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「グッときた。これは立件できると体が震えるような衝撃を受けた」

(8) 金丸脱税事件の情報を提供し、検察の窮地を救った国税当局

村山 治

 戦後の自民党一党支配に幕を引き、今にいたる政界流動化のきっかけともなった金丸信・元自民党副総裁の5億円ヤミ献金事件。1992年に発覚したが、公判に付されず20万円の罰金で処理されたため、捜査資料が法廷で開示されず多くの謎が残されている。この連載「金丸事件:特捜部長と金庫番が語る20年目の真実」では、ヤミ献金事件とそれに続く脱税事件の捜査を東京地検特捜部長として指揮した五十嵐紀男弁護士と金丸氏の秘書で金庫番とも言える存在だった生原正久氏の証言で真相に迫る。5億円のヤミ献金を受けた金丸氏を取調べず上申書提出で罰金処理し、さらに公判で裏付けのない政治家の実名調書を朗読したことで、特捜検事らは厳しい世論の批判を受け、落ち込んだ。その窮地を救ったのは国税当局だった。8回目は、検察「起死回生」となった金丸氏の脱税事件の端緒を検察が得た事情を明らかにする。

  ▽筆者:村山治

  ▽この記事は9月20日に出版された単行本「小沢一郎vs.特捜検察20年戦争」(村山治著、朝日新聞出版)に収載された原稿の一部を取り出し、それに加筆したものです。

  ▽関連資料:「生原氏関連割引債一覧」と題する日債銀の内部資料

  ▽注:本文中の敬称は原則、略しています。


 ■「おれはついている」―五十嵐氏が語る、キラー資料が舞い込んだ日

 東京・霞が関の検察庁舎10階の特捜部長室に、野村興児国税庁調査査察部長(現・山口県萩市長)と石井道遠査察課長(国税庁長官を経て現・東日本銀行頭取)が五十嵐紀男特捜部長を訪ねたのは、正月気分も抜けきらぬ1993年1月20日の午後だった。

 野村たちが持参したB4の一枚紙を見た五十嵐は

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