを中心に選挙事務所を立ち上げ、選挙運動の実務は、「選挙のプロ」として雇った事務局長や自社の社員らに任せ、自らは遊説で全国を飛び回っていた。N社長や元女性社員によると、公示日の6月24日も、社長と元女性社員との間で運動の報酬を約束する言葉を交わす機会はなかった、という。

 それでも、東京地検は、N社長が公示日前の6月1日、紅谷ビルで元女性社員ら従業員を集め、そこで自ら電話かけの応答の実演をしていた事実や、N社長本人が「形はどうあれ給与相当額を支払うつもりだった」、元女性社員も「社長は給与を支払うつもりだと思っていた」との供述調書の作成に応じたことなどを根拠に、N社長がチームリーダーの元女性社員と共謀し、従業員に投票勧誘の選挙運動をさせた対価として給与を支払う約束をした、としてN社長の起訴に踏み切ったとみられる。

 「約束された」報酬は現在にいたるまで支払われていない。N社長の長男は不起訴となり、「共犯」とされた元女性社員も、起訴されなかった。

 ■「自白」のいきさつ

 N社長は、選挙前に同社の顧問になっていた元特捜部長の宗像紀夫弁護士らに弁護を依頼した。宗像弁護士は、特捜部副部長時代にリクルート事件、特捜部長時代にゼネコン汚職を摘発。退官後は、福島知事汚職事件で前知事の弁護などを担当した。

 N社長は、当初、警視庁の取り調べに対し、「まったく身に覚えがない」と容疑を全面否認した。N社長によると、逮捕から1週間後、警視庁は取り調べ対象の社員を拡大し、彼らの逮捕もありうる、と匂わせた。それでも、容疑を否認するN社長に対し、担当検事らは「たいした話ではない。認めれば、息子や社員らは不問にする」とのニュアンスの説明をしたという。

 N社長は、これを、容疑を認めれば、社長を早期に保釈し、長男や社員らは起訴しない、との話を持ちかけられたと受け取り、「社員らみんなに迷惑をかけた。選挙に出たこと自体の社会的責任はある」と検事に話したという。東京地検から警視庁に戻ると、取り調べ担当の刑事が「検事から電話があった。社会的責任でいいから、認めてくれ」と迫ったという。

 N社長の勾留で、会社の経営は事実上、ストップし、10月決算ができない恐れがあると危惧されていた。社長自身、体調に不安があり、長男が逮捕・勾留されているのも心痛だった。N社長は、接見した宗像弁護士らに助言を求め、その結果、最終的に当局と妥協することを決断した。

 宗像弁護士は「勾留中のN社長に『何が罪に当たるのかはっきりしない筋の悪い事件。争えば勝てると思う。しかし、否認すれば、長期勾留される可能性が大きい。認めれば、罰金か、公判請求されてもすぐ保釈になるだろう』との見通しを示し、どちらの方針を選ぶかは、依頼者の判断だ、と話した。争うかどうか、相当、N社長本人と協議し、最終的にN社長は容疑を認めて起訴後すぐ保釈される道を選んだ」と振り返る。

 N社長によると、担当刑事は、「元女性社員は供述した」とし、元女性社員の「供述」をもとに、N社長には身に覚えがないストーリーの供述調書案を用意し、署名を求めた。N社長は「まったく事実と違う」と思ったが、調書に署名したという。

 ■元特捜部長と無罪請負人と

 起訴後、保釈されたN社長は、検察が開示した社員らの供述調書の内容が自らの認識と大きく食い違っていることを知り、一転して起訴事実を争う方針を決めた。宗像弁護士は辞任し、N社長は、9月30日、弘中惇一郎弁護士を弁護人に選任し、東京地裁刑事12部(近藤宏子裁判長)に公判前整理手続を申し立てた。

 弘中弁護士は、虚偽公文書作成罪などに問われた元厚労省局長の村木厚子さんの事件(一審で無罪確定)や、政治資金規正法違反に問われた小沢一郎・国民の生活が第一代表の事件(一審無罪、控訴審で審理中)の主任弁護人。「無罪請負人」とも呼ばれる腕利きの弁護士だ。

 N社長側が公判準備を進めている最中の11月8日、東京地検は、「証人尋問を予定している経理担当社員(その後退職)が、顧問弁護士や上司の経理課長から、取り調べ状況の報告を求められ、供述内容を変えるよう暗に圧力をかけられた。さらに、経理担当社員は、従業員に特別奨励を払うと約束した文書について上司から『独断で行い、会社に迷惑をかけた』との始末書を書かされた。いずれもN社長の指示によることは明らか」などとして、罪証隠滅や保釈指定条件違反を理由に東京地裁にN社長の保釈取り消しを求めた。

 東京地裁刑事14部は検察の請求を認めて保釈を取り消し、N社長は東京拘置所に勾留された。経理担当社員から聞き取りをしたのは、従来から会社の顧問として民事訴訟などを担当していた弁護士で、N社長の依頼で弘中弁護士ら刑事専門チームに引き継ぐ前提で公選法違反事件の調査を行っていた。 

 弘中弁護士は「弁護活動を行おうとする弁護士が、検事調書と供述者の記憶や供述内容のずれを問題にするのは当たり前で、正当な弁護活動だ。経理担当社員は、昇給を勝手に特別奨励金と文書に記載し、残業代の計算を怠って社員からクレームが寄せられたため上司が叱責し始末書の提出を求めたもの。始末書にN社長は関与していない。微妙な人間関係の絡む問題で、一方当事者の供述だけで事実認定したのは不当」として決定の取り消しを求めて準抗告した。

 東京地裁刑事17部(登石郁朗裁判長)は11月22日、弁護士の調査については「調書の内容が供述者の真意と異なる場合にその理由などを確認することは許される」と検察の主張を退けたが、始末書については「経理担当社員の検察官に対する供述の信用性は高く、始末書の内容が虚偽のものである可能性は高い。直属上司と社長との関係を考えると、作成にN社長の指示や了解があったことが強く推認される」として却下した。

 N社長は再び「会社経営がピンチになる」との理由で、公判で争う方針を撤回。弘中弁護士は11月30日に辞任した。

 N社長は再び、宗像弁護士を弁護人に選任。公判では起訴事実とN社長本人の自白調書や共犯とされた元女性社員の供述調書など検察側提出証拠にすべて同意。翌11年1月7日、東京地裁刑事12部の近藤裁判長は懲役2年、執行猶予4年の判決を言い渡した。

 宗像弁護士は「N社長は保釈取り消しになって、なぜか、また弁護を頼みにきた。争わない方針ということなので引き受けた」と言っている。

 宗像弁護士は、公判では、起訴事実を争わなかったが、最終弁論では「雇用契約上の給与を超えた特別の加算がない限り、給与の支払いが選挙運動の対価とはいえない。N社長を運動員買収罪に当たるとして起訴した検察官の公選法に関する解釈には多大の疑問がある」と指摘。「犯罪の成立自体が極めて微妙な事案であり、罰金刑を含む寛大な判決を望む」と述べた。

 また、保釈を取り消した登石決定についても「社長の指示はなかった」とする経理担当社員の上司の陳述書をもとに「誤りだった」と批判していた。

 ■「共犯」とされた元女性社員の「自白誘導」陳述、控訴審は却下し有罪維持

 一審判決は、「罪を認めれば罰金」と受け取っていたN社長にとっては、想定外の重い判決だった。N社長は判決を不服として控訴することを決め、再び弘中弁護士を弁護人に選任した。

 弘中弁護士は、一審判決後、検察が「共犯」とした元女性社員に接触した。元女性社員は、起訴状に、自分がN社長と共謀し、7人の従業員に対し、投票勧誘電話をする対価として給与を支払う約束をした、と記載されていることを知らなかった。

 元女性社員は、検察側のストーリーを明確に否定。「N社長と共謀して選挙違反をしたなどということは全く身に覚えがなく、とうてい納得できない。私の調書には『私は、Nの指示を受け、Nをその選挙で当選させるために、対価を給与の形で払う前提のもと、言い換えれば、対価を給与の形で払う約束のもと…』とあるが、私はこのようなことを述べなかったし、そのような約束があったこともない。供述調書には、私が言っていないことが書かれている。いくら抗議しても直してくれなかった」などとする陳述書を作成した。

 このため、弁護団は、「捜査当局は、身柄拘束(逮捕、保釈取り消し)を自白獲得や、公判で争わせない手段に利用した。会社の経営が困難な状況のうえ、持病の心臓病や、息子が拘束された心労などもあり早期に保釈されるためにやむなく、体験していない事実を認める内容の自白調書にサインした」などとして控訴。元女性社員の陳述書を東京高裁(植村立郎裁判長、判決時は退官)に提出。元女性社員らの証人尋問を求めた。

 しかし、高裁は、一審段階で保釈取り消しをめぐり弁護人が交代した事情なども考慮した結果として、「捜査段階以後の手続きや一審の審理状況からすれば、(控訴審での証拠調べの要件である)『やむを得ない事由』をいずれも欠く」としてN社長側の事実取り調べをすべて却下。

 「被買収者(運動員の社員)は、選挙運動期間中の大半を選挙運動に従事させられており、会社から給与などの対価が支払われるべき労働を行っていない。選挙運動期間中の報酬として賃金名目で支払い約束をすることが選挙運動者に対する金銭供与の約束に当たることは明白」とする一審判決を支持し、控訴を棄却した。

 控訴審判決は、弁護団側の「共謀の事実がない」との主張について、経理担当社員の「N社長から、7人の社員らに、別の形できちんと払うと伝えて休職届けを書かせろ、と指示された」との趣旨の供述調書などを根拠に、「N社長や元女性社員らの供述では、『共謀』、金銭供与の『約束』のいずれも明示的なやりとりはないが、黙示の形で共謀は成立しうると解される」と認定。

 また、弁護側の「元女性社員らの供述がいずれも極めて不自然・不合理で信用できない」との主張については、「客観的状況に照らして信用できる」と退け、N社長の控訴を棄却した。

 一審、控訴審で、N社長側は「従業員に給与を支払ったことで直ちに違反を認定するのは難しい」との総務省の局長答弁を根拠とする無罪主張はしていなかった。このため、裁判所も総務省見解に対する判断は示していなかった。

 N社長側は「人質司法による自白誘導」、「黙示の共謀」認定が憲法違反や判例違反に当たるとして上告した。

 ■「私は警察、検察の被害者」

 判決で「共犯者」の烙印を押された元女性社員は朝日新聞の取材に対し、「選挙運動の対価として給与支払いの約束などの共謀にかかわったことはない」と証言した。これは、一、二審判決の事実認定に疑問を呈するものだ。元女性社員の証言の要旨を紹介する。

 昨年春、弘中弁護士に、N社長の起訴状を見せていただき、私がN社長と共謀して運動員買収をしたと書いてあるのを見て驚きました。取り調べでは、N社長の選挙違反の共犯者だと告げられたことはありません。私は一介の社員であり、N社長と重大なことを相談する立場ではありませんでした。

 調書には、「私は、Nの指示を受け、Nをその選挙で当選させるために、対価を給与の形で払う前提のもと、言い換えれば、対価を給与の形で払う約束のもと…」とありますが、私はそのようなことを検事にも刑事にも話していませんし、そのような約束をしたこともありません。

 私たちが電話掛けをしていた紅谷ビルのコールセンターにN社長が来たのは、6月1日夜の1回だけで、それが最初で最後でした。私を含め5、6人の社員らを前にして社長は「ここはこういう風な話し方にしないといけない」「ここは強調しないといけない」などと、電話掛けの練習をしてみせました。その間約30分間。私と社長が内密で話し合う時間も機会もなく、(電話掛けの従業員に対する対価の支払い約束の)相談などできるわけがありません。これ以降、社長との接触は電話掛けの結果(集計表)を伝えるだけで、これ以外の場所で社長と2人で話をしたこともありません。社長は日本全国を飛び回っており、私は東京で電話を相手に毎日を過ごしていたのですから。

 そもそも、私は会社からの業務命令として電話掛けの仕事をしただけです。その間、会社の従業員として会社の指示に従った労働に対し、給与を受け取るのは当然と思っていましたが、選挙運動の対価としての如何なる報酬をも期待した覚えはありません。その認識を検事に話したところ、検事は「給料をもらえない」と考えなかった以上は「対価がもらえる」と考えて選挙運動したことになる、とこじつけて「選挙運動の対価を給与の形でくれるだろうと思っていた」との調書にしました。私の下で電話掛けをしていた他の社員も同じような調書を作成されましたが、誰もそんなことは考えていなかったはずです。

 経理担当社員から特別手当の話があったことは覚えていますが、これも、当時残業が多かったので、残業代として計算するのをやめて一律で支払うことにしたのかな、と考えたことを記憶しています。選挙運動の対価などとは考えたこともありません。

 そのほか、調書では、「マニュアルのチェックは社長が了承したものと思っていました」という箇所がいくつかあるが、実際は、マニュアルのチェックは事務局長にしてもらったことしかありませんでした。検事は、「候補者であり、社長でもあるNさんがチェックするのが当然だろう」と言い、抵抗しましたが、聞き入れてくれませんでした。

 刑事も検事も、「あなたたちは、被疑者というより、Nの犠牲者であることを、よく理解している」と何度も言っていたにもかかわらず、起訴状には、私が犯罪者の共謀者と記されているのはどういうことでしょうか?

 「社員全員が選挙運動をしているのですから、もし私たちが被疑者であるならば、社員全員が被疑者であるはずです。八重洲に設けられた選挙事務所の事務局長をはじめ、選挙事務所で活動をしている社員は、どうして被疑者ではないのですか?」という私の問いに対し、検事から「それは、交通違反で捕まった人が『交通違反をしているのは私だけではないのに、何で私だけ捕まるのですか?』という質問と同じだ」との答えが返ってきました。

 起訴状を見る限り、警視庁と検察庁は大嘘つきで、私自身は(身に覚えのない犯罪の「共犯者」とされた)「警視庁と検察庁の犠牲者」だと思っています。

 

 ■法学者の「人質司法」を指弾する意見書

 水谷規男大阪大学法科大学院教授(刑事訴訟法)は、N社長側の要請でこの事件の逮捕・勾留から起訴後の保釈の取り消しの経緯について裁判資料を詳細に分析。「人質司法の現実を如実に物語る」との趣旨の捜査や裁判を批判する意見書(12年6月13日付)を最高裁に提出した。

 意見書の趣旨は、以下のようなものだ。

 N社長父子の逮捕、勾留について、東京地裁は、証拠隠滅や逃亡という法律で定められた要件を厳密に審査せずにこれを認めた。捜査側が、N社長から「選挙運動の対価として社員に給与の支払いを約束した」とする自白を獲得するために利用された、と判断せざるを得ない。特に、不起訴になったN社長の長男の逮捕・勾留は過剰な措置だった疑いがある。

 東京地裁が行ったN社長の保釈取り消し決定、準抗告審決定は、N社長が経理担当社員と接触したことがないと認めながら、同社員の上司が同社員に書かせた始末書の内容がN社長の自白内容と異なることから始末書の内容が虚偽だと断定し、さらに、具体的根拠がないのに、始末書作成についてN社長から上司への指示、了解があったと推認した。それは、被告人の防御権をないがしろにするもので、N社長の防御活動を萎縮させ、裁判を受ける権利を否定するものだった疑いがある。

 また、控訴審は、自白調書の任意性を慎重に判断すべきで、最低限、被告人質問を行う必要があったのに、行わなかった。審理を十分尽くさず、自白の任意性について判断しなかった憲法違反などの疑いもある。最高裁は、最終審として控訴審、一審判決を破棄し、少なくとも差し戻しの判断をすべきだ。

 

 ■「公選法違反にはならない?」総務省の見解

 N社長側が、上告審で持ち出したのが、検察、一、二審の裁判所が、そもそも、公選法の解釈を誤り、本来、起訴すべきでない事案を起訴したのではないか、との新たな主張だった。

 上告後、N社長の弁護団は、「給与は雇用契約に基づく会社の業務の対価。選挙運動の対価ではない。ならば、そもそも刑事事件の立件対象にならないのではないか」と考え、総務省に見解を求めたところ、2004年5月12日の衆院政治倫理の確立及び公職選挙法改正に関する特別委員会で総務省が「社長が従業員に選挙運動をさせ給与を支払っても違法ではない」とも受け取れる見解を示していることがわかった。

 「会社の社長が、自社が応援する候補者のために自社の従業員の勤務時間中に電話をかけさせ、通常どおり給与を支払うこと」が買収罪に当たるのかどうか、などの辻恵委員(民主党)の質問に対し、高部正男総務省自治行政局選挙部長は以下のように答弁していた。

 「あくまでもごく一般論ということで申し上げますと、通常どおりの給料が支払われるというようなことでありますれば、給与が支払われていたといたしましても、会社等の内部の問題だというふうに考えられますので、直ちに、選挙運動の報酬として財産上の利益供与等がなされたり、あるいは、特定の選挙運動員にとって特別な直接利害関係があることを利用して誘導が行われたというような認定は、なかなか難しいのではないかというふうに考えられるところでございます」(国会議事録)。

 「一般論」ではあるが、N社長のケースにあてはめると、運動員買収の認定は直ちには難しいというふうに読める。総務省選挙課によると、この見解は現在も変わっていないという。

 ■「法令解釈に誤り」と追加趣意書を提出

 新たにN弁護団に加わった小川敏夫弁護士(12年1月―6月の法務大臣在任中は弁護人を辞任)が、この国会答弁をもとに「本件社員が会社と結んだ雇用契約は、選挙運動を目的として結ばれたものではない。給与の支給自体が公選法にいう財産上の利益に当たらない。従って、その利益の供与の約束が仮にあったとしても同法違反は成立しない。原判決は公選法の解釈を誤り罪とならない事実を犯罪と構成した法令違反がある」として無罪を求める補充上申書を11年12月27日に提出した。

 「会社の業務として従業員に選挙運動をさせることは、原則自由。何が会社の業務かは、一義的には会社内部の問題であり、会社が従業員に電話掛けなどの選挙運動をさせ、『会社ぐるみ選挙』を行わせることも、選挙運動を手伝った従業員が会社から給与を受け取ることも、公選法上、原則として違法ではない」――という主張だ。

 小川弁護士によると、「雇用契約のある被用者」に対しその給与を支払うことのみをもって運動員買収の成立を認めた判例はない。あるのは、選挙期間のためだけに短期雇用されたり、日給、週給制の労働者がその期間、選挙運動のみに従事していたり、そもそも会社が選挙運動の支援のために設立されていた場合など、例外的に給与が「供与」に当たる場合だけだという。

 小川弁護士は「最高裁で有罪が確定すると、現行法上、禁止されていないはずなのに、会社関係者は立候補や選挙運動をできなくなる。組織ぐるみ選挙の是非は議論しなければならないが、本件とは別の問題だ。民主主義の大原則である選挙の公正さを、権力側が恣意的に規制することになる」と話す。

 ■ボランティアか強制か、が違反になるかどうかの分かれ目

 ただ、本件が運動員買収罪の対象でなかったとしても、会社が特定の候補(N社長)に対して投票依頼の労務提供をした事実は残る。

 公選法185条は「出納責任者は、会計帳簿を備

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