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リケイ ミーツ パテント 特許の「進歩性」審査

どのような技術的課題に着目したか

リケイ ミーツ パテント
理系目線からの特許

 

アンダーソン・毛利・友常法律事務所
弁理士 小野 誠

小野 誠(おの・まこと)
 1987年3月、東京大学農学部農芸化学科卒。1987年4月から1999年9月まで森永製菓に勤務。1999年9月、農学博士(東京大学大学院農学生命科学研究科)。99年9月、弁理士登録。
 川口國際特許事務所、三好内外国特許事務所を経て2009年10月、アンダーソン・毛利・友常法律事務所入所。

 理系目線

 大学を卒業後、企業で10年以上研究開発に携わった。その後、特許の世界に足を踏み入れてから早くも10年以上が経ったが、未だに理系目線は抜けきらないようだ。知財関係の方々のお叱りをうけるかもしれないが、企業の研究者だったころは有名な学術誌に自分の論文が採用されることがいちばんの喜びで、それが特許になっても“あたりまえ”的な感覚があった。そして今でも、すばらしい発明に出会うと、特許云々よりは、純粋にワクワクしてしまう。たぶん、発明者の最良の理解者になれる(かもしれない)ことを私が私自身に期待しているからだと思うし、そして、ずっとそうありたいと思っている。

 もちろん、論文重視が理系人のステレオタイプということではない。きっと私のような感覚はとうに時代遅れで、ほとんどの研究者や技術者の間には、特許を取ることのほうが重要だという意識が浸透していることだろうし、それは全く正しい。しかし、この仕事をしていると大学院生達とも話をする機会がある。そして、彼等や彼女等の多くが、権威ある学会に認められたいという欲求を失っていないことを肌で感じて嬉しくなることがある。なかには、「弁理士」などという肩書きを見ると胡散臭そうに接してくる学生もいるが、私にとっては頼もしく見えたりもする。

 大学院生達にしても、自分の論文が学術誌に掲載されて、単に名前が売れさえすればよいということではないだろう。論文は、投稿すれば必ず掲載されるというものではない。著名な大学教授や一流の研究者で構成された編集委員の審査をパスしなければならない。そのような審査をパスすることが学会に認められるということだからこそ、誇りに思えるわけなのだ。

 ところで、審査をパスしなければならない点は、特許でも同じである。

 特許審査と論文審査

 特許の審査と論文の審査は、互いによく似たところがある。双方とも、前から知られていたようなことは採用されない。特許の場合、特許を受けるとその技術を独占して他人には真似させないことができるから、翻って、前から知られていたことに特許を与えるわけにはいかない。前から知られていて誰もが利用していた技術が、ある日突然、特許権者に独占されてしまうということがあってはならない。論文の場合、前から知られていたことをクドクドと何回も掲載したのでは、読者もいなくなってしまうだろう。特許の世界では、このことを「新規性」といったりする。

 また、特許でも論文でも、前から知られていたとまでは言えなくても、大して代わり映えがしないものは、やはり採用されない。特許の場合、そのような代わり映えのしない技術も、既に多くの人たちが使っているだろうから、誰か一人に独占させるのは問題である。論文の場合も、代わり映えしないものばかりでは、読者が興味をなくしてしまう。特許の世界では、これを「進歩性」といっている。

 このように、特許でも論文でも、審査をパスするには「新規性」と「進歩性」がなくてはいけない。このうちの「新規性」は、同じか違うかという比較の問題に過ぎないので、特許の場合も論文の場合も本質的に判断の差はない。しかし、“代わり映え”がするか否かの「進歩性」では、判断する人の立場や経験により結果が左右されてしまうことを否めないし、止むを得ないところもあるだろう。

 特許の「進歩性」審査

 しかし、特許の場合は権利に関わるから、客観的かつ公正に審査がされないと、すぐに法的問題に発展してしまう。これは世界中のどこでも同じなので、各国の特許庁は、「進歩性」を審査するためのルールを設けている。そして、そのルールは大まかに3つに分類できる。

 1つは、TSMテストといわれているものであり、従来、米国で採用されていた。簡単に言うと、特許を受けようとする発明が、前から知られていたものから、教示(Teaching)、示唆(Suggestion)、動機付け(Motivation)されていたかどうかを検討し、されていなかった場合には特許を与えるという手法である。「されていない」ことを確認するのだから客観的であり、また、積極的に特許を与える方向に働きやすい。

 もう1つは、プロブレム・ソルーション・アプローチ(Problem Solution Approach)で、欧州特許庁が採用している。この手法では、特許を受けようとしている発明が、どんな技術的課題に着目し、それをどのように解決したのかを認定する。そして、同じ課題を解決するために類似の解決策を採用したものがかつて存在したか否かを、その発想の観点から判断する手法である。しかし、発想が似ているかどうかを客観的に判断するのは簡単でないから、審査する側の力量が問われる。

 最後は、オブビアス・トゥ・トライ(Obvious to Try)といわれる手法で、“やってみることは容易”とも訳されている。要するに、技術がこれほど進んだ世の中では、研究者はいろんな事を知っており、いろんな事柄を試すだろうから、逆に、以前の研究者は自分の発明を発想できなかったことを証明するか、自分の発明がとてつもなく素晴らしい効果を発揮することを証明しなければ審査をパスできない。客観的ではあるが、特許を認めない方向に働きやすい。

 理系目線からの「進歩性」

 前述のように、論文が学術誌に掲載されるには著名な大学教授等の厳密な審査をパスしなければならない。そしてその審査では、研究者の着眼点の奇抜さや洞察力の深さ、或いは科学的事実を証明するために卓越した手法が採用されたかどうかが重要な評価の対象となる。

 そのような論文審査は、特許審査での前掲、「プロブレム・ソルーション・アプローチ」と相通じるところが少なくないように思う。つまり、そのアプローチでは、発明者が“どのような技術的課題に着目したか”が吟味されるわけであるが、これは論文審査での“研究者の着眼点”の評価と同じことだろう。また、当該アプローチにおける“解決策の類似性”は、論文審査における“手法の卓越性”とオーバーラップするところがありそうだ。そういった意味で、私のような理系オタクにとっては、「プロブレム・ソルーション・アプローチ」が、いちばんしっくりと感じられるのではないだろうか。

 他方、「オブビアス・トゥ・トライ」的な手法は、理系人にとって最もとっつきにくいものではないかと思う。いくら理系オタクが色んな知識を持っているといっても、実際は、課題解決のための最もスマートな方法を常に思索するのであり、それでも解決が困難なときに、額に汗しながら、トライ・アンド・エラーを繰り返して壁を乗り越えるのである。それを一概に、“やってみることは容易”などといわれても納得感がない。

 弁理士目線からの「進歩性」

 とはいえ、特許は産業政策との結びつきが強いから、どれがベストの手法だということも言い難い。例えば、人々の創作意欲を刺激することが産業の発展に有用だと考えられれば、TSMテストによって多くの特許を認めていくのがよいだろう。逆に、特許が乱立してしまって自由な企業活動が制限されてしまうならば、「オブビアス・トゥ・トライ」的な手法により乱立を防ぐことが有益かもしれない。

 そこで、我が国はどうかというと、数年前、知財高裁により、「進歩性」の審査では、技術的課題を的確に把握するのが不可欠であり、その解決手段が前から示唆されていたかどうかを判断すべきとの基準が示された。「プロブレム・ソルーション・アプローチ」である。技術も特許制度も成熟した我が国においては、研究者(発明者)も納得がいく判断がされることも重要なのではないかと思う。研究者も、よりイノベーティブな研究に邁進する糧となるだろうし、ともかく理系オタクの私にとっては嬉しい基準である。

 国際的には、各国特許庁の審査結果の相互利用を図るべく、パテント・プロセキューション・ハイウエィ(PPH)といった制度が作られ、利用度が増加してきている。国際的な「進歩性」の判断についても、理系目線からの基準が採り入れられることを期待している。

 小野 誠(おの・まこと)
 1987年3月、東京大学農学部農芸化学科卒。1987年4月から1999年9月まで森永製菓に勤務。1999年9月、農学博士(東京大学大学院農学生命科学研究科)。99年9月、弁理士登録。
 1999年9月から2002年1月まで川口國際特許事務所勤務。2002年2月から2002年10月まで三好内外国特許事務所勤務。2002年10月から2009年10月まで川口國際特許事務所勤務。2004年2月、付記弁理士登録。2009年10月、アンダーソン・毛利・友常法律事務所入所。2010年4月から知的財産権訴訟における専門委員(東京高等裁判所、東京地方裁判所、大阪地方裁判所所属)。