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岐路に立つ日本の血液事業 血液法制定から10年

出河 雅彦

 いまから10年前の2002年7月、「安全な血液製剤の安定供給の確保等に関する法律」(以下、血液法)が制定された(施行は2003年7月)。この法律は、1400人以上の血友病患者らが輸入血液製剤に混入したエイズウイルス(HIV)に感染し、600人以上が死亡した「薬害エイズ」への反省から、「無償の献血による血液製剤の国内自給」を基本理念に掲げた。しかし、その基本理念とは裏腹に、製剤によっては輸入品や、ヒトの血漿(けっしょう)を原料としない遺伝子組み換え製剤のシェアが拡大している。その結果、「国内自給」という目標達成が遠のいているばかりでなく、血液事業の安定的な維持すら危ぶまれる事態に直面している。自給達成の手段はあるのか。グローバル市場で展開されている技術開発競争にどう対応したらよいのか。さまざまな課題を抱え、岐路に立つ日本の血液事業の現状について報告する。

  ▽筆者:朝日新聞編集委員・出河雅彦

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出河 雅彦(いでがわ・まさひこ)
 朝日新聞編集委員。1960年生まれ。92年朝日新聞社入社。社会部などで医療、介護問題を担当。2002年から編集委員。医療事故や薬害エイズ事件のほか、有料老人ホームや臨床試験について取材。「ルポ 医療事故」(朝日新聞出版)で「科学ジャーナリスト賞2009」受賞。

 血液製剤の作用と特性

 血液事業の課題を取り上げる前に、血液製剤について簡単に説明しよう。

 血液にはさまざまな機能がある。酸素や栄養素、ホルモンを全身の組織に運ぶ▽老廃物や余分な水分を腎臓や他の排泄器官に運んで排泄させる▽体温の調節をする▽体内に入った病原体を攻撃、排除する▽出血時に血栓をつくって止血する――といった働きだ。

 血液は、赤血球、白血球、血小板といった「有形成分」と、水分とさまざまなたんぱく質から成る「液体成分」(血漿)によって構成されている。前者のうち、酸素を運ぶのは赤血球、病原体の攻撃は白血球の役割で、血小板は血栓をつくり止血する作用を持つ。血漿の中には、アルブミン、免疫グロブリン、凝固因子などのたんぱく質が含まれている。ちなみに血友病は、特定の凝固因子が生まれつき不足しているため血が止まりにくく、出血時に凝固因子を補充する必要がある。凝固第8因子が不足している場合を血友病A、同じく第9因子が不足している場合を血友病Bという。血友病Aが血友病全体の約7割を占める。

 生体の機能を維持するために欠かせない血液成分が病気、けが、手術時の出血などで失われれば補充が必要となる。その時に使われるのが、他人の血液をもとにつくられた血液製剤だ。

 血液製剤は、大きく次の3種類に分けられる。

 ●全血製剤(すべての血液成分を含む製剤)

 ●血液成分製剤(採血した血液を遠心分離によって成分ごとに分けた製剤で、赤血球製剤、血小板製剤、血漿製剤がある)

 ●血漿分画製剤(血漿成分に含まれるアルブミンや免疫グロブリン、凝固因子などを、アルコールを用いて抽出、精製して製造する)

 

 全血製剤と血液成分製剤は一人の供血者の血液からつくられ、「輸血用血液製剤」と呼ばれる。輸血用血液製剤は、凍結保存で1年間は使える「新鮮凍結血漿」を除けば、有効期間が短い。最も長い全血製剤、赤血球製剤でも3週間が限度だ。そのため、原料はすべて国内の献血で賄われ、自給を達成している。すべて日本赤十字社の手で製造されている。

 一方、血漿分画製剤は、数千人以上の供血者から採った血漿をプールし、大規模な工場で製造される。液状もしくは凍結乾燥された製剤であるため、輸血用血液製剤に比べ、保存や輸送が容易だ。有効期間もおおむね2年と長い。現在ほどウイルスの除去・不活化技術が発達していなかった時代には供血者の中に一人でもウイルスの保有者がいれば、原料血漿全体がウイルスに汚染されてしまった。薬害エイズ問題は、アルブミン製剤などと比べ加熱処理などのウイルス不活化技術の実用化が遅れた凝固因子製剤に混入したHIVによって引き起こされた。同様の製剤を血友病治療に用いていた先進国を中心に多くの被害者を出した。

 1980年代初め、日本はこの血漿分画製剤の原料血漿の約3分の1を一国で消費し、国際的な批判を招いた。1975年に世界保健機関(WHO)がすべての血液製剤の自給を加盟国に勧告し、国内でも厚生大臣の私的諮問機関である血液問題研究会が同様の意見具申をしていた。にもかかわらず大量消費されていた理由は、アルブミン製剤を術後の患者に栄養補給目的で投与するといった、不適切な使用方法が全国の医療機関に蔓延していたからである。

 原料血漿の輸入依存は、血友病治療用の凝固因子製剤も例外ではなかった。前述したように凝固因子製剤はウイルスの除去・不活化技術の導入が他の血漿分画製剤に比べて遅れた。そのため、エイズの初期の流行地であった米国で集められた血漿を原料とする凝固因子製剤を使用していた多くの血友病患者がHIVに感染してしまったのである。

 その反省の上に立って、厚生労働省は血液製剤の安全性向上、安定供給のための法的枠組みの整備を迫られた。それまで血液事業に関係する法律は血液を提供する供血者の保護を主たる目的とする「採血及び供血あっせん業取締法」(1956年公布)しかなかったので、この法律を全面改正する形で血液法を制定し、血漿分画製剤を含めたすべての血液製剤の国内自給を目指すことにした。

 遺伝子組み換え製剤のシェア拡大

 では、現在各製剤の自給状況はどうなっているのか。まず、アルブミン、免疫グロブリン、凝固第8因子製剤の主要3製剤について、血液法制定前の2000年度と2011年度の自給率を比較してみよう。

 2000年度2011年度
アルブミン製剤 30.1% 58.5%
免疫グロブリン製剤 67.1% 95.3%
凝固第8因子製剤(遺伝子組み換え含まない) 100% 100%
凝固第8因子製剤(遺伝子組み換え含む) 34.4% 19.0%

 

 この数字だけ見ると、自給率は上向いているようにも見える。しかし、100%近い自給率を達成しているのは、3製剤の中で唯一、免疫グロブリン製剤だけである。アルブミン製剤は2007年度に自給率62.8%までいったものの、その後は低下傾向が続いている。これは、医療保険から医療機関に支払われる診療報酬を一日定額制とする制度が導入されたことで、国内製剤より公定価格で2~3割安い輸入製剤に切り替える医療機関が増えたためと分析されている。

 これら3製剤のうち、第8因子製剤は血漿を原料とする製剤だけでなく、遺伝子組み換え製剤も流通している。血漿からつくる第8因子製剤の原料はすべて国内献血で賄われており、それだけに限れば、自給率は1994年以来100%を維持している。

 しかし、海外メーカーは遺伝子組み換え技術を用いて、病原体混入の可能性が常にある人の血漿を使わなくてすむ製剤を実用化した。その製剤がじわじわとシェアを伸ばし、第8因子製剤全体でみると、献血でつくられた国内メーカー3社の製剤の割合は、昨年度ついに2割を切ってしまった。血友病Bの治療に使われる第9因子製剤はいまのところ献血由来の血漿で製造された3社の製品のシェアが7割を占めているが、これも遺伝子組み換え製剤の伸長で自給率が低下している。

 これら主要3製剤以外に目を転じると、[1]国内自給率100%を達成している製剤[2]国内での原料血漿の確保が難しくほぼ100%輸入に依存している製剤[3]海外メーカーが先行し、国内メーカーが現時点で参入できる状況にない製剤――など、さまざまである。[1]では、血が固まるのを抑える働きを持つたんぱく質であるアンチトロンビン製剤など、[2]では、B型肝炎ウイルスの抗体を多く含んだ血漿からつくる免疫グロブリン製剤(針刺し事故などでB型肝炎ウイルス汚染血が体内に入った場合の発症予防などに使う)など、[3]では、血友病患者の体内に第8因子や第9因子への抗体ができて凝固因子製剤の効果がなくなってしまう場合に使われるインヒビター製剤などがある。

 前述した通り、血友病A治療のための第8因子製剤では献血由来製剤の割合はすでに20%を切るところまで落ち込み、第9因子製剤でも遺伝子組み換え製剤がシェアを伸ばしつつあるが、ここにきて、献血由来の凝固因子製剤が近い将来市場から駆逐されてしまう可能性すらささやかれ始めた。

 その理由は、新規参入組を含めた海外メーカーが既存の遺伝子組み換え製剤の改良に取り組み、凝固因子の活性時間を長くする「長時間作用型遺伝子組み換え製剤」の開発競争にしのぎを削っているからである。すでに複数の企業が日本国内で臨床試験(治験)に入っている。

 現在、国内で保険適用されている遺伝子組み換えの血友病治療製剤は、第8因子製剤2社、第9因子製剤1社、インヒビター製剤1社で、いずれも海外メーカーが供給しているが、これらの企業に加えて、複数の海外メーカーが遺伝子組み換え製剤開発に乗り出しているのである。

 仮に、長時間作用型製剤の安全性、有効性が確認されれば、生涯にわたって凝固因子の補充が必要な血友病患者に注射回数(※筆者注=一般的に血友病A患者で週3回程度)の減少というメリットがもたらされる。そうなれば、献血由来製剤から遺伝子組み換え製剤への乗り替えがさらに進む可能性がある。

 日本赤十字社が献血からつくる血漿由来の第8因子製剤を20年間使用する東京都内の50歳代の男性は「血漿分画製剤の安全性が格段に向上したことと遺伝子組み換え製剤という新薬への不安から、献血由来の製剤を使ってきたが、注射の回数を大幅に減らせる製剤が出てくれば、そちらに変更するかもしれない。注射回数の減少は大きな意味を持つ」と話す。

 しかし、国内メーカーの製造能力がなくなってしまうことを恐れる血友病患者もいる。米食品医薬品局(FDA)から検査データに関する指摘を受けた米国の製薬会社が2001年に遺伝子組み換え製剤の供給を一時ストップしたことがあるからだ。

 このときは厚生労働省が国民に献血を呼びかけ、日赤が製剤を増産してなんとか切り抜けたが、海外依存のリスクを患者に認識させた出来事だった。その記憶がまだ生々しいため、血友病患者の間には献血由来製剤の製造能力が完全になくなってしまうことへの不安もある。ただし、長時間作用型の遺伝子組み換え製剤の開発に現在取り組んでいる海外メーカーの製品が仮にすべて承認され、国内市場に出回るようになると、2001年当時に比べて製品の種類が増えることから、供給問題の深刻度は相対的に低下するかもしれない。

 献血の廃棄も

 だが、国内で使用される凝固因子製剤がすべて遺伝子組み換えに置き換わってしまうことは、血友病患者の不安を高めるだけにとどまらず、日本の血液事業の根本を揺るがす事態を招くことになる。

 なぜなら、主要製剤の一つである凝固因子製剤がすべて海外の遺伝子組み換え製剤で占められてしまえば、献血で集めた血漿から凝固因子を取り出す必要がなくなり、せっかく集めた血漿の一部(凝固因子)を廃

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