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インドの日本人弁護士:修行の日々で得たもの

インドでの修行の日々

アンダーソン・毛利・友常法律事務所
弁護士 琴浦 諒 

琴浦 諒(ことうら・りょう)
 2002年3月、京都大学法学部卒業。司法修習(56期)を経て、2003年10月、弁護士登録、当事務所入所。2007年9月から2008年5月まで、インド、ムンバイのAmarchand & Mangaldas & Suresh A. Shroff & Co法律事務所にて勤務。2009年5月、米国Columbia Law School (LL.M.)。2010年2月ニューヨーク州弁護士登録。2012年1月、当事務所パートナー就任。

 1.インド到着

 2007年から2008年にかけて、インドのムンバイの現地法律事務所で約10ヶ月間勤務した。

 2012年現在では、日本人弁護士がアジア諸国で研修、勤務することは珍しくないが、2007年当時はそのような例はほとんどなく、私がインドに赴任した時点では、過去にインド現地の法律事務所で勤務した日本人弁護士はほとんど存在しなかった。私自身、まさかインドで働くことになるとは夢にも思っておらず、最初に出向勤務の話をいただいたときは冗談かと思ったほどである。

 飛行機を乗り継ぎ、ムンバイの空港に降り立ったときの衝撃は今でも忘れられない。ぼろぼろの空港の建物の周囲に大量の人、人、人。あまりにも多くの人が空港の周りにいるので、何かイベントでも開催されているのではないかと思ったほどである(しばらくして、単に人が多いだけだとわかった)。

 荷物を勝手に運んでチップを要求するインド人ポーター達に囲まれながら、どうにかこうにかタクシーに乗り込み、ホテルに向かったが、その途上で第二の衝撃が私を襲った。運転が荒い。いや、荒いというレベルではない。無茶苦茶だ。

 2車線の道路に5台の車が走っている。車間距離は、前後も左右も限界に挑戦するかのように異常に狭い。急な車線変更、急ブレーキは当たり前。ひっきりなしにクラクションが鳴る。最初はハラハラしながら周囲を見ていたが、あまりの恐ろしさに目を閉じてしまった。過去の旅行経験で、発展途上国では車の運転が荒いことは知っていたが、想定の範囲を遥かに超えていた。遊園地のスリル系アトラクションなど目ではない。ようやくホテルに到着したときには、自分が運転したわけでもないのに疲労困憊になってしまった。

 こうして、インドでの「修行」が始まった。

 2 インドでの生活

 それまで海外での生活経験が全くなかった私にとって、インドでの生活はさまざまな面で衝撃的であった。

 まず困ったのが、家賃水準の高さである。2005年以降、2008年秋にいわゆるリーマンショックが起こるまで、ムンバイの地価はうなぎ上りで上昇していた。また、当時は為替のレートが、1ルピー=3.2円前後と、2012年現在の為替レートと比べても2倍以上ルピーの価値が高かった。これらの要因により、特に贅沢をしているわけでもないのに、ムンバイにおいて日本人駐在員の住むマンションの平均家賃は、日本円換算で100万円を超えていた。当時のムンバイは、外国人にとっては世界で最も物価の高い街の1つだったと思う。

 結局、予算の都合もあり、最終的に家賃が月30万円程度の、インド人も多く住んでいるマンションに入居することにした。まさか、インドのマンションの家賃が日本で住んでいたマンションよりも遥かに高いとは思わなかった。これだけの家賃を払っているにもかかわらず、私が入居したマンションは、一般的な日本人駐在員の住むマンションと比べると、設備面、管理面で見劣りがすることは否めず、このことが後に述べる更なる苦労を生むことになる。

 日本と大きく異なり、そのために最後まで苦しんだのは、食生活である。よく「インド人は毎日カレーですか」という質問を冗談交じりに受けることがあるが、毎日どころではない。三食全てがカレーである。カレーは人並みに好きなつもりだが、さすがに三食カレーというのは厳しい。

 一言で「カレー」といっても、その具は色々であるし、また味付けも異なる。インド人にとって、「カレー」とは料理の名前ではなく、調味料の名前であると考えた方がわかりやすいかもしれない。毎食ごとに、異なる食材が、異なるスパイスで味付けされているため、インド人にとってはそれぞれ「違う料理」なのかもしれない。しかし、悲しいかな、細かなスパイスの違いを区別することができない日本人の舌には、全て「カレー」にしか感じられない。その結果、主観的には「毎食カレー」ということになってしまうのである。

 元々カレーは嫌いではなかったこともあり、最初の1~2週間は美味しく食べていた。1ヶ月を超える頃には、かなり辛くなっていた。2ヶ月目に入った頃には、カレーは見るのも嫌という状態になってしまっており、3ヶ月目には「もう駄目だ」と思った。恐ろしいことに、「もう駄目だ」と思ってからの方が、そう思うまでよりも長かった。

 現地滞在時期の後半は、現地日本人駐在員にインド料理以外のレストランを多く教えてもらえたため、さすがに三食カレーという状態ではなかったが、いったん「もう駄目だ」と思ったものを食べ続けるというのはかなりの苦しさだった。心を無にして食べ続けた。この時期は、お腹の調子も悪く、7~8キロ程度痩せてしまった。このときの経験がトラウマとなり、私は今でもカレーが苦手である。

 3 暑さ、そしてゴキブリとの戦い

 ムンバイは亜熱帯気候であり、1年を通じて気温と湿度が高いため、特に夏場はエアコンが必須である。ところが、私の入居したマンションは、築50年と年季が入った鉄筋コンクリート建物であり、エアコン設備などあるはずも無かった。不動産業者に頼んで、外付けの形でエアコンを付けてもらったが、効きは非常に悪く、しょっちゅう故障する。故障する度に不動産業者を呼んで修理してもらっていたが埒が明かず、また不動産業者を呼ぶのも一手間なので、途中で諦めてしまった。

 それ以降は天井に備え付けられたファンだけを頼りに過ごしていたが、気温が高い日は、ファンを回しても、暑い空気をかき混ぜるだけでほとんど役に立たない。部屋の中に打ち水をしたり、霧吹きで水を体に吹きかけて気化熱で涼めないかと試してみたり、今思い出すとほとんど冗談みたいなことを毎日真剣にやっていた。

 さらに困ったのが、部屋に大量に出没するゴキブリである。熱帯のゴキブリは大きく、そのくせ素早さは日本のものと同等である。所詮はゴキブリなので、噛み付いたり、刺したりといった実害はないのだが、毎日最低1回ゴキブリを見るのは、精神衛生上非常に良くない。

 大家さんにお願いして防虫措置をとってもらったり、日本から取り寄せたホウ酸団子をばら撒いたりして、ようやく出没の頻度はある程度下がったが、完全に駆除することはできなかった。風呂場でシャワーを浴びようとした際に、丸腰で巨大なゴキブリに遭遇したときは、築50年のマンションに入居することを決めた自分の決断を死ぬほど後悔した。

 4 現地法律事務所での仕事

 このように、インドでの生活は苦労続きではあったが、現地法律事務所での勤務は非常に充実しており、実り多いものであった。

 私がインドに駐在していた2007年から2008年にかけては、ちょうど日本企業によるインド投資がハイペースで増加を始めた時期にあたり、多くの日本企業の方からインド法に関するご相談をいただいた。当時、ご相談事項として多かったのは、事業拠点の設立(インド進出)、労務問題、契約に関する質問等である。

 当時は、インド法について日本語で解説された文献はほとんど存在しなかったため、まずは現地法律事務所が外部向けに作成した英語のブロシャーやメモなどを読み込み、インドに投資する際の留意点を一つ一つ理解していった。その理解がある程度のところに達した時点で、インド進出に関する日本語の論文を執筆し、その執筆の過程でさらに理解を深めていった。

 インドに赴任するまでは、インドの法制度についてはほとんど何も知らず、またイメージも無かったが、上記過程を経て、

  インドは、1947年の独立に至るまで、長期にわたる英国による植民地支配を経たという歴史的沿革から、英国の統治制度、法体系を多く導入しており、いわゆる英米法のコモンロー(common law)の法体系を採用していること(ただし、重要な法令の多くは成文で規定されていること)


  インドは28の州及び7の連邦直轄領から成る連邦制であり、法律には連邦法と州法とがあること。外為法や会社法など、主要な法令は連邦法により規定されているが、一定の労働関連法令や、特定の業種や商取引に係る規制、地方税等については州が立法権を有していること。


  インド政府は英語を公用語の1つとして指定しており、法令の言語、及びインド国内において許認可申請などの諸手続を行う際の言語は英語となること。また、ビジネス上の言語としても専ら英語が使用されており、インド企業との間で契約を締結する場合の言語は、通常英語となること。

 また、2007年当時には、インド法に関して日本語でわかりやすく解説できる日本人弁護士がほとんど存在しなかったため、私の日本語での説明に、依頼者の日本企業が「とてもよくわかった」と感謝してくれることも、弁護士としてやりがいを感じる部分であった。

 2007年当時のムンバイは、日本人駐在員の数が約200人と非常に少なく、またインドの生活環境が日本人にとって非常に厳しいこともあって、日本人駐在員間のコミュニケーションは非常に密であった。仕事を通じて、また現地日本人会を通じて知り合った日本人駐在員の方々とは、「苦しい駐在期間を共有した」との仲間意識があり、今でも交流が続いている。これも、私にとってはインド駐在により得た、得がたい財産の1つである。

 5 おわりに

 インドの経済成長と、それに伴う都市の発展は目覚しい。初めてインドを訪れた2007年から、たった5年間しか経っていないにもかかわらず、ムンバイの空港はすっかりきれいに改修され、一流ブランドの免税品が所狭しと並んでいる。市外の中心地への道も整備され、大きな橋が空港近辺の地域とムンバイ市街の中心部を繋ぐようになった。新しいホテルも次々と建設されている。

 今でも、出張等で年に数回ムンバイを訪れるが、その度ごとに発展し、きれいになっていく街を見るに付け、インド駐在当時の苦労を思い出し、嬉しいような、少し寂しいような気持ちになる。チェックインした新しいホテルの快適な部屋の中で、蒸し暑く、ゴキブリだらけだった駐在中の部屋のことを、なんとも言えない懐かしさとともに思い出すのである。

 琴浦 諒(ことうら・りょう)
 2002年3月、京都大学法学部卒業。司法修習(56期)を経て、2003年10月、弁護士登録、当事務所入所。2007年9月から2008年5月まで、インド、ムンバイのAmarchand & Mangaldas & Suresh A. Shroff & Co法律事務所にて勤務。2009年5月、米国Columbia Law School (LL.M.)。2010年2月ニューヨーク州弁護士登録。2012年1月、当事務所パートナー就任。
 「インド会社法調査」(日本貿易振興機構(JETRO)(2008年5月)、「インド非居住者によるインド内国会社の株式取得および譲渡に係る規制 - 公開買付規制を中心として」(国際商事法務 2008年10月号(Vol.36 No.10))、「インド進出における法務の基礎知識(1)~(12)」(会社法務A2Z 2011年 7/8/9/11/12月号・2012年3~9月号)など、インド法関連の論文、記事多数。