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被災者や被害者のために 一人の人としてできること

山田 貴彦

一人の人としてできること

アンダーソン・毛利・友常法律事務所
弁護士 山田 貴彦

山田 貴彦(やまだ・たかひこ)
 2004年3月、慶應義塾大学法学部卒。2006年10月、司法修習(59期)を経て弁護士登録(第二東京弁護士会)、当事務所入所。2009年7月から2012年2月まで金融庁総務企画局市場課に出向。

 気持ちの変化

 東日本大震災以降、事の大小にかかわらず災害や事故に関する報道に敏感になった。被災者や被害者の方々の思いが綴られた記事にはできる限り目を通すように心がけるようになり、なぜこのような災害や事故が起きてしまったのか、なぜこの方々が巻き込まれなければならなかったのか、この災害や事故を受けて、我々は何をしなければならないのか、などと考えるようになった。特に、亡くなられた方々の生前の人柄を報道で知ると、悔しさも感じながら、この方々の悲しみや苦しみは決して無駄にしてはならないと考えるようになった。同時に、こうして何事もなく平穏な日々を送ることがどれほど貴重で幸せなことか、実感するようになった。

 こうなった理由はよく分からない。それだけ東日本大震災の衝撃が強かったのかもしれない。あるいは、少しずつ周りのことを考えられる年齢になってきたのかもしれない。少なくとも学生時代は、連日報道されるような大きなものは別として、災害や事故に強い関心を抱くことなどなかったし、自分とは関係のない遠い世界の問題のようにすら感じられた。それよりも、休日に何をしようだとか、明日の試験に何が出題されるだとか、要は自分のことしか考えていなかったように思う。ましてや、何事もなく平穏な日々を送ることの有り難味など、せいぜい風邪をこじらせて高熱で寝込んでいる時に、「やっぱり健康が一番だな。」と思う程度で、日々実感するようなものではなかった。いずれにしても、この1、2年の間に、随分と気持ちが変化したことは確かである。

 何ができるか

 気持ちの変化だけでなく、「被災者や被害者の方々のために○○をするようになった。」、「平穏な社会の実現のために○○をするようになった。」などと言えれば立派なのだが、現実はそう上手くはいかなかった。何かしなければと考えるようにはなったものの、どこかに自分とは関係のない問題であるという気持ちが残ってしまっているのか、相変わらず自分のことを優先的に考えてしまっているのか、なかなか具体的な行動に移れない。そもそも何をすべきなのかも良く分からない。そんな自分をもどかしく思い、東日本大震災の後、ボランティアのために仕事を休んで被災地に通った知人に、何が彼をそうさせたのか理由を尋ねてみたことがある。彼は、「何がと言われても良く分からないが、とにかく何もせずにはいられなかった。」と答えた。まるでドラマか映画の主人公のようだった。また、弁護士として、被害者救済のために寸暇を惜しんで東奔西走する友人に、なぜそこまで頑張れるのか尋ねたこともある。彼は、「こういう仕事がしたくて弁護士になった。」と答えた。まるで絵に描いたような立派な回答だった。被災者や被害者の方々のために、実際に行動する彼らの話を聞いて、その使命感と実行力に感心させられるとともに、彼らには、見ず知らずの人々や社会のために、という純粋な気持ちがあることを知った。

 翻って自分自身についてみると、果たして、私には、見ず知らずの人々や社会のために、という純粋な気持ちがあるのだろうか。

 若干話が逸れるかもしれないが、私は、学生時代、小さい頃からよく一緒に遊んだ親友を交通事故で亡くした。何の前触れもなく親しい人を失う悲しみを、あの時初めて知った。親友として何かしたくて、彼の分まで精一杯生きることを誓った。その一ヶ月後には、小さい頃から面倒を見てもらいお世話になった祖父を病気で亡くした。祖父に何の恩返しもできなかったことが本当に悔しかった。だから、その分、祖母や家族に恩返しができるように、幸せにできるように、一生懸命努力することを誓った。私が弁護士になったのは、亡くなった親友や祖父との約束を果たしたいからである。

 このような経緯で弁護士になったものだから、「こういう仕事がしたくて弁護士になった。」という友人とは、弁護士になった動機が異なるし、もともと「何もせずにはいられなかった。」と言えるほど、見ず知らずの人々や社会のために身を捧げる思いが強くあったわけではない。そういう意味では、私には純粋な気持ちが足りないのかもしれない。それが、自らを行動へと突き動かす精神力、意志、姿勢の違いとなって表れ、彼らは行動でき、私は行動できないという結果につながっているのかもしれない。だが、そうであるとしても、被災者や被害者の方々のために、平穏な社会の実現のために何かしたいという思いは、彼らと何ら変わらないつもりだ。あとは、(純粋な気持ちが足りない)私にもできる具体的な「何か」を見つけ出して、実行すればいい。とは言うものの、私にもできる「何か」とは、一体何なのだろうか。

 弁護士としてできること

 この記事を読まれた方々の中には、弁護士であれば、被災者や被害者の方々のために何かをすることや、平穏な社会の実現のために何かをすることは、日々の業務として可能ではないかと思われる方もいらっしゃるかもしれない。確かに、弁護士法には、「弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする。」(第1条第1項)、「弁護士は、前項の使命に基き、誠実にその職務を行い、社会秩序の維持及び法律制度の改善に努力しなければならない。」(同条第2項)という規定があり、これを見ると、被災者や被害者の方々のために何かをすることや、平穏な社会の実現のために何かをすることは、正に弁護士の使命や職務にほかならないと言えそうである。実際、弁護士であれば、例えば、被害者の方々の代理人となって行政や企業等を相手に被害回復を主張するだとか、あるいは、国や地方に対して法令等の改正や運用の改善を訴えるだとか、被災者や被害者の方々のためにできることや、平穏な社会の実現のためにできることはたくさんあるし、私の友人を含め、日々これらを実行している先生方もたくさんいる。

 だが、一口に弁護士と言っても、その専門分野は様々である。被害者救済を専門に活動する弁護士もいれば、そうでない弁護士もいる。各々依頼者も異なるし、社会への貢献の仕方も異なる。

 私の場合は、これまで弁護士として企業法務を中心に業務を行ってきた。また、以前掲載させて頂いたとおり、金融庁において各種金融規制法の企画・立案業務に携わる機会も頂いた。これらの業務を通じて私が行ってきたことを振り返ってみると、広い意味で社会貢献につながることはあったかもしれないが、少なくとも、直接的に被災者や被害者の方々のためになったことや、直接的に平穏な社会の実現につながったことがあったとは思えない。もちろん、これは私自身の力不足の問題であって、企業法務を通じて、直接的に、被災者や被害者の方々や平穏な社会の実現のために活動することができる弁護士もいるだろう。今後、私にも、そういう仕事に関与できる機会がくるかもしれない。だが、私の想像力が乏しいせいか、なかなか今の仕事をそこまで発展させられる気がしない。また、情けないことに、今の私には、専門とする企業法務に加えて、新たに被害者救済という専門分野を持ち、双方の分野で弁護士としての力を発揮することは難しそうである。となると、弁護士としてできる「何か」を考えた時に、今の私にとって現実的なのは、(理念的なことを述べてしまって恐縮だが、)企業法務を通じて、より良い社会経済が形成され、それが、間接的であっても、僅かであっても、被災者や被害者の方々の利益や平穏な社会の実現につながることを信じて、日々の仕事に全力を尽くすことだろうと思う。

 一人の人としてできること

 私には、弁護士として具体的なことができそうにないので、弁護士としてだけではなく、一人の人として、私にもできる「何か」を考えてみると、真っ先に思い浮かんだのは、気付いたときに募金をすることや、休日にボランティア活動に参加することだった。そんなことかと笑われてしまうかもしれない。以前は、何か特別なことや大きいことをする方が、より被災者や被害者の方々のためになり、平穏な社会の実現のためになると考えていた時期もあった。ただ、どんなに特別なことや大きいことを考えても、結局、自分の精神力、意志、姿勢とのバランスを失しているから、実行できないままに終わってしまう。だからこそ、私は、これまで何も実行に移せないまま、もどかしい思いをしてきた。今の私には、実行できないことをあれこれ考えるよりも、たとえ小さいことであっても、少しずつ実行できることを考える方が向いていることを学んだ。

 程度の差こそあれ、被災者や被害者の方々や平穏な社会の実現のために、一人の人としてできる「何か」は、もとより数多くあると思う。だが、その中でも、最も大切で、そして、私を含め誰もができる(誰もがすべき)「何か」とは、災害や事故の事実と、その被災者や被害者の方々のことを忘れないことではないだろうか。我々の平穏な日々は、長年の間に起こった災害や事故、そこから得られた教訓、被災者や被害者の方々の思いの積み重ねの上に成り立っている面があると思う。そのことを十分に理解しながら、また感謝しながら、被災者や被害者の方々の苦しみや悲しみを決して無駄にしないためにも、同じことを繰り返さないためにも、まず「忘れないこと」を、一人の人として、実行していきたい。

 最後に

 こんなことを言ってしまっては身も蓋もないのだが、何が被災者や被害者の方々のためになるのか、何が平穏な社会の実現のためになるのか、本当のところは良く分からない。価値観は人それぞれであるし、私の考え方に共感できない方も多いかもしれない。だから、私は、自分の考え方を一方的に押し付けるつもりはない。ただ、この記事が、被災者や被害者の方々のために、平穏な社会の実現のために、我々が何かを考えるきっかけになることを願う。

 山田 貴彦(やまだ・たかひこ)
 2004年3月、慶應義塾大学法学部卒。2006年10月、司法修習(59期)を経て弁護士登録(第二東京弁護士会)、当事務所入所。2009年7月から2012年2月まで金融庁総務企画局市場課に出向。2012年3月、当事務所復帰。
 共著に『逐条解説 2011年金融商品取引法改正』(商事法務 2011年11月)、『逐条解説 投資法人法』(金融財政事情研究会 2012年8月)。共著論文に『平成23年改正金商法政府令の解説(4・完)資金供給・資産活用に向けた見直し』(旬刊「商事法務」No.1963 2012年4月25日号)、『The Asset Management Review - Edition 1』(Law Business Research Ltd. 2012年10月)などがある。
 これまでにAJに掲載された論考に「法律事務所から金融庁に出向して得られたもの」がある。