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新興国の現場をネットワークで駆ける弁護士の「忙中に閑あれ!」

森脇 章

忙中に閑あれ!

 アンダーソン・毛利・友常法律事務所  
 弁護士 森脇 章

 

森脇 章(もりわき・あきら)
 1992年3月、慶應義塾大学法学部法律学科卒業。司法研修所(47期)を経て95年4月に弁護士登録(第二東京弁護士会)。1998年に中国にわたり、以後2007年に至るまで北京に居住。中国業務を主領域としつつ、アジアの諸法域の直接投資・M&Aなどを担当。2009年から、中国人民大学法学院の客員教授として、年に数回中国の学生に中国語で講義をする。

 今年も年の瀬が見えて来た。月並みだが、一年のサイクルが年々短くなっているように感じられる。老化である。老化により毎年記憶力が減退していくことにはもはや驚かないが、時間が過ぎるのが速くなっていくのにはどうしても慣れることができない。

 忙中に閑あり

 忙しい中にも僅かな時間はある、あるいは、忙しい中であればこそ、心に余裕を持つべきだという意味だとされるが、実際行うのは難しい。いや、「忙中に閑あり」とは、行うのではなく、感じるものなのかもしれないが、感じるのは更に難しいように思われる。

 「忙」中に閑あり

 今年も、出張が多かった。バンコク・上海出張で一年が始まった。仕事始め直後の1月7日土曜日にまずクアラルンプールに行き、現地に出向中の弁護士と会食。ちょっとした寄り道であるが、現地の情勢、出向者の苦労、キャリアプランなどを聞く。目が生き生きしていることを確認して、バンコクへ。日曜日なので、会議のアポは入らない。そこで、気心の知れた現地弁護士と会食。以前私たちの事務所で仕事をしていたアメリカ人弁護士だ。洪水の影響やそれに関連する現地の弁護士の仕事の変化を知る。そして翌月曜日。日本は休日であったが現地は平日なので、この日から会議。都合3泊滞在したが、ほとんど会議、観光はなし。その後バンコクから直接上海へ。現地で会議をこなし、一泊で帰京。

 その後、出張に行った国・地域は、台湾、インドネシア(2回)、シンガポール、ミャンマー(2回)、タイ(3回)、インド、中国(6回)、ロシア、トルコ、香港、フィリピンだ。いわゆる先進国というところにはほとんど行かない。みな、新興国だ。中国その他の新興国に関連する法律業務を行うこと、これが私の今の仕事だ。現地に進出する前に投資規制や労働法制について調べたい、現地に工場を設立したい、現地の企業を買収したい、現地で不動産開発を行いたい、現地法人のコンプライアンスシステムを設計したい、現地の労働紛争を本社的立場から監督・指示しなければならなくなった、現地で訴えられたので応訴しなければならなくなった、現地にある従業員数千人の工場を閉鎖したい、模倣品がデパートで売られているので取り締まってほしい、現地の企業に技術供与をしたい、現地に販売網を作りたい、などなど、依頼の内容は様々だ。

 このような仕事で重要なのは、リーダーシップとネットワーキングだ。いま挙げた様々な仕事にはそれぞれの分野の専門知識が必要だ。医師に外科、内科、皮膚科という区分けがあるが、これに似ているかもしれない。医師はどの分野についても一通りの知識を持っているが、専門性が高い問題については、それぞれの分野の専門医が対処する必要がある。そのなかで私の仕事は、小児科に似ているかもしれない。小児科では、子供特有の問題に関する知見も必要であるが、扱う問題には、外科的要素あり、内科的要素あり、皮膚科的要素があるだろう。子供の複雑な内科的問題については、内科医師と小児科医師が一緒に対応するのではなかろうか。私たちの仕事もそれに似ていて、例えば、新興国における企業の買収案件を行おうとするならば、M&A(企業の買収と合併)専門の弁護士とチームを組む。医師と違うのは、各国ごとに法律が大きく異なるという点かもしれない。イギリスの影響を大きく受けている国・地域(インド、シンガポール、マレーシア、香港、ミャンマーなど)、アメリカの影響を受けている国(フィリピンなど)、フランス、オランダなどヨーロッパのいわゆる大陸法の影響を受けている国、イスラム圏の影響を受けている国、などアジアを見ただけでも実にさまざまだ。それぞれの国の伝統的な制度が残っている程度も異なる。そこで、各国・各地域の弁護士の助けが必要となる。現在、私たちの法律事務所には、欧米諸国のほか、中国、台湾、韓国、インドネシア、マレーシア、インドの弁護士がいるが、勿論それだけでは足らない。案件ごとに現地の弁護士をチームに取り込む必要がある。日本やその他の先進国のように弁護士の専門化が進んでいる国・地域も多いので、そのような国・地域では、案件にふさわしい専門性を有する弁護士を選ぶ必要がある。また、地域性を考慮する必要がある国・地域もある。中国、ベトナムやインドなどがそうだ。福岡の事件を北海道の弁護士に依頼する、という場合に生じる単純な地理的利便性の問題だけでなく、地方条例や法令の実務上の運用が地域によって大きく異なるため、その地域の弁護士を選ぶことが要求される場合も多い。更には、弁護士に支払う費用を考えるなら、案件の規模に応じて選ぶ弁護士を変える必要がある。このような現地弁護士の選定作業は、実は容易ではない。一般的には、案件の打診を受けたら一両日中にチーム編成を行い見積もりを作成する必要がある。最近は、世界の弁護士の電話帳のようなものが多く出版されているので、そこから選ぶという方法もなくはないが、やはりそれだけでは適切な選定は難しい場合が多い。そこで必要なのが、ネットワーキングだ。そのためには、実際に現地に赴き、会って話をすることに勝る方法はないと思っている。

 また、私が仕事のスタイルとして重視しているのは、現場主義。とにかく時間さえ許せば、なるべく現地に向かう。依頼者にも電話やメールではなくできる限り会う、現地の進出対象地域もできるだけ実際に見る、買収の対象会社(工場)も実際に見る、相手方との交渉にも可能な限り参加する、(特に不利になることがなければ)現地当局との折衝にも参加する。出張が多いのはそのためだ。他の業界では当たり前かもしれないが、日本の弁護士業界では、このスタイルはむしろ少数ではなかろうか。その甲斐あってか、お陰さま(?)で、パスポートは増冊したものを2つ使いきり、今は3つ目を使っている。

 忙「中」に閑あり

 忙しい中に、「閑」を求めるなら、時間の隙間を作る必要がある。移動が多い中で、仕事をこなすためには、相当の効率化が必要だ。その工夫をいくつか紹介しよう。

 まず、フライトを選択する。平日を有効に使おうとすると、どうしても週末のフライトで移動することが多くなる。また、最近は、新興国との間に深夜便が増え、これが非常に便利だ。例えば日曜日の深夜離陸し現地に早朝到着するバンコク便を使えば現地で朝8時からでも会議は可能だ。終日会議をして、深夜便に乗れば、火曜日の朝から東京で働ける。まるで日帰りだ。さすがにこの「日帰り外国出張」は、齢四十の体には相当こたえるので避けているが、1泊もらえれば喜んで出張に行く。

 また、正午に成田から飛ぶ必要がある日に、どうしても午前中会議をしてほしいといわれたらどうするか。その場合は、迷わず前日深夜に成田に向かい、そこで宿泊し、翌朝、ホテルから電話で会議を行う。

 成田に行くには、鉄道、バスを使わず、タクシーを使う。びっくりする人も多いかもしれないが、平日の移動ならほぼ必ずそうしている。いままで100回以上成田空港を利用したのではないかと思うが、交通事故などで遅れたことは一度もない。ドア・トウ・ドアで最も早く、確実に到着できる方法だと確信している。しかも、乗り換えなどがいらないので、約60分間をフルに使うことができる。パソコンを開けば、何通もメールが書けるし、電話もできる。

 また、細かくたくさん出張するために必要なのは、出張後の日程を考慮しておくことだ。今年は、出張の翌日に講演や講義を行うということが何度もあった。また、帰国の当日比較的大きな会議が控えていることもあった。出張前に準備しておくことができるものは勿論そのようにするし、出張の帰途は、頭を切り替えて、出張後の仕事に向けて準備をする必要がある。

 忙中に「閑」あり

 では、私にとって、「閑」とは何であろうか。

 いま最も楽しいのは、子供の見送りである。娘は幼稚園に通う。出張のないときは、朝、娘を幼稚園に連れていく。無論、朝9時から会議といわれればそちらを優先するが、そうでなければ極力、娘を送るようにしている。今日は私が見送りだ、というと娘は満面の笑みを浮かべる。何とも言えない。おそらく数年もしたら見向きもされなくなるだろうと思いつつ、今は今の喜びを味わう。

 次いで運動だろうか。一週間に一度1500メートル以上泳ぎ、一週間に一度10キロ以上走る。しかし、時間の都合がつかないと、土曜日に1500メートル泳ぎかつ10キロ走る、ということになる。それでも続ける。新興国への出張中にホテルのプールに入るのはいささかリスクが大きいと考えているが、ランニング用のシャツとシューズは出張鞄にいつも入っている。とはいえ、夜は依頼者とお酒を飲んでしまうことが多いので朝しか時間がない。一方、出張中に他の仕事をこなせるのは朝の数時間しかないのが通常。10キロ走るとなると1時間近くかかる。従って、一回の出張の中で5キロ走る時間を確保できた時は「上出来」と考えるようにしている。

 今年の夏は、わずかながら家族と旅行に行った。海外出張が多いので、家内には無理をいって国内旅行にした。例によって直前に上海出張が入ってしまい、帰国の翌日の出発となった。南国宮崎に3泊した。旅行中、(一度だけではあるが)午後3時間ほど電話会議を入れてしまったものの、家族とゆっくり過ごすことができた。

 忙中に閑「あり」

 この「忙中に閑あり」という言葉は、「忙中自ずから閑あり」ともいわれる。夏目漱石や福沢諭吉といった明治の文化人の著書に出てくるのは、この「自ずから」がついているものが多い。

 この違いはことのほか大きいように思われる。なんというか、より自然な感じだ。時間をやりくりして「閑」を掴み取る、ということではなく、忙しい中、自然体でいても、ふと「閑」が得られる、というイメージであろうか。これは、奥深い。先に述べた私の「閑」はどれも、無理に時間を作ってはめ込んでいる「閑」で、「『自ずから』閑あり」というものではない。その境地に至るには、まぁ、まだあと40年はかかりそうだ。

 森脇 章(もりわき・あきら)
 1992年3月、慶應義塾大学法学部法律学科卒業。司法研修所(47期)を経て95年4月に弁護士登録(第二東京弁護士会)。1998年に中国にわたり、以後2007年に至るまで北京に居住。中国業務を主領域としつつ、アジアの諸法域の直接投資・M&Aなどを担当。2009年から、中国人民大学法学院の客員教授として、中国の学生に中国語で講義をする。
 これまでにAJに掲載された原稿に「おとうさんの仕事」がある。