2013年03月08日
▽筆者:朝日新聞編集委員・村山治
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■容疑と裁判の経過
公選法221条は、選挙運動員に対する金品などの供与やその約束を禁止し、197条で、運動員に対する交通費、宿泊費、弁当代などの実費弁償及び選挙運動のために使用する労務者に対する報酬の支給に限って認めている。これに反すると、3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金に処する――と定めている。
都内で不動産会社を経営するN社長は、2010年7月11日投開票の参院選比例代表区に、民主党公認で不動産業界の推薦を得て立候補し、落選。同月28日、選挙を手伝った長男とともに、警視庁に逮捕され、東京地検から起訴された。
起訴事実は、自らの当選を図る目的で、コールセンターのリーダー格の同社の女性社員(その後退職)と共謀のうえ、公示日の10年6月24日午後1時ごろ、港区南青山の紅谷ビル4階の事務所で同社従業員7人に対し、投票日前日の7月10日までの間、有権者に電話をかけてN社長への投票を依頼する選挙運動の報酬として、同期間に対応する給与相当額の金銭計70万2664円を供与する約束をした――というものだった。
「共犯」とされた元女性社員は逮捕されず起訴もされなかった。長男も不起訴となった。
一審の東京地裁の公判で、N社長は、起訴事実を認め、N社長本人の自白調書や元女性社員の供述調書など検察側の提出証拠すべてに同意。翌11年1月、東京地裁は懲役2年、執行猶予4年の判決を言い渡した。
これに対し、N社長は、「捜査当局は、身柄拘束(逮捕、保釈取り消し)を自白獲得や、公判で争わせない手段に利用した。会社の経営が困難な状況のうえ、持病の心臓病や、息子が拘束された心労などもあり早期に保釈されるためにやむなく、体験していない事実を認める内容の自白調書にサインした」などと主張して控訴。二審の東京高裁は同年6月、控訴を棄却したため、N社長側が同年9月に上告していた。
■裁判のポイント ― 「自白の強要」
N社長が控訴審、上告審で、無罪主張の柱としたのは、警視庁、東京地検の捜査、起訴の違法だった。
N社長によると、当初、警視庁の取り調べに対し、「まったく身に覚えがない」と容疑を全面否認したが、逮捕から1週間後、警視庁の捜査員から、長期の勾留と、さらなる社員の逮捕もありうる、と匂わされた。さらに、担当検事からは「たいした話ではない。認めれば、息子や社員らは不問にする」とのニュアンスの説明を受けた。そのため、N社長は、容疑を認めれば、自身は早期に保釈され、長男や社員らは起訴しない、と持ちかけられたと受け取り、当局と妥協することを決断。
担当刑事が、元女性社員の「供述」をもとにした、N社長には身に覚えがないストーリーの供述調書案を用意し、署名を求めたのに対し、N社長は「まったく事実と違う」と思ったが、調書に署名したという。
弁護団は、上告趣意書で、控訴審判決は「強制、拷問もしくは脅迫による自白または不当に長く抑留もしくは拘禁された後の自白は、証拠とすることができない」との憲法38条2項に違反すると主張。
弁護団の依頼を受けた水谷規男大阪大学法科大学院教授(刑事訴訟法)は「人質司法の現実を如実に物語る。N社長父子の逮捕、勾留について、東京地裁は、証拠隠滅や逃亡という法律で定められた要件を厳密に審査せずにこれを認めた。捜査側が、N社長から『選挙運動の対価として社員に給与の支払いを約束した』とする自白を獲得するために利用された、と判断せざるを得ない」との趣旨の捜査や裁判を批判する意見書(12年6月13日付)を最高裁に提出した。
■起訴は「公選法解釈の誤り」との主張
この主張とは別に、N社長側は、上告審で、検察、一、二審の裁判所が、そもそも、公選法の解釈を誤っているのではないか、との主張を展開した。
根拠にしたのは、2004年5月12日の衆院政治倫理の確立及び公職選挙法改正に関する特別委員会での高部正男総務省自治行政局選挙部長の以下の答弁だった。
「あくまでもごく一般論ということで申し上げますと、通常どおりの給料が支払われるというようなことでありますれば、給与が支払われていたといたしましても、会社等の内部の問題だというふうに考えられますので、直ちに、選挙運動の報酬として財産上の利益供与等がなされたり、あるいは、特定の選挙運動員にとって特別な直接利害関係があることを利用して誘導が行われたというような認定は、なかなか難しいのではないかというふうに考えられるところでございます」(国会議事録)。
「一般論」ではあるが、N社長のケースにあてはめると、運動員買収の認定は直ちには難しいというふうに読める。
上告審で新たにN弁護団に加わった小川敏夫弁護士(12年1月―同6月の法務大臣在任中は弁護人を辞任)が、「本件社員が会社と結んだ雇用契約は、選挙運動を目的として結ばれたものではない。給与の支給自体が公選法にいう財産上の利益に当たらない。従って、その利益の供与の約束が仮にあったとしても同法違反は成立しない。原判決は公選法の解釈を誤り、罪とならない事実を犯罪と構成した法令違反がある」として無罪を求める補充上申書を11年12月27日に提出した。
■最高裁は被告側主張を一蹴
これに対し、最高裁は、憲法38条2項違反の主張については「記録を調べても、所論のような強制のあったことを疑わせる証跡は認められないから、所論は前提を欠く」と一蹴した。この「記録」は、裁判所が裁判で取り調べた証拠を差す。その証拠を見て強制はないと判断した。
被告側は、控訴審に対し、検察側のストーリーを明確に否定し、警視庁や東京地検の取り調べで意に沿わない供述調書を作成されたとする元女性社員の陳述書などを提出したが、証拠採用されなかった。
一方、最高裁は、被告側の「公選法の解釈の誤り」の主張については、「その余は、憲法違反、判例違反をいう点を含め、実質は単なる法令違反、事実誤認の主張であって上告理由に当たらない」としただけで、その判断の根拠には一切、触れなかった。
一審判決は、「被買収者(運動員の社員)は、選挙運動期間中の大半を選挙運動に従事させられており、会社から給与などの対価が支払われるべき労働を行っていない。選挙運動期間中の報酬として賃金名目で支払い約束をすることが選挙運動者に対する金銭供与の約束に当たることは明白」と認定している。最高裁はこれを支持す
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