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海の色は青ではない

海の色は青ではない

 

アンダーソン・毛利・友常法律事務所
弁護士  田中 勇気

田中 勇気(たなか・ゆうき)
 2000年、東京大学法学部卒業。司法修習(55期)を経て02年に弁護士登録(第一東京弁護士会)、石嵜信憲法律事務所(現:石嵜・山中総合法律事務所)入所。その後04年にアンダーソン・毛利法律事務所入所。11年、当事務所パートナー就任。
 主な取扱分野は、人事労務案件、独占禁止法案件、M&A案件。

 三十歳は男の成人式

 気づけばもう数年前だ。にわかに古い絵画を見てみたい衝動に駆られた。以来、美術館には足繁く通っている。「俗物趣味」と言われれば、それまでだ。反論する気もない。事実、絵画の知識など未だ皆無に等しい。

 では、何故そんな私が美術館に通い始めたのか、そして未だに通い続けているのか。発端は三十になったことだ。学生時代、部活やサークルの合宿で、既に社会人となって久しい二十代後半のOBを多数見てきた。その度に、「二十代後半ってのは随分とオヤジなんだな」と、失礼ながら正直そう思っていた。そんな自分が、二十代後半を経て三十代に突入したのだ。気落ちしないわけがない。そんな私を見て、同じ部屋で執務していた女性弁護士は、こう言った。「何、ヘコんでるんですか。男は三十からですよ。三十歳は男の成人式なんですよ。」

 はっと目が覚めた。思えば弁護士になってそれなりの年数も重ねた。自分より期が下の弁護士も増えている。当然ながら、それに応じて責任も重くなっている。同時に、何とも言えない不安にも駆られた。「自分は本当にこの世界で生きていけるのだろうか?」と。そうした時、一つの疑問が頭を駆け巡ったのである。「『本物』とは何なんだろう?」と。未だに答えなど持ち合わせていない。ただ、一つの手がかりらしきものは思いついた。「『幾多の時代を超えてきたもの』を感じ取れば、何か見つかるのではないか」と。美術館に通い始めたのは、それ以来である。

 サルでも分かる印象派

 繰り返しになるが、未だ絵画の知識など皆無に等しい。当然ながら、どうやって絵画を鑑賞すべきなのか、そのイロハすら危うい。全てが自己流である。

 そんな私でも(おそらくは)一つ分かったことがある。モネに代表されるような、いわゆる印象派の絵画は、(多分)間近で見てはいけないということだ。間近で見ると、何が主題なのかすら、全く分からないということにもなりかねない。逆に少し距離を置いてみると、その主題がつかめてくる。何よりもその全体像が視覚を通じて脳みそにダイレクトに飛び込んでくる感覚に襲われる。

 もちろん、間近で見ても楽しくないわけじゃない。印象派の絵画は、筆のタッチが荒っぽいという勝手な先入観を持っていた。しかしながら、見慣れていくうちに次第に気づいたのは、実際には繊細なタッチと荒っぽいタッチが意識的に使い分けられているように見える点だ。また「荒っぽいタッチ」と一口に言っても、見る者が対象物を把握可能な程度にまではブレイク・ダウンして描かれているようだ。

 筆のタッチだけではない。色使いにも心奪われる。少し距離を置いてみると、そこで描かれている海に全く違和感はない。その美しさは他の部分と見事に調和して自然な佇まいを呈している。だが、間近で見たときに気づくのである。そこに描かれた色は、青ではない。もちろん、限りなく透明に近い青でもない。周囲の風景の反射も含みつつ、だがそれだけにも留まらず、実に多彩な色が塗り込まれている。それでもなお、依然として違和感を覚えない自分にはたまた気づくのである。

 写実主義から印象派へ

 このまま絵画の話を続けたい気もしなくはないが、翻って私の専門である企業法務に話を引っ張ってみよう。現在、企業を取り巻く各種法律の内容は、「複雑怪奇」という表現こそがふさわしい。「不遜」との評価を覚悟で敢えて言わせてもらえば、これらを法律の専門家でもない者が直に見たとしても、その正確な理解は困難だし、かえって要らぬ誤解をしてしまって危ないぐらいだ。

 私は、自分でも経緯がよく分からないのだが、何故かM&A、その中でも公開買付けやスクイーズ・アウト(少数株主の締め出し)が絡む案件に関わることが多い。このうち公開買付けに関する規制は、金融商品取引法という法律に規定されている。一度見ていただければ即座にご理解いただけると思うが、これほど複雑に入り組んで読みにくい法律もない。またスクイーズ・アウトについては、「全部取得条項付種類株式」という、その名前からして不可解極まりない株式を使ったスキームを扱わなければならない。私は、弁護士なりたて当初、人事労務専門の事務所に籍を置いた。その当時、金融商品取引法など、絶対に自分の専門にしたくないと本気で思っていたことを鮮明に覚えている。それが今では、毎日少しづつ自分の額が後退する思いとともに、そのような細かい法律やスキームと付き合っているのである。細かい法律・スキームを読み解くのに少なからぬ快感を覚えないわけでもない自分もいる。

 企業法務系の弁護士を目指す以上、そのような細かい法律やスキームをインプットするのは、今や必須と言っても過言ではない。だが、少なからず経験を積んだ今、声を大にして言えるのは、実務上、そのようなインプットのあるべき姿とアウトプットのそれとは全く別物ということだ。弁護士がクライアントに提供する意見書やメモランダム、口頭でのアドバイスもそうだし、外に公開する本や論文なども同じだ。試しに書店に行って並んでいる法律書籍を見て欲しい。極めて格調高い内容のものが所狭しと並んでいる。カバーも豪華だ。本棚に並べたら、さぞかし見栄えすることだろう。ただ正直、それらは実務でそのまま使えない。内容が細かすぎるのだ。全体像がつかめない。ポイントが分からない。それでは、非専門家には理解してもらえない。

 実務のアウトプットで必要なこと、それは一番伝えたいことを明確に見据え、それ以外を敢えて切り捨てる勇気を持つことではないか。細かく正確に言い出せば、そこには例外ルールがあるかもしれない。しかしながら、そのような点は、後から問題にされない程度の輪郭を描くことに留めた上で、バッサリと切り捨てるのだ。そうすればこそ、そこでの主題が明確に浮かび上がり、一番伝えたいことが読む者・聞く者の脳みそにダイレクトに響くことになるのではないか。

 実は、かく言う私こそが、どちらかというと「格調重視」派だった。そんな私が、今や、こんなことを言っているのである。今、弁護士十年目だ。私の弁護士としての十年間は、「写実主義」から「印象派」への転向過程だったと言ってもよい。

 自分色に染め上げて

 言うまでもなく、現在、日本は不景気の真っ只中だ。不景気とくれば、リストラだ。リストラとくれば、日本の場合、まずは早期優遇退職の募集となる。そのような状況でまた増えてきているのが、募集過程における退職強要の問題だ。この問題、こじれるとかなり長引く。特に企業が従業員を意地にさせてしまった場合はなおさらだ。正直、企業と従業員のどちらのためにもならないと思われる訴訟が延々と続くことになりかねない。

 このような場面は、人事労務案件を扱っていると少なからず巡り合う。もちろん全てはケース・バイ・ケースだ。ただ、そこで得てして問題になっているのは、建前・立場のぶつかり合いだ。先ほどの退職強要の例で言えば、企業が自ら退職強要の事実を認めることなど、実務上あり得ない。通常は、他の従業員も募集に応じて退職している場合が殆どであろうから、なおさらだ。実際のところ最終的に退職はやむをえないかと考えている従業員も、あくまで退職強要の事実を企業に認めさせようと頑張るなら、それは最高裁にまで至る「百年戦争」以外に選択肢はない。そこでぶつかり合っているのは、まさに建前・立場であり、どこまで行っても当事者同士の話し合いでは平行線を辿るだけだ。

 そのような平行線を交差線に変えるには、どうしたらよいのか。少し距離を置くのだ。建前や立場の絡む問題から少し距離を置いて、そこに色のないものを緩衝材として持ち出すのである。「色のないもの」とは何か。お金である。「解決金」という色のないお金を間に持ち出して、「後はそれぞれが独自の建前・立場から色付けしたら良いじゃありませんか」と、そう告げるのである。

 もちろん、他の従業員の目がある。紛争当事者ではない他の従業員の視点から見た場合に、そのようなお金の支払いが違和感のないレベルに留めねばならない。他方で、紛争当事者という視点にまで近づいて見た場合、そのお金には実は、それぞれが独自の立場で鮮やかな色付けを施しているのである。一方はそれを「割増退職金」見合いと、もう一方はそれを「慰謝料」見合いと、それぞれ自分色に染め上げるのである。それでもなお、全体感としては違和感を惹起しない形に作り上げるのである。

 ポスト印象派

 私が、弁護士としての十年間をかけて気づき、今実践しようとしていること、それはまさに、モネのような印象派の画家達が行おうとしたことと同じなのではないか。六本木の国立新美術館で、印象派絵画を前に、周りの迷惑も顧みず独り仁王立ちしながら、そのような思いに囚われていた自分を見つけた。もう少し早めに気づいていたなら、何か変わっていたかもしれないと思う今日この頃だ。

 もっとも、「気づいた」とは正確な表現でなく、「腹落ちした」というのがより適切だろうか。実はどれも、弁護士なりたて当初から、どこかで年長者から受けていたアドバイスの内容そのものだからだ。それらが十年の時を経て、ようやく真に理解できただけのことである。

 さて、また今から十年後、今度は何に気づくのであろうか。私にとっての「ポスト印象派」とは何であろう。我ながら、楽しみでないわけじゃない。

 田中 勇気(たなか・ゆうき)
 アンダーソン・毛利・友常法律事務所パートナー。
 2000年、東京大学法学部卒業。司法修習(55期)を経て02年に弁護士登録(第一東京弁護士会)、石嵜信憲法律事務所(現:石嵜・山中総合法律事務所)入所。その後04年にアンダーソン・毛利法律事務所入所。11年、当事務所パートナー就任。
 主な取扱分野は、人事労務案件、独占禁止法案件、M&A案件。
 著書として、『新会社法の読み方』(金融財政事情研究会、2005)、『ANALYSIS公開買付け』(商事法務、2009)など。
 論文として、「研修費用の返還」(労務事情 No.1032)、「懲戒規程レビューのチェックポイント」(ビジネスガイドNo.605)、「被排除事業者からの損害賠償請求の可能性」(ビジネス法務2010年3月号)、「M&A労務成功の秘訣:M&A実行における3つのリスクと解決策」(ビジネス法務2010年8月号)、「M&Aと組織再編:組織再編に係る法定外契約(上・下)」(旬刊商事法務No.1906・1909)、「相談室Q&A(震災が原因で工場を閉鎖する場合は、勤務地限定社員についても転勤を強制できるか)」(労政時報 No. 3802)、「相談室Q&A(特定職種でキャリアを積んできた工員を別の職種に変更してもよいか)」(労政時報 No. 3809)、「『会社法制の見直しに関する中間試案』の見どころ」(ビジネスロー・ジャーナル2012年3月号)など。
 講演として、「早期退職優遇制度をめぐる最新判例動向」(労働開発研究会主催)、「名ばかり管理職問題の衝撃と非典型労働(派遣・請負)の潮流」(当事務所主催)、「期間雇用社員の採用・退職に関わる労務管理上の留意点」(顧客主催)、「法務デュー・ディリジェンスの勘所」(顧客主催)、「M&A法務の勘所」(当事務所主催)など。