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キラキラの国、インドネシア 「近い将来」も意味する「明日」

キラキラの国、インドネシア

 

アンダーソン・毛利・友常法律事務所
弁護士 松本 拓

 

松本 拓(まつもと・たく)
 2005年3月、東京大学教育学部卒。2008年3月、早稲田大学法科大学院修了。2009年12月、司法修習(62期)を経て、弁護士登録(第二東京弁護士会)。2010年1月、当事務所入所。2012年2月から11月までインドネシア ジャカルタのSoewito Suhardiman Eddymurthy Kardono (SSEK) 法律事務所勤務。2012年11月、当事務所復帰。
 2012年に約1年間、インドネシア・ジャカルタの法律事務所で勤務した。

 仕事はもっぱら、現地のインドネシア人弁護士と協力し、クライアントである日本企業向けに、インドネシア法に関するアドバイスをすることであった。

 直接関わるクライアントの担当者は日本人の方が多かったが、インドネシア法について的確にアドバイスするためには、法律を読んで理解するだけでなく、実務経験のある現地弁護士の協力が必要不可欠であり、日夜を問わず現地弁護士から色々と教えてもらうとともに、議論を重ねた。

 また、仕事を離れて街に出れば、もちろんそこにはインドネシア人の世界があり、お店やレストラン、スポーツの場などで、様々なインドネシア人との交流を深めた。

 だいたいゆったり

 インドネシアという国や人々を表現するとき、よく「Kira Kira(キラキラ)」という表現が使われる。これは、「だいたい」、「おおよそ」などを意味するインドネシア語である。会話の中でもよく使われるが、この言葉は、よく言えば、「おおらか」、別の見方をすれば、「いい加減」、というインドネシアの特徴を表していると思う。

 まず、日常生活でのエピソードを紹介したい。日本からジャカルタに到着した初日、事前に事務所が用意してくれていたマンションの1室は、新しい家具や電化製品が完備され、綺麗に掃除されていて、一見、暮らすには何不自由ないように思えた。しかし、よく見ると洗濯機の設置が完了していなかったり、鍵がなくて郵便受けを開けられなかったり、ちらほら問題が出てきた。早速、管理会社に連絡して洗濯機の設置を依頼するが、約束の時間になっても誰も尋ねてこない。管理会社に再度連絡すると、「明日行くから」と気軽に返答してくる。翌日も部屋で待っていると結局時間には誰も来ず、2~3時間遅れてやっと設置担当者がやってきて、時間に遅れたことを意に介する様子もなく、ゆったりと作業を開始した。

 また、郵便受けの鍵については、管理会社に連絡するたびに「鍵を用意して渡す」と言われた挙句、結局鍵を受け取ることはなく、ある日郵便受けをみると、明らかにこじ開けられた形跡があって、鍵なしで利用できるようになった。

 さらに、レストランでの注文の間違いは日常茶飯事であった。ノンシュガーのアイスティーを頼んで、ガムシロップたっぷりの甘いアイスコーヒーが出てくるくらいの間違いは、かわいいものであった。

 「近い将来」も意味する「明日」

 一方、仕事においては、さすがに日本企業を含めて外資のクライアントを多く持つ事務所だけあって、アドバイスの内容は「Kira Kira」ではなく、基本的に適切であるし、時間についてもインドネシアの常識に照らせばかなりタイムリーな対応をすることが多かった。ただ、注意しないと仕事を期限どおりに終えてもらえないことがある。例えば、「明日」までに終えてほしいと依頼したとしても、「何日の何時までになぜ必要か」ということをとしっかり連絡しておかないと、現実に仕事が完了するのは「明日」ではなく、「近い将来」になってしまうことがある。こうしたことは、インドネシア語で明日を意味する「Besok」が、明日以降の近い将来をも意味することに表れているように、時間に対するゆったりした感覚が影響しているようである。

 ここまで、どちらかといえば「いい加減」な面ばかり述べてきたが、だからといって悪いことばかりではない。自分を含めた外国人が「Kira Kira」に慣れないために、最初は色々な場面でやきもきするが、自分自身がその環境に慣れてしまえばかえって楽になる(もちろん仕事上は、常に「Kira Kira」というわけにはいかないが)。そもそも、日本では色々と細かいことまで気にしすぎなのかもしれない。そのような思いもあり、駐在する日本人もだんだんとほだされてくることが多い。

 実際、常夏の島国で、インドネシア人のおおらかさ、人懐っこさに癒され、助けられたことが何度もある。

 直接会って話をする

 「Kira Kira」のインドネシアの人々がもっとも大切にするのは、家族や学校、職場での人間関係、上下関係である。まず、挨拶が明るく元気である。どんなに仕事が忙しくても、笑顔や笑い声を忘れない。しかも、直接会って話をするという、人として当たり前のことをとても大切にしている。

 私自身、事務所の経営に携わるパートナー弁護士と仕事をしていたとき、間に入った中堅の弁護士とばかり直接連絡をしていて、パートナー弁護士との間ではメール中心で報告を行っていたところ、そのパートナー弁護士からクライアントとのやり取りなどについて、ことあるごとに細かく質問・指示をされた。パートナー弁護士としては、パートナー弁護士と私との間の連絡としてメールでは不十分で、そのような状態で仕事を完全に任せることはできないと感じていたようである。そこで、ある日パートナー弁護士に時間をとってもらい、直接会ってしっかりと案件の説明・報告をしたところ、その後は信頼してある程度まで仕事を任せてもらえるようになった。

 その後、仕事上で色々な弁護士と連絡をする必要があるときは、可能な限り直接会って話をするようにし、そうすることで人間関係を育むことができ、仕事をスムーズに進めることにつながった。日本でも大切なことであるが、インドネシアではさらに大切であった。

 一生の宝物

 事務所では出向当初から大いに歓迎してもらい、仕事中はもちろんのこと、フットサル、サッカー、バスケットボールなどのスポーツイベント、仕事後の懇親会、シンガポールへの事務所旅行など、滞在期間中を通じて楽しい時間を過ごせる仲間がいた。そして、任期を終えて日本に帰任することとなったとき、多くの仲間が別れを惜しんでくれた。特によく一緒に仕事をして、事務所の一員として家族のようにかわいがってくれたパートナー弁護士たちにもらった、インドネシアの民族衣装、バティックシャツは一生の宝物である。

 帰任して3ヶ月が経って、私自身はすっかり「Kira Kira」の感覚を失い、日本人らしさを取り戻したような気がするが、「Kira Kira」の国、インドネシアでまたあの笑顔に会いたいと懐かしく思い出すことがある。

 松本 拓(まつもと・たく)
 2005年3月、東京大学教育学部卒。2008年3月、早稲田大学法科大学院修了。2009年12月、司法修習(62期)を経て、弁護士登録(第二東京弁護士会)。2010年1月、当事務所入所。2012年2月から11月までインドネシア ジャカルタのSoewito Suhardiman Eddymurthy Kardono (SSEK) 法律事務所勤務。2012年11月、当事務所復帰。共著論文に「インドネシアにおけるM&A」(JOI機関誌 2012年5月号)。