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イギリス会社法における取締役の一般的義務 2006年会社法

イギリス会社法における取締役の一般的義務
 -2006年会社法の制定と今後の展開

株主の権利弁護団 
弁護士 須磨 美月

須磨 美月(すま・みづき)
 2009年、同志社大学大学院司法研究科卒。Napthens Solicitors(イギリス・ランカシャー州)でのエクスターン研修、司法修習(63期)を経て、2010年に弁護士登録(大阪弁護士会)。大水綜合法律事務所入所。

 第1 はじめに

 2012年1月、株主の権利弁護団は、オリンパス株式会社の代表取締役マイケル・ウッドフォード氏を解任した取締役らの行為が違法であるとして、これによりオリンパスが被った損害の賠償を求め、株主代表訴訟を提起しました。

 オリンパスでは、長年にわたり、過去から現在にわたる会社の損失について、取締役らにより、含み損のある金融商品を連結決算対象外の複数のファンドに簿価で買い取らせ、オリンパスの含み損を表面化させない損失分離スキームや、ファンドにおいて安価に購入した債務超過状態企業をオリンパスが高額で買い取るなどし、その資金を環流させ、その際にオリンパスが余分に支払う金額はのれん代としてオリンパスの資産に計上し、償却資産の償却というかたちで段階的にそれを解消する損失解消スキームが企画実行されてきました。

 月刊FACTAにかかる行為の一端に関する記事が掲載され、当時の代表取締役であったウッドフォード氏は2011年夏、何らかの違法行為の存在の可能性を強く認識しました。その後同氏は、取締役らにその真否を問い質したり、書簡を送ったりして事実確認を行ってきました。同時に、行為の顕在化、経営体制の改革に向けて精力的に活動を始めました。

 その結果ウッドフォード氏は、オリンパスの取締役らによって解任されることとなりました。

 取締役らの上記スキームの企画実行は、とりもなおさず、投資家、株主その他の利害関係人に上場企業の正しい情報を隠蔽する行為であり、善管注意義務(会社法330条)、忠実義務(会社法355条)に反するものです。また、ウッドフォード氏の解任行為自体についても、一連の隠蔽行為の一部であることは明らかです。

 ウッドフォード氏は、自身の著書の中で、「オリンパスの自浄作用に期待することはできない」と語っています(マイケル・ウッドフォード『解任』早川書房(2012))。それこそが、ウッドフォード氏の活動の根底にある意識であったのではないかと思われます。

 それでは、ウッドフォード氏は、取締役とはいかにあるべきであると考えていたのでしょうか。

 本稿では、ウッドフォード氏の母国であるイギリスの会社法下における、取締役の一般的義務及び義務違反に対する責任追及方法、取締役の「会社の成功を促進すべき義務」及び同義務に関する裁判例を紹介し、現在のイギリスにおいて取締役に課された義務について考察したいと思います。

 第2 イギリス会社法における取締役の義務

 1 制定の経緯

 イギリス会社法では、歴史的に取締役の一般的義務について明記されたことがなく、取締役の一般的義務に関しては判例法理に委ねられてきました。

 しかし、このような不文法による義務は、その内容がわかりにくく実務上扱いにくいとの問題があり、かねてより制定法化が要請されていました。このような要請の中で、1998年に公表された法律委員会(the Law Commission)・スコットランド法律委員会(the Scottish Law Commission)の共同報告書において取締役の受託者的義務(fiduciary duties)の明文化について勧告がなされ、かかる勧告を受けるかたちで、CLR(The Company Law Review)が準則の成文化の勧告を行いました。2002年政府白書においても、制定法上の取締役の義務に関する説明を提示することが示唆されました。

 このような経緯を経て、イギリスでは、2006年会社法において、取締役の一般的義務(Directors’ general duties)が成文化されることとなりました。

 2 取締役の一般的義務(Directors’ general duties)

 取締役の一般的義務について規定しているのは、第171条から第177条の7カ条であり、それぞれ、以下のような義務が明記されています。

 第171条 権限の範囲内で行為すべき義務(Duty to act within powers)、

 第172条 会社の成功を促進すべき義務(Duty to promote the success of the company)、

 第173条 独立した判断を行うべき義務(Duty to exercise independent judgment)、

 第174条 合理的な注意、技倆及び勤勉さを用いるべき義務(Duty to exercise reasonable care、 skill、 and diligence)、

 第175条 利益相反を回避すべき義務(Duty to avoid conflicts of interest)、

 第176条 第三者から利益を受領してはならない義務(Duty not to accept benefits from third parties)、

 第177条 取引または取決めの計画に対する利害関係を申告すべき義務(Duty to declare interest in proposed transaction or arrangement with the company)

 もっとも、2006年会社法においては、取締役が会社に対して負う受託者的義務のすべてが成文化されたわけではないといわれています。次項に述べる第178条(2)項が、上記7カ条以外に受託者的義務があることを示唆しているように、なおコモンロー・ルールに基づく取締役の一般的義務は存在するとされています。

 3 救済方法(remedies)

 2006年会社法は、178条で以下のようにその救済方法について規定しています。

 第178条 一般的義務の違反による民事上の効果(Civil consequences of breach of general duties)

(1)  第171条ないし第177条の義務の違反(または違反のおそれ)の効果は、対応するコモンロー・ルールまたは衡平法原則が適用された場合に生ずるのと同様である。

(2)  第171条ないし第177条(第174条を除く)における義務は、会社に対し当該会社の取締役が負うその他の一切の受託的義務(fiduciary duty)と同様の方法でこれを強制することができる(enforceable)。

 このように、会社は取締役に義務の履行を強制(enforcement)することが可能です。ただ、取締役の一般的義務は、会社に対する受託者的義務である以上、かかる強制は会社のみが行うことが可能とされており、その他の利害関係者等には強制手段がないとされています。

 4 訴訟(Action)

 また、一般的義務違反が生じた場合、会社は、違反した取締役に対する訴訟を提起し、義務違反に対する責任追及、義務の履行の強制(enforcement)を行うことができます。また、会社が訴訟提起をしない場合には、株主(shareholders)が会社に代わって、代表訴訟(derivative action)を提起することができます。

 なお、イングランド・ウェールズおよび北アイルランドにおける代表訴訟(第260条以下)と、スコットランドにおける代表訴訟(第265条以下)とで、適用条文が異なり手続に差異がある点で特徴的であり、興味深いところです。

 第3 2006年会社法第172条第(1)項

 2006年会社法において成文化された一般的義務のうち、第172条「会社の成功を促進すべき義務」(Duty to promote the success of the company)が、取締役の義務の履行にあたり、会社のほか、顧客、取引先、地域社会等の利害関係者(stake holders)の利益を考慮する必要があると明記している点で注目されます。

 同条に関しては、2012年11月28日、2006年会社法完全施行後初めて、成文化された取締役の一般的義務についての高等法院(High court)の解釈が示され、ますますイギリスの会社法実務において同条の内容についての関心が高まっています。

 以下では、2006年会社法第172条と判例(Mckillen v Misland (Cyprus) Investments Ltd and others ([2012]EWHC 2343(Ch)))について紹介し、第172条の内容についてイギリスの会社法実務においていかに解されているか考察したいと思います。

 1 2006年会社法第172条

 2006年会社法第172条は、以下のように規定しています。

 (1) 会社の取締役は、当該会社の社員全体の利益のために会社の成功を最も促進しそうであると誠実に考える方法で行為しなければならず、かつ、そのように行為する際に、特に以下の事項を考慮しなければならない。

(a) 一切の意思決定により長期的に生じる可能性のある結果

(b) 当該会社の従業員の利益

(c) 当該会社と供給業者、顧客、その他の者と当該会社の間の事業上の関係の発展を促す必要性

(d) 当該会社の営業活動による地域社会及び環境に対する影響

(e) 当該会社がその事業活動の水準の高さに関する評価を維持することの有用性

(f) 当該会社の社員相互間の取扱いにおいて公正に行為する必要性

 (2) 会社の目的(The purposes)が、その社員の利益以外の目的から成るとき、または社員の利益以外の目的を含む限りにおいて、第(1)項は当該会社の社員の利益のために当該会社の成功を促進するとは、当該目的を達成することをいうものとしてその効力を有する。

 (3) 本条により課される義務は、取締役に対し一定の状況において当該会社の債権者の利益を考慮し、または当該会社の債権者の利益において行動することを要求する一切の法規(enactment)またはコモンロー・ルール(rule of law)に従うことを条件としてその効力を有する。

 2 Mckillen v Misland (Cyprus) Investments Ltd and others ([2012]EWHC 2343(Ch))

 (1) 事案の概要

 被告会社Mislandは、訴外会社Coroinの株主でした。

 Coroinは約6億6000万ポンドの負債を負っていたところ、The Barclay interestsとその支配下にあるMaybourne Finance Limited(MFL)が、Coroinの債権者らから同社に対する債権を取得しました。その前提として、MFLがかかる債権を譲渡するようCoroinの債権者に交渉していたのですが、 Coroinの3人の取締役らは、その事実を認識していたにもかかわらず、Coroinや他の取締役に対しそれを開示しませんでした。

 原告は、このような開示をしなかった行為が第172条(1)項に違反すると主張しました。

 そこで、取締役が、第172条(1)項に基づき、会社に重大な影響を及ぼす事実についての情報の開示義務を負うかどうかが争点となりました。(このほか、第175条に関する主張がなされており、それに対する判断も示されていますが、本稿では割愛します。)

 (2) 高等法院(High court)の判断

 2012年11月28日、高等法院(High court)は、第172条(1)項は、会社に損害を与える可能性のある事実の開示を取締役に義務づけるものであると認定しました。また、第172条の義務の性質について、[1]第172条は取締役に対し、会社の利益となると誠実に考えるところにしたがって行動することを求めるものであり、主観的な義務(a subjective duty)であること、[2]作為又は不作為が本質的に有害なものであるか、もしくは、会社に対し損害を生じさせるものでなければならないことを強調しました。裁判官は、会社に損害が生じる場面においては、取締役が会社の成功を最も促進しそうであると誠実に考えたと主張することはより困難となるであろうと注記しています。

 3 違法行為を開示すべき義務

 この第172条が取締役に会社に重大な影響を及ぼす事実の開示義務を課すものかという問題に関連して、Palmer’s Company Lawの2006年会社法注釈ガイドによれば、第172条は違法行為を開示すべき義務も含むものであるとされています。

 かかる違法行為開示義務については、2006年会社法施行前、2004年の判例(Item Software (UK) Ltd v Fassihi [2004] EWCA Civ 1244 at [44])が、取締役がこの義務を負うことを認めています。すなわち、取締役が自らの違法行為(misconduct)を開示しなかった行為につき、会社が取締役を被告として訴訟提起した事案で、高等法院(High court)は、取締役は自身の違法行為を開示する義務を負うものであるところ、この義務は、取締役が会社にとって最善の利益と考えるところにしたがって行動する基本的義務に不可欠のものであると判示しました。

 このように、2006年会社法が施行される前において高等法院(High court)は、違法行為の開示義務を、第172条(1)項の「全体としての会社構成員のために会社の成功を最も促進しそうであると誠実に考える方法で行為すべき」(act in the way he considers、 in good faith、 would be most likely to promote the success of the company for the benefit of its members as a whole)義務とほぼ同義である、「取締役が会社にとって最善の利益と考えるところにしたがって行動する基本的義務」(a director’s fundamental duty to act in what he in good faith considers to be the best interest of the company)に位置づけていました。こうして、違法行為の開示義務は、上記のように2006年会社法第172条に基づくものとして整理されることとなりました。

 4 小結

 2004年のItem Software (UK) Ltd v Fassihi判決は、取締役が負う伝統的な衡平法上の義務の急進的な拡大を示すものと見られていました。

 そして、2006年会社法の制定を経て、2012年のMckillen v Misland (Cyprus) Investments Ltd and others判決は、取締役の会社に損害を与える可能性のある事実の開示義務を2006年会社法第172条(1)項に基づく義務として位置づけ、Item Software (UK) Ltd v Fassihi判決の中で認定された違反行為開示義務から、さらにその開示の対象を、会社に損害を与えるおそれのある事実にまで拡大するものでした。

 このような意味で、Mckillen v Misland (Cyprus) Investments Ltd and others判決は、今後、さらなる取締役の情報開示義務の拡大が予想される中、大きな意義を有するものといえるでしょう。

 第5 イギリスにおける会社法実務の反応

 このように、イギリスでは、2006年会社法の制定に伴い初めて取締役の一般的義務が成文化され、2012年に初めてその成文化された義務の内容につき、裁判所の解釈が示されました。

 このような流れの中で、イギリスの会社法実務家の間においては、明文化された会社法の取締役の一般的義務に関する条項は、今後、適法といえない取締役の行為に対し、より効果的な救済をもたらすものであろうと期待されています。

 しかし、一方で、個々の義務の内容の解釈に関しては、指針が示されていない点が多いため、前記Mckillen v Misland (Cyprus) Investments Ltd and others判決のような裁判例の集積が待たれています。

 なお、第172条は、取締役が義務を負う対象を会社以外の者に拡大した点で注目を集めましたが、他方で第178条により取締役に義務の履行を強制(enforcement)しうるのは依然として会社のみとされており、第172条が義務を負う対象を拡大したことの意義については疑問が残るところです。この点、なお議論の余地もありうるところですが、イギリスの会社法実務においては、会社以外の利害関係者は不法行為や契約不履行に基づく損害賠償請求訴訟を提起することにより取締役に対する責任追及が可能であり、ことさら利害関係者に第172条の義務の履行について第178条による強制(enforcement)を認めるべき場面が想定しにくいため、それほど問題視はされていないようです。

 第6 まとめ

 現在のイギリス会社法実務のもとでは、会社に損害を与える可能性のある事実の開示を、第172条(1)項という成文法の根拠をもって取締役に求めるに至りました。また、今後、なお開示義務の範囲は拡大され、職務執行の透明性が期待されるものと予想されます。

 我が国において、経営陣の隠蔽体質は厳しく非難されているところであり、オリンパス事件等でそれが広く社会に知られるところとなりました。今後、いかにしてかかる隠蔽体質を改善し、取締役の職務執行の適法性かつ透明性を担保するかの観点から、活発な議論や法制度の見直し等が期待されます。

 たとえば、我が国において、違法行為ないし会社に損害を与える可能性のある事実についての開示義務が、仮に取締役の善管注意義務(会社法330条)や忠実義務(会社法355条)の一内容として認められ、さらにその義務の履行がされていたならば、ウッドフォード氏が孤軍奮闘するまでもなく、その前の段階での救済が十分可能であったと考えることもできるでしょう。

 このように、本稿で紹介したイギリス会社法実務の動きは、我が国における取締役の職務執行の適法化・透明化の実現のための検討に非常に参考になるものであり、学ぶところの多いロールモデルといえるでしょう。

 ▽参考文献:本文中に引用したもののほか、
 1 早稲田大学イギリス会社法制研究会『イギリス2006年会社法(2)』比較法学41巻3号189頁
 2 Trevor Adams、 Alexis Longshaw and Christopher Morris『Business Law and Practice』CLP
 3 川内克忠『英米会社法とコーポレートガバナンスの課題』成文堂
 4 幡新大実『イギリスの司法制度』東信堂

 須磨 美月(すま・みづき)
 2009年、同志社大学大学院司法研究科卒。Napthens Solicitors(イギリス・ランカシャー州)でのエクスターン研修、司法修習(63期)を経て、2010年に弁護士登録(大阪弁護士会)。大水綜合法律事務所入所。