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シカゴと法と経済学:弁護士の留学は合理的選択か

 アンダーソン・毛利・友常法律事務所  
弁護士 宮本 甲一

 1 シカゴという街

拡大宮本 甲一(みやもと・こういち)
 2003年3月、慶應義塾大学法学部卒業。2005年10月、司法修習(58期)を経て弁護士登録(第二東京弁護士会)、当事務所入所。
 2008年5月から2010年5月まで、証券取引等監視委員会に勤務し、金融商品取引業者に対する検査業務などに従事。2010年6月、当事務所復帰。
 2012年6月、米国University of Chicago (LL.M.)。2012年9月、当事務所復帰。

 (1) シカゴの魅力

 筆者は2012年6月にシカゴ大学ロースクールでの留学を終えた。シカゴは全米第3位の都市でありながら、ニューヨークやロサンゼルスと比べると日本人にとって比較的なじみの薄い街と思われる。筆者もシカゴ大学に留学することになるまで、非常に冬の気候が厳しい街といった程度の認識しかなかった。実際、ニューヨークのブロードウェイやロサンゼルスのハリウッドといった華々しい観光スポットがあるわけではなく、ともすれば地味な印象もある。しかしながら、約1年にわたり生活した結果、筆者はシカゴという街を大いに気に入り、もし留学先に迷った人がいれば自信をもってお勧めできる。

 まず、シカゴの魅力として第一に挙げられるのはその美しい街並みである。摩天楼といえばニューヨークを思い浮かべる人も多いかもしれないが、シカゴは摩天楼発祥の地と呼ばれている。事実、多くの高層建築物が建っているのであるが、特筆すべきはそのデザインの独創性だろう。様々な独創的なデザインのビルが立ち並ぶ様をミシガン湖越しに眺めるのは格別である。少し足を延ばせばフランク・ロイド・ライトの建築で有名なオークパークもある。

 また、便利な都会ではあるがゴミゴミしているわけではない。ミレニアム・パークやグラント・パークなどの憩いの場では、毎年夏になると無料の音楽祭が開かれる。シカゴアンが思い思いにくつろぎつつ音楽を楽しむ様子はシカゴの夏の風物詩といえる。音楽好きにはシカゴ交響楽団やジャズバー、ブルースバー、スポーツ好きには4大プロスポーツが揃っている。そのほか、魅力的な美術館や博物館、人懐こいシカゴアンなど、その魅力を挙げればきりがない(但し、食事を除く。)。

 (2) シカゴの治安と気候

 他方で、筆者が所属する事務所から留学する弁護士の留学先を見ると、シカゴはあまり人気がない。その主な理由を推測するに、治安と寒さへの不安ではないかと思われる。

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 まず、筆者が生活していたダウンタウンに限っていえば、アル・カポネやシカゴ・マフィアのイメージからは程遠く、治安は非常に良い。夜であっても人通りの少ない裏道に入らなければ普通に歩くことができる。ただ、残念ながら筆者が通っていたシカゴ大学はシカゴの南部の特に治安が悪いといわれている地域に所在している。キャンパス内は比較的安全であるとはいえ、夜中は出歩くことは避けた方が無難であるし、昼間であっても無闇に立ち入るべきでない地域も隣接している。キャンパスには1ブロックごとに緊急事態を知らせるための警報ボタンが設置されており、これを押すような事態になった時にはもう「手遅れ」ではなかろうかと心の中で思っていたが、歩く時間帯や場所には気を付けていたこともあり、幸いこのボタンを押すような事態には一度も遭遇しなかった。

 次に寒さであるが、結論から言えば寒い。とても寒い。思わず笑ってしまうくらい寒い。しかし、意外と「なんとかなる」ものである。毎年厳しい寒さを乗り越えてきた土地だけあり、建物内はセントラルヒーティングのおかげで暖かく、大雪が降っても迅速に除雪される。また、現地調達した防寒着の性能は素晴らしく、ダウンジャケットなどはまるで羽毛布団を身体に巻いているかのような暖かさだ。何より人間の慣れというのは恐ろしいもので、しばらく過ごせば「今日はあまり寒くないと思ったらマイナス10度になっていないんだね。」といった台詞を平気で吐くようになるものだ。

 2 シカゴ大学と「法と経済学」

 (1) シカゴ大学の特色

 少し前置きが長くなってしまったが、話を筆者が留学していたシカゴ大学に移したい。シカゴ大学は、シカゴ学派に代表されるように経済学が高い評価を受けており、多くのノーベル賞受賞者を輩出している。そのような学問的背景もあり、シカゴ大学ロースクールのカリキュラムも「法と経済学」に重点を置いたものとなっている。これは「法と経済学」という個別の講義やセミナーが設けられているということだけでなく、他の法律科目においてもしばしば法と経済学的なアプローチからの解説が行われることを意味する。

 しかしながら、「法と経済学」は日本においてはマイナーな研究分野であり、そもそも一体どのような学問なのかも知らないという法律実務家が大半ではないだろうか。かくいう筆者も「法と経済学」がどのような学問であるかもほとんど知らずにシカゴ大学の留学を決めたし、「法と経済学」の講義を履修したのも、シカゴ大学ロースクールを代表する科目がどのようなものか試しに履修してみようという極めて安直な動機からであった。

 (2) 「法と経済学」とは

 そもそも「法と経済学」とはどのような学問なのか。シカゴ大学ロースクールで筆者が履修した講義名は"Economic Analysis of Law"(法の経済分析)であり、この方がイメージを持ちやすいかもしれない。すなわち、ある法分野において望ましい制度はどのようなものなのか、法が人々の行動にどのような影響を及ぼすのかなどについて、経済学(主にミクロ経済学)的観点からの分析を行うものである。

 この経済学的観点からの分析というものが、筆者のように経済学・数学の素養がない人間にとってはなかなか馴染みにくく、難解に感じることも多々あった。そこでの基本的な前提は「人間はあらゆる分野において効用を最大化すべく行動する」というものである。本コラムにおいて各論に立ち入ることはしないが、財産法、契約法、不法行為法、刑法、民事・刑事訴訟法、会社法、独禁法といったあらゆる法分野において、「取引費用」や「需要と供給」などの考え方を利用しつつ、数式やグラフなどを用いた定量的な分析を行うものである。

 (3) 「法と経済学」を学ぶ意義

 それでは、「法と経済学」を学ぶことにどのような意義があるのだろうか。現実にはあり得ない仮定の下、当然の事象をただ数式やグラフを使って表現して分析することに何の意味があるのか、という批判もある。日本においても著名な学者・優秀な研究者による多くの興味深い研究がなされているようであるが、未だ法分野として主流を形成するというような状況には至っていないように思われる。実務界においては、そもそも「知らない」ことからくる部分が大きいのかもしれないが、さらに消極的な反応が一般的であろう。この点は、裁判実務においても「法と経済学」が大きな影響力を及ぼしているアメリカとは随分状況が異なる。

 筆者が会社法の授業で学んだ裁判例(Frandsen v. Jensen-Sundquist Agency, Inc.)を、経済学的分析が行われている裁判例の一例として紹介したい。簡略化して述べると、X社の大株主Aと少数株主Bの間には、「もし大株主Aが将来その所有株式を第三者に売却しようとする場合には、まず少数株主Bにその株式を同一条件で買取る機会を与えなければならない」という、いわゆる先買権の合意がなされていた。先買権はいわば優先的な株式買取権であり、本件のような非公開会社の少数株主が、新たな見ず知らずの株主の中に取り残されてしまうことを防止する機能も有する。本件の争点は、本件における具体的事実関係が、少数株主Bは先買権を行使できる場合に該当するかという点である。

 裁判所は、結論として先買権を行使できる場合に該当するという少数株主Bの主張を退けたのであるが、ここで興味深いのはその理由付けの一つである。裁判所は、先買権を行使できる場合については一般的に「狭く」解釈すべきであるという解釈規範もある程度理にかなったものであるとし、その理由を以下のように述べた(筆者意訳)。

  先買権は株式売却のオファーにより発動されるものであり、その効果は新たな当事者を売買取引に追加するものである。

  当事者を追加することは、取引コストを著しく増加させる。

  n人の当事者間においてはn(n-1)/2のリンクが発生することになる(つまり当事者が3人から4人に増加することにより、当事者間のリンクは3から6に急激に増加する。)。

  つまり、先買権の主張は取引を複雑化させる。

  複雑な取引のコストが当事者間で負担される限りにおいては、社会的な関心事とはならない。

  しかし、一部のコストは裁判制度を支える納税者により負担されるものであり、裁判所はこのような権利(先買権)について好意的ではない。

  したがって、このような権利は、それが契約において明確に付与されている限りにおいて執行可能と解すべきである。

 ちなみに、この裁判の裁判官は、連邦第七巡回区控訴裁判所の裁判官であるリチャード・アレン・ポズナーであり、シカゴ大学で教鞭をとる「法と経済学」の第一人者である。

 日本の裁判例においては、このような観点からの判決理由が示されることは極めて稀であるように思われる(この点、日本の公開買付けに関する裁判例において意識されている「強圧性」の問題が、「囚人のジレンマ」などに代表される「ゲーム理論」を応用した考え方であるとの指摘なども存在する。)。

 筆者にとって、上述の裁判例においてなされたような理由付けは、法解釈における新たな視点であり、大変興味深く感じた。法解釈においては、一定の原理原則から明確な解が導かれることは稀であり、様々な利益衡量を行う必要がある。経済学的見地からの分析は、このような利益衡量に一定の方向性や具体性を与える点で有用であるように思われる。また、法解釈においては、当事者間の公平などの抽象的な概念が十分な説明もされぬまま絶対的な価値を有するかのように使用されることもままある。なぜそのような解釈が当事者間の公平にかなうのか、といった点にまで踏み込んで解釈するとき、「法と経済学」は新たな観点を提供してくれるのではないか。

 「法と経済学」を学べばあらゆる法律問題について合理的な解釈が導かれる、といったものでは決してない。しかし、視野を広げ、定性的な分析に慣れきった頭に新たな視点を提供してくれる材料として、「法と経済学」を学ぶことには大きな意義があるように思う。

 3 留学は「合理的選択」か

 (1) 留学の「効用」

 視野を広げ、新たな視点から物事を見ることができるようになる ―― 筆者にとって留学の最大の「効用」とはこのような点にあったように思う。上述の「法と経済学」との出会いはほんの一例に過ぎない。アメリカ人の教授や学生、世界中から様々な目的を持ち渡米してきた留学生、同じ日本人でも異なるバックグラウンドを有する人たちとの出会いは、日本での生活では得られない大きな刺激となった。

 また、日々の生活の中で直面する文化の相違などを肌で感じることを通じ、日本や日本人、自分自身を俯瞰的に、異なる観点から眺めることができるようになったように思う。自らが世界や日本についてあまりに無知であることに気付き恥じ入ることも多々あったが、これも貴重な経験であった。

 そのほか、米国法についての基礎的な理解を得ること、英語力の向上、ニューヨーク州弁護士資格の取得、仕事をしているときにはなかなか行けないような旅行に行けること、慣れない生活の中での困難を共に乗り越えることで家族との絆が深まること、日本での激務から一時的に逃避(?)できることなど、留学には様々な「効用」がある。

 (2) 留学の「費用」

 もちろん留学は多大な「費用」を伴う。まず、言うまでもないが学費・新生活の立ち上げ等の実際に発生する金銭的負担である。近年の円高メリットを享受できたとはいえ、アメリカの学費は日本と比べ驚くほど高い。

 また、経済学においては、実際に発生する費用だけでなく、ある選択をすることによってあきらめなければならない価値(機会費用)も重要な「費用」として考慮する必要がある。留学中得られなくなる収入などがこれにあたる。

 さらに、このような「機会費用」は何も金銭的な負担に限られない。法律実務家にとっては、1年ないし2年間実務から離れるということもまた無視できない「機会費用」である。特に実務の動きの激しい分野を専門としている弁護士や大きな法律改正が行われる時期に実務を離れる場合にはこの「機会費用」はさらに大きくなるであろう。

 (3) 私の選択

 筆者にとっては、それでもなお上述した留学の「効用」はその「費用」を上回るものであり、留学は「合理的選択」であった。

 4 おわりに

 もちろん何に重きをおくかは人それぞれ異なるものである。留学に行くことこそが常に「合理的選択」であると言うつもりは毛頭ない。一昔前は、筆者が所属するような渉外法律事務所の弁護士は、米国か英国のロースクールに1年間留学し、さらに1年間米国か英国の法律事務所で研修を行うのが定番コースであった。近年は、留学・海外研修のいずれかのみを選択する者、海外研修を英米ではなく欧州やアジアで行う者、そもそも留学・海外研修いずれにも行かずに日本での実務経験を積む者、企業や官庁に出向する者など、様々な弁護士がいる。実際、筆者も官庁に2年間出向していたということもあり、留学後の海外研修には行かないことを選択した。

 このように、法律実務家としてのキャリアの積み方が多様化している現在においては、何が自分のキャリアプランにとって「合理的選択」であるかを熟慮することが今まで以上に重要になってきているのではないだろうか。

 宮本 甲一(みやもと・こういち)
 2003年3月、慶應義塾大学法学部卒業。2005年10月、司法修習(58期)を経て弁護士登録(第二東京弁護士会)、当事務所入所。
 2008年5月から2010年5月まで、証券取引等監視委員会に勤務し、金融商品取引業者に対する検査業務などに従事。2010年6月、当事務所復帰。
 2012年6月、米国University of Chicago (LL.M.)。2012年9月、当事務所復帰。
 論文に「ファンド検査の実務――ファンド業者に対する検査の最新動向」(月刊資本市場 2011年1月号)がある。

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