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一年生弁護士奮戦記:幻の最高裁判例を追って

一 年 生 弁 護 士 奮 戦 記

アンダーソン・毛利・友常法律事務所
弁護士 加藤 雅信

加藤 雅信(かとう・まさのぶ)
 上智大学法科大学院教授、アンダーソン・毛利・友常法律事務所客員弁護士。
 1969年、東京大学法学部卒業。東京大学法学部助手、名古屋大学法学部助教授、教授を経て、2007年から上智大学法科大学院教授。
 2007年、弁護士登録(第二東京弁護士会)。司法試験(第二次試験)考査委員。法務省法制審議会民法部会委員なども歴任。

 読者のなかには、標題をみて、フレッシュな若手青年弁護士が執筆者かと思いながら、右の写真をみて、このおじさんは誰だろうといぶかしく思われた方もいらっしゃるかもしれない。しかし、標題も、右の写真も、うそ偽りのない私の姿である。もっとも、「一年生」を名乗るには、時を5年ほど遡らせる必要はあるのだが……。

 60歳という節目を迎えるまで、私は民法研究者として大学で教鞭をとってきた。ただ、還暦をむかえようとする時期になると、研究生活の集大成として執筆してきた『新民法大系』全6巻も、家族法等の未完部分はあったが、山場を越したように思えた。また、時期的には還暦の誕生日より少し後になるが、『加藤雅信著作集』全20巻の公刊のお話を出版社からいただくと、研究生活も最終コーナーを回ったことを強く意識させられた。60歳の私は、数年で研究者としての社会的な責務としての出版を終えることができるのではないかと考えていた。現実はそのように甘いものではなく、民法改正の問題が巻き起こり、私はこの数年それに忙殺され、『新民法大系』の執筆も止まったままで、著作集の方の第1巻の出版も未だし、という状況にある。しかし、現実を見通していなかった当時の私は、少し職業の幅を広げ、実務のなかでこれまでの研究を活かすことができないかと考えはじめていた。

 還暦を機に弁護士登録

 かつてアメリカ留学中に知り合った新進気鋭の青年弁護士は、その当時、大きな渉外事務所の老練な幹部弁護士となっており、その彼の仲介で、アンダーソン・毛利・友常法律事務所の客員弁護士となることとなった。当時勤務していた国立大学は、地方にあるうえ、弁護士との兼務を禁止していたので、勤務先の大学も東京にすることとした。

 弁護士となってみると、当たり前の話であるが、周りには事件が飛び交っている。譲渡担保の案件、という話の対象物件は、実は人工衛星であった。また、クレジットカードの契約の組み立て方についてご意見を伺いたい、というので、難しい話ではないなと思っていると、タイプが違うクレジットを扱っている二つの会社の合併にさいし、どのような組み立てにするのが一番スムーズかという話であった。過払い問題についてご意見をといわれて、この事務所でもこの種の事件を扱うのかと思いながら話を聞いてみると、ある日本の消費者金融が束にしてバルクで海外金融機関に売却した集合債権について、過払金の返還が取引対象物の瑕疵となるので、どのように対処すべきかという問題であった。

 それまでの数十年、論文執筆や体系書の執筆で、読んだ判例の数は人後に落ちないつもりであったが、これまで読んできた判例の事案とは、経済規模において格段に違う事件が周りを飛び交っていることだけは理解できた。元来、好奇心に富み、新しいことが好きな私は、いろいろな事件にのめり込んでいった。

 そんなある日、事務所に紹介してくれた老練弁護士が、「先生、ここでの仕事はいかがですか」と聞く。私が、「面白いことは、面白いがね」と答えると、「ご満足いかないこともあるのですね」と、のたまう。私は、事件そのものは楽しんでいたが、やっている仕事は、他の弁護士先生からのご相談、たまに、企業法務からの相談、そして、鑑定書の執筆であった。事務所は、とても親切で、私を訴訟チームの一員にも入れてくれてはいたが、一年生ではあっても歳からすると長老級となる私は、法律論を扱うだけで、切った張ったの世界とは縁遠いところにいた。

 先の質問に答えて、「仕事の内容は面白いんだけど、やってることは、法律論をいじるだけだ。これじゃ、弁護士登録前に学者としてやってきたことと変わらないさ。せっかく、新しい仕事をするつもりで来たのにね……」というと、相手は、からかい気味に、「じゃあ、先生、個人受任でもしてみますか」という。即座に、私は、「あぁ、するよ」と答えた。驚いた相手は、「先生、個人受任したら、うちの事務所の若い弁護士は使えないんですよ」という。私は、「構わないよ」と答えた。丁度折良く、昔の教え子が知り合いのベンチャー企業の社長を連れてきて、そこの契約紛争事件を個人受任することとなった。

 私が、若い弁護士を使わなくても、1人で事件処理ができる、と考えていたことには、若干の背景があった。弁護士登録以前、研究者であった私のところにも、いくつもの鑑定依頼が来ていた。そのなかには、弁護士の方が受任した直後から相談に来て、「こみ入り過ぎた事件なので」といいながら、法律構成自体の組み立てを一緒に考えたうえで、私が鑑定書を、その弁護士が訴状を書く、といった経験も何度かしており、訴状ができていく過程を横目でみていた事件がいくつもあったのである。

 訴状のどこに印紙を貼る?

 今回受任した事件も、後で紹介するように、かなり手こずる要素はあったが、とにかく訴状を書き上げた私は、ベンチャービジネスの社長とともに、東京地裁に訴状提出にやってきた。

 社長氏が、印紙を買ってきてくれたので、それを訴状に貼ろうとして、私は当惑した。私は、過去に完成したての訴状をいくつもみてきたが、印紙を貼った訴状をみたことはなかったのである。しかたなく、おそるおそる書記官らしき人の前にいって、「あの、私、一応、ほんものの弁護士なんですけど、訴訟をするのは今日がはじめてなんです。印紙をどこに貼るのか、良く分からないのですが……」というと、相手は、いかにも気の毒そうな顔をして私を見ながら、「どこでもいいんですよ、ここが空いてるから、そこに貼ったらいかがですか」といってくれた。「ありがとうございます」と頭を下げて、私は訴状を提出した。

 訴状をチェックした相手は、「訴状というものは、受け付けられてしまえばそれでおしまいです。私は、これを受け付けますので、ご心配して頂くことはないのですが、今後のために、不備な点をお教えしておきましょう」といって、いろいろとご教示して下さった。私は、「渡る世間に鬼はない」と思いながら、丁寧にお礼の言葉を述べて裁判所を後にした。

 それからしばらくの時が流れた。裁判所から電話がかかってきて、書記官の女性が私に尋ねた。「事件は、うちの部にかかりました。裁判長が、先生のことを、この方は弁護士かもしれないが、大学の先生でもあるはずだ。連絡先は法律事務所にするのか大学にするのか聞きなさいとおっしゃっていますが……」という。私は、「このお電話、法律事務所におかけになりましたよね。でも、今、私はこの電話を大学で受けています。転送システムができていますので、どちらにご連絡いただいても結構です」と答えた。相手は、「どちらにいらっしゃる時間が長いのですか」と聞くので、私は「大学の方が長いですよ」と答えた。すると、相手は、「では大学にご連絡いたします」というので、私は「よろしくお願いします」と答えておいた。

 しばらくして、その書記官から、「初回の期日は、何日に決まりました。よろしいですね」という電話がかかってきた。私は、「もちろん結構です」と答えると、相手は、「期日請書(きじつうけしょ)の提出をお願いします」という。私は、おそるおそる「期日請書って何でしょうか」と聞くと、相手は電話口で絶句した。そして、「こちらにモデルがありますからその通り書いていただけますか」というので、「もちろんそうさせていただきます」と答えた。相手は、「失礼いたしました。裁判所では、民事訴訟法94条2項の『期日の呼び出しを受けた旨を記載した書面』のことを『期日請書』と呼びならわしております。先生のような方には『民訴94条2項の書面』と申しあげるべきところを、『期日請書』と申しあげ、大変失礼いたしました」という。私は、これを聞いて、相手の心配りに感謝するとともに、自分の無知に恥じ入った。このようにして、周りの人たちの善意に支えられ、どうにか訴訟はスムーズにスタートした。

 証人尋問から追加請求へ

 しかしながら、訴訟の本体は決してスムーズではなかった。この事件はコンピューターのかなり野心的な基本ソフトの開発をめぐる紛争で、基本契約書は締結されており、それに基づく個別契約も第一回目は書面で締結されていたが、第二回目以後は口頭合意で数回締結され、途中まで支払いもスムーズだったが、最後の段階で支払いがストップし、開発それ自体も頓挫したというケースであった。依頼者はソフト開発を請け負ったチームの一員で、相手方は発注者であった。この訴訟で、相手方は、書証がないことを利用して、口頭での契約の成立をすべて否定する。それのみならず、こちらの納品に対して支払われてきた請負代金についても、それは、依頼者が請負の「仕事の結果」を完成させていないにもかかわらず、「会社側が『目的物を早急に完成させるよう求めた』のに対し、依頼者が『間違いなく完成させる』と発言したので支払ったもので、請負代金ではない」と主張した。

 そこで仕方なく、私は、依頼してきた社長氏とともに2000近くのメールの中からミーティングを約束したり、口頭での発注を基礎付けることができそうなメールを110通、成果物の提出を証するメールを47通、成果物に対する感謝を述べたメールを数通探しだし、間接証拠から口頭合意の成立を立証するという、手間のかかる仕事をすることとなった。

 また、仕事の完成がなかったのに依頼者が将来の仕事の完成を保証したという相手方の言い分に対しては、誰がいつどこでそう言ったのかという、求釈明を行った。ところが相手方はこの求釈明に応じない。弁論準備手続で、「なぜ求釈明に応じないのか」を問うと、相手方は「応じる必要がない種類の求釈明である」と答えた。そこで私は、少し語気を強め、次のようにいった。「お待ちください。私はこれまで強い言葉を用いるのを避けてきましたが、ここで求釈明をしたのは、被告側が『虚』の事実を主張していると考えているからです。今日、私は、『虚』という言葉を用いました。この次も、求釈明に対する釈明がないようであれば、私は、その後の準備書面には、『当方が「虚」であると主張したのに対し、求釈明に対する釈明が依然なされていない。これは、主張事実が「虚」であるためと思われる』と書きますので、そのおつもりで。」その途端、室の空気は凍りつき、傍聴していた司法修習生たちは、身を固くした。

 さすがに、その次には相手方は求釈明に答えるような陳述書を提出してきたので、私は、ただちに証人尋問を申請した。証人尋問では、はじめのうち、証人は、陳述書通りに答えていたが、既に会社を辞めていたこともあり、虚を重ねることにいさぎよしとしない思いもあったのであろう、事実を淡々と答えはじめ、陳述書には「極端にちょっと書きすぎた部分はございます」と認め、相手方の主張が事実に反することが次々と明らかとなった。この証人尋問のために、証人の証言内容がいかなるものあっても対応できるよう、私は数種類のプロットの質問群を用意しておいたが、その中には、実は時限爆弾が隠されており、証人が答えた事実の日時を聞く項目があった。それは、訴訟の当初から、相手方が「虚」の事実に基づく主張展開をしてきたことをあぶり出すためのものであった。相手方代理人は、反対尋問を「原告代理人の先生が、私どもは事実をねじ曲げて、あるいは、被告の会社の人間が事実をねじ曲げて書いているんではないかということで……」という言葉から始めなければならないはめに陥った。

 証人尋問が終わり、裁判長が「次回に最終準備書面を提出することでよいか」と聞いたとき、私は「ちょっと待ってください。請求を拡張したいと思います」と答えた。私は、相手方が答弁書、第一準備書面提出時から、本当の事実を知悉しながら虚の事実主張を展開してきたことを不当争訟として、不法行為に基づく損害賠償請求を、追加的にすることを考えたのである。

 民事訴訟の浄化に資すると思ったが……

 このように請求を拡張した後におりた判決は、当事者心理を見通しぬいた見事なものであった。当初請求のうち、私や依頼者が「のりしろ」と考えていた部分以外は、全額認容された。しかし、訴えの追加的変更は訴訟手続を遅延させるとして不適法としたのである。

 高裁でこの点を争えば、訴訟手続遅延はおそらく問題にならないので、不当争訟の問題についておそらく判示されるであろう。相手方は、実質全面敗訴であるにもかかわらず、この点を恐れてか一審段階で訴訟を終結させたがっていた。訴訟初陣の私としては、もし、最高裁に行って、これが認められれば新判例であり、民事訴訟にときにみられる、「虚」の応酬という傾向に歯止めをかけることができ、民事訴訟の浄化にも資するところが大きいという思いのもと、初判決で、民事訴訟の浄化に資するような最高裁判例を勝ち取れるのではないかという期待は大きかった。しかし、私の依頼者は、当初請求を実質的にほぼ満額手にしてもはや控訴の意思はなく、私の期待は、幻の最高裁判例と化すことになったのである。

 

 加藤 雅信(かとう・まさのぶ)
 上智大学法科大学院教授、アンダーソン・毛利・友常法律事務所客員弁護士。
 1969年6月、東京大学法学部卒業。1969年7月から1973年3月まで東京大学法学部助手。1973年4月から1982年6月まで名古屋大学法学部助教授(民法)。1982年7月から2007年3月まで名古屋大学法学部(途中から名古屋大学大学院法学研究科)教授(民法)。2007年4月から上智大学法科大学院教授。
 2007年7月、弁護士登録(第二東京弁護士会)。2007年9月、アンダーソン・毛利・友常法律事務所客員弁護士就任。1993年1月から1995年12月まで司法試験(第二次試験)考査委員。1998年3月から 2000年3月まで法務省法制審議会民法部会委員。
 著書に『新民法大系I~V』(有斐閣 初版 平成14年 第2版 平成17年)、『財産法の体系と不法利得法の構造』(有斐閣 昭和61年)、『現代不法行為法学の展開』(有斐閣 平成3年)、『現代民法学の展開』(有斐閣 平成5年)、『天皇-昭和から平成へ、歴史の舞台はめぐる(日本社会入門I)』(大蔵省印刷局 平成6年)、『民法ゼミナール』(有斐閣 平成9年)、『クリスタライズド民法 事務管理・不法利得』(三省堂 平成11年)、『「所有権」の誕生』(三省堂 平成13年)、『現代民法法学と実務――気鋭の学者たちの研究のフロンティアを歩く―― 上・中・下』(判例タイムズ社 平成20年)、『民法改正 国民・法曹・学界有志案』(法律時報増刊・日本評論社 平成21年)、『民法(債権法)改正――民法典はどこにいくのか』(日本評論社 平成23年)など。