2011年12月19日
邪馬台国時代の「検察」
アンダーソン・毛利・友常法律事務所
弁護士 甲斐 淑浩
日本古代史に「検察」が初めて登場したのはいつか
私は、弁護士になる前に17年間検事として各地の検察庁等で勤務していたが、福岡地検や佐賀地検で勤務したことがある。九州には、吉野ヶ里遺跡を始めとして縄文・弥生遺跡や古墳など古代史上著名な遺跡が数多く残っており、私は、古代史に興味があったので、休日を利用してあちこち見て回った。
その当時、日本史の中で「検察」が最初に登場したのはいつかとふと疑問を抱いて調べてみたことがあった。司法研修所のテキストである「検察講義案」を見てみると、「検察制度は、フランスで芽生えて発達し、同国からドイツ等のヨーロッパ諸国に承継され、明治政府によって我が国にも導入されたものである。」とされている。歴史をさかのぼれば、律令時代に登場する「弾上台」(だんじょうだい)や「検非違使」(けびいし)と呼ばれる国家機関が警察・検察のルーツだと思われる。
しかし、「検察」という言葉が日本史上で最初に使われたのは、実は、あの「邪馬台国」について記載されている「魏志倭人伝」である。「魏志倭人伝」は、3世紀後半に中国の歴史家である陳寿が編さんした史書「三国志」の一部であり、その中に、「女王国より以北には、特に一大率(いちだいそつ)を置き、諸国を検察せしむ。諸国これを畏憚す。常に伊都国に治す。」という記載がある。邪馬台国の卑弥呼は、伊都国(現在の福岡県糸島市付近)に「一大率」という国家機関を置いて諸国を「検察」させており、諸国はこの「一大率」のことをおそれていたというのだ。「一大率」というのがどのような国家機関だったかは明らかでないが、伊都国という外交上極めて重要な場所に設置され、警察・検察・軍事・外交などをつかさどる大きな権限を与えられており、諸国ににらみを利かせていたようだ。
邪馬台国論争の迷宮の魅力
「魏志倭人伝」の中には、朝鮮半島の帯方郡から邪馬台国に至るまでの距離や方角が記載されているが、この記載とおりにたどっていくと邪馬台国が太平洋の中にあったことになるので、距離や方角に誤記があると考えて修正を加え、様々な場所が邪馬台国の候補地として主張されている。日本の都道府県で邪馬台国の所在地とされていない所はないと言っても良いくらい百家争鳴の状況だが、その中でも有力なのが九州説と畿内説である。
「魏志倭人伝」の記載や様々な考古資料という証拠から「邪馬台国」の真実の姿を明らかにしていく作業は、法律家が行う事実認定にも似ており、そこがこの「邪馬台国論争」の魅力である。
それ以外にも、「魏志倭人伝」には、倭人(当時の日本人)は、窃盗をせず、争いごとが少なかったとか、法を犯した場合、違反が軽い者は妻子を没収し、重い者は家族や一門を取りつぶしていたとか、法律家から見て興味深い記載がいくつも含まれている。
また、倭人は長寿で80歳から100歳くらいの者がいたとか、男子は鮫を避けるために顔や身体に刺青をして海に潜って魚や貝を採っていたとか、倭人は生野菜が好きだとか、当時の日本人の生活や習俗についても色々と貴重な記録が残されている。
弁護士から見た邪馬台国論争
このように邪馬台国論争という自分の専門とは関係のない古代史の世界に触れると、法律の世界にはない考え方などに出会うことができて新鮮でとても興味深い。
しかし、他方で、古代史の議論は、法律家から見て違和感を覚えることもある。
法律家が取り扱う証拠は色々あるけれど、人が作った文書や供述は、何らかの意図やバイアスが加わって全面的に信用できないことがある。むしろ物的証拠などの客観的証拠の方が信用性が高いことが多い。
「魏志倭人伝」は、中国の歴史家が編さんした史書であり、背景に様々な政治的・歴史的な意図があったであろうことを考えると、当時の日本のことがどれだけ正確に記録されているか疑問が残る。それを絶対的な前提として議論をするのは少し怖い気がする。
他方で、「魏志倭人伝」の距離や方角には誤記があるとして、自説に都合が良いように内容を改変して議論するのも、法律家から見るととても違和感がある。結論が先にありきで、証拠を改ざんするのは法律家として最もやってはならないことのひとつである。
「魏志倭人伝」の記載をいじくりまわして邪馬台国の所在地を激しく議論しているのをみるのは、門外漢である私にとって大変面白いのだが、おそらくそれだけでは邪馬台国の真実を解明することはできないだろう。
今も全国で地道に行われている発掘作業によって、邪馬台国時代の住居跡や墳墓等の遺跡や土器等の遺物が発見され、そのような客観的証拠が積み重なることにより、邪馬台国時代の日本の状況が明らかになっていくのだろう。
私は、福岡県出身なので、内心、九州説を支持しているのだが、最近、奈良県桜井市の纏向遺跡で邪馬台国時代の大集落遺跡が発掘されるなどしており、残念ながら畿内説の方が少し優勢のようだ。
このような考古学的な発見が積み重なり、いつか邪馬台国の存在が明らかになる日が来ることを楽しみにしている。
甲斐 淑浩(かい・よしひろ)
アンダーソン・毛利・友常法律事務所スペシャル・カウンセル。
1989年3月、東京大学法学部卒業。司法研修所(44期)を経て92年4月に検事任官。検事として、17年間、東京地検、福岡地検、名古屋地検等の各地の地方検察庁で捜査・公判に従事するとともに、法務省刑事局や金融監督庁(金融庁)等の行政庁で立法作業等に携わる。96年6月に米国サザンメソディスト大学法科大学院(LL.M.)修了。2007年7月から2009年8月まで内閣法制局勤務を経て、同年12月に弁護士登録(第二東京弁護士会)。2010年1月、アンダーソン・毛利・友常法律事務所に入所。
著書に「シリーズ捜査実務全書3知能犯罪」(2007年、東京法令出版(共著))、「金融商品取引法違反への実務対応-虚偽記載・インサイダ-取引を中心として」(2011年、商事法務(共著))。論文に「英国・米国・中国・日本における汚職防止法制の現状(2) 米国の海外腐敗行為防止法(FCPA)と近時の法執行状況」(NBL No. 955)、「英国・米国・中国・日本における汚職防止法制の現状(3) 不正競争防止法と近時の法執行状況」(NBL No. 956)等。
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