メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

海の向こうのコモン・ロー:「法律」がない国々

海の向こうのコモン・ロー

アンダーソン・毛利・友常法律事務所
弁護士 樋口 航

樋口 航(ひぐち・わたる)
 2002年3月、一橋大学法学部卒業。司法修習(58期)を経て、2005年10月、弁護士登録、現事務所入所。2011年5月、米国Columbia Law School (LL.M.)。2011年8月から米国ニューヨークのPillsbury Winthrop Shaw Pittman法律事務所で勤務。2012年3月、 ニューヨーク州弁護士登録。

 「法律」が存在しない? 長年の疑問

 世の中には「法律」が存在しない国もあると聞いたのは、大学生の頃であった。そうした国での法は判例なのだと。しかし、当時私はその意味するところを正確に理解することはできなかった。と同時に、それが何を意味するのか、純粋に疑問に思った。当時の私にとって、「法」は「法律」であり、「法律」とは「条文」であった。学生時代は常に傍らに六法があった。実務についてからは、六法は会社法関連法令集や証券六法に変わったが、依然として傍らに条文があったことに変わりはない。

 私が学生時代に抱いた疑問は、実務に出てからも解決されることはなかった。というよりも、むしろ疑問は大きくなった。仕事では、アメリカ、イギリスそしてオーストラリアの弁護士と一緒に仕事をする機会に多く恵まれた。こうした国々は「法律が存在しない」とされるコモン・ローの国々である。しかし、仕事で得た知識によると、こうした国々にも会社法や証券法という「法律」は存在した。結局どの国にも法律はあるのではないか、と混乱した。

 私にとって、アメリカへの留学そして研修は、この長年の疑問を解決するための重要なステップであった。

 コモン・ローのカタチ

 コモン・ローを採用しているのは、イギリス、アメリカ、カナダ、オーストラリア、インド等々のかつての大英帝国領であった国々が中心である。ゆえに、コモン・ローは英米法と呼ばれることもある。

 対比される概念は、シビル・ローであり、こちらは大陸法と呼ばれることもある。フランス、ドイツをはじめとして、オランダ、ベルギー、イタリア、スペイン等のヨーロッパ諸国、ブラジル、アルゼンチン等の南米諸国、中国、韓国等のアジア諸国の多くがシビル・ローを採用している。無論、日本もシビル・ローを採用している国の一つである。

 「コモン・ロー」や「シビル・ロー」といった言葉自体多義的なため、本来はきちんとした定義をする必要がある。しかしながら、厳密さには目を瞑り、非常に大雑把に言うと、コモン・ローとは先例主義であって、制定法ではなく判例を中心とする法体系であり、他方でシビル・ローとは制定法(法典)を中心とする法体系である。その意味では、コモン・ローの国々では「法律」(=制定法)が存在しないというのは、ある意味正しい。

 最も伝統的な分野の一つである契約法についてみると、(一部の例外を除いて)アメリカにおいては日本の民法のような制定法は存在しない。その代わりに、古くから続く判例により形成されたルールが法として適用される。例えば、契約違反の損害賠償に関して、Hadley v. Baxendaleという非常に有名な1854年のイギリスの判例がある。この判例では、契約違反の損害を通常損害と特別損害に分けた上で、特別損害については契約締結時点で当事者に予見可能であることが必要であるというルールを確立したとされる。このルールは現在のアメリカにおいても適用ある重要なルールであり、また日本の民法416条の基にもなっているが、このルールを記載した法律(条文)はアメリカには存在しない。つまり、この150年以上前のイギリスの判決そのものが、適用されるべき法としてアメリカに現存している。

 他方で、アメリカにおいても、会社法、証券法、倒産法など法律(条文)がある分野も存在する。こうした分野では、一見、コモン・ローとシビル・ローとではそれほど変わらないようにも思える。しかし、そうした分野でも条文の意味、位置づけは日本とは相当に異なる。

 まずもって、日本の法律とアメリカの法律では条文の数が違う。大抵において、アメリカの法律の条文数は少ない。例えば、日本の会社法の条分数は約980である。これに会社法施行規則(約240)や会社計算規則(約170)を加えると、条文数の合計は約1400となる。他方で、アメリカの会社法のうち、有名なデラウェア州会社法(General Corporation Law)の条文数は190であり、細則はない。それだけに、日本の会社法と比べると内容はだいぶ簡素である。日本の会社法を前提とすると基本的と思えるような事柄、例えば取締役会の権限(会社法362条)のような条文も、デラウェア州会社法には存在しない。こうしたアメリカの法律は、裁判所が判例によりルールを作るべき「空白」が多い法律とみることができる。

 また、アメリカの法律の条文の作りの「粗さ」も目につく。例として、日本の金融商品取引法の母法である米国証券法(Securities Act of 1933)を挙げてみたい。日本でもアメリカでも、いわゆる開示規制の適用を受けるのは証券の「募集(公募)」のみである。すなわち、仮に証券の発行が「募集」に当たれば、詳細な報告書を作成して開示(公衆縦覧)しなければならないのが原則である(金融商品取引法4条1項、米国証券法4条(a)項(2)・5条)。従って、証券の発行が「募集」に当たるか否かはきわめて重要である。

 そこで、日本の金融商品取引法(及びその施行令・関連内閣府令)では、何が「募集」かについて、証券の種類ごとに非常に詳細な要件が定められている(金融商品取引法2条3項参照)。しかしながら、驚くべきことに、米国証券法にはそのような規定は存在しない。米国証券法には、「発行者による公募を伴わない取引(transactions by an issuer not involving any public offering)」には開示規制が適用されないと書かれているだけであり(同法4条(a)項(2))、何が「公募(public offering)」かを定めた規定は存在しない。何が「公募」かは、裁判所の判例によりルールが形成されているのである。こうした裁判所の判例に基づくルールこそがコモン・ローである。

 アプローチの違い

 実際にアメリカ人の弁護士とチームを組んで仕事をすると、法律的な問題へのアプローチの仕方に違いがあるという印象を持つことが多い。端的に言えば、判例の分析により重点がおかれることが多い。まずは問題となっているケースに近い判例を探し出し、その判例の射程距離を丁寧に分析する、つまりその判例のケースと問題となっているケースとの違いを細かく分析するという作業が重要なウェイトを占める。

 他方で、アメリカでは、日本の弁護士が行うようなコンメンタールや立法担当者の解説の参照という作業はあまり見たことがない。そもそもコンメンタールといった類の体系的な書籍や、立法担当者の解説といった類の文献自体があまり存在しない。余談だが、アメリカの法律事務所の弁護士の部屋を見てまず驚いたのは、その本棚に置かれた本の少なさである。無論、書籍のオンライン化が進んでいるという事情もあろうが、オンラインで検索できる判例がより重要ということもできるのだろう。

 そうした作業の結果としての法律的な分析は、どことなく「ファジー」であるという印象が否めない。確立したルールを前提にそのルールの適用を考えるのではなく、ルール自体が特定の事実を前提にしたものであり、事実が変われば適用されるルールが変わり得るからである。さらには、裁判所の判決によりルールが変わったり、新しいルールが確立したりするため、制定法と比べるとルール自体が「ファジー」ともいえる。

 疑問への回答

 冒頭の疑問に戻る。コモン・ローの国々にも「法律」は確かに存在した。しかし、同時に、その「法律」とは異なるコモン・ローという「法」が社会を支配していた。これが、私が長年にわたって抱いてきた疑問への一応の回答であった。

 もっとも、コモン・ローは思っていたよりも奥が深く、難しい。経験に裏打ちされた「勘所」がなければ、判例の射程距離の分析どころか、適切な判例・ルールを探すことさえ覚束無い。そして、常に新しい判例に気を配らなければならない。こうして、アメリカン・ロイヤーは日々勉強し、凌ぎを削っている。しかし、その姿勢は、私の知るジャパニーズ・ロイヤーと同じだった。つまるところ、「弁護士の姿勢はコモン・ローであろうとシビル・ローであろうと変わりはない」というのが回答なのかもしれない。

 樋口航(ひぐち・わたる)
 2002年3月、一橋大学法学部卒業。司法修習(58期)を経て、2005年10月、弁護士登録、現事務所入所。2011年5月、米国Columbia Law School (LL.M.)。2011年8月から米国ニューヨークのPillsbury Winthrop Shaw Pittman法律事務所で勤務。2012年3月、 ニューヨーク州弁護士登録。
 論文として、「ETFの法的構造及び法規制の概要」(月刊資本市場、2011年)(共著)、「1934年米国証券取引所法の域外適用に関する米国連邦最高裁判決~米国預託証券(ADR)を発行している企業に対する影響」(国際商事法務、2011年)、「日本企業・役員等の米国投資家による米国での訴訟リスクの法的分析とその対応」(国際商事法務、2012年)(共著)など。